大学教育の質の保証・向上ならびに 電子化及びオープンアクセスの推進の観点から 学校教育法第百十三条に基づき、 教育研究活動の状況を公表しています。
第百十三条 大学は、教育研究の成果の普及及び活用の促進に資するため、その教育研究活動の状況を公表するものとする。
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A.教科書の情報は、時代の淘汰を経て厳選された情報であるため、卒業後も教科書を所有し続けることには価値がある。本は毎日のように出版され、インターネットでも刻一刻と情報が書き込まれ、情報を手に入れるには容易な時代になった。しかし、本はともかくインターネットは情報発信としてはとてもハードルが低くすべての情報が精査されているとは言えない。本でも時代の淘汰にさらされていないものは間違った情報を記載している場合がある。また、教科書はその道のプロである先生が選んだものであり、時代の淘汰をへて選ばれた情報が記載されていると考えられる。そのため、世の中のあふれかえった情報から確かな情報を探してくるよりも、教科書に記されたような精査された情報を用いたほうが簡単で確実であると考えられる。そのため教科書は卒業後も所有しておくことに価値があると考えられる。
A.現代では教科書は一人一冊持つことが当たり前となっているため、明治時代などの教科書を所持しづらい時代を私たちは尊敬すべきだと考える。教科書が手元にあることで、後で内容を見返せばいいや、載っているから板書しなくていいやなど、心に余裕が生まれてしまい、授業に集中しなくなる。また、新しい教科書は書店ですぐに買えるため、てきとうにバッグにしまったり、折り目をつけたりと扱いが荒くなる。昔の人は教科書を持っていても、それはごく一部の人たちであり、持っていない人がほとんどであった。そして、その貴重な教科書は多くの人に受け継がれ、大切に長く使われていった。このような時代と今では状況は全く異なるが、昔の人たちにできて、今の私たちにできないということはない。だから、私たちは一冊一冊の教科書を大切に長く使い、この文化を再び広めていくべきだと考える。大切に長く使うことで、資源削減につながる。また、過去に使ってきた人たちのメモなどが勉強に生かされることも考えられる。
A.教科書には、ネットで検索して得られた情報よりも正確で、簡潔にわかりやすく書いてある場合が多い。また、教科書は1つの分野の内容が広く網羅されてるので知りたかったことに加えて関連した情報の知識も増やしやすい。これらの理由から教科書は卒業後も取っておくべきである。
A.教科書を卒業まで所有する価値はある。 教科書は関連知識が豊富である。ネットも関連知識が豊富であるが、情報量が多いため、正確性に欠けてしまう。よって、読者側にはどれが正しいかを見極める力が必要になる。また、教科書は保管場所を確保しなければならず、所有数が制限される。そのため自然とより有用で信頼性の高い教科書を保管するようになる。 有用性と信頼性において、教科書を卒業まで所有する価値はある。
A.私はやはりネットが全てではないと考えます。ネットの情報には全て正解の答えが載ってるわけではなく、中にデマが流れてることも多々あります。ネットで探して答えを見つけ出すにはそのようなデマに惑わされないように正確に情報を掴み取らなければなりません。しかし、教科書は大学の教材が書いた参考書や博士が書いたものがほとんどだと思います。お金をかけてでもネットより正確な情報を多く獲得できます。私たちは、情報をすぐに受け取るのではなく正確な情報や答えしっかりと身につけるのが大事であります。教科書の方がネットよりもわかりやすく書いてあり、学生は基本持ち歩いているのでそう言った面でも教科書の価値はより高いと感じます。これからはネット社会になることが多いですが、ネットの情報には惑わされるず従来の教科書を使って正確に学び知識を得ることが価値があるとわたしは考えます。
A.現代は、スマートフォン1台で色んな情報が手に入る時代である。その中で教科書は必要ないかもしれない。しかし自分は紙の教科書は必要なものだと考える。まずひとつは信憑性である。インターネットの情報は信用できるものもあればできないものもある。しかし教科書は教授などの人が作成しているため情報が確かだと言える。次に教科書にはマーカーや付箋などを自分が覚えたいところや分からないところにつけることができる。スマートフォンなどいちいち調べなくても、学びたいところが1発でわかるし、また卒業後、確認したい時などの目印になる。このことから教科書は必要なものだと考える。
A.インターネットで検索すれば簡単に知りたい情報が得られる時代である。しかしこの時代で教科書所有し続けることで、インターネットではできない知識の取得が可能ではないかと考える。教科書があることで、知りたい知識だけでなくその分野に関わる知識も載っている。そうすると、たくさんの知識が得られ学びの視野も広がる。視野が広がれば、研究において新しい発見につながるかもしれない。インターネットはあくまで知りたいものを知ることができるだけで、全てインターネットに頼ってはいけない。教科書たくさんの知識を得てそこから考えていくことが大切なのであると考える。
