大学教育の質の保証・向上ならびに 電子化及びオープンアクセスの推進の観点から 学校教育法第百十三条に基づき、 教育研究活動の状況を公表しています。
第百十三条 大学は、教育研究の成果の普及及び活用の促進に資するため、その教育研究活動の状況を公表するものとする。
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A.1.技術者に求められる素養を学んだ。専門技術者とは以下の4つをそろえた者である。 ①専門とする技術についての知識・能力 ②その技術が社会に及ぼす影響と、その影響を制御する技術についての専門的な知識 ③関連する法規についての知識 ④社会の議論についての理解 また、必要な素養を欠くものが専門的職務を行うのは、はじめから工学倫理に反することであり、専門技術者は自らが専門とする分野について、常に最新の知識・情報を持つように努力しなければならない。 授業でオウム真理教の地下鉄サリン事件を取り上げた。サリンを作ったオウムの化学者は優秀な人間が多かった。そこで、優秀な人間ほど信じべからざる者を信じるのはなぜかという議題があがった。優秀な人間でも、苦悩がある場合は承認欲求を満たすために教祖について行ってしまうと考えた。 2.ワークショップでは花岡青洲の麻酔手術について議論をした。花岡青洲は乳がんの摘出手術に成功したが、実験に母と妻が志願し、実験の過程で母が死亡、妻が失明することとなった。現代ではインフォームドコンセントがあり、本人の合意があれば問題ないと考えることもできるが、人体実験を行っていることや、死者もでているため、倫理的に問題があると結論づけた。 3.技術者倫理を受けるにあたって、まずは技術者になるための必要最低限の知識を身に付けることが重要であると考えた。教科書の内容を正しく理解し、学ぶことから始めるべきである。
A.(1)講義では、哲学や思想の観点から「倫理観とはどのように形成され、技術者倫理はどの位置づけにあるのか」というテーマが扱われた。まず倫理観とは、人としての正しさを判断する基準であり、本来は他者に押しつけられたり、社会的な同調圧力のもとで形成されるものではないという点が強調された。倫理は時代や文化、環境によって影響を受けやすいが、流されるままでは自分の軸を見失うため、日常的に「第三者の視点」を持って自らの行動や意見を振り返る姿勢が必要であると学んだ。また、人が同調圧力に弱い背景として、幼少期からの「間違えてはいけない」という価値観や、評価によって序列化される経験が影響しているという指摘もあり、倫理観を育てるには、安心して自分の意見を言える環境を意識的に選ぶ重要性が示された。また、技術者倫理については、技術者は単なる技能者ではなく、自らの専門能力を通じて社会に影響を与える立場にあるという位置づけが説明された。そのため、技術者倫理の対象となるのは、設計・開発・研究などによって社会に責任を負う個人であり、法律の遵守や社会的影響の想像力が不可欠となる。講義では華岡青洲の事例も取り上げられ、全身麻酔薬「通仙散」を完成させ医学に大きな貢献をした一方、母と妻を用いた人体実験により重大な犠牲を生んだ点から、成果と倫理の関係、人体実験の是非など、現代の研究倫理に通じる課題が示された。 (2)演題: 華岡青洲について調べて、話し合ってみよう、役割:調査、著者:濱田桃樺、共著者名:塩田龍平、鈴木萌笑、澤田賢佑、高橋旺亮、中村温斗 華岡青洲の研究は母と妻に麻酔薬を使用する実験を行い、最終的に麻酔薬「通仙散」を完成させ、世界で初めて全身麻酔を用いた外科手術に成功しました。結果的に医学に大きな貢献をもたらしたが、その過程で家族を実験に用い、妻が失明するという重大な犠牲を生んだ。そこには、人体実験の是非や成果と犠牲の関係という、現代においてもなお重要な倫理的問題が含まれている。 (3)復習としては、技術者倫理とは単なるルール遵守ではなく、「自分の価値観を問い続け、状況に応じて最も妥当な判断を選び取る能力」であると理解した。華岡青洲の例のように、技術が進歩する過程で倫理的な問題が必ずしも明確ではない場面が存在するため、技術者は自分の選択に責任を持つ覚悟が求められる。さらに、倫理的に疑問を感じる環境に身を置いたときには、その場にとどまるのではなく、より健全な価値観を共有できるコミュニティを選ぶという選択肢があることも重要な学びだった。これらを通じて、技術者倫理とは専門性×倫理的判断×環境選択の総合的な実践であり、自らの行動が社会にどう影響するかを考え続ける姿勢が不可欠であると総括した。
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A.(1)講義では、オウム真理教サリン事件が挙げられており、これは猛毒物質であるサリンがオウム真理教によって地下鉄でばら撒かれた事件である。このサリンは非常に高学歴で科学知識を得ているオウム真理教信者によって作られたもので、化学が人々を陥れる道具として使われた例である。高度な化学知識が責任持って使用されるために技術者倫理によって自制しなければならない理由であった。 (2)発表は、華岡青洲の倫理的問題点を探す題目で行い、時間がなかったためグループ名は決めず、樫本裕希、五十嵐稔二さん、後藤将太さん、長橋昂汰さん、小田希紗良さんで行い、自身はリソースの役割を果たした。華岡青洲が行った実験についての倫理的問題点をグループで話し合った。華岡青洲は全身麻酔を使い数々の手術を成功させた人であった。しかし、全身麻酔は容易なものではなく、様々な実験が行われた。その一つに自身の妻と母の人体実験があり、妻は失明、母は死亡したと言われている。この実験は妻と母自ら志願して行われた人体実験であり、後に作り上げた全身麻酔によりたくさんの人々を救ったが、今現代から考えると、インフォームドコンセントなど重要な問題があるとグループで考え、共有した。 (3)復習では、人体実験の倫理的問題とその成果の社会貢献の関係を調べた。その結果、人体実験は人命や尊厳を侵害する重大な倫理的問題を伴う一方、医学の進歩に大きく貢献してきた歴史があることが分かり、現代では過去の反省からインフォームド・コンセントや倫理審査制度が整備され、被験者の権利保護と科学的成果の両立が図られていることも分かった。そのことより倫理を守ることで、研究結果は社会から信頼されるものであると考えた。
A.【講義の再話】 倫理観とは、宗教や育ちによって差があるもので、倫理は法律のようなルールではありません。一方で、宗教における戒律は、その宗教においては絶対的な規範であり、個人の信仰に基づく倫理観は我々の一般的な倫理観に反するように見えても、慎重に受け入れ、検討することが大事です。これまでの話は一般的な倫理についての話ですが、技術者倫理とは、狭義では技術者個人の判断、広義では技術と社会に関する倫理のことを指します。「技術」に関する倫理であるため、技術者倫理においては無知も倫理違反となり得ます。例えば十分な知識がないために危険な製品を安全であると信じ込んで売り出せば、その技術者に悪意はなくとも倫理違反となります。例として地下鉄サリン事件があります。サリンを作ったのは理系大学を卒業した技術者であり、サリンの生産プラントであるサティアンは、ラボスケールではなく明確に工業生産の域にあったと言えます。人に危害を加えるために作っていると分かりながらも、彼らは自身の信仰や教義に基づいてサリンを作り続けました。宗教的な例以外でも、高額な報酬に目がくらみ、倫理違反をする技術者もいます。工学倫理の基本は「危険なものを安全に使いこなす仕事」をしているという明確な自覚を持つことであり、常に自分を客観視することが大事です。 【発表の要旨】 演題:華岡青洲について グループ名:(なし) グループメンバー:五十嵐稔二、後藤翔太、樫本裕希、小田希紗良、長橋昂汰 CRediTにおける分類:Investigation グループでは、華岡青洲に付いて議論しました。彼は麻酔を用いた乳がんの摘出手術に成功しましたが、彼の手術に協力したいと申し出た妻は失明、母は死亡しました。現代では明確にインフォームドコンセントが不足した倫理違反ですが、これで医学が進歩したという事実や、妻や母は自ら申し出たという点は倫理観を議論するうえで重要な事実です。 【復習の内容】 私は幼少期からアミニズム的な信仰や氏神様、日本神話のようないわゆる神道の影響を受けて育っている。よく、日本人は無宗教だと言われるが、このような日本に昔からある「価値観」は倫理観に深く関わっているのではないかと思う。例えば、「もったいない」のような概念は、あるいは、古い試薬を使って実験に失敗するような倫理違反につながる可能性があるのではないかと思った。
A.日本国憲法13条の幸福追求権は「みんな」の権利であり、自分の幸福のために他者を不幸に陥れないという基本線を示す。科学技術の知識は社会を豊かにする一方、悪用されれば深刻な被害を生む。地下鉄サリン事件は、優秀な高学歴人材が特定の教義や「正義」を信じ、無差別殺人を正当化し、専門知を破壊的目的に転用した典型例として扱われる。ゆえに技術者倫理は、危険物や強力な技術の二面性(薬と毒、農薬と兵器のような二重用途)を自覚し、法規・社会議論・影響制御の知識を含めて責任ある判断を行うための教育である。技術を担う人材は、構想と知識応用を核とするエンジニア、技能中心のテクニシャン、両者の中間のテクノロジスト等に整理でき、STEAMのように倫理・法・文化まで横断する素養が求められる。加えて、内発的動機と外発的動機(評価・報酬)の違いを理解し、目的と手段が逆転しないよう注意する。宗教や無神論を問わず、人は良心や信条を持ち得るため、何を信じるかを問い続ける姿勢が不可欠だ。また、麻酔は「人為的な薬物中毒」であり、華岡青洲が通仙散による全身麻酔で外科手術を可能にした事例は、危険を理解し制御して初めて技術が人を救うことを示す。同時に、チョウセンアサガオやトリカブトのように身近な自然物にも強い毒があり、「薬人を殺さず薬師人を殺す」という諺の通り、扱う側の無知や過信が被害を生む。だから専門技術者は、設計・製造・検査の各段階でリスクを想像し、最新知識を更新し続け、組織内で異論を言える環境と透明な意思決定を整える必要がある。自由と安全、公益と個人の尊厳を両立させる視点を、学びの中核に置こう。常に他者への想像力を忘れない。
