大学教育の質の保証・向上ならびに 電子化及びオープンアクセスの推進の観点から 学校教育法第百十三条に基づき、 教育研究活動の状況を公表しています。
第百十三条 大学は、教育研究の成果の普及及び活用の促進に資するため、その教育研究活動の状況を公表するものとする。
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A.体験としての授業の価値として、学生同士のわからなかった点などの感想による情報共有が、授業終了後すぐに雑談の話題の一つとして行われることが挙げられる。体験を即座に共有することによって、聞いていたけれども忘れてしまった内容の再確認が友人の声としても行われ、肉付けされた体験となって身に付けることができる。そこに体験としての授業の価値の一つがあると考えられる。
A.普通の対面授業では隣や周りに学生や教師がいる。これが通信教育にはない授業の価値であると考えられる。ほかの人の意見を聞いたり議論することは通信教育でも可能である。しかし、同じ空間で面と向かって話し合ったり、意見を交換することは通信教育とは感じ取れる情報量が全く違う。相手のしぐさやわずかな表情の変化、声色など通信教育では感じ取ることが難しい。また、周りの人の動きを見て学ぶことも対面授業の魅力だと思う。これによって、先生の指示をまったり、質問することなくスムーズに授業を進め、理解することができると考えられる。人と触れ合うことができることが何よりの授業の価値だと考えられる。
A.対面授業の価値とは社会協調性であると思う。 確かにネットの方が知識をつけることにおいてはかなり有益であるが、その前に授業、授業以外で生の人間と触れ合った経験がとても大きい価値であると思う。価値観も何もかも違う人と出会い、伝え合うことの初歩的なことは皆対面授業で得たものである。その上に知識としてネットを活用するのが最近の形であってネットで全てを解決したものは皆無だろうと思う。よって対面授業には人間的な社会協調性の土台を築くなどの価値があると思う
A.コロナウイルスの影響でオンライン授業が続いているが、やはり対面授業のほうが良いと実感することが多い。まず、オンライン授業だと対面授業のような緊張感が持てず、どこか授業に集中できていない自分がいた。また、授業によっては資料を自由な時間に閲覧すれば良いという形式で、やる気がでないこともあった。そして、一番の問題は、授業を受けているという実感を持てないことである。オンライン授業だと、YouTubeなどで動画見ている感覚とどこか似ていて、学んでいるという実感をあまり持てなかった。ライブで、そして対面で授業することの意味や大切をこの期間で強く実感した。これからの時代、オンライン授業がどんどん普及していくと考えられるが、対面授業で得られる学びの実感、集中力、緊張感は無くしてはならないと考える。
A.先生と同じ空間にいることにより、本来の授業として行われるべき意思疎通や互いに授業への集中力を高めることが出来る。さらには授業への意識も高くなる。
A.通信教育ではない対面型の授業は、生徒同士または生徒と教師間でコミュニケーションが生まれやすいため、授業内容の共有 、分からなかったところの質疑応答がためらいがなくできるの、授業内容のより深い理解ができると思っている。 生徒と教師が同じ場所で対面型の授業を行うことにより緊張感が生まれ集中力を保ちやすいと考えられる。一方、自宅で通信教育を受ける場合、環境によっては誘惑が多く集中力を保ちづらい。
A.遠隔授業を前期で行い、従来の授業では気軽に周囲の友人と相談や議論をすることができたが、遠隔授業では同じようにできなかったと感じた。理解する速さも従来の授業方式の方が速かったと思った。しかし理解度において、授業によっては遠隔授業方式と従来の授業方式のどちらでも変わらない授業もあった。その場合、遠隔授業は移動時間を少なくすることができ、感染症のリスク回避ができるため遠隔授業の方がよい。遠隔授業の移動時間の短縮や感染症のリスク回避ができる点。従来の授業方式のグループワークや受講者同士の議論が行いやすいという点。コロナウイルス流行の収束後、授業毎に授業方式を柔軟に変えることができれば授業の理解度も深まるのではないかと考えた。
A.確かに授業は知識を伝達する場だと言っても間違いではないと思います。しかし私は伝達するだけならネットでも本でも見れば誰だってわかることです。授業は先生とのコミュニケーションや生徒とのコミュニケーションを同時に取れるとてもいい場だと考えてます。普段は生徒と話すことは多いけれども、先生と話すことは滅多にありません。その時に授業というものがあればわからなかったことは聞けたり、先生のちょっとした面白い話を聞けることができます。また、教科書や難しい内容を先生自らみんなにわかりやすく教えるというのは社会にでたら決して経験のできないことです。社会にでたら全部自分で行動しなければならないと思ってます。 なので、知識だけではなくコミュニケーションの学びや我らのために教えて頂いてるという捉え方をすると価値観や在り方も変わると考えてます。
A.体験型授業のメリットとして私が考えることは、実際に自分の五感で結果を確かめることができるところにあると思います。実験の授業を例に挙げるとわかりやすいと思います。今はコロナの影響でオンラインで実験の授業をしています。自分ではなく、他の誰かが行った実験を見て操作、化学反応などを学んでいます。確かに誰かが行っているのを見て学べるということは、いつどこにいても学ぶことができるというメリットがあります。しかし、実際にその場で行うことができないというデメリットもあります。実際に行ってみて感じる匂いや感触、まぶしさ、このような五感を刺激するものは実際に体験してみないと学んだといえないと思います。また、実験が失敗したときの対応や考察などもオンライン授業では学べないと思います。これからの社会は多くのものがIA化されていき、マニュアル通りにしかできない人の需要は減っていきます。マニュアル通りにいかなかったときに自分で考えて行動する力が求められていきます。この力は体験型授業でしか学ぶことが出いないと考えます。ここに体験型授業の価値があると私は考えます。
A.様々な物事を配信によってそこにいなくとも体験できる世のなかであるが実際に自分が体験するほうがやはり勝っていると考えられる.実際に自分が化学実験をリモートで行った感想としては価値が薄いものであったと感じることが多かった.昨年実際に体験として化学実験を行っていたが今年は行えない状況である.今はただ結果として資料を渡されて確認するというものである.そうなると何が問題かというと体験した物と比較して身体を実際動かさないことによって記憶として残りにくいように感じた.さらに失敗することがないために考える機会も昨年と比べて減少したように感じる.学びという物はやはり自分で行動し体験することで定着する物だと感じた.これはどんな分野にでも共通することであると私は考えたため時代が進んだとしても実際に体験してみることが一番であり続けると思う.