A.教科書を卒業後まで所有し続けるのはそれはただ単なる自分の自己満足ではないかと考えられる。今の時代はネットを使ってしまえば大抵の情報は手に入ってしまう。そのためこの状況の中でも教科書を持ち続けるのはただ単なる時代の逆行に抗って、調子に乗ってだけではないかと考えられる。
A.一度学習したものを必要な時に復習でき、そのときのことを思い出すことができるので教科書を所有し続けることに価値はある。何度も復習することで知識として定着すると思うし、理解を深めることができる。このようにして大事な情報がまとまっているのが教科書であると思う。
A.私にとって教科書を所有し続ける価値を2つ挙げる。 1つ目は、将来就職した際にもう一度勉強することが起こるかもしれないということを挙げる。私は今まで勉強したもの全てを覚えているわけでは無いため、働いていて必要な知識が抜けている場合があると考える。その時インターネットで検索すると、正しいのか間違っているのか分からないまま覚えてしまう可能性がある。そのため、教科書で1から学ぶことによって正しい知識が身につき、復習ができると考えられる。 2つ目は、自分の調べたい分野の教科書を持っていた場合だいたいここら辺に書いてあったなと思い出せる可能性があることを挙げる。曖昧に覚えてること、単語だけ聞いた事あるなど、 あやふやな時身に馴染みのある教科書だとある程度早く調べることが出来るのではないかと考えられる。
A.教科書そのものを所有することに価値があるという考えは私にはあまりありません。それこそ教科書が必要ならいつでもデジタルで買って持ち運べるからです。 それよりもその教科書を通して先生が何を言ったか、そこで自分がどう考えてどのような流れで問題を解決したのかを書いた、ちょっとしたメモなどの方がよっぽど大事で価値のあるものだと思います。 つまりその教科書に走り書きでも、自分がその時にどういう思考をしたのかが残っている事に意味があると思います。 卒業後開く機会があり、そのメモのおかげで理解し直すことが出来たという経験がわたし自身にもあるため、そういう事は大事だと考えます。またそこから更に違う考えや見解が生まれたなら、自身の成長を実感できるため大変意味のある事だと考えます。
A.この時代にあっても卒業後まで教科書を持ち続ける価値はあると考える。現代はスマートフォンやパソコンなどの端末では教科書、書籍や板書まで全てデータとしてオンラインで保存できる時代となっている。そんな時代の中で教科書を持つ意味として、教科書を用いている時感じたことや考えたことが、データではなく形あるものによって五感で当時とつながることができることであると考える。データ社会が進み形あるものが今後どんどん減っていくだろう、こんな時代だからこそ形あるものに価値があると考える。
A.ネットには多大な情報があり、間違ってる情報もたくさんある。この多大な情報から自分で取捨選択して情報を拾わなければならない。しかし、教科書は専門の人が書いたものであるから非常に信憑性の高い情報が載っており取捨選択する必要がない。また、教科書には順番通り書かれているため「なぜそうなるのか?」というような疑問も解決することができ、分からなかった情報に+?αで理解することができる。以上のことから教科書を卒業後まで所有しつづける価値はおると考える。
A.教科書を卒業後まで所有し続ける価値はあると考える。 教科書は勉強するため、物事を理解するため、知識を増やすためなど他にも多くの理由から用いられる。ネットが発達した現在でも、ただ分からないことを調べようと思っても、その検索のワードや何を調べるべきなのか、またどうしてそれを調べる必要があるのかなどが理解できてないと、つながりある知識として増やすことができない。そのためにも教科書で基礎をしっかり学び、それでも理解できないところがあるときにはネットを活用して理解を深め、知識を増やせばよいと考える。このように教科書を用いて増やすことのできた知識は、再び教科書を見ることで思い出すことができる。 このような考えから、教科書を卒業後まで所有し続ける価値はあると考える。
A.教科書を卒業後まで所有し続ける価値は、簡単に購入できる現代では、授業では教わらないところを自分で学習できることにあると思う。過去に得た知識(授業等で)を思い出そうとしたときはノートでも可能である。だがそこに記されている事には限界がある。例えば理系なら卒業研究の際、自分では分からないことが起きたらノートを見返すかもしれない。だがもしそこに書かれておらず、教科書には書いてあったら。教科書の価値はそこにあると思う。学生なら先生に聞けばいい、と思われるかもしれないが全部そうすると一生他力本願の人間に成り下がってしまうかもしれない。自分で見て気づいて理解するのは大切だと思う。 教科書がなかった時代では自分のノートがすべてなので勉強に必死だっただろう。そこが現代との差だと思う現代では板書なんて教科書に書いてあるため学校でそんな必死になる必要はない。 少し話が脱線したが、自分が思う教科書の価値は先生から教わらない事を学習する際の最強のツールになることにあると思われる。
