米沢高等工業学校本館の高工・工専記念室に一枚の写真がある。黒板に大きく「電化」とあり、その下に5.26.1923とある。恐らくこれが、C1ラボラトリーのルーツであろう。1923年9月1日11時58分32秒に未曽有の関東大震災が襲う。丸刈りの学生たちは、半年後にそんなことが起きるなどとは想像できなかったことだろう。もっとも、ネットどころから、まだ日本ではラジオ放送すらなかった時代だから、遠く関東の地で、震災があったことを伝え聞いたとしても、案外現在ほど詳細はわからなかったのかもしれない。
佐藤誠先生が東京工業大学から、米沢工業高等学校に着任されたのは、昭和になってからだ。米沢に着任されて1っか月後に太平洋戦争が始まった。佐藤誠先生の東京の友人には、「君は先見の明があった」と羨ましがられたそうだ。戦後になって社会が落ち着いたら「田舎侍、いつまでも米沢で、何をしているの?」と言われるようになったそうだ。
当時の米沢工業高等学校の電気化学の教授が欠員になっていて、横浜高等工業学校電気化学科の教授が分担して講義に来られたり、東北帝国大学助教授であった大内謙一博士が、毎週講義に来られていた。
戦時中は、米沢工業専門学校となり、大学生も徴兵の対象となり、就業年数も短縮された。
終戦を迎え、憲法が発布された。学問の自由が保障された。山形大学が設置された。米沢工業専門学校は、山形大学工学部となった。1956年(昭和31年)の大学設置基準で、大学は講座又は学科目をおき、教員を所属させた。
電気化学を専攻分野とする応用科学科第一講座(略称C1)に佐藤誠先生が担当された。
戦前 終戦 戦後
2010年度(平成22)【2010年度(平成22)卒業研究】1)の公聴会、卒業研究発表会も無事おわりました。
研究室(C1)の沿革
C1ラボラトリー(電気化学グループ)C1ラボラトリー(電気化学グループ)2)
応用科学科の無機工業化学3)の講座。
◆2006(平成18)年度ノート2006-04-01 2006年(平成18)研究ノート
◆2005(平成17)年度研究ノート2005-04-01 2005年(平成17)研究ノート
◆2004(平成16)年度研究ノート2004-04-01 ◆2004(平成16)年度ノート
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●2004〜2007:仁科・立花研究室
ESR、電池構造の最適化、センサー
「もっと便利に、もっと明るく、そしてやさしく」
●2001〜2003:尾形・仁科研究室2001〜2003:尾形・仁科研究室 4)
ESR、電池構造の最適化、センサー
●2000〜2000:仁科研究室5)
電池構造の最適化、センサー
物質工学科から物質化学工学科へ
●1997〜1999:松木・仁科研究室1997〜1999:松木・仁科研究室 6)
電池の界面現象、センサー
●1993〜1996:松木・鈴木研究室松木・鈴木研究室(1993〜1996)7)
電池評価の標準化、電解コンデンサ、無機化合物
●1988〜1992:松木・菅原研究室8)
応用化学科から物質工学科へ
電池活物質の合成、電解コンデンサ、無機材料
●1985〜1987:松木研究室
電池全般、電解コンデンサ
●1980〜1984:鎌田・松木研究室
キャラクタリゼーション、電池、電解コンデンサ
菅原陸郎先生学位取得2008-01-31 菅原陸郎先生最終講義
●〜1979:佐藤・松木研究室
工業電解、電池
【関連講義】山形大学工学部,工学部の沿革9)