A.授業は同じ空間に同じ学問を学ぶ学生が集まることで、疑問解決のために友達や先生方と討論しあうことができたり、新しい知識をより理解しやすくすることにつながると思います。教育として某塾などでは動画などで授業をしているところもあるが、この自粛期間でのオンライン授業を受けてみて、学問を学ぶ空間というのがとても大事なのだとしみじみ感じました。今までは当たり前のようにできていたことができなくなって、授業のありがたみを感じました。この事態が一刻も早く収束し、学校で授業を受けられる日がきたら、感謝の気持ちをもって勉学に励みたいと強く思いました。
A.通信授業では人との触れ合いがなくなってしまう。また先生たちにとっても授業を受けたことによる学生たちの反応や学生たちにとっても先生たちの細かい表情を見れなくて残念な気持ちである。また個人的には先生の授業とかけ離れた雑談を聞いたりすることができなくなるので残念な気持ちでいっぱいである。
A.通信教育にはない授業の価値は大きく2つあると考えた。 1つ目は、人と対面して話を聞いたり、討論することにより、社会人として生きていくために自分は何が足りないのか、この部分が自分の長所であるなど発見できる場であると考えた。ZOOMは顔も見れるため、コミュニケーション力は通信教育でも成長させることができると思う。しかし、通信教育では人の行動まで詳しく見ることができない。そのため対面授業が大切であると考えられる。 2つ目は、私だけかもしれないが、対面授業の方が楽しいと感じるからである。前期の講義を受けて、その場で質問がしにくかったり、先生方の研究室での小話や体験談など話してくださる方が少なかった。また、実験は実験道具の扱いの知識だけが頭の中にあり、本当に扱えるかどうかもわからないまま研究室に配属されるのではないかと考えてしまう。このことを考えると、知識だけある人間が研究を行い、事故につながるケースが多発するのではないのかと思った。このケースに私がなるかもしれないと考えると、対面授業が大切であることを実感した。
A.現在はインターネットの普及により様々なことがオンライン化して、AIの導入により、仕事が置き換わってきている。これからはこのようなら時代になりつつあるが、私はオンラインによる授業ではなくやはり、直接的な体験としての授業が大事になってくると考えられる。それは直接何かに関わり、肌で感じ、体験することでその場の臨場感を味わうことができ、創造性が養われると思うからである。オンラインでは直接関わることができないため、例えばものづくりに関しては全く意味がない。ものづくりでなくても、ホワイトカラーの仕事もそうである。その仕事を実際に体験することで、経験を得て、その後その職業についた時にスムーズに仕事をすることができる。従って、授業などでは体験も交えることで対面の授業で学んだ知識と結びつけて体験する授業を受け、より創造性や経験を得ることができる。
A. 私は浪人を経験した。高校三年生の夏ごろから衛星授業を行う塾に入校したが、受験には失敗してしまった。自分の学習不足だったというのもあるが、先生から直接学ぶという熱量を浪人を経験した。高校三年生の夏ごろから衛星授業を行う塾に入校したが、受験には失敗してしまった。自分の学習不足だったというのもあるが、先生から直接学ぶという熱量を感じることができなかった。だから、自分は直接先生から学ぶことができる予備校に入り受験勉強をした。 このように、インターネットで学ぶことが増えてきている社会ではあるが、通信教育にはない授業の価値として先生と生徒との意思疎通であったり、先生から得られる熱量だったりという点がある。
A.通信教育では時間も容量も限られているので、どうしても必要最低限の情報のやりとりのみになりがちである。 学生は先生方の経験談、雑談とも関連させて授業内容を記憶していくので、それらがないと理解も弱まってしまう。 また、授業後、疑問に思ったところを記憶が新鮮なうちに先生方に質問したり級友と共有したりして、即座に回答を受け取ることは対面授業でしかできない。
A.実際にオンライン授業を受けてみて、対面授業よりも不便であると感じた。授業終わりに授業で分からないことがあれば質問し、すぐに解決できたところもオンライン授業になると質問してからの返答が遅くすぐに解決できないことや質問の返答が返ってこないこともあり、ものすごく不便だと感じた。今回のコロナウイルスのおかげで改めて対面で授業ができることへのありがたみを感じるいい機会になったと思う。
A.体験は、やはりインターネットを用いた検索に勝るものがあると思う。インターネットを使えば、遠いものの情報を瞬時に得ることが出来る。しかし、調べていく中で疑問が生じて、インターネットにて調べたり質問をしたときに返ってくる情報は確かなのかととても思う。実際に見ることでその場の詳しい人に聞くことも可能になってくる。また、パソコンなどで見るよりも実際にその場に足を踏み入れて手で触って自分の目で本物を見るほうがその後の記憶にも残りやすいと思う。
A.体験としての授業の価値はこれからの時代においても高いと考える。 インターネットを利用した授業では、実際にいくことのできない所にも行くことができる、または金銭面でも交通費がかからないなどの利点は考えられる。しかし、実際に体験することによってしか分からない楽しさや難しさなどを理解することができないし、現場に行くことでしか感じることのできない雰囲気や見ることのできない光景は多く、それらをインターネットを用いた授業で体験するというのは難しい。それだけでなく、実際に体験し自分で身体を動かすことの方が経験値も上がり、記憶としても深く刻まれる。 これらの考えから、これからの時代においても、体験としての授業の価値は高いと考えられる。