A.ネットが普及した現代では調べようとすればなんでも調べられる。しかし、情報が錯綜してるネットでは正しい情報なのか誤った情報なのかを判断するのは自分自身で実際い正しいのか正しくないのかは判断できない。しかし教科書や文献に乗っている知識というのは著者によって根拠が提示されているため、ネットに比べ信憑性が高い。また、本によって表記の仕方が統一されているため、ネットに比べ調べるのが容易である。教科書を卒業後まで所有する価値について、学生時代に使っていた教科書は当時自分がどう勉強していたのか、どう考えていたのかがわかる貴重なものである。教科書を所有し続けることで忘れてしまっても知識の再定着を図ることが出来るため卒業後まで所有し続ける価値は十分にあると考えられる。
A.私は教科書を卒業後まで所有しつづけることは、4年間あるいは6年間の学習した知識を唯一目視できるものだと考える。 私は小中高と在学中は親が教科書及びノートを捨てずに取っておき卒業後に捨てるということをしていた。小学生の時は意味が理解できなかったが、中学高校と上がっていくたびに行動に価値を見つけた。在学中の自分の学習を見直すことができるのである。例えば中学の頃、教科書の取捨選択をしていて、教科書の内容に自信のある英語は躊躇いなく捨て、一方で国語の漢字が苦手だったので漢字のテキストは取っておくなどした。捨てるときに教科書を縛っていて「3年間でこれだけの量を学んだ」ということを再認識することができた。これは私にとっての自信にも繋がったし、同時に残った教科書で苦手分野を再認識できた。 また、教科書を所有し続けることは学習の再確認に重要である。実際に私は初歩的なところでつまづいてしまい一年生の頃使っていた教科書を見直した際に、当時の書き込みや付箋、ノート等のおかげで再度理解することがあった。もう使わないからと捨ててしまっていたらなし得ないことである。また、大学は高校までと違ってバラバラなわけではなく授業繋がっていく。着眼点は違えど同じ内容をしていることは多々ある。そのため、再度他の講義で出てきた際などに再度見れるように取っておくのはとても重要であると考える。特に現在実験レポートを書く際など図書館に行きにくいので自宅にある教科書を見て参考にしている。 最後に、インターネットなどでわからない情報はすぐに入手することができる。しかし、ネットの情報は形には残らない。また、消去されてしまったり、URLを取っておかないとあとで見返すことができない。教科書を卒業後まで所有しつづけることは、4年間あるいは6年間の学習した知識を唯一目視でき、自分の軌跡として価値を見出せるのではないかと感じた。
A.仮にその教科書に書き込みが沢山あったり、使い古してあったりするならば、私は現代において教科書を所有し続ける価値を思い出として見出せる。 卒業後も所有し続ける労力(例えば引っ越しなど)やその教科書の為に必要な空間などに勝るものは、実物を見た時に思い起こされるあの時はこうだったな、ああだったなといった古い記憶やその教科書に対する思い入れだと私は思う。 卒業後に得たいと思う知識は、職種に依るがネットや地域の図書館などで事足りると思っているので、以前学習した知識を思い出すためだったり、その教科書から新たな知識を得るためだったりには、卒業後も教科書を所有しようとは思わない。
A.今日、インターネットや検索エンジン、コンピュータの発達により我々は多岐にわたる情報を手元の端末でいともたやすく入手できるようになった。検索エンジンに調べたいこと、ふと疑問に思ったことの断片的情報を入力するだけで、目的となる情報が見つかる。 こう考えてみると私たちは情報の手に入りやすい時代に生まれたと感じる。むしろ情報過多になってしまったこの時代、正しい情報を読み取る能力が求められるようになってきている。 たくさんの情報が集まるインターネットでは自分から求める知識にたどり着くのはたやすいことだ。しかし、自分のまだ知らない知識の領域にたどり着く可能性はとても低いだろう。自分の知的好奇心を満たすにはインターネットという場はあまりに不正確で、実用性に乏しい。 教科書というのは、インターネットに比べて学習、知的好奇心を満たすのには最適な存在である。 理由は大きく分けて3つある。 1つ目は情報の正確性である。 教科書とされる書物はたいていその分野における権威な研究者など、その道のプロが編集に携わっていることが大半であるからである。インターネットでは素人でも情報の発信ができてしまうから、情報の正確性というものにおいて、教科書とは比べ物にならないであろう。 2つ目は先人たちの積み上げてきた信頼である。 教科書というものは時の話題書とは違い長い間発行され読まれ続けられるものもある。 長い間売れているものならば、多くの先人たちがそれを用いて学習してきているということで、学習に適しているという何よりの証拠だ。 3つ目は知識との出会いである。 