昭和16年ごろは、米沢工業高等学校の電気化学の教授が欠員になっていて、横浜高等工業学校電気化学科の教授が分担して講義に来られたり、東北帝国大学助教授であった大内謙一博士が、毎週講義に来られていた。
1936戒厳令の東京で
2.26で怖い思いをした。
その佐藤誠先生が東京高等工業学校から、米沢工業高等学校に着任されたのは、昭和になってからだ。昭和恐慌の真っただ中。1933年(昭和8年)「学問の研究は絶対自由でありたい。」と寺田寅彦が「鉄塔 第二巻第九号」で述べているのをみると、ずいぶんと抑圧されていたのではないかと思われる。佐藤誠先生も戒厳令を敷かれた2.26事件(1936年)でずいぶん怖い思いをしたと述懐されている。佐藤誠先生が米沢に着任されて1か月後に太平洋戦争が始まった。佐藤誠先生の東京の友人には、「君は先見の明があった」と羨ましがられたそうだ。戦争が終わって社会が落ち着いたら、今度は「田舎侍、いつまでも米沢で、何をしているの?」と言われるようになったそうだ。
太平洋戦争
1930s1)
1940s2)
電氣化學協会秋季大講演会
電気化学会
https://abstract… ? meeting
大内謙一 高松敏文 (20分). 放電によるアンモニアの分解はイオン化を経ずして起る ... 東京工業大学応用電気化学教室 外島忍 (10分). さきに水錠 アルカリ電癖 ...
暠電氣化學協會第17回大會次第
電気化学会
https://abstract… ? meeting
東北大学非水溶液化学研究所 *大内謙一 高松敏文 (15分). 放電機構及びその化学 ... 東京工業大学應用電氣化學敎室 ゜外島忍 唐木光一 (15分). 種々の電解質,乳化劑 ...
金属マグネシウムの製造-カルシウムシアナミドによる酸化マグネシウムの還元-3)
- (1) 伊藤智博、立花和宏、仁科辰夫.
電気化学の庵:1930s
. https://edu.yz.yamagata-u.ac.jp/developer/Asp/Youzan/@Lecture.asp?nLectureID=1580. (参照1930-01-01). - (2) 伊藤智博、立花和宏、仁科辰夫.
電気化学の庵:1940s
. https://edu.yz.yamagata-u.ac.jp/developer/Asp/Youzan/@Lecture.asp?nLectureID=1579. (参照2007-08-05). - (3) 金属マグネシウムの製造-カルシウムシアナミドによる酸化マグネシウムの還元-
大山 繁, 山形大学 応用科学科, 卒業論文 (1964). - (4) 成型品の耐水性に就いて
鈴木知良・二瓶誠・小川昭二, 山形大学 応用科学科, 卒業論文 (1948).
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