A.オンライン上で動画をみて学ぶ塾や授業形態が存在するが、そこでは理系科目の理解には不向きである。なぜなら、理解できない箇所は人それぞれであるため、その動画だけで万人が理解できるとは限らない。そのため、理系科目においては対面授業のほうがより一人一人に適した学習を提供できるため、効果的であると考えられる。逆に暗記科目においてはオンライン上の動画にも向いている。AIが普及してホワイトカラーの出業が社会問題になっているが全てをAIに任せることはできないと思う。なぜなら、AIも機械であり、誤作動を起こすかもしれない。そのメンテナンス、修理、改良を加えるのは人間の役目だと考えるからだ。もちろん、さらなる技術革新によってそれらさえAIだけでできるようになるかもしれないが、それを開発するのには人間の知恵、努力、知識が必要であり、それらは学生時代に学んだことが生かされる。そのため、将来役に立つかもしれない知識を得て学ぶ場である授業にはとても価値がある。
A.通信教育ではない授業の価値は非常に高いと考える。なぜなら通信教育の利便性の高さよりも通信教育ではなしえない体験の高さが勝っているからである。 実際の授業の利点は、視覚や聴覚だけでなく体で体感しながら受けることができる。学習して記憶に残す際沢山の情報があった方が関連づけて記憶に残すことができる。 また、授業中の雑談にも学ぶ機会がある。講師の経験や考えてなどを知ることで人生経験の多い方の知識を知ることができるためである。 通信教育は確かに効率的である。しかし実際の授業では、相手の顔だけでなく体の状態などを見ながら思いあって互いに授業に望める。また、授業中の講義以外の時間も授業以外のことを教える機会になりえる。
A.体験としての授業の価値、通信教育にはない授業の価値は、人と人との直接的な触れ合いから得られる人との繋がりの大切さを実感できることだと思う。成績を上げるには、そのことだけに特化した通信教育の方が優れていると思うが、クラスメイトと様々な行事を馬鹿みたいに楽しんで、挫折したり、苦しんだりした時に友達や先生に助けを求めて励まして貰って、いろんな人と関わることで自分の中の考え方が変わったり、そういうことを経て出会えて良かったと思える人が出てくることが通信教育にはない授業の価値だと思う。
A. 現代でも、大体の知識はインターネット上で手に入る。高校までの知識のならなおさらである。 知識を手に入れるのに授業は必要なのか、新たに授業に価値を見出すことが必要となってくるだろう。 では、学校で講義を聞くメリットは何だろうか。簡単に2つの例を挙げる。 目的が同じ同世代との交流 ただ学問を学ぶだけが、学習ではない。学問を学び、学問によって人間性を成長させることが本質にあると感じる。インターネットによる知識の吸収は人間性の成長に期待できない。ただ、羅列している情報を吸収したに過ぎないと感じる。目的を同じとする学生たちが集まり、講義を受けることで、集団課題解決能力が高まったりするなどの利点がある。 タイムラグのない知識の伝達 インターネットで学習に行き詰った場合、学生はどのような行動をとるだろうか。ほかの情報と比較したり、勇気をだして聞いてみたり、ひとつ言えるのはどれも時間がかかる点である。タイムラグが生じると非常に不便である。有識者に会って教えを乞うことができる。これが最大の対面講義のメリットである。 また、有識者にとっても、相手が何を考えてこの結論に至ったのか察しやすいため、的確なアドバイスが可能であったり、情報を文章としてアウトプットしない分時間も節約することができる。集会による学習は利点が相互的に利点があると言える。 結論として、単なる知識の伝達はインターネットで事足りる。しかし教育機関として人間を育成するには知識を伝達させるだけではあってはならない。集団で講義を受けるメリットを理解し、これを活かしていく必要がある。逆に言えば、情報の伝達にのみ重点を置いた講義は淘汰されていくだろう。
A.今回オンライン講義という経験を通して改めて対面で行われる授業の大切さ・重要さを思い知ることができた。 僕はこの自粛期間中にアーティストのオンラインライブというものに参加した。今までの人生で何度かライブを見に行ったことはあったがオンラインでは初めてであった。 そこで感じたのはやはりオンラインとオフラインでは何もかもが違うということである。 これはオンライン授業についても共通していることなのだが、やはりオンラインである以上ラグが生じてしまう。このことは僕にとってはなかなかのストレスに感じた。 聞き逃したくない部分が聞き取れなかったときや、逆になにか重要な事を言っていたのにその箇所だけ聞き取れていなかったときなど。 また質問についても同様である。 対面であれば気軽に質問できることもオンラインであるとそれが形として残ってしまうために少し躊躇してしまうことが何度かあった。 たしかにオンラインもオフラインもリアルタイムで行うことができるツールではあるものの画面1枚挟むだけで多少なりともコミュニケーションに障害が出るのだということがわかった。 そういう点も含めて今回の自粛期間を通して何をオンラインにして何をオフラインにするのか自分の中で整理する機会が多かったので勉強になった。
A.やはり、今現在の日本のコロナウイルスの状況では、いまだに対面授業の実施が難しくなっている。前期にオンライン授業を受けてみて感じたことは、授業に参加している感覚がなく、家で授業を受けているのは不思議な感覚だった。オンラインでも授業が受けられるというのは幸せなことだが、先生やほかの学生と時間を共有して、視覚、聴覚を通してリアルタイムで質問や発言により知識を増やしていける対面授業と比べると、やはり対面授業が自分の中では勝る。オンライン授業を受けたからこそ、対面で授業を受けることができていた今までが幸せだったことに気づくことができた。