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A.健全な倫理観を育むためには、社会や権威が示す「正しさ」をそのまま受け入れるのではなく、なぜそれが正しいとされているのかを自ら問い、考え続ける姿勢が不可欠である。歴史を学ぶことで、倫理や正義が時代や体制によって恣意的に利用されてきた事実を知り、自分の価値観を相対化することができる。また、多数派の意見だけでなく、少数派や弱い立場に置かれた人々の声、そして自分の内に生じる小さな「違和感」を大切にすることが、倫理的感受性を鍛えることにつながる。倫理に絶対的な答えはなく、同調圧力に流されずに自分なりの判断軸を持つことこそが、戦争や洗脳のような不健全な価値観に抗う力となる。 この視点は技術者倫理にも当てはまる。工学倫理の対象となる技術者とは、単に専門知識を有する人ではなく、その知識や技能を用いて製品やシステムを設計・実現し、社会に実質的な影響を与える職業人である。量産可能性や社会的影響力を伴う以上、技術者には個人の良心を超えた職業倫理が求められる。しかし、能力や知性の高さは倫理的成熟を保証しない。高い才能を持ちながら協調性や共感性を欠けば、周囲から信頼されず、価値ある成果も社会に受け入れられにくい。さらに、知性は合理性の過信や自己正当化、傲慢さを生み、論理の限界を埋めるかのように神秘的・カルト的思想に惹き寄せられる危険もはらむ。ゆえに真の意味での優秀さとは、知性や技術力だけでなく、謙虚さ、共感性、そして常に自らを省みる自己批判力を併せ持つ態度にあるといえる。
A.1)私たちが技術者になるにあたって、持ち合わせなければならない姿勢と倫理観について、これから考えていかなければならないこと、どういう立場でどのような物事を考えていかなければならないのか、過去の事例として、江戸時代の医師、華岡青洲の家族を被験者とした人体実験から学んだ。 2)華岡青洲について調べた。彼は江戸時代後期の医師で世界で初めて全身麻酔を用いた手術に成功した「医聖」として知られており、西洋の麻酔成功より約40年早く、1804年に「通仙散」という麻酔薬を開発し、日本全国に多くの門弟を育てた偉人である。これを見て一見素晴らしく思ったが、青州は麻酔薬の完成にあたり、動物実験を経て、最終的な臨床試験を実の母と妻に対して行いました。 これにより母は麻酔薬の完成を見ることなく亡くなり、妻は副作用により失明するという甚大た被害が出ました。現代で考えてみると、被験者の自発的な同意があったとしても、身内を重篤な副作用のリスクにさらす行為は極めて議論の余地があり、被験者への適切な情報開示や安全性の配慮を欠いた実験だと考えられる。よって、これを踏まえた上での技術者倫理とは、たとえその行動が未来に繋がる素晴らしいことだとしても、それを成し遂げる方法、考え方は特に重視して行わなければならず、段階的にどのようになるかを考察しなければならない事だと考えた。 3)過去の倫理的問題について調べてみた、倫理的問題と呼べるか不明だが、公害は倫理を欠如したことも原因の一つだと考えた。よく知る水俣病などは、汚染物質の排出について、それを行うとどういう影響が出るかを考えなかった結果であり、その後の政府の救済遅れも、隠蔽などが絡んでおり、倫理的問題を助長するものだと考えた。、
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A.(1)今回の授業では主に倫理について学びました。倫理とは人間性・人倫の中で踏み行うべき規範の筋道であるということが分かった。また、宗教による違いは信仰の対象や教え、儀式、戒律、社会との関わりかたなど多岐にわたると分かった。宗教によって制限の違いなどがあって医療の差などがあると分かった。オウム真理教サリン事件について触れて技術者倫理について学びました。人によっては給料だけではなく承認や評価、点数などを原動力にしている人もいると分かった。技術者倫理と技術倫理の違いについても学びました。技術者倫理とはその人が起こすことによって起こるものであり、技術倫理とはその人の持っている技術によって何かが起こるものであると分かりました。(2)ワークショップの課題として華岡青洲について調べました。世界初の全身麻酔手術の成功をはたした人物であったと分かりました。しかし母や妻を実験台にしたとされており難しい面も多くあったと分かった。(3)今回の授業では倫理について学びました。技術を持つということはとても素晴らしいことだと感じたのに加えてその技術を使うのには責任が伴っているということが分かりました。オウム真理教サリン事件では1995年3月20日に東京都の地下鉄で発生した化学テロ事件であり多くの死傷者が出てしまった悲惨な事件であるということが分かった。このような事件が再び起きてしまわないように自分も技術者になるための知識や使い方をきちんと理解していきたいと感じた。
A.1.倫理とは、一人一人のこころから芽生えるもので、宗教なども影響している。そのため、宗教が異なると、世界の医療の差のように、異なる倫理的考えが生じる。技術者倫理とは技術を持っている人が持つべき倫理観であり、無知は技術者として倫理違反である。しかし人間は、承認や他人からの評価、対価を求めて働いており、ここが歪んでしまうと、技術者倫理に反した行動をとってしまうことがある。 2.演題:華岡青洲 グループ名:左上 共著者名:加藤さなみ、鈴石葵、吉田好、青木優奈 華岡青洲の人体実験は倫理的に正しかったのだろうか。華岡青洲は江戸時代に全身麻酔による外科手術を成功させた人物である。母と妻に人体実験を行い、妻は失明した。グループではこの人体実験の可否について、現代は命を大切にする風潮があるため許されないが、江戸時代では、妻と母が自ら申し出た実験でもあり、当時の医療発展につながったと思うので、許されるのではないかと考えた。 3.健全な倫理観を育むためには、自分で考えてから他者の意見も参考にして行動できる環境が重要だと思う。なぜなら、倫理観というものは一人一人の個人の心から芽生えるものなので、自分で育んでいくことが大切である。しかし、自分一人の世界では物事を多角的に見ることもできず、健全な倫理観を育むことができない。そこで、他者の意見を聞くことによって、自分では思いつかなかった考えにも気づくことができ、より良い倫理観を育むことができると考える。
A.(1)倫理とは「社会生活を送る上での一般的な決まりごと」であり、これについては国や宗教で異なることが多い。例えば、代理出産やクローン治療は日本では禁止されているが、イランなどのイスラム教系の国では可とされている。これは宗教の社会への影響の大きさが理由として考えられる。また、技術者倫理とは技術者群の倫理で、社会と技術の関わりを考えるものである。これと似た言葉に、職業倫理があり、これはその職業について知識があるということである。技術者になる上で、工学倫理も必要であり、これは技術者個人の倫理のことを指す。 (2)ワークショップでは、「華岡青洲」について学んだ。彼は、全身麻酔の技術を世界で初めて成功させた人物である。この技術を実用化させるためには、人体実験を試す以外の有用な方法がなく、彼の母と妻で実験を行った。ただ、この母と妻が人体実験の被験者になったことについて、「医者である夫・息子を支えた」という地位・名声が欲しかったのではないか、という意見も見られた。 (3)宗教と倫理の関係について復習を行なった。なぜ、日本では代理母出産やクローン治療が禁忌とされているかは、倫理違反という判定を受けているからである。常に議論はされているが、実現が難しいのは、人々の多様な意見の調整に時間がかかるからである。その反面、イランなどのイスラム教の国では、「イスラム教」という宗教が絶対的な規範となっているからである。
A.(1)今回の講義では、オウム真理教による地下鉄サリン事件と華岡青洲のチョウセンアサガオを用いた麻酔術について取り上げていただきました。地下鉄サリン事件に関しては、旧帝大などの有名大の卒業者が加担し、サリンという危険物質を製造していました。これは、知識と技術を持った科学技術者が、技術者倫理を全く考えることなく実行した残酷な事件です。華岡青洲に関しては、チョウセンアサガオなど数種類の薬草を配合し、麻酔薬を作り上げた偉人です。実際にその麻酔薬を用いて、世界で初めて全身麻酔下での乳がんの手術に成功しました。しかし、その麻酔薬の開発成功には、実験への協力を申し出た母と妻に麻酔薬を飲ませ、副作用で妻が失明してしまったという裏側がありました。 (2)華岡青洲が乳がん手術のために麻酔薬を作り上げたことは、まぎれもない功績ですが結果として、母を失い、妻を失明させてしまったという点は問題点があると思いました。しかし、動物実験も難しかった時代で、他の人たちを犠牲にせず、自分たちだけでなんとか麻酔薬を完成させるのだという覚悟はとても伝わってきました。結論としては、技術者倫理としては良くないが、技術倫理としては良いということになりました。 (3)本講義を通して、学んだ技術を通して世のために何かを製造・開発することと、夜を壊すために製造・開発することは表裏一体なのだなと感じました。サリンに関しては、人を殺すこともできるが、農薬としても用いることができます。ダイナマイトや原子爆弾もその最たる例と言えます。したがって、私たちに必要なのは正しい技術者倫理を身に着けることだということが分かりました。