辞書は紙のものを用いるほうが良い、という層は一定数存在する。 何十冊という辞書のデータが入った軽い電子機器が、たった1冊の辞書に勝る利点とは何だろうか。 それは情報の連鎖的吸収が見込まれている点である。辞書を引くときに必ずと言っていいほど目的の語以外の情報を目にするだろう。電子データだと目的の語まで一発でたどり着くことができる。 この目的地にたどり着くまでの過程で新たな情報が得られることが新たな学びとなっていくのだ。 専門的な学術書なども同様のことがあるといえよう。専門的知識は、基礎知識の土台があってこそ成り立つものである。難解な事象を理解するには目的の情報をピンポイントで探すインターネットでは実用性に乏しいだろう。 以上の理由が教科書が学習に適している理由である。 教科書は保管場所こそ必要であるが私たちの寿命までに朽ち果てることはまずない。教科書を保有し続けるということは、インターネットで学習できない高次知識へアクセスできる手段を保有しているということである。
A.私は初めに見る資料として教科書が挙げられる。教科書はどの資料よりもまとまっていて読みやすい。さらに、教科書に書いてある情報は正しいため、それを信じることができる。ネットには、さまざまな情報がありすぎて、どのサイトを信じていいのか迷ってしまうことがある。そのため、ネットが発達したとしても知識が増えるわけではなく、教科書がいつの時代も大切なものになってくる。 また最近はタブレット形式の教科書が増えてきている。私はこのタブレット型の教科書には反対である。紙のものはものによって重かったりさまざまだが、タブレット型のものはタブレット1個に全ての教材が詰まっているため持ち運びには便利である。しかし読みやすさは、紙のものの方が上だと私は思う。また何度も読むことでいい味が出て、それも学んだ証として一生残る。 そのため、紙の教科書はいつの時代になっても残すべきものである。
A.紙媒体のメリットとして、いかなる状況下でもその教科書一冊さえあれば学習が成立する点やメモや付箋などが残り続け、記憶として残りやすい点にある。教科書を卒業後まで所有し続けることは、自分のキャリアを切り開いたり、また趣味や娯楽として、はたまたライフワークとして、何か新しいものを学び続けたりするために、役立つ。また、継続して学習することを通して自らを高めることには高い価値がある。
A.教科書は授業をするにあたって、必要不可欠な材料であり、詳しい説明が書いてあるため、卒業後にもわからないことがあったときにそのわからないことに関連する教科書があれば、それを読んで知識を増やすことができる。また、教科書などの本は正確性が高く、ネットなどは信頼できない情報も回っているため、教科書を所有していたほうが良い。
A.教科書には主に三つの価値がある。一つはネットよりも教養に適していることである。現在ネットで検索すればその調べたい情報が一瞬で出てくる時代ではあるが、そもそもその調べたいワードが分からなければ調べることはできない。教科書でその用語を知ることによって知識が得られ、そこから発展させていく必要がある。すなわち、教科書は知識の引き出しを拡張させる役割があるということだ。ネットはその引き出しから取り出したものを使うにすぎない。こういった面では教科書の方がネットよりも教養として優れてると言える。 二つ目は信憑性が高いことである。ネットは1つのことを検索すると膨大な量の情報が出てくるが故にどんな人物が書いているのか分からないため、どこまでが信頼できる情報なのか区別をつけることが難しい。対して教科書は著名が書かれており、信憑性は高いと言える。 三つ目は利便性に優れていることである。教科書は自分の物であるため自由に書き込むことができ、自分の使いやすいようにアレンジすることが可能である。ネットはそれをするのが難しい。また、教科書を使い慣れることによって自分の調べたいことがすぐに調べられるということである。ネットは膨大な量の情報が出てくるため、1回調べたサイトをまた調べたいとなると探すのが極めて困難になる。そのため繰り返し学ぶという面でも教科書の方が便利である。そして教科書は大きな情報量から精選されたものが使用されている。ネットは正しい情報を見極め、更にそこからより優れたものを探す必要があるため、こういった細かいところにも教科書には価値がある。
A.教科書には学びたい内容が流れになって説明されているため、知りたいことの他に、それがなぜそうなったのか、そこからどうなるのかが分かる。ネットで検索すればすぐに知りたいことを知ることができるかもしれないが、教科書で調べれば、他のことも自然と目に入っていき、様々な知識を吸収することができるため、教科書は卒業後まで保有し続ける価値がある。