A.やはり通信教育にはなく、対面で行う授業にはある大きな違いとして、「直接人間を相手にしている」ということが挙げられる。まず、これが指す最も重要だと考えられるのは生徒と教師の関係である。例えば、教師が生徒と対面で授業をした際、緊張感が自然と生まれる。この緊張感というものは我々の授業に対する集中力を高め、授業の質を向上させるだろう。しかし、これが通信教育のリモート授業ともなると、直接対面するわけではないため、集中力が切れるだけでなく、眠気まで襲い掛かり、授業の質は落ちてしまうと予想される。リアルタイムではない動画や授業試料を見て行う授業ともなると緊張感というものは完全になくなり、授業で教えられることもある程度制限されてしまう。教師と生徒にはあって、インターネットやAIにない感情というものが常に存在し、教師は生徒がまじめに授業を聞いて受けてくれれば自然とそれがやる気などといった力になり、それがモチベーションとなる。生徒への問いかけ、生徒からの質問が飛び交って、授業というものは構成される。すなわち、授業とは生徒と教師でリアルタイムで作り上げるものである。互いの意思疎通が困難なリモート授業ではこれが実に難しい。 次に考えられるのは生徒同士の関係である。例えば対面で授業を行っている際、まわりの学生が真面目に授業を行っている際、突然遊びだす人はいない。これは上記にも挙げた緊張感も大きいが、周りが勉強しているなかで自分だけそれをやめればおいて行かれるという焦りなどの心理が働く。リモート授業であれば自分以外の人間がいないため、その感覚がつかみにくく、授業への集中力は落ちる。また、授業以外の時間であれば学生同士で学習する際にも大きな差が表れる。対面であればそのまま書いたりしてスムーズに教えあうことができるが、リモートとなると臨機応変に対応することが難しい。 以上が通信教育にはない授業の価値である。
A.通信授業にはない授業の価値としては、仲間と競いあえることが挙げられます。仲間と同じ空間で勉強することにより、周りの人の勉強に取り組む姿勢に刺激され、競争意識が生まれる事により成績の向上や知識の習得に繋がると考えます。通信授業には先生の姿しか画面には映らず、一人で勉強をしているという感覚になってしまいます。教室で授業を行い、仲間と切磋琢磨することで継続して勉強に取り組む力がつくと思います。また、教室で授業を行うことは、確実に出席させ、集中して授業に受けさせられます。通信授業では家の中で誰にも見られない状態できてしまうので、画面の前でダラダラした姿勢や態度で臨んでしまい、授業を受けているとはいえない状態になってしまう可能性があります。やはりこういったことをなくすためにも、教室での授業は必要だと考えます。
A.私の母校の受験担当の方の話ですが、受験に特化した動画配信などの塾の成績の上がり具合より対面の授業の方が上がるという話だった。授業が成り立ってないとかは話が別になるが、確かに私の高校では東大京大と他の難関大学ともに合格している人がたくさんいる。私の高校では、約1年先取りの学習をし、高校2年では高三の勉強が終わるカリキュラムで組まれている。センター試験までの勉強また、2次試験に関して、先生または同じ立場で受験をする同級生がいるというその存在が大事だったのかもしれないと思う。今のこの授業形態であったら、精神的に難しいと思う。そういう意味でとても対面での授業は大切だと思う。 これからの時代に向けてに関しては、色々な面で成長があると思う。必ずしもいい方向に向かうとは限らないが様々な人に影響をうける。
A.オンライン授業の期間中に思ったことが3つある。 1つ目は、分からないことがあってもすぐに聞けないことである。SNSでいつでも連絡が取れるが、すぐに返信が返ってこなかったり、文章では伝わらなかったりした。通常の授業では分からないところをすぐに無くせたことで、理解度も上がっていたのではないかと考えた。 2つ目は、人との関わりが少なくなったことである。同じ授業を受ける学生や先生などとの会話などがなくなったことで、オンラインでの授業が前よりも楽しみでは無くなった。友人と会話したり昼食を取ることが楽しかったと分かった。 3つ目は、授業と家での生活の切り替えが難しいことである。これまでは学校に行くことで、勉強するように気持ちを切り替えることが出来た。ネット環境の関係でずっと自宅で授業を受けたが、切り替えることが難しいと感じた。
A.初めて橋の使い方を学ぶ子供には、口頭で説明するよりも、実際に箸を持たせて使わせてみる方が圧倒的に上達が早い。これと同様に学習においても手で書いたり触れたりしたものは記憶に定着しやすいように思う。 対面の体験型の授業の価値は記憶の早期定着化という点で価値があると思う ところで、今はまだ発展(商品展開)の途中にあるVRというコンテンツがある。 現状のようなネットを通した教育に頼たざるを得ない状況でも、VR技術を使えば仮想的な実体験をすることができると思う。VRであれば講義で話していたようにサンプルを回し見たり、自分の手で実験を行うことができる。今後展開していく5Gの大容量通信インフラが整えばVRライブ授業を多人数で受けられるようになるかもしれない。