A. 技術者とは、専門技術の知識や能力に加え、その技術が社会に及ぼす影響を理解し、適切に制御する責任を持つ存在である。技術者倫理は個人としてだけでなく、技術者集団としても考える必要がある。また、承認欲求を持つ技術者の心理が宗教に利用され、知識が悪用される危険もある。人体実験は倫理に反する行為であり、当時の医療技術の限界を考慮しても、母や妻といった最も身近な人を犠牲にする判断は、私の倫理観に強く反すると考える。 人体実験と倫理 大阪琉音、三好駿斗、沖杉紗琶、福田徳馬、日野湧太、嘉規円花(意見出し) 華岡青洲とは,世界初の全身麻酔手術を成功させた人物である。手術の成功には人体に対する実験が不可欠であり,そのために家族が犠牲になった。実験に参加した青洲の母は死亡し,妻は失明した。医学の発展のために人間が犠牲になることについて班で話し合った。少数の犠牲によって多くの命が救えることを許容できるかが論点であるという意見や犠牲になった命が軽んじられているのではないかという意見があった。 技術者倫理について学ぶことの大切さを感じた。また,技術者であるとは,専門的な知識を十分に兼ね備えた上で技術を安全に使えるように考えることができるということなのだと考えた。自分の行動が他人に誘導され,知識が悪用されていると気づくには正しい倫理観が必要であると思う。宗教によっては,科学の力を利用するために相手の心理を利用した手段をとる場合がある。このとき,誘導に騙されず自分の意思を強く持つために倫理観を身につけておく必要があると感じた。
A. 倫理観というものは、他者から押しつけられて身につくのではなく、社会や文化、政治、宗教といった幅広い背景の中で、個人の内側にゆっくりと育っていくものである。授業では、医療分野における宗教的価値観の違いが示され、卵子・胚の提供が日本ではいまだ議論の途中であるのに対し、イランでは法的に認められているという対照的な例が紹介された。また、地下鉄サリン事件を通して、「自分の属する集団の正しさ」が決して絶対ではなく、疑問を持たずに従う状態がいかに危険であるかを学んだ。健全な倫理観のためには、歴史に学びつつ、自分の頭で考える姿勢が不可欠である。 議論について、演題は「華岡青洲の人体実験をめぐる倫理」、グループ名は未記入で、私は調査(Investigation)を担当した。共同著者は山崎紀々香、川端萌菜、渡部愁羽。彼の麻酔薬開発は医療の進歩に大きく寄与した一方、被験者が家族であり失明や死亡を伴った事実は、現代の視点からみれば重大な倫理的問題を含む。議論では、当時は倫理規範も同意の概念も未成熟であったことを踏まえ、単純に善悪を断じることはできないとの結論に至った。さまざまな価値観を尊重しつつ、「歴史を学び、現代に応用する姿勢が技術者に求められる」という点で意見が一致した。 授業後、私は「技術者倫理」と「技術倫理」の違いについてさらに調べた。技術者倫理は、技術者個人が専門家としてどのように振る舞うべきかを問う職業倫理であり、技術の設計から量産まで携わる個人が対象となる。一方、技術倫理は、技術そのものと社会の関わりに焦点を当て、企業や研究者集団が果たすべき責任を扱う。個人としては、技術の力が社会に大きな影響をもつ現代だからこそ、集団や慣習に流されず、自分の価値観に基づいて判断できる技術者を目指したいと思う。
A.第1回 【講義の再話】 この講義で学ぶ倫理に技術者倫理と技術倫理がある。具体的には前者は「個人が倫理に関わる問題に出会った場合にどのように対処するか」であり、後者は「技術者が集まって、社会とのかかわりを持つようになったもの」である。普通の倫理との違いは、その個人が知識・能力をもった技術者でなければならないということである。 日本は戦後新しい憲法を作った。具体的には「強制の禁止」である。信仰と宗教は異なるものであり、強制力を持つものが宗教である。日本はほとんど祖先崇拝であり、例としてお墓参りがある。 憲法の第1条に天皇という言葉が現れるがあくまで象徴であると記されている。 テキスト50ページの事例についてイランと日本の医療の差について議論した。この二つの国で異なるのは宗教である。イランでは絶対的なイスラム教が存在するのに対し、日本では絶対的な宗教は存在しない。絶対的な宗教のほかの例としてカトリックがある。 技術者倫理は職業倫理に分類される。簡潔にまとめると技術者は知識を持つ必要があるというものであった。地下鉄サリン事件について、サリンは工場で作られたものである。これは工業において量産・設計をできる人が教祖様を信じて工場を作ったためである。宗教は人の承認・評価・点数をもらいたいと性質を利用して事件を引き起こすことがある。 【発表の要旨】 演題 華岡青洲について調べて、話し合ってみよう グループ名 空白 役割 責任著者 共著者 井上楓夏、江幡ちはる、黒田悠貴、登内夏希 麻酔の研究を始めた理由は京都で医療技術を身に着けた後、例えば乳がん切除などの大手術を行うには全身麻酔が必要だと考えたからである。麻酔薬を母と妻に投与したのち、麻酔薬は完成したが母は死亡し、妻は失明してしまった。倫理的問題について、本人の同意があったうえで行われたことなので倫理的問題に反するかどうかは難しいテーマであるが、自分なら家族にはやらないと思う。 【復習の内容】 トピック名 なぜ優秀な人は信じべからざるものを信じてしまうのか? 優秀とはこの世の真理を理解できる能力を持った人のことであると考える。この能力を持てば例えば文系なら言語、理系なら数値に精通するだろう。なぜ信じべからざるものを信じてしまうのかについて、私は人が自分より優れているものを信じたくなる性質を持つからであると考える。私たちを例にしても自分より能力値が低いもの、例えば虫などは信仰の対象になりにくいことがわかる。また彼らと普通の人の能力値でいえば彼らの方が高いため、彼らはふつうの人を信仰にくいと考えられる。この結果彼らより優れた能力を持つものは神や逸話となるため彼らはこれを信仰することになる。
A.(1)倫理とは何かという問いの答えとしては、人が社会生活を営む上で守るべき道理を表す善悪の判断基準となり、人として行うべき正しい行為である。宗教と共に考えていくと、信仰と強制は異なることであり、信仰と宗教は異なることや信教の自由がある。この宗教が医療にもたらした影響として、卵子や精子の提供ができるとことできないとこがあったり、幹細胞の研究ができるか否か分かれることから、宗教によって研究ができるかどうかという問題が発生している。このことから、医療の発展を阻害することもあれば、倫理感を失うことにも繋がるという難しい部分である。他にも、宗教によって日本に重大な影響を与えた事件がある。それが、地下鉄サリン事件である。この事件は、オウム真理教というのが関わっており、この宗教に入信している中には、高学歴の方々がいたということが問題であった。ものづくりができる高学歴の方々は、サリンという猛毒をつくれてしまった。高学歴の人ほど評価、承認欲求が高まり、宗教にはまってしまい、本来技術者として考えなくてはいけない部分である、倫理をおろそかにして地下鉄サリン事件という恐ろしいことが起きてしまったのである。 (2)華岡青洲という人物もまた、倫理を考えるにあたって重要なトピックである。華岡青洲は全身麻酔の人体実験を行っており、母と妻が実験に協力し、犠牲もありながらも成功させた。しかし、同意があれば良いのか、身近な人を巻き込んで良いのか、自身が華岡青洲であれば行ったのか話した。その中で、やはり家族と言えど全身麻酔の研究をしているのだから、技術者として倫理的責任が必要であるという考えとなった。解決策として出たのは、ヒトに近い動物(チンパンジー)などではだめだったのかという意見が出た。 (3)宗教による問題は少し話しにくいトピックのように感じたが、そのままにすることで、また地下鉄サリン事件のような技術者である人々が倫理感を持たずに被害を出す可能性があるため、しっかり考えなくてはいけないトピックだと感じた。また、華岡青洲は家族という身近な人々を犠牲にして全身麻酔の研究を行った。医療において、臨床試験というのがあるように覚悟がいることもあるかもしれないが、もう少しヒトに近いマウスモデルを使うなど、ヒトで試すことも大切だが、より慎重に進める方法もあったのではないかとも感じた。
A.(1) この講義では、初めに倫理とは何かについてを話し合いました。次に、宗教が生む医療の差について議論しました。最後に工学倫理と技術倫理の違いについて教科書を参考にしながら考えました。工学倫理とは技術者個人が仕事のうえで、倫理に関わる問題に出会った場合に、どのように対処すべきかに限定する狭い意味での技術者倫理であり、技術者個人が「技術倫理」に沿って行動することが難しくなった際に生じるものだと知りました。個人の利だけを求めて他人や環境をないがしろにすることのないように、自制心を磨いていこうと思いました。 (2) 華岡青洲の麻酔実験について、グループワークをしました。華岡青洲は麻酔無しの手術は患者さんにとって地獄であると考え、麻酔の開発を始めました。動物実験での成果は十分にできていたが、人体への影響はわかりませんでした。そこで、実の母と妻の承諾を取り、人体実験を始めました。その結果として、妻は薬の影響で失明し、母は死に至りました。これらの記事を見て、僕らのグループでは十分な動物実験と人体実験への承諾を得ていたのであれば問題はなかったという結論を出しました。 (3) 技術倫理と工学倫理の違いについて教科書をもとに復習し、自分自身で倫理とは何なのかについて再考しました。僕は、倫理とは人や社会がどう行動すべきかを考えるための基準や態度であると考えました。基準は物事を判断するうえで最も重要な物で、その善悪の基準が倫理であると考えました。また、社会という広い範囲では他者との共存・調和のための指針であると考えました。
