ユニオンカーバイト社の『セビン』と呼ばれる殺虫剤(カーバメート系農薬、カルバリル)の原料である、 毒性のイソシアン酸メチルが漏出した。
アメリカはベトナム戦争の膨らむ戦費で財政難に陥っていた。ドルの金交換に応じられなくなったアメリカは、米ドル紙幣と金の兌換を停止した。ニクソンショックだ。ドルは変動相場となり、世界に進出していたアメリカの企業は、とてつもなく厳しい経費節減が求めれれた。
スマン・デイは、会社の予算削減のため、何か月も修理されないコントロールルームにいた。 バルブやパイプからの漏洩の報告は毎晩のことだった。 それでも自分が一時解雇されるよりましだった。 人員削減は保守作業員に向けられ、会社のバッテリー部門からきたまったく経験のないやつが担当していた。
イソシアン酸メチルが漏れていると気づいたのは、作業員の胸の焼けるかんじからだった。 ずっと故障したままのセンサーは機能せず、作業員の感覚だけが頼りだった。
水と絶対混ぜてはいけないイソシアン酸メチルが、 水といっしょに漏れていることに気づいたスマン・デイは、イソシアン酸メチルのタンクへ急いだ。 安全弁はすでに吹っ飛んでいた。足場のコンクリートには亀裂が入っていた。 バルブは全部壊れ、バルブというバルプからイソシアン酸メチルが噴出していた。
スマン・デイは、コントロールルームに戻って、冷却装置を稼働させようとした。 予算削減のため、何週間も前に冷媒が抜かれていた冷却装置は動かなかった。 プラントのスクラバーを稼働させようとした。 流量計は0を示したまま動かなかった。 フレアタワーで焼却しようとしても、フレアタワーも動かなかった。
スマン・デイは、最後の手段であるウォーターカーテンを稼働した。 そのウォーターカーテンは、タンク上部から漏れ出ているイソシアン酸メチルには全く無力だった。 自分が死にたくなければ、もう遠くまで逃げるしかなかった。
スマン・デイは、助かった。 しかし、スマン・デイが逃げるときに通ったバラックに住む人のうち、 2500人が目覚める前に死亡した。
人間の力が遠く及ばないところに不思議な力が働いていることがある。
インドボパールの事故がなかったら、日本で リチウムイオン二次電池は生まれなかったかもしれない 。
もちろん、これは事故を起こせと言っているわけではない。 事故は起こさないのが一番だ。 最大限の努力をしても起きてしまったときには、それをばねに前に進むしかない。