A.本で得られるような知識は、自分で学べば良いと考える。 本で学ぶような詰め込み学習は、有用ではあるが、すべてを強要するものではなく、手段として行わなければならない。 無理矢理にでも詰め込むべきものは、生きる上で必要な憲法、中学・高校程度までの数学、現代文の知識くらいで良いと思う。 体験としての授業の価値は、本で学んだ知識を感覚に落とし込むことができるようなものこそが、人にとって重要であると考えた。我々人間の価値は感覚や感性、創造性にあるため、そこを伸ばす教育が大切であると感じる。
A.コロナウイルスの影響で日本中の大学に遠隔授業が普及し始めている。山形大学もその一つだ。2人の先生同士のチャットに生徒参加型の授業や、ZOOMなどを使用した講義など形式は様々だが、各生徒にオンライン環境が強いられる。チャット形式だと先生側は文字を打ち込む手間がかかり、手動更新なので生徒側にも手間がかかる。ZOOMなどを使用しても出席の取り方、板書の有無などで何かと問題がある。しかし、一番の問題は講義により形式が異なるため、講義間時間にサイトの移動が大変で休憩時間が一切ないことだ。先生は一つの形式を決め、その形式で週に何回か講義をする。生徒は色々な先生の形式全てに順応しなければならない。それに比べて対面式の講義は生徒が各教室に行けばそれぞれの講義を受講することができる。講義が終わった時に質問することもできる。勉学が得意でも機械に疎い人はとても気がかりな状況下に置かれていることは間違いない。やはり私は遠隔授業にないものが対面授業にはあると考えている。
A.通信教育は柔軟な対応ができないという点がある。通信教育の際使っている機器が故障したり、電波が悪いとき授業を受けれなかったりした際にどうしても対面授業と比べると対処が遅れてしまう。せっかく集中しいても途切れてしまうといって点があり、どうしてもリアルタイムで物事が動いていく自然な流れが断ち切れてしまうといったデメリットがあると考えた。その一方対面授業では、その時のみんなのリアルな表情や雰囲気を感じ詳しく解説を行ったり、より詳しく教えたりすることができ、リアルタイムで学んでいけると感じた。これらの考えより、現在の通信授業は今後の技術の発展で改善されることもあるかもしれないが、対面授業に比べてリアルタイム性が欠けていると考えた。
A.これからの時代はAIによって簡単で規則性のある仕事は激減していくと予想されます。 しかし、AIの管理や複雑な機械の操作などは人の仕事であり、介護などの人である意味を持ったものも存続すると考えられます。 複雑で難しい操作には多くの知識を有していなくてはいけないので勉強は必須であり、介護など大変であるが量産できる仕事に人が集まり貧富の格差が激しい2極化時代になるのではと思いました。
A.授業を受けるということは、国語の小説や物語を読み解くことに似ていると思う。例えば、物語の中の主人公の気持ちや、作者の気持ちを読み解くことは、化学や数学などの中ではどの学問にも何を求めた結果がその発見に至ったということがわかることが重要であると思う。現在のように、スライドをウェブ上にアップするだけで、知識は伝わっていく。しかし、その発見に至った時代背景や物語は書ききれなく、伝える事ができなかったり、スライドでいくら重要な所を重要と書いても、講義の中で口酸っぱく何度も何度も重要と言うことよりは重要性が伝わらない。そういった伝わり方の違いが、対面との違いが同じ知識を身につける上でも変わってくるのではないかと考える。
A. ライブでの授業は授業中に講師の先生と実際に目が合うのと合わないのでは緊張感がまったく違う。
A.現代社会では、ネット社会の普及によって互いに距離が離れていても意思疎通が取れたり、情報の共有ができるようになった。今回のコロナ騒動では、すべての授業がオンラインで公開されている。しかし、理系科目ではどうしても無理があると私は思う。実験などといった授業はどうしても自分の手で行い、経験値を増やさなければ使用試薬や実験器具の使い方もわからないし覚えられないと思うからだ。今学期の化学バイオの実験演習ではすべてのレポート課題があらかじめ実験を行った体で課されている。私は、実際にやるからこその価値を知っているし、アクシデントが起こったときの対処の仕方は全て現場にいることでしかわかることはできないと思っている。したがって、今後の授業についても実際に対面での授業は必要であると考える。
A.対面による授業では、先生から発せられた言葉、そのときの教室の映像とともに頭に残る言葉がある。ふとした時に授業で重要であることの説明をされたことを思い出すことができる。そして、すぐ近くには、学友の存在があり、授業後すぐに、疑問点を聞くことができる。もちろん、先生に聞くこともできる。しかし、オンラインでは、そのスピードの速さには負けてしまう。対面による授業の大切さというのは、人と人とのコミュニケーションを測ることもできる重要なものである。オンラインの普及に伴い、人が直接会うことをしなくなるのではなく、実際に会って会話をするということが大切であると考える。
A.現代の技術によってインターネットの発達やAIが発達し、人間が必要としない事業なども出てきている。 AIの発展により生産の効率化が進むこともあるがそれにより職を失う人たちも少なくはない為その点について考えなければならない。なので、その失業せざるを得ない人の手当などを今後考えなければならないと思う。
A.現代では授業は教室に行かなくても家で受けることができる。しかし家で授業を受けた時、授業の中で疑問点があった場合にすぐに質問しづらいといったことが出てくる。授業を受けている側ではなく、授業をしている側も学生の様子が伝わりにくく、授業がしにくかったり、授業の理解度が確認しにくかったりといった弊害が出てくることが考えられる。また、実際に人と向き合ってコミュニケーションをとることで得られる経験は遠隔教育では得られないので、実際に教室で授業を受けることはこれからも必要になると考えられる。
