人絹(ビスコースレーヨン)は、1918年に 米沢高等工業学校 で開発された。
人絹製造開始は、1921年(大正10年)で、この間に日中戦争が勃発(1937年)し、そして 太平洋戦争(1941年)へと時代が進んだ。 1 )
米沢高等工業学校 が山形大学工学部になってから工学部には高分子、化学、機械、電気の学科があり、高分子化学(H)、材料(T)、応用化学(C)、化学工学(K)、機械工学(M)、精密機械(S)、電気工学(E)、電子工学(A)の専修コースに分かれていた。 そのうち化学系には応用化学系( C1 :電気化学、C2:分析化学、C3:天然物、C4:石油化学)があり化学工学系(K1:流体・電熱、K2:反応工学、K3:粉体工学、K4:プロセス制御)というように それぞれの学問体系に研究室が割り振られていた。 その後、C5:合成化学、C6:無機材料化学、C7:有機材料化学の研究室が増えた。