日本の産業革命
米沢高等工業学校の設立
重要文化財指定
カハク
重要文化財復旧工事竣工
明治43年(1910)3月、米沢高等工業学校は、このころ全国に建てられた高等工業学校のうちの7番目として東京、大阪、京都、名古屋、熊本、仙台に続き開設されました。 昭和19年(1944)4月には米沢工業専門学校と改称、昭和24年(1949)5月の学制改革によって山形大学工学部となり、現在に至ります。
米沢高等工業学校本館は、開学当初の面影を構内に残す唯一の建物で、 昭和48年(1973)国の 重要文化財に指定されました。 文部省建築課の中島泉次郎設計による、 ルネサンス様式を基調とした木造2階建てで、 中央屋から左右に伸びた胴屋の両端に翼屋が連なる構造です。 全長94メートル、屋根は中央屋がスレート葺き、胴屋と翼屋は桟瓦葺きです。
中央屋の1階には事務室、 応接室 、2階は 校長室 、 会議室 などがあり、胴屋と翼屋は1.2階とも主に教 室で、1階西端は 階段教室 (理化教室)となっています。正面の車寄せとその両端に配された 小塔形の階段室など意匠を凝らした外観はもとより、 内部の階段廻り、 会議室 の天井の漆喰飾りなど細部にも見るべきものがあります。 またこの建物は、現在の 米沢駅舎のモデル ともなっています。