A.授業というのは対面してこそ成り立つものだと今回の自粛を経て感じた。上にも書いてある通り、授業は知識の伝達の場だけではないということがわかった。対面した授業をすることで、社会における基本的なマナーや人についても自然と考え、行動している。つまり常識を身につけるためにはリモートの授業ではなく、対面の授業が必要である。また、対面による他からの監視、プレッシャーがないと自分に甘くなってしまい、知識の伝達すらもまともに行えなくなってしまう。以上より対面による授業は価値があると考える。
A.対面教育の良さは相手の顔を見ながら様子をうかがい、理解できているかどうかを先生側も判断できる点がオンライン授業とは大きく異なっていると感じた。オンライン授業では先生が呼びかけても私のように恥ずかしくて発言できず聞きたいことを聞きそびれてしまう生徒もいたのではないだろうか。先生は生徒の顔をよく見ておりわかっているかどうかがすぐわかると思う。大学では学ぶことも多く一人一人のペースに合わせられないためそうもいかないため別の話になってくると思いますが。 逆にオンライン授業の良さをあげると、個人的な感想だが、あまりストレスがたまらなかったと思う。学校に行かなければならないという感情は結構なストレスにある人は多いのではないだろうか。自分は長期休み後の自殺者の増加はそこに関連しているのではないかとも考えた。実際に4月のニュースでオンライン授業や在宅勤務のおかげで職場や学校での対人ストレスが減ったという考え方があがっていた。 これまでに引き続き授業の大切さは変わらないと思うが、いじめが起こりやすい(大学は別ですが。)という面やストレスの面を考えると学校は必要ではないともいえる。 しかし成長する上で学校でのコミュニケーションは何よりも大きな影響を与えると思うため上記の文章は肯定できなかった。 授業により興味が湧くように広島の一部で行われているような学校側の改革が必要なのではないかと私は思う。 かなり話がそれてしまったが、対面型の授業にもオンライン授業にも良さがあると思う。 だが、今現在のコロナウイルスの面を考えるとオンライン授業の方が良いのではないかと思う。 もっと欲を言えば対人型の授業の良さを取り入れたオンライン授業ができるくらいにネットが発展してくれたらと思う。
A.前期の間、オンライン授業を受けてみて、講義形式でグループワークなどがない授業はオンラインの方が便利であると感じた。しかし、実験など実際に自分が体験しなければならない授業に関しては、オンラインでは全く機能していなかったと言っても過言ではないだろう。これらのことから、講義形式の授業はAIでもできるであろうから教授が講義室で行う必要は無いと感じるようになった。そして、グループワークや実際に自分の手を動かして体験するといった授業の価値や重要性を見いだすことができた。
A.テスト対策をはじめとする暗記法のひとつに「エピソード記憶法」というものがある。これは、物語形式や因果関係によって紐づけされた情報によって一つのキッカケから複数の記憶を連想して思い出せるようにする方法である。 授業の内容を実用することを考えたとき、その授業の内容を「思い出せる」ことは非常に重要である。そのために体験型の授業は、授業というエピソードとして強烈に記憶させ、同様の体験から授業の記憶を引き出すことを期待できる。
A.現在ではオンライン授業という言葉が生まれ、対比として対面授業という言葉が使われるようになった。オンライン授業において、学生側の問題点として「課題の量が多すぎる」というものがある。これは教える側が生徒に対して最低限の知識の定着レベルを合わせるため、という目的がある。しかしこれによって学生は時間が奪われ、結果的に課題を終わらせるためだけの勉強量しかしなくなる。これでは本末転倒であり、大学における自由な学びを侵害することになる。対面授業では生徒と教える側との微妙な空気の違いや、その場で質問できることであったり定着率を雰囲気として感じることができる。つまり分からないところに時間を割き、分かるところはあまり時間をかけなくて済む。授業は効率化し、より知識の定着を図れる。また実験などは各個人が実際に取り組んで初めて意味を生む。対面授業はこのような点で必要であると考える。
A.対面授業とは違い、動画配信の場合、 何度も見返せる、また途中で止めることができるため聴き逃しがなく、理解が追いつかないということが起きにくい現状です。 そのため、オンライン授業も良いところが沢山ありますが、やはり1人で授業をうけることになるので友達に聞く場面が極端になく、頼れる人がいないのはデメリットかもしれません。
A.現在、ウイルスの流行から大学の授業をすべてオンラインですぐに開始することができたが、これはインターネットの普及により、ほとんどの学生が手軽に家で授業を受けられる体制が整っていたからである。このように生徒からすれば簡単に知識を受け取ることができ非常に便利だが、対面授業の価値も忘れてはならない。その最も大きなものはコミュニケーションであると考える。オンライン授業では大学のように多くの生徒を相手にする場合、生徒の反応を見てコミュニケーションをとることが難しい。教育にはコミュニケーションや体験によってのみ成長させられる考え方や感性がある。今後、どんなに通信技術が発達しても対面、体験による価値は重要であり、それなしでは教育は成り立たないだろう。
