デジタルコピーは、オリジナルとコピーの区別がつかない。
ネットの世界では、本人となりすましの区別がつかない。そのことを「知っている」ことを本人特定のよりどころにしてしまうと、複雑なパスワードを要求されてします。
パスワードは、脳という媒体にコピーされた記憶だ。記憶は、ぼやけるし、思い出せないこともある。あるいは、虚偽記憶が、形成されることもある。セキュリティの強化として、パスワードを複雑にすることは、脳に負担をかけるだけで百害あって一利なしである。
静脈認証のような生体認証の方が、よほど得策である。セキュリティ強化には、パスワードをなくすのが一番なのだ。しかし、静脈認証は衰退の一途とたどっている。
売る側も買う側もお互いにが幸せになるために、配信とサブスクのビジネスモデルに移行した。コンテンツは、端末に記録を残さないから、利用者に請求書を送ることができればいい。利用者となりすましの区別ができるかどうか。本人が本人であることの証明を、認証と言う。
人が紙に直接記録していたときは、直筆署名で事足りた。情報がたやすくコピーできるデジタル社会では、そうはいかない。認証が必要だ。認証は大きく3種類。知識認証、所有物認証、生体認証だ。知識認証は、本人だけが知っている文字を入力させるものだ。パスワードの使いまわしはやめましょうと言われたって、これだけネットサービスが存在したら、利用するネットサービスの数だけ、パスワードを憶えておかなければならない。認知機能が低下していなくたって、憶えていられない。かわりに憶えておいくれくれるのがスマホだ。所有物認証だ。でも、これだってスマホを盗まれたり、あるいはスマホをどこかに置き忘れたら困ったことになる。
ここにきてやっと生体認証がふえてきた。銀行の静脈認証は、その価値が認められる前に、衰退したが、最近のタブレット端末やスマートディスプレイでは、顔認証が使える。昔でいうところの顔パスだ。玄関ドアも顔認証だ。顔認証クラウドサービスの黎明期だ。