A.現代では、自分が分からないこと知りたいことがあれば国民一人一台は持っているであろうスマートフォンのインターネット機能を使い、すぐさま調べ上げられることであろう。しかし、この方法で得た知識は2次元の文字でしか見ることができない。昔のように鉛筆を使い、文字を書き、自分の手を動かして理解していた時代に比べれば遥かに脳に知識として定着しずらいのではないか。確かに、後者の方は時間がかかり、労力が大きい。しかし、今日の日本ではあらゆる知識をスマホから得ており、非常に便利なものではあるが、勉学においては、自らの手を動かし板書をすることのほうが知識理解度が大きいのではないかと考えられる。事実、小中学生において、漢字の読み書きが苦手な子供が増加している。これもスマホが普及し、自ら手を動かして手紙などを書いていないのが原因ではないか。購入した教科書は自分で紙媒体として調べられる唯一のものである。よって卒業後も必要であろうと考える。 他講義「エネルギー化学」と設問が同じなので、回答も同じものを使用します。
A.ネットで調べるとヤフオクやメルカリで中古の教科書を売っている現状がある。日に日に技術が発展していく上で古い教科書は、情報不足で新しい情報が書き加えられた本や論文が必要になっていくと思う。今まで勉強、講義をしていた教科書を使うことで、自分がこの先研究する分野で多方面から見る時、知識が薄い分野を補強することが出来ると思う。
A.教科書を卒業後まで所有し続ける価値としては、一回学んだことをもう一度学習する際に発揮されると考える。授業は大体が教科書に沿って行われるため、一回習ったものであれば教科書の中に書かれている。そのため、ネットのようにワードを一つ一つ検索し、自分が知りたい情報を時間をかけて調べる必要がない。すなわち、調べるときの時間が短縮される。また、教科書にはたくさんの単元が記載されているので、自分が調べようとしているもの以外のことも同時に目を通すことができる。これは、ネットを使用しても不可能なこと。つまり、教科書の価値であると思う。実際に、私が受けていた講義の教授は、大学生の時に使用していた教科書が企業に入ってから役に立ったと話していた。まとめると、教科書を所有し続ける価値としては、卒業後に知識を思い出そうとする際、短時間でかつ、調べる内容の周辺の予備知識まで手に入れることができることだと思う。
A.頭の片隅にある知識が出てこない際に、講義で使用した教科書がヒントとなると考える。またGoogleなどでざっくりと調べたあと、専門的な教科書で深く調べることができるため、所持をしておくメリットはあると思う。 しかし、どうしても置いておきたくないのであれば、ストレスがたまってしまうので捨てても良いと思う。
A.教科書を卒業後にも持ち続けることによって、自分がわからないことや知りたいことがあった際に確認することができる。現在では、インターネットが普及しているため調べれば大抵のことは出てくるが、本はインターネットに比べて信憑性が高く、細かく記述されている点においても優れていると考えられる。また、将来子供ができた際にはその教材を使って学ぶことができる。実際に自分が使用した教材であれば、使ったことのない教科書よりも教えることもたやすいと考えらえれる。
A.まず教科書と携帯などのネットツールでは信頼性に大きな開きがあると私は思います。教科書には有名な著者がいるなかでネットでは一個人の意見などが多くどれを信用すればいいかわからなくなる場面がありますが教科書では教授による裏付けられた情報なので信頼感がありますししっかりと訂正が発表されるところもネットとは違い、いいところだと思います。 他にも教科書のページで目にはいってくる発展や少し違った反応などはネットでは検索しないと出てこなく見ているだけで知識の増大に繋がるという面では教科書の方が圧倒的であると感じます。 さらに他の知識をつけたあとに読み返さすことで更なる発見や理解の探求に繋がることもあるので教科書を保持しとくことは大切だと感じます。
A.私は教科書やノートを実際に所有することに意味があると考える。確かにネットが普及した現代において、教科書と同じ内容をスマートフォン等のデジタル機器にダウンロードすることは可能であり、持ち運びに便利などのさまざまなメリットがある。 しかし、実際に所有することで自分だけの教科書を作ることができ、これは代えがたいメリットのように思う。例えば、マーカーを文章に引いたり、補足を付け足したりすることができる。これはデジタルにも備わっている機能であるが、体感することが大切である。私自身、教科書にマーカーを引く際は訂正ができない分よく読み込んで引き間違えのないようにしている。これが知識の定着に繋がっているように感じている。 したがって、現代においても教科書を所有することに価値があると考える。
A. 現代では、膨大な情報を全て頭に叩き込むことよりも、欲しい情報をキーワードから検索エンジンなどを用いて上手に収集する能力の方が評価されるように思う。しかし、情報が多くなりすぎている今、正しい根拠がないデータが蔓延ったり、ネットでは繋がりのない細切れの情報しか手に入りづらい。しかも、いくらたくさんのデータが保存されていても、電子媒体は電源が無ければただの金属の塊である。 そこで、教科書を卒業後まで所有し続ける価値の一つ目として、確実な信頼性がある情報を一連の流れをもって「いつでも」知ることができることが挙げられる。 また、そもそも情報を検索するのに必要なキーワードを増やしていく場が大学の授業であったりするわけだが、そう考えると、そのキーワードを増やすとっかかりとして、紙媒体が使われることが多い。卒業した後に教科書をふと開くことはあっても、脈絡もなく大学までで知った知識をネット検索することはなさそうである。出会いという意味では、昔覚えたはずの知識を思い出すのに有効なのは教科書であると考えらる。 これが、教科書を卒業後まで所有し続ける価値の二つ目である。 最後に、個人的には、ネット社会にまだ対応しきれていないため、同じ情報なら紙媒体から得るほうが好きである。
