米沢高等工業学校は、「染織科」「応用化学科」「機械科」の3科体制から始まりました。 繊維産業が依然として外貨獲得の重要な手段であったことに加え、地場産業である米織の影響がみてとれます。 開学後まもなく講師として着任した秦逸三は、当時ヨーロッパで普及しながらも 日本への技術移転が阻まれていた人造絹糸の独自開発を始めました。 日本有数の総合商社 鈴木商店 の金子直吉から資金援助を得て製法を研究、発展させ日本初の人造絹糸製造に成功、後に帝国人 造絹糸(現帝人株式会社)を設立しました。 本学部は、このような応用化学研究の伝統を受け継ぎつつ、時代の要請にこたえ様々な工学分野の研究 開発および技術者の育成をおこなってきました。大正11年(1922)には電気科、昭和14年(1939)には 通信工学科が設置され、今日まで続く研究開発の礎となっています。 米沢工業技術資料展示室 では、これらの研究や教育 の現場で実際に使用された資料等を通じて、本学部の あゆみや米沢ゆかりの工業技術の変遷をご覧いただ きます。さらに、伝統を引き継ぎあらゆる分野へと発展 を続ける現代の工学部の研究成果についてもご覧 いただきます。
堀立川
餐霞館
用水路と暗渠
キクザキイチゲ
以前は用水路の脇に群生していましたが、10号館、11号館の建設によって用水路が暗渠となり、キャンパスにわずかに残るにすぎません。絶滅危惧種です。
コメツガ・・・米沢市の木で以前は事務棟前に植えてありましたが、100周年記念会会館の建設によって伐採されてしまいました。
記念植樹
第一回卒業生の植樹した木は今でもあります。伐採されてしまった記念樹も多々あります。
雪吊り