A. (1)今回の授業では、オウム真理教の地下鉄サリン実験について触れながら、技術者の倫理について考えるという内容の講義でした。技術倫理と技術者倫理の違いにも触れ、技術者にとって無知とは倫理違反になるということを知り、これから技術者、研究者として企業で働く際にも無知をなくすことが重要だと考えられます。技術者倫理と技術倫理の違いはどちらも技術に関する倫理のことですがその対象が異なります。技術倫理は、技術そのものと社会の関わりを扱う広い範囲の概念であり、技術者倫理は、技術者個人の職業倫理を指すと学びました。 (2)ワークショップでは、花岡青洲の麻酔開発について調べました。花岡青洲はトリカブトやセンチョウ、ベニバナを成分として麻酔薬を開発しました。最初の実験体として母や妻に麻酔を打ちその改良に努めましたが、身内を実験体に使い死亡させたことや後遺症を与えてしまったことは技術者としての倫理違反に値するのではないかと議論されているということを調査しまとめました。 (3)復習の内容として、倫理について調べました。一般的に言われている「倫理」とは、人間生活の秩序、つまり人倫の中で踏み行うべき規範の筋道。とされており、倫理とモラルの違いは明確にはありませんでした。類義語として道徳・マナーなどがあげられますが、どれも法律で無理やり制御するのではなく人として、また社会で生きていく一員として守るべき規範なのだと感じました。
A. 倫理とは、社会で正しく行動するための基本的な考え方であり、歴史・文化・宗教などによって形づくられる。日本では戦後を契機に倫理観を基盤とした法律が整備され、宗教の社会的影響は比較的弱い。一方、宗教が強い力を持つ国では信仰が制度にも反映され、胚提供の扱いなど倫理観の違いが生まれる。技術者倫理は、技術者が専門知識だけでなく社会的責任を理解し、技術が社会へ与える影響を考えて行動する姿勢を求めるものである。地下鉄サリン事件のように科学技術が悪用された例からも、技術者一人ひとりの倫理観の重要性が明らかである。 華岡青洲は全身麻酔薬を開発する過程で動物実験だけでなく妻や母を対象として人体実験を行い、その結果、妻は失明し母は命を落としてしまった。このことから、たとえ本人の同意があったとしても開発段階にある未完成の麻酔薬をヒトに使用して実験を行うことは人命や尊厳を軽視する行為であり、技術者倫理の観点から研究開発において常に身体や命の最優先を考えなければならないと考えた。 私は、技術者倫理の対象となる個人は単に専門知識や技術がある人のことではなく、自らの行為が社会や人に与える影響を常に意識し、責任ある判断を行える存在だと考える。高度な知識を扱う立場だからこそ、倫理、安全性、環境への配慮を前提に行動しなければならない。一方で、技術者でない個人は必ずしもその視点を持つとは限らず、専門的判断の責任を負う場面も少ない。技術者とは、知識だけでなく倫理観と判断力を備え、社会の信頼を支える人のことであると考える。
A.
A.(1)倫理と技術者倫理は異なることを学んだ。技術者倫理とは、技術者が個人的に判断しなければならず、知識、能力が必要であった。法規、社会文化などについての理解はもちろん、その職業について知識があることが必須である。量産化に向けて設計することができることも求められる。また、職業倫理とは、職業と技術のかかわりのことであると学んだ。さらに、宗教についても学び、歴史、文化的背景が異なることから、道徳や倫理観の違いが生じる。具体例として、幹細胞の利用ができる宗教とできない宗教の考え方の違いを取り上げた。 (2) グループのワークショップでは、金子研というグループで、横山咲、佐藤陽菜、金子乃々楓、永井日菜、森崎ひまりと行い、私は、華岡青洲について調査した。彼は、世界初の麻酔薬を発明し、人体実験として妻と母に作成した麻酔を投与した。その結果、母は死亡、妻は失明という結果であった。十分な安全性が確認されないまま人体実験に踏み切った点は、倫理的に正しいということはできないという結論が出た。医学の進展に伴うリスクを誰が負うのか、どのように合意を得るのかが今後の課題であると考えた。 (3)宗教と倫理の関係について考えた。ニュースなど受動的に得ることができる情報だけを信じないということが必要であると考える。テレビ局や新聞社によって主張や意見が異なるからである。自分で多角的な視点から物事をとらえるために、主体的に情報を得ることで周りに流されずに、健全な倫理観をはぐくむことができると考える。また、なぜ優秀な人は信じべからざるものを信じるのかを考えた。一つのことや考え方に熱中してしまい、自分の判断は正しいと過信することが多いからであると考える。優秀な人は、成功体験が多く、理屈があれば人を簡単に信じてしまう人が多いのだと考える。さらに、倫理観と能力は必ずしも相関するとは限らないという点について、ことわざを選択して考えた。能ある鷹は爪を隠すを選択した。本当に優れた人は、自分の力をひけらかさず、控えめにふるまうものだ、という意味だそうだ。能力に加えて、共感性・謙虚さが必要である。
A. 「能ある鷹は爪を隠す」は、能力と倫理の関係を考える上で重要な示唆を与える。優れた知性があっても、必ずしも道徳心や共感性が伴うわけではない。企業や政治での不正や、逆に目立たない人の誠実さは、能力と人間性が別軸で存在することを示している。真の価値は謙虚さや誠実さにあり、見える能力だけで人を判断すべきではない。 健全な倫理観を育むには、自分で考える力と教育の役割が重要である。歴史には国家や宗教が「正義」を掲げて暴力を正当化した例があり、批判的思考を欠いた若者が従った。教育は中立性を保ち、多様な視点や倫理的ジレンマを学ぶ場で在るべきである。対話と多様性の尊重により、他者との関係性の中で倫理観は深まる。 さらに、知性と倫理のギャップは危険をはらむ。高学歴者がカルトに傾倒したり、科学者が理想に駆られ倫理的葛藤に直面する事例がある。技術者は専門知識だけでなく社会的責任を自覚し、公衆の安全を最優先に判断する必要がある。優秀さの定義を知識偏重から倫理・共感を含むものへ見直すことが、持続可能で信頼される社会の構築につながる。現代社会では、AIやバイオテクノロジーなど急速に進化する技術が、私たちの生活や価値観に大きな影響を与えている。これらの分野では、専門知識を持つ技術者が社会的責任を果たすことが一層重要になる。利便性や経済性を追求するあまり、安全性や倫理性が軽視されれば、取り返しのつかない被害をまねる恐れがある。したがって、技術者教育には、知識や技能だけでなく、倫理的判断力と共感性を育む仕組みが不可欠である。
A.?倫理が問題になる場面では、人がよりよく生きるために何が正しい行いかを自分で考え、その判断に基づいて行動できるかが問われる。倫理は行動の基準となる考え方である。信仰は神や仏を信じる個人の内面のあり方であり、本来は強制されるものではない。一方で宗教は、信仰をもとに教えや儀式、組織として体系化された社会的な仕組みであり、ときに政治に利用される危うさもある。このように、信仰は個人の心の問題で、宗教は社会的制度だといえる。 今回のグループワークは、華岡青洲について調べて、話し合ってみようであった。 ?演題は、華岡青洲について調べて、話し合ってみようであり、グループ名は華岡青洲、属した人は、青木優菜、山根寿々、藤森隼也、伊藤夢、山口竜輝、須藤春翔であり、役割は調査係。 今回は華岡青洲について調べた。華岡青洲は世界で初めて麻酔を使って乳がん手術を成功させた。麻酔薬の開発では犬や猫で実験を重ね、最終的に妻や母にも試したため、医学の進歩と倫理の問題が問われる事例となっている。 ?私は、医療の進歩と倫理の問題について授業内容を踏まえ考えた。医療の進歩は多くの命を救い、人々の生活の質を向上させてきた。しかしその過程では、新しい治療法や薬の安全性が十分に確立されないまま試される危険も伴う。過去には、成果を急ぐあまり患者の意思や苦痛が軽視された例もあった。だからこそ医療には、技術的な有用性だけでなく、患者の尊厳や自己決定を守る倫理が不可欠である。進歩と倫理の両立があってこそ、医療は社会に信頼され続ける。
A.(1)華岡青洲が研究開発した麻酔薬の安全性を確かめるために母と妻を実験体としたこと、地下鉄サリン事件を起こしたオーム真理教の信者たちは優秀な人が多く、その優秀な人たちが教義を信じ事件を起こした。なぜ優秀な人が信じべからざる人を信じてしまったのか、また技術者の個人と、技術者でない個人の違いについて考える。 (2)華岡青洲は、江戸時代の日本において、世界に先駆けて全身麻酔手術を成功させる功績をあげた。約20年程の研究の末開発した麻酔薬は、動物実験の後、母と妻を実験体とした人体実験によって安全性を確認した。安全性が十分に確認されないまま人体実験にふみきってしまったことは、現代の倫理観から考えると正しいとは言えない。つまり医学の進歩にはリスクを伴うが、そのリスクをだれが負うのか、どのように合意を得るのかが重要。 (3)技術者倫理の対象となるのは、単に専門知識を持つだけでなく、社会に実装される設計を行い、その成果に対して報酬を受けている個人である。よって技術者は社会的責任を自覚し、倫理的判断を行う必要がある。また自分の考えを掘り下げる習慣をつけ自己理解を深めることで、他者の意見に流されない芯のある意見を持つことが大切である。一般的に使われる「優秀」とは、単に学習能力が優れていることを差すことが多く、謙虚さや誠実さが抜けていることが多い。「自分は見抜けるだろう」「本質を理解している」という自負が、相手の巧妙な嘘や演技を見抜けない盲点となることが多いと考えられる。