A.教科書はただの勉強の道具ではなく、自分の知識そのものとして扱うべきであると思う。教科書は一般的には学生にとって、テスト勉強や授業中の図やイラスト、表などの参考にするために使われる。しかし、これだけでは知識として定着しない。そのため、教科書を全て記憶する必要はなく、自分の研究などでわからないことや疑問に思ったことなどが出てきたら使用するべきだと思う。
A.現代、自分が知りたい知識はインターネットで検索することで比較的簡単に調べることができる。そのような観点から見ると卒業後も教科書を持ち続けている価値は低いと考えられる。しかし教科書は当時、本人が書き足したメモが存在したり、慣れ親しんだ文体であったりするため、ネットで検索したものよりもはるかに理解しやすい。また、教科書は関連した内容が近くに載っているため復習がしやすく、知識を多角的に得ることができる。このようなことに教科書を卒業後まで持ち続ける価値があると考えられる。
A.今の世の中では、ネットで調べればどんなことも分かってしまう。しかし、ネットの知識に頼ってしまうことにはデメリットもある。まず1つは、得た情報が正しいとは限らないということである。今や誰でもネットに情報を出すことができる程までネットは発達していて、情報発信した人は正しいと思っていても真実とは限らない。2つ目は知識が簡単に手に入りすぎて覚える努力をしなくなってしまうということである。今回の論題の教科書の必要性というものには、この2つ目があるから教科書は無くてはならないと言える。勿論1つ目の理由にも当てはまっており、教科書の内容は今わかっていることが正しい情報で書かれていて正しい知識がを得られる。以上が私が思う教科書を所有し続ける価値である。
A.小学校の教科書で学べることはたかが知れているかもしれないが、中学、高校、大学の教科書は情報があふれていると思う。大学で使う教科書はもはや教科書ではなく資料と言った方が正しいのかも知れない。大学三年間で使ってきた教科書はどれも完璧に覚えられた物はないに等しい。学生の時にわからなかったことが後々読んでみてわかるようになるかも知れない、わからないことがあったときに見返してみてラ大きなヒントが載っているかも知れないと私は思うので、教科書はできるだけ取っておいてあります。
A.ネットは手軽に情報を検索できるため、調べた事柄を残すことは少ないと感じるが、教科書には授業で得られる知識を忘れないように書き込むことが多い。このように、自分に必要な知識を必要な分だけ書き込み、自分用にカスタマイズできるといった点で、対面で授業を受け、教科書を所有するということは非常に大きな価値を持つことであると考えられる。
A.暗記する必要はなくとも、どの本のどこにその内容が書いてあるか把握することは本の内容を実用する上で重要である。 もし、インターネットをはじめとする電子上でそれらの情報を把握していたとしたら、それらの内容は流動的であり改変の痕跡も残らない。 そこで、安定していて信頼できる紙媒体を用いた本による記録を保存することで信頼できる情報をもとに、その内容を実用できる。
A.知識は時に新しい知識を取り入れるための道具となる。現在大学で学んでいる内容や、将来学ぶであろう知識は、より前段階の学校で学んだことの延長であることが多い。つまり知識を得るには知識が必要であることが多いのである。人間は忘れる生き物であり、忘れた時に見直せる教科書は便利である。ネットが普及し、調べれば何でも出てくる時代ではあるが、ネットの欠点として「調べようと思わなければ分からない」ということが挙げられる。つまり関連事項を多数掲載している教科書の方が、より勉学に適していると考える。
A.やはり、インターネットというものが普及してから、便利な時代が続き、分からないことは調べれば直ぐに検索して答えを見つけることができます。 なぜ、教科書を持ち続けるのか。 単純明解です。自分も高校の教科書を今でも所有してます。なぜなら調べやすい上に信憑性のある情報だからです。 インターネットが普及したとはいえ、玉石混交の情報です。 信憑性のデータとして教科書は便利です
A.板書したノートや書き込むなどして使った教科書は、一度自分が学習したものとして所有し続けると、あとからその知識が必要な時に一度自分が理解した教材として使うことにより、ネットで新しい考え方などを見るよりも理解が速く、非常に価値があるだろう。ただ、ネットや映像技術の発達によって黒板を使わない授業も増えてくると考えられるのでそれぞれの特性に合ったノートの取り方、教科書、教材の使い方をやっていくべきである。
