まず、情報は、すべて記録できるわけではない。たとえば生まれたばかりの赤ちゃんは、母親の肌のぬくもりを頼りに、母乳にありつく。触覚をもとに、行動を起こしているのだから、赤ちゃんにとって、母親の肌のぬくもりは、まちがいなく大切な情報だ。しかし、この情報を、ありのままに記録するのは、至難の業と言えよう。
そして、情報は、デジタルとは限らない。というのは、もともと情報は、自然界からもたらされるものだからだ。たとえば、風光明媚な自然を、赤か青かの二通りだけで表現したら、なんとも殺風景なことだろう。自然の色どりは、限りなく豊かだ。
認知世界は、人によって異なる。たとえば同じ人でも加齢によって耳が遠くなったり、目が見えなくなったりする。科学技術の発展によって、補聴器や老眼鏡で狭まった認知世界を、再び広げることもできる。さらには訓練によって、広げることもできる。たとえばよく訓練した人は、文章を読んだだけで、ありありと光景が目に浮かび、楽譜を見ただけで、美しい音楽が聞こえるだろう。また視覚障碍があったとしても、点字は触覚から文字情報を与え、聴覚障碍があったとしても、手話は視覚から音声言語を与える。このように、それぞれの知覚は独立したものではなく、心の中でつながっており、その人の感性としてとらえられるものだろう。