「brタグ使っているようではまだまだだな」by伊藤智博
サイドボックス内が0MPaであることを確認する。0MPaでない場合は、サイドボックス底部にある緑色のコック(サイドボックスパージバルブ)を開けて、 大気を導入する。サイドボックスの圧力計が0MPaになる。内側の扉が閉まっていることを確認する。サイドボックスの外側の扉を開けて道具を入れる。扉を閉める。 制御盤の内圧制御から本引きに切り替えて、サイドボックス真空引きバルブを90度開けて真空引きを行う。真空引きを始めるとだんだんと圧力が下がるので、-0.1MPa付近 に達してから60秒間減圧し続ける。サイドボックスの圧力計をみて、サイドボックスが減圧されることを確認する。同時に本体の圧力計を見て、 本体が減圧されないことを確認する。(本体の減圧が確認された場合は、直ちにサイドボックス真空引きバルブを閉める。)
60秒経ったら、サイドボックス真空引きバルブを閉じる。サイドボックスの中を覗きながらサイドボックスガス供給バルブをゆっくりと開け、 サイドボックスの圧力計が0MPaになるまでアルゴンガスをサイドボックス内に供給する。内側の扉を開けて、サイドボックスから本体に道具を移動する。 内側の扉を閉じる。
電解コンデンサは、19世紀に発明されて以来、100年以上に渡って利用されている。1855年、チャールズ=ホイートストン(Charles Wheatstone)が電気分解によって金属の表面に薄い酸化皮膜が生成することを発見した。これは電解コンデンサが発明されることにつながる重要な発見になった。
1860年代になると電解コンデンサは実用化され、電信や電話、電力用途で使われるようになる。当時の電解コンデンサは水にホウ酸アンモニウムなどの電解質を溶かしたものが使われていた(以後湿式アルミ電解コンデンサと呼ぶ)。しかし、この電解液は水溶液であるため、時間とともに電解液が蒸発していってしまうという問題を抱えていた。
1908年、カソードの溶媒にグリセリンを使った電解液が発明される。(以後乾式アルミ電解コンデンサと呼ぶ)このころの乾式アルミ電解コンデンサは、湿式アルミ電解コンデンサより動作が不安定だったため、1930年ころまでは湿式アルミ電解コンデンサが多く使われていた。
1920年にアメリカ合衆国ペンシルバニア州でAMラジオの公共放送が始まった。当時のラジオの電源は直流で、乾電池が使われていたらしいが、乾電池を使うと維持費が極めて高価になるので、交流を直流に変換するエリミネータという補助電源装置を使うことが流行していた。この回路にコンデンサが必要で、ペーパーコンデンサを使うと高価なうえに大型になってしまうため、電解コンデンサに代替されるようになった。ラジオ放送の普及とともに、電解コンデンサの需要も広がって行った。
年代 | 出来事 |
---|---|
1890 | 水に電解質を溶かしたもの |
1908 | グリセリンにホウ酸アンモニウムを溶かしたものが出てくる |
1921 | ラジオ放送の拡大 |
1955 | カソードに二酸化マンガンを使った電解コンデンサが登場 |
1983 | 電荷移動錯体がカソードに使われる |
1980 | 導電性高分子をカソードに使ったコンデンサが作られる |
電解コンデンサの構造をFigure 1に示す。電解コンデンサも平行板コンデンサと同じくアノード、誘電体、カソードから成る。高純度アルミニウム箔をアノードとし、その上にアノード酸化によって酸化アルミニウムの誘電体層を生成させる。
アノードから誘電体を挟んで反対側にカソードを接触させるが、アノード酸化によって生成させた酸化アルミニウムは欠陥が多いため、電解コンデンサのカソードには電解液を使用する。電解液に導線を直接つなぐことはできないので、電解液にカソード引き出し用の低純度アルミニウム箔を接触させてリードを取り出す構造をとる。
音楽の影にはインピーダンスの陰謀と暗躍があった。 なんと、ボルタンメトリーからインピーダンスを計算できる。 (そんなの知ってるよ<西川。)実データの表示!最初はTG/TDAから。 次は導電性高分子コンデンサのデータだ!乞うご期待!!!グラフかけるかな?。
平成29年度山形県理科教育センター協議会事務局員研修会
期日:平成29年6月14日(水)
場所:山形県教育センター(天童市)
13:00〜15:00
タイトル「音の大小と高低ー音楽と理科のコラボ―」
元のGoogleスライドはこちら
藤原さんと相談した。
CADソフトのインストールされているパソコンが研究室内に少ないので、ブラウザ上で動くCADってないのかなぁと思ったら、 ありました。ユーザー登録をすると、21日間の試用ができます。購入は1ユーザー1年間1,200$だそうです。ざっくり12万円か…