A.現代は、情報は沢山ある便利な時代かもしれない。しかしその分、正しい情報かどうかを自分の目で判断しなくてはならない時代でもある。この時代に、教科書を所有し続ける価値は2つあると考える。 1つ目について、インターネット上には、正しい情報とともに誤った情報が数多くある。自分の立場を偽って、専門家のふりをして情報を載せることも出来る。また、インターネット上の情報はすぐに更新できるため、責任感を持たずに載せてしまうことも多いと考えられる。 しかし教科書は、その道の専門家によって書かれ、校閲されて完成したものである。長く残ることを意識して作られたものであるため、文章の矛盾や根拠の無い予想などはあまり載っていないと考えられる。よって物事を考える際、教科書から得た知識を指標とする方が信憑性が高いといえる。 2つ目について、私は教科書を読むことで脳が「学ぶ」というモードに切り替わると考える。私は小学校、中学校、高校、大学と教科書を使用して勉強してきた。よって教科書を開くと自然と、余計な思考を一旦なくし、集中しようという心構えができる。インターネットの情報をただ見ているときとは違い、教科書を読んでいるときは少し気合が入る。長い学生期間により「教科書=学びの道具」という意識が定着している人は多いのではないかと考える。メリハリをつけるためにも、教科書という存在は卒業してからも学ぶときに大いに役に立つのではないだろうか。 よって、情報の正確さと信憑性、「学ぶ」気持ちに切り替えるための道具になる、という2点から私は教科書を所有し続けるべきであると考える。
A.ネットとは巧みに用いれば、もちろん多大な知識をつけることが可能だが膨大な情報網の中から自分の調べた異分野の知識を正確に調べることはなかなか困難だと考える。 教科書の利点というのは学びたい分野の知識が、図や文章、世の中でのその分野の活躍、さらには分野によっては問題までもまとめられている。 これだけでも教科書には所有し続ける価値があると考える。
A.電子書籍化が進む現代。わざわざ教科書を紙媒体で所有する価値は何だろうか。私が本に求めるのは質感だ。一項ずつめくって知識を増やしていく。一冊終えた時には電子書籍では味わえない知識を踏襲した感じがする。実際受験期にも自信を維持するのに役立った。 また、自分の苦手な点や興味深かった点を普選や蛍光ペンを使ってマークすることができる。これは電子書籍でもできるが、貼った付箋や蛍光ペンは本だと一目で分かりやすい。 また、単元ごと・分野ごとにまとまっているので探す際もわかりやすい。 よって、このような時代にあって教科書を卒業後まで所有しつづける価値は振り返ってみる際に教科書のほうが分かりやすい点にあると思う。
A.たとえどれだけ膨大な情報があろうとも、存在自体知らなければそもそも検索エンジンを活用して調査しようという発想すらないだろう。教科書は分野ごとに分けられている。国語、英語、化学、物理、生物…。どの教科書にどのような単語、現象、説明が載っているのかをわかりやすくしている。だからこそ、インターネットや図書館で調べるときも、キーワードが思い出せなくてもそれと関連付けられた知識や、ジャンルさえ思い出せれば探すための手掛かりとなりうる。そういう面で、教科書を持ち続けることは非常に大切である。また、教科書は国や多くの専門家、教員が認めた正式で公的な、ある学問を勉強するために適切とされた書物であり、その内容の信憑性は非常に高い。しかし、インターネットは正しい知識も誤った知識も多く散見され、それらを見極めるのは困難を極める。それを解決する手段としても教科書は大いに役立ってくれている。
A.教科書を保存し続ける意味は将来見返したときに理解しやすいことにある。インターネットの文字は理解しやすいもの、しづらいものが玉石混合であるため、情報集めに時間がかかる。一方ノートにまとめたものは自分が理解しやすいようにまとめるため見返すだけで理解しやすい。そのためノートにまとめるのは有効である。
A.私はよく授業を受けるときにその授業で使っている教科書以外にも他の教科書を開いて内容を確認することがある。たとえ科目が違っても他の科目との関連性が見えてきて、知識が深めることができる。したがって、教科書を所有し続けることは知識を身につけていくために必要だと考える。また、教科書は確実に正しい情報がまとめられている為、学生が勉強するには必要不可欠である。ネットは情報量が多いものの必ずしも正しい情報とは限らない。私は最近のリモート授業でもそれを実感しており、教科書を読むことの重要性を改めて感じた。
A.教科書はその学問を学ぶはじめの導入部分で使ったり、自分がその学問でどこに興味を持ったりするのかが分かるために必要で、そこからネットや他の本などを通して知識を深めることができる。卒業後まで教科書を持ち続けることで初めて知った知識を思い出せるのとその知識の関連の知識も思い出すことができる。そうすることで、さらに頭に記憶され、より自分の知識になっていくと思う。よって、教科書は卒業後まで所有することが大事である