A. 授業は通信教育よりも対面が望ましいと考える。 病気・怪我で学校に来られない人のためや、今回のコロナウイルス対策のような非常事態にオンラインで講義を行っていただけることは大変有難いことである。しかし、オンラインでの講義は間違えた認識に対して間違いであると気が付かないというリスクがある。対面講義では、分からないところはすぐに質問したり、周りを見ることで状況を把握することが可能である。しかしオンラインでの講義を1人で受けている場合、自分が今行っている作業が正しいか否か確認する術がない。先生方は質問を受け付けてくださっているが、間違った作業を「正しい」と認識し行っている受講生は、疑問にさえ思わないため質問しない。対面型であれば一目瞭然であるような間違いも、オンライン型の場合は発見されないこともあるということである。私は今回のオンライン講義で、実験操作法を誤認識したままレポートを書き、終わった後に友人に聞いて知り、7時間かけてレポートを全て書き直した。これは私の知識不足もあるものの、実際に実験を行っていた場合には起こらない問題であると考える。 また、人はそのときの情景と共に情報を記憶すると考える。同じ場所で同じ画面上から受講した場合、記憶が定着しにくいと感じた。 人件費削減のために必要に応じて遠隔授業を行うことも必要である。しかし、机上の空論になってしまわないためにも、対面型の講義と組み合わせて行うべきであると考える。
A.実際にライブ授業を3年前期に利用したが、この点は非常に差別化が難しい。 質問にいける→ ライブ授業でも多くの教授は授業後質疑応答の時間を設けてくれる。 多くの授業では差別化が難しいと感じた。 しかし友人と何について、前期の授業で困っているのかという点で、課題の提出期限は対面でのほうが明確だということだった。 そしてもう一つ、生物実験という実技を伴う授業はやはり自分の手で体験しないと自らの知識とするには非常に難しいと感じた。 体験としての授業はまだまだ必要となると強く感じ、映像授業の不便さがにじみ出る授業はまだまだ少なくない。
A.リアルタイムでコミュニケーションを行うということは、自分と相手の間に一種の制限を設ける行為に等しい。それは制限時間である。動画で相手が話しているのと対面で話を聞くのとでは、話の内容や相手の意図を理解するのに必要とされる時間が大きく異なる。対面でのコミュニケーションという物は相手の表情や声の抑揚、ボディランゲージなどコミュニケーションにおいて必要となる情報を相手が行ったタイミングと全く同時にくみ取ることができるが、ネットを経由してのコミュニケーションはラグやネット環境の良し悪しに左右されてしまい、対面時よりくみ取れる情報量に差が出てきてしまう。これが動画ともなれば、コミュニ―しょんではなくただ一方的に話しかけるだけのいわば独り言のようになってしまう。対面での授業やコミュニケーションとはこうした問題点を問題でなくする非常に有効な手段なのだということを改めて教えてくれている。
A.今回実際に遠隔での受講を経験したが、やはり通常の授業に比べ物足りなく感じた。 以前アルバイトをしていた塾でも映像授業による学習を取り入れていたが、あくまで家での学習のためものであり、授業の補助として用いられていた。映像として残っているものだと都合のよい時間に観ることができるし、何度も観ることができる点が魅力的である。しかし、触れ合いなど体験としての授業でこそ学べるものがあるだろうし、その場に向かうこと自体に価値があると感じた。
A.学校では幅広い教養を身に着けるために、これまで先生から様々な教えを乞いてきた。単なる知識の習得だけでなく、社会常識を学んだり人間性を身に着けたり、心身の健康とさらなる発達を目指し部活動や学校行事に取り組んできた。仮に学校を知識の伝達の場としてのみ考えるのなら、全国民にタブレットなどを配ってネット配信で授業をすればよい。ただ、それでは社会で生きていくための人間力は身につけられず、いずれ大きな壁にぶつかるだろう。人は一人では生きていけない。家にこもって画面の前の先生の話を聞くだけでは不十分なのだ。学校に行き、同年代の人々とともに様々なことを学び、経験することで人として成長するのだ。もちろんネットを使った学習も有用ではあるが、これまでしてきたように先生と同じ空間、同じ教室で仲間とともに直接の触れ合いを通しながら学んでいくことが大切ななのだと思う。私は今回のコロナウイルスのおかげで、これまで当たり前のようにしてきた学校に行き学べることがどれだけ重要でありがたいことかを学ぶことができた。事態が収束し、以前のように学校に行き授業を受けられるようになったら、その一つ一つの機会を大切にしながら取り組んでいきたい。
A.対面での授業の長所は細かな変化を自主的に気がつくことが出来ることである。 実験を例に挙げると、オンラインでの実験は先生の目線で実験の様子を観察することが出来る。しかし、逆に場面が忙しなく切り替わるため、実験中の細かな変化を観察することが出来ない。 逆に対面は実験の様子を全体的に観察することが出来、疑問点を先生に質問することが出来る。
A.リモート授業は場所の移動もなく、オンデマンドのようにいつでも好きな時間に見られたり、何度も見返すことが出来る点で便利である。一方で学校での授業は、先生の話を耳で聞いてノートをとり勉強するだけでなく、先生と生徒のやり取りであったり、友達にあって話したり、周りに頑張っている人がいるのが目に見える環境があるという点でリモートでは補えない価値がある。コロナウイルスの影響で対面授業ができなかったことで、対面授業の良さやありがたさを感じることが出来たと思う。
