ヨーロッパ の産業革命の過剰生産のため市場を求めて列強が植民地化政策をとりました。 日本は植民化されじと開国して明治維新をします。 富岡製糸場を開所したり、 大阪造幣局 で 硫酸 が製造されはじめたりします。 日露戦争に勝利することで国全体に富国強兵の機運が高まります。 そのような中で米沢高等工業学校が設立されました。 米沢高等工業学校校歌 の一節にも「教を布きゆく富国の道に」とあるぐらいです。
米沢高等工業学校の設立してすぐ、 世界第一次大戦 が始まります。 ヨーロッパからの輸入が途絶したため、国産化がすすみます。 海外から日本製品の需要が増え戦争景気に沸きますが、大戦が終わると一気に戦後恐慌になります。 応用化学科で 人絹 の開発や製造が始まったのはこのころです。 資源の無い日本で生糸に変わる繊維産業を追い求めていたのでしょう。 米騒動に加えて関東大震災、世界大恐慌、をなんとかしようとしているうちに満州事変があって世界第二次大戦へ突入します。 世界第二次大戦のさなか、レーダー技術者が欲しかった日本は 米沢工業専門学校 に改称して 電気科、電気通信科 を設立します。
終戦後は新制大学の工学部として再スタートを切ります。 世界第二次大戦の燃料備蓄基地だったところが石油化学工業として発展を目指します。 メディアはラジオからテレビになり、石油をエネルギー源とした金融緩和政策の中、化学工学科が設立され 高度成長期 を担う人材を育んででゆくことになります。人類は着弾するより早く現在位置と落下地点を計算できる技術で地球を飛び出し月に降り立ちます。 そのような高度な技術を担う人材育成のため 大学院が設置 されます。 黒電話 が各家庭に入り、放送から通信へと情報の市場が移ろいでゆき、印刷技術を応用した半導体技術がデジタルICに応用され パーソナルコンピュータ が普及します。 このころ取り壊しが検討されますが、佐藤誠先生らの尽力によって1973年に重要文化財に指定されます。 新たな ソフトウェア 技術者の育成のために情報工学科が設立されます。 時代のニーズにあわせて増やしてきた学科ですが、ニーズの減った学科もあり、学科の再編が行われます。 1990年の80周年では佐藤誠先生の教え子の松木健三先生らによってかつての学科が展示室として整備されます。
卒業式を間近に控えた学生たちが 雪のちらつく曇り空を見上げて指折り日数を数えていたとき、突然強い揺れがやってきました。
時代区分 | 時代 | 産業 | 政治 | 世界 | ||
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地質 | ||||||
原始 | 旧石器 |
BC.20000 ラスコー壁画 BC.3200シュメール 文字 * BC.300アラビア 数字 * |
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🔷 縄文 | 磨製石器 🔷 三内丸山縄文遺跡 | |||||
🔷 弥生 | 鉄器 1 ) | キリスト誕生 | ||||
古代 | 古墳 |
紙の発明と漢字(
漢) |
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🔷
飛鳥 593 -710年 |
610雲黴日本に 製紙法を伝える 2 ) | |||||
👨🏫 奈良 |
万葉仮名 |
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👨🏫
平安 |
律令体制の崩れ
武士のおこり
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中世 |
👨🏫
鎌倉 |
👨🏫 永平寺@福井県吉田郡 | ||||
👨🏫
室町 |
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👨🏫
戦国 |
美濃紙 1590年、イエズス会によりグーテンベルグによって発明された鉛活字と木製印刷機 1600徳川家康木活字 |
1439年頃にヨーロッパで初めて活字による
印刷を行った。 アラビア数字の完成 |
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大航海の時代 | ||||||
近世 | ||||||
◇ 明治 |
1873
大阪造幣局で、鉛室法
硫酸
の製造
1873
第一国立銀行設立
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富国強兵 | ||||
◇ 大正 |
1923関東大震災 1925ラジオ 放送 |
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(戦前) | ||||||
(戦後) |
1964日立製作所大型汎用コンピュータを開発
1982 PC-9801 漢字 1983 ファミコン * 1984 カラー液晶テレビ 6 ) 1988 カラオケBOX *
1993高輝度青色LED量産
*
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1957二重積分
ADC
*
1965 FFT * 1968 X線CT 1978 スペースインベーダー 1982 CD |
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👨🏫 平成 |
2001
電子マネー
2008 FTTH ,スマホ |
2000 WiFi™ * 2005 Youtube * | ||||
👨🏫 令和 |
上杉伯爵亭から、山形大学工学部に 向かうと、正面玄関両脇に尖塔をあしらった、左右対称の建物が見えてくる。重要文化財の指定を受けている旧米沢高等工業学校本館だ。文化庁の国指定文化財等データベースにはルネッサンス様式とある。設計図面には中島泉次郎の捺印がある。ルネサンス様式かネオ・バロック様式か。ここでは字面に囚われることなく、現物から直に伝わってくることを大切にし、当時の地域の人たちに思いを馳せてみよう。
外観は同じ重要文化財である「東京駅丸ノ内本屋」とそっくりだ。 ロシア戦争で勝利したものの、賠償金が取れなかった日本は、多方面において予算を削減せざるを得なかった。 地方が難しい舵取りを求められる中、予算削減の中で、どんな建物をつくるか。 加えてこの地は雪深い。 レンガ造りの建物は、寒く現実的ではなかった。使える暖房は石炭を使ったダルマストーブ。 煙の出ない上等な石炭を使っていたそうだ。 暖かい木材を使って、それでいて行幸の際に面目を保てる街のシンボル。 木材の弱点は朽ちるところだ。最新の顔料である亜鉛華を使って塗装仕上げ。
まずは青春の碑と一回生の記念植樹を見ましょう。記念植樹に使われたエゾマツ。
エゾマツは樹脂分が少なく、繊維が長いので、密度が軽く、バイオリンなどに使われるヨーロッパトウヒの類縁種です。
当然、人絹の原料として最適な木材ということになります。
資源に乏しい日本が生糸から新しい産業を見つけようともがいていたとき、
ドイツの教科書をひもといて、ヨーロッパトウヒの類縁種の栽培まで考えていたと想像できませんか?