A.現在はネットを使って知識を増やすことができるが、ネットの情報は信頼性が高いとは言えない。誰でも情報を発信できるネットよりも教科書は信頼できる情報が備わっており、教科書を卒業後まで保持することで、卒業後も信頼性の高い知識を得ることができると思う。
A.知識を増やしてもその知識を使わなければ、人は忘れていくものである。そのとき活用する教材がネットだと人の知識を鵜?みにしがちであり、また一から学ぶだけである。しかし、一度使用した教科書で学ぶ場合、その教科書には重要な箇所に下線が引かれていたり、重要ポイントが書き残されていたりと、自分が学んだ時の痕跡を見て学ぶことができ、初めて知る時よりも知識の定着が良くなる。
A.情報社会と言われる現代において、黒板に書かれた内容を書き写すということの価値は小さくなっているだろう。しかし、ノートを取ることの意味は、黒板の内容以外の教師の話したことや、自分の中の気づきなど、書き写し以外のところにもある。言い換えれば、目と手で覚えるほかに耳で覚えるという意味や、能動的だけでなく自発的に学ぶという意味がある。インターネットの情報は基本的に「書いてあること」であるため、実際の出会い、経験だったり話してもらうことによる「多面的な学び」にはつながらないと考える。 教科書を所有する価値としては、時代の移り変わりを体感することができるという点がまず思い浮かんだ。例えば化学の教科書なら、周期表に示されている元素が多くなっているということがある。これは私も実際に経験したことである。もしかすれば化学の常識が新たなものとなっているかもしれない。もちろん、うろ覚えの知識を再確認することなどの単純な利点もあるだろう。 ただ、ここまで述べたものはインターネットによって解決できる。 教科書そのものの利点としては、教科書自体が一つの専門書であることだろう。インターネットに載っていない文章、知識、データがあるはずだ。 「教科書の実物を持つ」ことを考えると、自身の過去がわかるという点に価値があるのではないかと思った。例えば、教科書に記入したり付箋をつけていたりしたら、重要としていたところがわかる。紙のくせからどのページをよく開いていたかということもわかるかもしれない。 以上が私の考えである。
A. 人間は手で字を書くことによってものを覚えることの効率があがると私は考えている。小中高と黒板の字をノートに写してきたのは、学校の先生もそう考えているからだと思う。実際高校時代に担任の先生などから「字を書けば覚えられるんだからとにかくたくさん書いた方が良い」と言われたこともある。そのくらい字を書くということは大切なことである。 しかし、これは普及したネットやコンピュータ機器を否定しているわけではない。現在では電子書籍という便利なものもある。これらは非常に便利である。紙にしたら持ち運べないような量の記録も、パソコンなどに保存してしまえばいくらでも持ち運べる。 従って、私は使い分けがとても大切だと考える。自身が本気で学びたい事柄や、大切にしたいものは紙媒体で、逆に広く浅く学ぶ分野などは、ネットを活用したデータ媒体である方が良いと私は思っている。紙には紙の、データにはデータの良さがある。どちらもなくてはならない存在であるから、その両方を大切にしていきたい。 加えて、紙には思い出もあると私は考える。その本を買ったのはいつだったか、そのとき一緒にいた仲間はどんなやつだったかなどを思い出すきっかけになるはずである。教科書はそんな何気ない日常の回想にも役立つのではないだろうか。
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<a href='https://edu.yz.yamagata-u.ac.jp/developer/WebClass/WebClassEssayQuestionAnswer.asp?id=50'>
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【課外報告書】00-00+ 教科書が手に入らなかった時代の授業
</q></cite>
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<a href='https://edu.yz.yamagata-u.ac.jp/developer/Asp/Youzan/@Syllabus.asp?nSyllabusID=11133'>
無機工業化学
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<a href='https://edu.yz.yamagata-u.ac.jp/developer/Asp/Youzan/@Lecture.asp?nLectureID=4440'>
旧米沢高等工業学校の設立
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第百十三条 大学は、教育研究の成果の普及及び活用の促進に資するため、その教育研究活動の状況を公表するものとする。