A.(1)講義内容の再話 本講義では倫理についての説明、個人の倫理と技術者倫理の違いについて考えた。個人の倫理についてはその個人の善悪や習慣に依存するものであるが、技術倫理は化学等の専門的な技術を扱う集団がその技術を悪用しないために規範やルールを制定することだが、技術者倫理はその定められた規範に対し個人で本当にその規範はあっているのかと状況に即して判断する必要がある。また宗教と倫理の関係により技術の進歩等が異なる場合について学んだ。中絶やデザインベイビー等の技術は深く倫理に結び付いているため宗教の影響を受けやすい。特に生命の創出は多くの宗教で禁忌とされている場合が多く、研究を進めるうえでの障害となっている場合が多い。 (2)ワークショップ課題の発表要旨 題 華岡青洲について グループメンバー 和田雄磨 松原周凛 西島 光汰郎 佐々木敬之郎 金剛寺亮有 本ワークショップでは花岡青洲の麻酔の研究により妻に対する健康被害等について議論した。花岡青洲は世界で初めて全身麻酔を成功させた人物だが、麻酔薬の開発に妻を人体実験を行った。これにより妻の失明が引き起こされたため、本人の同意の有無が倫理に問われると思ったが調べると本人の同意があったと記述されていたので倫理的な問題はないとされた。 (3)復習の内容 オウム真理教に高学歴者が惹かれたのは、知性では防げない複合要因が重なったためである。バブル崩壊期の不安の中で、科学・宗教・超能力を混ぜた複雑な教義が知的好奇心を刺激し、「選ばれた存在」になれる承認欲求も満たした。さらに段階的な心理操作や閉じたコミュニティによって批判的思考が奪われ、知性とは別の判断力が低下していったためである。
A. まず、授業の冒頭で倫理とはについて問いただされました。自分的には、倫理とは、社会生活を送るうえでの一般的なきまりごとであると定義しました。発表に選ばれて代表して話していた方は、正しい誤りを判断するうえでの自分の考えであると定義していました。人によって定義の仕方が違うなと感じました。また、道徳の考えは戦前から存在していたこともわかりました。ですが、戦争の時に道徳の考えを小さい頃からねじ込まれ、一種の洗脳的なものであったことも伺えました。授業中に、地下鉄サリン事件の映像を見ました。今では考えられないような、信仰の自由により起こってしまった事件で、無差別に無関係の人が被害に遭うのはあってはならないことだと思いました。信仰の自由を尊重することは大事ではあるが、その自由を間違った方向にいかしてはいけないなと改めて思いました。宗教も一種の洗脳で、自分が弱っている時や悩んでいる時に宗教の考えによって時に救われるという強い考えに支配されないよう、自分や周りの人と慎重に付き合いながら生きていくことが大事だなと思いました。 発表については、華岡青洲についてまとめました。華岡青洲は麻酔開発をした勇敢な人物でありました。ですが、麻酔を開発するためには母と妻を人体実験に利用しました。その結果、母は、死亡し、妻は両目を失明しました。犬の動物実験も大量死に終わり、麻酔を開発したという現在にも生かされている偉業を成し遂げた反面、大事な家族を失うという大きな損失もありました。そこから自分は、人体実験をしなければ新たな技術の進歩には近づけないが、大事な家族を人体実験に使うのは違うのではないかなと思いました。 これらのことから第1回目の授業で学んだことは、倫理観は人によりバラバラであるが、客観的な倫理観も自分に持ち合わせていないといけないなと思いました。そのためには、他の人の倫理観も参考にしつつ自分と比較してみたりす比較対象が必要だと考えました。
A.(1)過去に優秀な頭脳とそれに伴う技術を持ったエンジニアが、殺人を犯す事例があった。例として、オウム真理教事件で使用されたサリンを開発した、難関大学出身の技術者や世界で初めて全身麻酔を成功させ、その過程で妻子を殺めた花岡青洲などがいる。どんな化学物質にも二面性があり、ある時は人を救い、ある時は兵器にもなりえる。エンジニアには技術者倫理の下、危険なものを安全に使いこなすための知識が必須である。 (2)私たちのグループでは、花岡青洲の上げた実績から、倫理的な観点でどのような問題があるのか話し合った。花岡青洲は、乳がんの手術のために麻酔を作り、結果としてその麻酔は成功したが、青洲の母は死に、妻は失明した。ここで、問題点は血縁関係のある人で試したことにあるとまとめた。また、この回の講義では、技術倫理と技術者倫理という、似ていて非なる二つの倫理を学んだ。技術倫理は、社会全体の利益を守るための基盤となる考え方、技術者倫理は技術者個人の職業上の判断と行動によるもの、と学んだ。このことから、青洲は、世界で初めて全身麻酔を成功させた功績から、技術倫理としては正解だが、技術者倫理としては誤った行動をしたと結論付けた。 (3)オウム真理教の地下鉄サリン事件のように、技術を扱うことに長けた人間が、反倫理的行動をとることも珍しくはない。優秀な人は、たゆまぬ努力の末にその道を極めた人間であると考えられる。そのたゆまぬ努力の過程の中で、自己嫌悪に陥ることがざらにあったと考える。その中で承認欲求が芽生え、他人に優秀だと認められることで、その人についていこうという感情になる。そのついていこうと決めた人が実は倫理観が欠如した人間であったと結論付けた。だが、技術者ならばそのプロセスの中で危険なことに加担していると気づくだろう。つまり、技術者であっても正義とするものが異なり、それが一般倫理では悪と判断される価値観を持っているのだろう。能力と倫理観には相関がないとはっきり言えると考えられる。
A.(1)倫理とは、人として社会の中で守るべき道であり、道徳やモラルと同様に行動の基準となる考え方である。戦争の時代の日本では、天皇の言葉が神の言葉として扱われ、人々は幼少期から強い思想教育を受けていた。しかし終戦、すなわち敗戦を迎えたことで、日本は民主主義社会へと移行し、個人の考えや価値観が尊重されるようになった。 宗教は人の生き方や価値観に大きな影響を与える。信仰は個人の心の問題であり、必ずしも宗教組織に属することを意味しない。一方、宗教は教義や組織を持つ集団的なものである。宗教は医療にも影響を及ぼし、幹細胞研究は日本では制限されているが、マレーシアやイランでは認められている。特にカトリックでは倫理的理由から完全に否定されている。このように、宗教や文化の違いによって医療の判断は異なる。 オウム真理教による地下鉄サリン事件は、宗教が誤った思想と結びついた場合、社会に深刻な被害を与える危険性があることを示した。 (2)華岡青洲について調べるワークショップだったが私たちは華岡青洲が麻薬開発をし家族を実験体とすることに関して自分たちには行うことができないと結論を出した。 (3)職業倫理とは、その職業に関する専門知識を前提に、仕事を行う際に守るべき価値観や責任意識のことである。技術者とは、構想から設計、製造、検査までの一連の流れを実践できる人であり、社会に大きな影響を与える存在である。そのため技術者倫理として、個人の判断と責任が強く求められる。また技術倫理では、その技術を社会が受け入れてよいかを考えることが重要である。
A.(1)講義内容の再話 技術者とは専門知識を活かして構想を練り、モノづくりができる人のことである。彼らが専門知識に加えて社会や環境への影響を考慮したうえで判断をすることや責任ある行動をとるための規範を技術者倫理という。オウム真理教サリン事件では、化学技術が多くの命を奪う形で使われ、技術者の判断一つで大きな危険性が生まれることを示した。このように、技術者は自分の技術が社会に与える影響を常に考え、危険を防ぐために倫理的判断を行う責任を負っている。 (2)発表要旨 本発表の演題は「華岡青洲について」である。グループ名は左上、グループは青木優奈、加藤さなみ、鈴石葵、吉田好、川野美緒の5名で構成されている。発表の創作において調査係を担った。華岡青洲は、江戸時代末期に全身麻酔による外科的手術を成功させた人物である。母と妻を含む数十名のボランティアによる協力で、麻酔の有効性と安全性を確かめた。結果、母は亡くなり、妻は失明した。医療を発展させたとはいえ命は軽んじるべきではなく、人体実験に踏み切るのは早かったのではないかと考えた。 (3)復習内容 技術者の個人と技術者でない個人の違いについて考えた。技術者倫理の対象となる技術者は、専門的な知識や技術を用いて製品やシステムの設計、量産に携わり、その仕事を通じて報酬を得ている人と考えた。一方、技術者でない個人は日常生活で倫理的判断はするが、専門知識に基づいたものではないため社会的責任は果たさない。技術者は自らの判断や行動が社会の安全などに大きな影響を与えるため高い倫理的責任を負っていている。知識を活かすだけでなく安全や倫理を考慮しながらの行動が必要であると考えた。
A. 授業では、まず倫理とは正しいことと誤りを判断する際の自分自身の価値観を指し、他者に押し付けるものではなく、心の中に自発的に芽生えるものであることを学んだ。また、宗教が医療に与える影響について、日本とイランを比較することで、文化や宗教の相違が医療の受け入れ方に大きく影響することを理解した。さらに、技術者に求められる能力を踏まえ、技術倫理と技術者倫理の違いについても整理した。前者は社会全体が新たな技術をどのように受け入れるかという視点を含み、後者は技術者個人の倫理観を指すものであり、両者を区別して考えることの重要性を学んだ。 発表では、華岡青洲の事例を取り上げた。青洲は世界で初めて全身麻酔を成功させた人物であり、その過程では有毒植物を用いた薬の開発を目的として、まず野良犬を対象とした動物実験を行い、多くの犠牲を伴った。その後、母と妻の強い要望を受けて人体実験を実施したが、母は死亡し、妻は失明するという結果を招いた。家族を対象とすることには大きな倫理的問題が存在する一方で、彼女たちの強い自己犠牲の意思があったからこそ麻酔薬が誕生したともいえる。この事例は、医学的功績と倫理的判断が必ずしも一致しないことを示すものであり、技術や医学の発展における犠牲と倫理的課題の複雑さを考えるきっかけとなった。 復習では、倫理とは自らの内面に根ざす価値観であることを再確認した。また、華岡青洲の事例から、技術や医学の発展には功績と倫理の葛藤が伴い、その関係を理解することが重要であると学んだ。