しかも、平均樹齢が200年と寿命が長く、100年を経た現在でも健在です。
一回生の先輩方の思いが託されたエゾマツ。
たとえ文章に残っていなくとも、その地を訪れることでその時代に思いを馳せ、かつてここで学んだ先輩たちに思いを受け止め、
そしてこれから生まれてくる後輩たちに伝えるために。
校歌を歌おう
正面玄関から通じる 廊下 には、発電機がおいてあります。 ようやく米沢に電気が作られた時代。当時貴重だった電気。 白熱電球のもと勉学に勤しんだ学生。 授業料も寄宿料も無料。ただしひとつでも不合格の科目があればただちに退学。 国民がほんとうのエリートを望んだ時代でした。
人絹(ビスコースレーヨン)は、1918年に 米沢高等工業学校 で開発された。
人絹製造開始は、1921年(大正10年)で、この間に日中戦争が勃発(1937年)し、そして 太平洋戦争(1941年)へと時代が進んだ。 8 )
米沢高等工業学校 が山形大学工学部になってから工学部には高分子、化学、機械、電気の学科があり、高分子化学(H)、材料(T)、応用化学(C)、化学工学(K)、機械工学(M)、精密機械(S)、電気工学(E)、電子工学(A)の専修コースに分かれていた。 そのうち化学系には応用化学系( C1 :電気化学、C2:分析化学、C3:天然物、C4:石油化学)があり化学工学系(K1:流体・電熱、K2:反応工学、K3:粉体工学、K4:プロセス制御)というように それぞれの学問体系に研究室が割り振られていた。 その後、C5:合成化学、C6:無機材料化学、C7:有機材料化学の研究室が増えた。
天秤室 には 天秤 がずらり。質量を精度よく測定することは化学の基本。質量を長さに置き換えて測る機械が天秤です。
電子計算機展示室(教室) には国産パソコンの 8001 、9801、MZなどが並びます。
601A 650理化教室 に入ると背筋を伸ばさずには座れない椅子。ほんとうに真っ黒な黒板。演示実験するための教卓。その実験道具を準備室から取り出すために黒板に設けられた小窓。 などが目に付きます。
階段を上って 二階展示室に上がってみる。階段のてすりに施された彫刻を見よ。 開校当初の学生がどれだけの期待をせおったエリートだったかが伝わってきます。
紡織科展示室(教室) に入ると リカちゃん人形があります。 応用化学は燃料や火薬を作るためだけにあるのではない。学徒動員された佐藤安太先輩の気持ちが使わってくるようではないか。そこにはダッコちゃん、リカちゃん、ビーダマンと、夢と希望を若者や子供に託した製品が数多く並んでいる。 よく見るとリカちゃんの瞳の中の星が時代とともに変化しているのがわかる。 白熱電球、蛍光灯、ヘッドライト・・・その時代時代の照明をリカちゃんは見つめ続けてきていたのだ。
電気・通信科展示室(教室) に入ったらまずはレーダー用のマグネトロンを見ましょう。
機械科展示室(教室) にはいってまず目につくのは手書きの製図。アメリカでアメリカ人が作ったプリウスが日本車と言われるのはなぜか? と問われれば、それは日本人が設計したからの一言に尽きます。設計ができること。それがエンジニアの必須要件。 そして設計ができるということは製図ができるということ。 図面が引けてこそエンジニア。 当時の学生の勉強の成果を生で体感しよう。
色染科展示室(教室) にはテキスタイルや織物に関する展示があります。人類は衣服を身にまとうことで文明を開きました。
米沢キャンパス は山形県米沢市にあります。 ちかくには最上川の源流などもあります。
正門を入るとすぐに守衛室があります。
山形大学付属図書館米沢分室の書庫には貴重な資料がたくさんあります。