A.インターネットでの授業と対面授業の違いはやはりそのリアル感であると思う。インターネットでの授業はいつでも視聴できたり、ビデオだと聞き逃したところをもう一度見たりすることができる。しかし、生の声ではなく、教わる側は教える側との壁を感じ、授業への取り組み方が少し消極的になると思う。対面授業だとどこが大事なのか先生の声の張りや大きさなどでも判断できると思うし、先生側も生徒の反応を見ながら大事なところを伝えることができると思うので、やりがいも感じると思う。いくらAIやネットが普及しているとはいえ、これからも対面授業は大事である思う。
A.授業では、学生どうしの議論、教員への直接の質問を行うことができる。対面による触れあい、体験の共有により、人間育成を行うことができ、高性能のAIが普及した状況においては、これに対抗できるような人間としての能力をもつ必要があると思う。
A.通信教育でも知識を得ることはできるが、生徒や先生と同じ空間で授業をすることで、自分の考えや知識を共有することができ、より理解を深められる。また、実験や発表など、オンラインでは代替えできない授業もある。
A.体験することの大きなメリットとしては「印象に深く残る」というものがあると私は考える。 実際の私の体験を例とすると、小学校理科の振り子の実験で周期に影響する要素が何かをまずはただ話し合いをさせられた。その後実験を行い、長さが影響していることがわかった。私が予想していた振り子を上げる高さ、振り子の重さは関係ないということがわかった、ということを今でも鮮明に記憶している。 この理由として私は、体を動かすことが記憶を「立体的なもの」にしているのではないかと考えた。 「水銀は常温で液体の金属」という文字情報が、高校化学の時に瓶に入った水銀を持って重さを感じ、少し揺らしてみて流動しているのを感じた。 「腐卵臭」も本当の匂いを知ってからは忘れることが無いとまで感じた。 実際に触る、動かす、匂いを嗅ぐ、食べるなどの様々な動詞を経験することは、文字を見て、聞いて覚えるだけに比べて深みが段違いなのでは無いかと思う。 私は現在化学・バイオ工学科に所属している。化学と実験は切り離せない関係にあると思うし、社会でも経験がものをいう時が間違いなく表れると思っている。
A.現在コロナの影響でオンライン授業という形をとっているが、これまでの対面授業よりも正直受けずらい。主に集中力という点では、教室で受けるときと自宅で受けるときでの差が激しいと実感している。また、対面授業を受けるということは、授業を受ける場所に行かなければならないということであり、人との関りをもつことで将来の相手との関わり方を学ぶ大切な場であると思う。また、教室という場で授業を受けることで周りの雰囲気に引っ張られ集中することができる。これまで小学校・中学校・高校と小規模のクラスの中で過ごしてきたわけだが、小規模のクラスのほうが人格形成、友達作り、先生などの目上の人とのかかわり方を学ぶことができた。オンライン授業では人との関りに限界を感じる。 芸能人のライブが特別に感じるのはその人との距離感が近くなり、身近に感じることができるからだと考えた。また、社会に出るまでに大切なのは勉強よりも社交性であり、勉強ばかり重視していると堅物な人間になってしまうのではないだろうか。したがって、人との関りをもつこと、人を身近に感じることが通信教育にはなく、対面授業において重要なものであると考えた。
A.今回のオンラインでの講義を経て感じたことは、教育上でのコミュニケーションが圧倒的に希薄になってしまう点である。講義中にわからない点を聞きあい、知識を深めあうという行為がオンライン講義では難しく感じた。情報技術の発展により、ビデオ通話などで容易に顔を突き合わせることはできるようになったが、如何せん普段から行っていないため、どこかぎこちなくなる。また、場の雰囲気をつかみにくい。人間が集まることでできる特有の雰囲気もビデオ映像ではどうも捉えることができない。今後、オンライン上での教育というのは発展していくと思うが、顔を突き合わせて行わなければならない物事は必ずあると思うので、慣れておくという観点でも対面での授業の価値はあるのではないかと考えられる。
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<a href='https://edu.yz.yamagata-u.ac.jp/developer/WebClass/WebClassEssayQuestionAnswer.asp?id=49'>
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【課外報告書】00-01 通信教育にはない授業の価値について考えなさい
</q></cite>
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<a href='https://edu.yz.yamagata-u.ac.jp/developer/Asp/Youzan/@Syllabus.asp?nSyllabusID=11133'>
無機工業化学
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<a href='https://edu.yz.yamagata-u.ac.jp/developer/Asp/Youzan/@Lecture.asp?nLectureID=0'>
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第百十三条 大学は、教育研究の成果の普及及び活用の促進に資するため、その教育研究活動の状況を公表するものとする。