A.本講義では、物質の性質に関する科学的知識と、それを社会で扱う際の倫理観の重要性について学んだ。まず、水の状態として自由水と束縛水の違いが説明され、水分活性という指標を用いることで、微生物増殖や食品・製品の安全性を評価できることが示された。これは、目に見えない危険を数値として把握し、制御する技術者の役割を理解する上で重要な視点である。 次に、化学物質の危険性と倫理の問題として、サリン事件やトリカブトが取り上げられた。これらは本来、化学や薬理の知識として扱われる対象であるが、使い方を誤れば人命を脅かす重大な危険となる。一方で、華岡青州の事例では、麻酔薬の研究と医療への応用が紹介され、同じ薬物でも人を救う方向に活用され得ることが示された。ここから、技術そのものではなく、それを扱う人間の倫理観が結果を左右することが理解できる。 さらに、技術者に求められる素養として、専門技術に関する知識や能力だけでなく、技術が社会に及ぼす影響を理解し、それを制御するための知識、関連法規への理解、社会的議論への関心が挙げられた。また、工場は黒字経営が求められる一方、行政は利益追求を目的としないという対比から、お金と倫理観の関係について考察された。お金は中立的な存在であるが、人の倫理観を拡大も腐敗もさせる触媒となり得る。貧困は倫理判断に大きな影響を与え、「お金をどう扱うか」によってその人の倫理観の深さが露わになる。したがって、お金と倫理観を両立させるには、価値を多次元的に捉え、公正感を保つ精神的バランスが重要であると学んだ。
A.(1) 倫理とは、人がどのように生き、どう行動すべきかを考える基準であり、法律のような強制力はないが、社会や個人の判断のよりどころとなります。宗教は命や身体、死に対する考え方に影響を与えてしまうため、医療にも差を生んでしまいます。たとえば、輸血や臓器移植に対する考えは宗教によって異なっており、医療行為が制限されることがあります。技術倫理とは、技術者である個々人が守るべきである行動規範や責任のことであり、安全性や環境への配慮、誠実さが求められます。技術者倫理はそのものが社会に与える影響や、その利用の善し悪しがどうであるかを問うものであります。技術と倫理がどのようにあるべきなのか考えましょう。 (2)当時麻酔薬がなく、治療する時に激しい痛みに耐えなければならなく、それを解決するために麻酔薬を作った人がいた。その人は動物実験をした上で母と妻の同意のもと母と妻に麻酔薬を打った。母は死亡し、妻は失明してしまった。私は、動物実験をして安全性を確かめた上での出来事であったし、結果は失敗してしまったが、打たなければ成功するという希望すらなかった。よって、麻酔薬を製造する上で必要不可欠な行為だったと思うので、私は打った行為に対して賛成である。 (3)エホバの証人に関して理解を深めた。エホバの証人の親が、輸血が必要な重症の子どもへの輸血を宗教上の理由で拒否し、医師は命を守るため裁判所に許可を求め、強制的に輸血を実施したことである。私は、宗教上の理由よりも命が第一優先なので、医師が正しいと思ったが、授業を通して、両者の立場を理解できた。
A. イランは人口約7千万人を擁し、腎移植や幹細胞研究などで世界的に高い医療水準を持つ国である。日本では禁止や停止中の代理母や卵子・胚提供も、イランではイスラム法学者によるファトワと法整備のもと医療として認められている。宗教という共通規範を基盤とする制度は、日本やカトリック諸国との対比から、普遍的規範の不存在と相互理解の重要性を示している。 華岡青洲について、加藤さなみ、吉田好、川野美緒、青木優奈、役割:可視化、華岡青洲について調べ、グループ内で話し合った。華岡青洲は、江戸時代末期に全身麻酔による外科手術を成功させた人であり、自身の母と妻に人体実験を行い、妻は失明してしまった。人体実験の可否について、現代の倫理観や考えでは許されないが、江戸時代では、時代背景や医療の発展の観点から考えると許される可能性もあると考えた。また、発展のためであれば犠牲は許されるのかという疑問が生まれた。個人の考えとしては、被験者の同意の有無なども考慮すべきであると感じた。 宗教は、人々に共通の価値観を示し、倫理の土台として大きな役割を果たしてきた。一方で、世論や周囲の空気に流されてしまうと、自分で考える力が弱くなってしまうこともある。健全な倫理観を育むためには、決められた考え方をそのまま受け入れるのではなく、なぜそう考えられてきたかを立ち止まって考える姿勢が大切だと思う。さまざまな宗教や価値観に触れ、違いを知り、対話を重ねる中で、自分なりの判断軸を少しずつ育てていくことが重要である。
A.①本講義では技術者倫理と技術倫理について学習する。 技術者倫理とは技術者個人が仕事の上で問題にどう対処するかを問うものである。 一方、技術倫理は社会がある技術を受け入れてよいか、どう扱うべきかを問うもので、個人ではなく技術者群と社会との関わりに委ねられている。 倫理の基準は宗教によって左右される側面があり、日本で厳しい制限がある卵子提供、胚提供がマレーシアやイランでは許可され、日常的に使われている。 ②ワークショップでは、華岡青洲について調査し、技術者倫理と技術倫理の観点で考察した。 華岡青洲は麻酔薬の研究に取り組み、実験への協力を志願した母と妻に人体実験を行い、母が死亡し、妻が失明した末に 麻酔薬を完成させた。 麻酔薬により全身麻酔での手術が可能となったことで多くの人々を救うこととなったことから、技術倫理からは素晴らしい 行動だったと言えるが、犠牲を払った上でのものであることを考慮すれば技術者倫理からは問題であると言えると考察した。 ③復習では、健全な倫理観を育む方法を考察した。健全な倫理観を育むために、様々な立場の情報を見たり、異なる立場に立って考えたりといったことを行い、 多角的な視点を得ることが重要と考える。 世論が人々の思想に影響を与えている場合、複数の派閥に別れていると考えられる。 ここで1つの派閥にのみ属していた場合、特定の思想のみが正しいと考え、客観的な判断ができなくなると考えられるため、 異なる立場のメディアから情報を集めるなどして、個々の問題に対しそれぞれ判断を下すことが重要と考える。
A.(1)自分が本講義で印象に残ったのはについてです。正直オウム真理教の地下鉄サリン事件についてはニュースで少し知っていたくらいで具体的どのような出来事があったのかまではわかっていませんでした。しかし本講義を受けて地下鉄サリン事件の概要が分かり、頭のいい人ほど洗脳されやすいなどといったといった事例も知ることができました。また講義ではほかにも、宗教と倫理の関係や技術者本人と技術者でない個人の倫理観、倫理観と能力は必ずしも関係しているとは限らないことについても学びました。 (2)ワークショップ課題については華岡青洲について発表しました。我々の班は華岡青洲が動物実験で自分の母や妻を用いて、母を殺してしまったことや妻を失明させてしまったことに対して否定的な意見を示しました。理由としてはさすがに、成果のためとはいえ自分の大切な人までを殺すのは倫理的に正しいのかという観点で考えた時に自分たちに班は正しくないと思ったからです。これのほかに華岡青洲の生涯についても調査しワークショップ課題にまとめました。具体的には京都で医療技術を身に着け、乳がん切除に麻酔の必要性を感じけんきゅうをはじめました。その後1804年に通仙散手術に成功し動物実験、母、妻を実験体として実験を行いました。 (3)本講義で自分が行った復習 ・オウム真理教の地下鉄サリン事件について調査した ・技術者倫理と技術倫理の違いについて考えた ・優秀な人材が洗脳されやすい理由について調査した
A.(1) 講義では、倫理とは何かという基本的な概念から、宗教による価値観の違いについて学んだ。宗教や文化によって善悪を判断する基準は異なるため、互いの考え方を尊重することが重要であることが示された。その例として、宗教上の理由で輸血を断る場面が取り上げられ、医療行為における倫理的な葛藤が議論された。また、地下鉄サリン事件の映像を見て、科学技術が誤った目的で用いられた時の社会的影響について考察した。さらに、技術者個人の責任を問う技術者倫理と、技術そのものの存在を問う技術倫理の違いについて学び、最後に華岡青洲の人体実験を例に、医学の発展と倫理の関係性が示された。 (2) 自分の班では、江戸時代の医師華岡青洲を取り上げ、医学の発展と倫理の関係について考察した。華岡青洲は世界で初めて全身麻酔による乳がん手術を成功させた人物であり、日本医学史において重要な存在である。一方で、その結果の背景には、家族を用いた人体実験が行われていたという倫理的に問題のある部分も存在した。人体ではなく、動物を用いることはできなかったのかという意見が出た。 (3) 倫理は正解が存在するものではなく、宗教や文化、時代の背景によって作られる側面を持つ。そのため、輸血を拒否した問題のように、命を守る医療と個人の信念が衝突する場面では、一方的な意見を押し付けるのではなく、互いの対話と理解が不可欠であると感じた。また、地下鉄サリン事件は、技術が中立ではなく、使う人間の倫理観に大きく左右されることを示している。技術者倫理は個人の判断や行動規範に焦点を当てる一方、技術倫理は社会全体への影響を考える視点であり、両者は相補的な関係にある。華岡青洲の人体実験も当時は革新的であったが、現代の倫理基準では問題視される点があり、倫理は常に変わり続けるものであると感じた。
