環境問題 は個人的利益を最優先する資本主義の自由競争では解決できません。 このような状況を 囚人のジレンマ と呼び、ゲーム理論で扱います。
立花研はゴミ減量に努力する (立花研:環境保護、伊藤研:環境保護)
お互い苦労したけど、なんとかなりましたな(苦笑) (立花研:ごみためじゃ~(号泣)、伊藤研:しめしめ、すっきり(爆))
立花研はゴミをこっそり伊藤研へ (立花研:しめしめ、すっきり(爆)、伊藤研:ごみためじゃ~(号泣)) (立花研:環境悪化、伊藤研:環境悪化)
ふたりともひどいことになっちまった(泣)
立花研は個人的利益を最優先することを考えてみました。
伊藤研がゴミ減量に努力すると仮定した場合:
立花研はゴミ減量に努力したところで苦笑い。 それよか、こっそり伊藤研へおいてきて爆笑した方が断然お得ですな。 伊藤研には号泣してもらいましょう。
伊藤研はゴミをこっそり立花研へ置きにくると仮定した場合:
立花研はゴミ減量に努力したら号泣することになるじゃん! こっそり伊藤研へおいてきて伊藤研にも泣いてもらった方がまだマシですな。
これは伊藤研がどっちに転んでも、立花研はゴミをこっそり伊藤研へおいてきた方がお得です。 なんて理論的!と考えて立花研の学生はゴミを減らす努力することなく、それをこっそり伊藤研において来ようとしたら・・・ なんと伊藤研の学生も理論的に考えてゴミを減らす努力をしなかったですねー。 結果はお互いゴミの山に埋もれるという非常に悲しいことになったわけです。
なんでこんなことになったかといえば、公共の福祉よりも、個人的利益を優先したからです。 公共の福祉に貢献するか否かを善悪といいます。 そしてその善悪の判断を自分の責任で行えることこそ健全な倫理感を持つということなのです。
そうはいっても相手を信用して善行ばかりはできませんね。 裏切られたらぶっ殺す!というやり方もありますが、できれば争いは避けたいものです。 そこで ルールを作り、 そのルールを破ったモノを処罰するという試みをしたいと思います。 そのためにはルールを作ったり有罪無罪を判定したり、有罪者に処罰するなどを行うものが必要です。 これをガバメントといいます。 今回はガバメントを仁科教授にお願いし、ゴミを他人のところに置いたら死刑という ルール を作って 利得表がどう変わるか見てみましょう。
立花研はゴミ減量に努力する (立花研:環境保護、伊藤研:環境保護)
お互い苦労したけど、なんとかなりましたな(苦笑) (立花研:ざまみろ~(半泣)、伊藤研:ぎゃー、仁科教授にばれて処刑された(死))
立花研はゴミをこっそり伊藤研へ (立花研:ぎゃー、仁科教授にばれて処刑された(死)、伊藤研:ざまみろ~(半泣)) (立花研:抹殺、伊藤研:抹殺)
そして誰もいなくなった。ただゴミの山だけが残った。
立花研は個人的利益を最優先することを考えてみました。
伊藤研がゴミ減量に努力すると仮定した場合:
こっそり伊藤研へおいてきて仁科教授に殺されるよか 立花研はゴミ減量に努力した方がまだマシですな。
伊藤研はゴミをこっそり立花研へ置きにくると仮定した場合:
やっぱり伊藤研へおいてきて仁科教授に殺されるよか 立花研はゴミ減量に努力した方がまだマシですな。
ガバメントとルールがあれば、個人的利益を優先した行動が そのまま公共の福祉に貢献する行動になります。 いいことづくめですねー。 だから法令やルールを守るということも倫理観を持つということにつながるのです。
いやいやいや、いくつか問題があるのです。 もし、万が一仁科教授が暴君だったら。。。あるいは仁科教授が無能だったら。。。歴史を振り返れば悪代官も悪法などいくらでも存在します。そういうときはやはりひとりひとりの倫理観に頼るしかなくなります。 くわえて「ばれなきゃいいじゃん」という考えで、仁科教授に隠れて行動したら。。。 結局のところ倫理観が最後の砦ということになります。
消費者は品質にみあった価格で買い取る 消費者は値切りまくって買い叩く
メーカーは品質向上に努力する ? ?
メーカーは粗悪品を安値で叩き売る ? ?
さあ、この利得表の行方はどうなるでしょうか? あなたがメーカーのエンジニアだったらどの行動になると思いますか? 利得表をノートに書いてGoogle+にアップしよう。
- (1) 近畿化学協会・工学倫理研究会.
技術者による実践的工学倫理第4版
. 化学同人, 2006. p.68.