関東大震災の翌年、東京放送局のラジオ放送がはじまった。放送局総裁の後藤新平が、老若男女や居住地域によらず情報に触れられると、演説した。多くの聴取者が、鉱石ラジオにしがみつくようにして放送を聴いていた。それだけラジオ放送への期待は大きかった。
15分におよぶ高名な後藤新平の演説では、ニュースの速報性については触れられていない。関東大震災直後、唯一の情報を得る手段だった新聞は機能しなかった。震災の火災で通信網は、ずたずただった。それで新聞社は、掲載すべき記事の取材ができなかった。そもそも震災で活字が棚から散乱し、新聞を印刷できなかった。ちまたには流言が飛び交い、地方では、それを信じて記事にした新聞社もあった。人々は、疑心暗鬼となりパニックに陥った。後藤新平の演説で、ニュースの速報性については触なかったのは、新聞社に気を遣ったのだと言う説もある。
このラジオ放送を支えるのが無線通信技術だ。マクスウェルとファラデーが、電磁波の存在を予測し、ヘルツは、誘導コイルとアンテナで、その存在を実証した。何の役にも立たないとヘルツが語った電磁波の存在は、科学の発見であったが、技術の醸成が、それを無線通信技術とした。