A.(1)本講義では、哲学と思想の観点から技術者倫理の位置づけについて学んだ。まず「技術者倫理」と「技術倫理」の違いが説明された。技術者倫理は、技術を扱う個々の技術者が負う責任や行動規範を指し、技術倫理は技術そのものが社会や人間に与える影響を問う思想的な枠組みである。事例としてオウム真理教による地下鉄サリン事件が取り上げられ、科学技術が誤った思想と結びつくことで深刻な被害を生むことが示された。また「薬人を殺さず、薬師人を殺す」という言葉から、問題は技術ではなく、それを用いる人間の判断であるという点が強調された。 (2)ワークショップでは、華岡青洲による人体実験の可否について議論した。華岡青洲は全身麻酔による手術を成功させ、医学の発展に大きく貢献したが、その過程で妻や母を被験者とした点が問題とされた。発表では、当時の社会背景を考慮する必要はあるものの、医学の進歩という目的が個人の犠牲を正当化してよいのかという疑問を提示した。この議論を通して、成果だけで行為を評価するのではなく、過程における倫理性を問うことの重要性を指摘した。 (3)復習を通じて、技術者倫理は単なる規則ではなく、哲学的な思考に基づく姿勢であると理解した。技術の進歩は社会に大きな恩恵をもたらす一方で、使い方次第では重大な被害を生む可能性がある。そのため技術者には「できるか」だけでなく「してよいか」を考える責任がある。技術と思想の関係を意識し続けることが、技術者倫理の核心であると学んだ。
A.(1) 倫理とは何だろう。倫理は一人ひとりの心から生まれるものであり、宗教などで変わるという意見もあった。倫理を端的に言えば社会生活を営むための簡単な決まり事である。さて、技術者倫理とは何だろう? 一つの例としてオウム真理教の地下鉄サリン事件をが挙げられた。この事件は優秀な人ほど承認や評価や点数を求めてしまう。 (2) ワークショップでは、華岡青洲について調べ議論した。華岡青洲は世界で初めて全身麻酔を用いた乳がん手術を成功させたとされている。しかし、実験台になった母親は死亡、妻は失明という犠牲を負った。 私は、母と妻が自ら申し出て、承認を得た上で実験台になったということで、倫理的には問題ないと考えた。 (3)復習では、宗教と倫理の関係について考えた。教育に焦点を当てて考えると、事実を基にまずは自分で考えてみる。そして、他の人の考えも聞き自分の納得できる答えを導く習慣をつけることが良いと考える。他人の意見に流されてしまうのは、自分の考えが整理できてないことが一つの要因であると考えていて、自分の中で一度考えを整理してから他人の意見を聞くことで、健全な倫理観を育むことができると考えた。 また、技術者の個人と、技術者でない個人の違いについても考えた。私は、技術者倫理の対象となる個人とは、技術を第3者に継承(伝えることが)できる人だと考える。例であった毒薬を製造できるが量産できない場合、量産化する能力がなく、他の技術者が製造できない状態である。技術を継承できる人は量産化も容易にできると考える。
A.(1)授業で学んだこととしては倫理とは人が社会生活を営む上で守るべき道理や道を示す言葉であるということを学びました。また、信仰と宗教は異なり、信仰は一人ひとりが持つものであること、宗教の考え方や違いは育ってきた環境が違うことで子供の出産などの違いの話を例として宗教の違いにより使っていいものなども変わってくるという話が出ました。 (2)ワークショップでは華岡青洲について話し合いました。華岡青洲について調べたことについては日本の江戸時代の医師で、世界で初めて全身麻酔による乳がん手術を成功させた人物です。麻酔薬には、トリカブトなどの植物成分を調合した「通仙散」を用いました。この功績により、日本の外科医療は大きく進歩しましたが、麻酔薬の開発過程では家族を含む多くの人が実験に参加し、倫理的課題も残しました。内容として妻と母に人体実験を行い、母は死亡・妻は両目失明、犬の動物実験を行ったことで大量死したことがわかりました。このことから人体実験に自分の家族を使ったことは自分がもし同じ立場だったとしたら行わないという選択をするという考えにまとまりました。 (3)復習の内容としては、技術倫理と技術者倫理の違いについて技術倫理は、技術そのものやその利用が社会・環境に与える影響を考える倫理であり、AIや原子力などの技術が引き起こす課題への対応を含む一方で、技術者倫理は、技術を扱う技術者の行動規範で、安全性や公共の利益を優先し、誠実に職務を遂行する責任を指し、技術倫理は「技術のあり方」、技術者倫理は「人のあり方」に焦点を当てる点が異なるということをまとめました。
A.?本授業では、まず、倫理とは個人が正誤を判断するための基準や、人が守るべき道理であると学び、倫理について再認識した。また、宗教と医療の関係や地下鉄サリン事件の事例を通して、価値観や信念が人の行動に大きな影響を与えることを学んだ。また、技術者とは量産を前提とした設計やものづくりを行う人であり、エンジニアとして働く上で、その責任は大きいことを理解した。また、人を動かす要因は金銭だけでなく、評価や承認など多様であり、技術者倫理と技術倫理の違いを意識する重要性が確かめられた。 ?演題: 華岡青洲について調べて、話し合ってみよう グループ名:A班 共著者名:日下陽太、小林煌、小池快成、小野翔太 役割:筆頭著者 グループディスカッションでは華岡青洲について調べ、医学の進歩と倫理の関係について議論した。華岡青洲は麻酔手術を成功させ医療に貢献したが、その過程で家族を実験に巻き込み命を失わせた。この事例から、医学の発展には実験と検証が不可欠である一方、人を道具のように扱う行為は倫理に反するという意見でまとまった。最終的に、成果が大きくても、その手段が倫理的でなければ正当化されないという結論に至った。 ?授業後の振り返りとして、技術者が成果や評価を求めるあまり倫理を軽視する危険性について考えた。人は金銭だけでなく承認や名誉によっても動かされるため、判断を誤る可能性がある。だからこそ技術者倫理を学び明確な行動基準を持ち、技術倫理の視点から社会への影響を考える必要がある。技術の進歩と人の尊厳を両立させる姿勢こそ、現代の技術者に求められる倫理観である。
A.今回の講義では、倫理観の位置付けについて学習した。倫理観とは、人間として守るべき行動規範、善悪?正邪を判断する基準となる考え方、捉え方であった。技術者の定義として化学プラントが設計できるかであり、技術者倫理とは職業倫理に属していた。ものづくりの流れとしては、まず何を作るか構想を立て、設計し、実際に制作し、それが実際にできているかを確認する、この4工程をものづくりと呼ぶ。技術者倫理と技術倫理の違いについて、技術者倫理は技術者個人が専門家として負うべき倫理的義務や規範を指している。一方で技術倫理は特定の技術が社会や人々に与える影響を倫理的に考察するより広範な概念であった。また技術者倫理は技術者の個人的な倫理的葛藤に、技術倫理は技術と社会の関わりに焦点を当てていた。人間は給料?承認?評価?点数を与えられると倫理観が変わってしまい、報酬や対価をもらっても技術者倫理倫理を一旦考えることがとても大切である。今回のワークショップでは花岡青洲という、江戸時代末期に生きた日本の医師で、世界で初めて乳がん手術を成功させた人物について調べた。彼は乳がん手術を世界初成功させたが、被験者である母親はその後に死亡、奥さんは失明といった後遺症が残っている。これは「通仙散」といった麻酔薬を使った人体実験であり、実際に世界で初めて手術を成功させた功績もあるが、実際にその手術で被害を受けた人も存在する。だがそれを経て麻酔薬の開発に成功しているため、技術者倫理の視点から何が正しく何がいけない行動なのかを判断することがいかに難しいことであるのか理解することができる。技術者として今後研究?開発していくには倫理観を見失うことなく、正しく判断できる能力が必須であることがわかる。
A.倫理とは何かをテーマに授業を行った。宗教が与える医療の差について話し合い、宗教によって許可される医療行為に大きな差があると分かった。また宗教と信仰は違いがあり、信仰は個人が持つ信じるものである。技術者倫理とはその技術に関する知識を持っていることを前提とした倫理である。工学における知識とは物の量産や設計するための物を指す。 ワークショップ課題では以下のような内容にまとまった。華岡青洲の人体実験について調べて議論した。華岡青洲は麻酔薬を製造することに成功してその結果として多くの人々を救うこととなった。これは技術倫理的に素晴らしいことである。しかし麻酔薬を作る段階で家族に対して人体実験を行っておりそれが原因となって妻が失明している。麻酔薬で多くの患者を救ったという功績は非常に大きいが一方で効果の分からないものを人に用いて失明させてしまったという点において技術者倫理に反しているといえる。 復習では「技術者の個人と、技術者でない個人の違いについて考えよう」について以下の内容を行った。技術者倫理の対象は、単なる技能保有者ではなく、量産を見越した設計・体系化の能力を持ち、その能力を職業として提供し対価を得る個人である。反応設計からプラント化まで実装可能な設計責任を負い、製品やプロセスが社会・環境に与える影響について職業的判断と説明責任を負う者を指す。これは医師や弁護士に準じた社会的責任を技術領域にも適用する考え方である。
A.
A. 技術者倫理とは、技術者個人が社会や利用者の安全・環境に配慮して行動するための道徳的責任を指す。一方、技術倫理は、技術そのものが社会に与える影響を考え、開発や利用の在り方を社会全体で判断するための倫理である。宗教と倫理の関係について、自分で自分のだめな部分や悪い部分を自己分析して、反省できることや、周囲の声に年齢、性別関係なく声を聴くことができることが大切である。 華岡青洲は、チョウセンアサガオ、トリカブトなど毒性の強い薬草を調合して麻酔薬を作ろうとした。時は動物実験の体系が確立していなかったため、自らや家族、弟子たちを被験者として投薬試験を行ったと伝わる。特に有名なのは、母と妻が進んで薬の試験台になったという話。妻は失明したという説があり、母は体調を崩したという伝承もあります。青洲の著作や弟子の記録には詳細が残っていないため、後世の脚色も混じっている可能性が高い。現代の倫理からすると大きな問題になる。しかし江戸時代は自己犠牲が美徳として、結果的に「偉大な功績」として評価された。そのため、華岡青洲の業績は医学的快挙であると同時に、医の倫理を考える上で非常ジレンマである。 今回の授業を復習してみると、技術者倫理を考える上で、高度な知識や能力を持つ人ほど、自身の判断力や理性に自信を持ちやすく、「自分は誤らない」という思い込みに陥る危険がある。その結果、権威ある人物や組織、あるいは一見合理的に見える説明を十分に疑わない。宗教と倫理の関係について考えると、宗教は善悪の基準や人の行動規範を示す役割を果たしてきた。近代以前の社会では宗教が倫理の中心的役割を担っていた。一方、現代社会では科学技術の発展により、宗教とは独立した倫理が求められるようになったが、他者への配慮や謙虚さといった宗教的精神は、技術者倫理においても重要な意味を持ち続けている。これらを踏まえて、華岡青洲は、彼は世界で初めて全身麻酔下での手術を成功させた優れた医師であっだが,その背景には、妻や母を被験者とした人体実験が存在し、倫理的問題を含んでいる。当時は医学発展のために犠牲が容認される風潮があったとはいえ、現代の技術者倫理の視点からは、被験者の安全性や自発的同意の重要性が強く問われる。私達は技術の進歩と倫理のバランスを常に考える必要性を示す歴史的事例であるだろう。
A.(1)はじめに倫理について学習した。 倫理について、人として守り行うべき道であり、善悪・正邪の判断において普遍的な規準となるものである。ということが分かった。近い言葉の道徳は、人間が守るべき個人的な行動規範や善悪の基準のことをいい、倫理は社会において人が守るべきことや善悪の基準である。違いとしては、倫理は社会について、道徳は人間個人について守るべきものである。ということである。この授業では、社会なルールについて学ぶことになると考えた。 また、地下鉄サリン事件の映像を見た。そこで頭がいい人のほど新興宗教にはまりやすいということがわかりました。実際に事件にかかわっていた人も日本のトップクラスの大学でした。 加えて、戦争前と戦争後の価値観の変化についても学習しました。戦争中はお国のために死ぬという価値観でしたが、戦争後は信仰に自由、天皇陛下に対する認識も変わった。 (2)華岡青洲 華岡青洲は日本で初めて全身麻酔による手術を成功させた医師である。麻酔薬「通仙散」の開発過程で、安全性確認のため妻の加恵と母の於継が自ら実験に協力した。結果、妻は失明し母は死亡したと伝えられる。青洲はその後、1804年に乳がん患者への全身麻酔手術を成功させたが、この出来事は医学の進歩の裏にある倫理的問題を考える象徴的な例とされている。 (3)授業ではまず倫理と道徳の違いを学んだ。倫理は社会全体の規範であり、道徳は個人の行動基準を指す。地下鉄サリン事件の映像からは、高学歴であっても誤った集団に巻き込まれる危険があることを知った。また、戦前は「お国のために死ぬ」価値観が主流だったが、戦後は自由や個人の尊重が重視されるようになった。さらに、華岡青洲の麻酔薬開発では、医学の進歩の裏に倫理的問題が存在することを学び、科学における倫理の重要性を理解した。
A. 倫理とは、人間生活の秩序つまり人倫の中で踏み行うべき規範の道筋のことである。言い換えれば、道徳上の道筋であり、道徳とは、社会生活で一人一人が守るべき行為の基準であり自分の良心によって善を行い悪を行わないことである。この倫理はそれぞれの人の立場によって作用する内容が異なる場合がある。例えば宗教は各人の倫理に影響している。国での違いはもちろん、カルト宗教でも大きく変わる。オウム真理教は、教えに基づいて殺人を行ったが、これは日本社会においては倫理観が無いこととなる。 人体実験の可否は、その時代背景が影響すると考えられる。例えば、現代では命を軽んじてはいけない風潮のため、当然人体実験は許されない。しかし江戸時代では医療の発展のためであり、自ら実験台になることを申し出たならば許されるとも考えられる。より多くの命を救うための少数の命の犠牲が許されるかどうかで議論されると結論付けた。 技術者にも必要な倫理がある。技術者として認められるために必要なことは、技術能力、法規、知識、社会である。これらを持つことは、技術者として開発や作業を行う上で、倫理に反したものづくりをしないために必要である。また、技術倫理と技術者倫理は別物である。技術倫理は社会が考える技術に対する倫理のこと、技術者倫理は企業や所属する個人が考える倫理のことである。技術に関する倫理を身に付けることは、個人でも集団でも、倫理に反した技術開発を行うことを防ぐ。
A. 倫理とは社会生活において人間が守るべき決まりごとや行動の基準、あるいは「人として行うべき正しい道」を指す。技術倫理と技術者倫理の主な違いは、「技術倫理」が技術そのものや技術と社会の関わりを対象とするのに対し、「技術者倫理」は技術者個人の専門職としての行動規範や責任を対象とする点である。量産、設計できることが技術者であり、給料、対価、承認、評価、点数は優秀な人ほどはまりやすい。信仰は個人の自由であり、倫理観の違いは育ってきた背景、宗教に影響受ける。 演題は「華岡青洲について調べて、話し合ってみよう」、グループ名は「しいたけ」、共著者は須田琥珀、鈴木純奈、松本碧衣、細井蓮、那須桂馬、私は調査を担当した。華岡青洲による人体実験、特に妻と母が麻酔薬の実験台となった件は、家族の同意があったとはいえ、その後の犠牲を伴った「人体実験」として、現代の倫理観からは問題視される側面がある。しかし、当時の医学研究では、科学の進歩のために犠牲が伴うことも少なくなく、青洲の偉業はこうした倫理的な課題を含みつつも、世界初となる全身麻酔下の外科手術の実現という、医学史上の大きな功績として位置づけられている。人体実験をしたことは正しいとは言えないが、華岡の成果によって得られた功績、救われた命もあるので難しいと思った。 復習として、倫理観について述べる。倫理観とは、人が社会の中で何が善で何が悪かを判断し、行動を選択するための価値基準である。倫理観は時代や文化、科学技術の発展によって変化し、特に現代では生命科学や情報技術の進歩により、従来の倫理では対応できない問題が生じている。そのため、個人の良心だけでなく、社会全体で議論し共有する姿勢が重要である。倫理観は固定されたものではなく、常に考え続ける必要があると感じた。
A.(1)講義内容の再話 講義では、華岡青洲という江戸時代の医師を題材に、技術者倫理の位置づけについて考察しました。青洲は世界で初めて全身麻酔による乳がん手術を成功させた人物として知られていますが、その過程には倫理的な問題が含まれています。彼は麻酔薬の開発にあたり、動物実験だけでなく家族を含む人間への試験を行いました。特に母親と妻が実験に参加し、母親は失明するという重大な結果を招きました。この事例は、技術や医療の進歩と倫理のバランスをどのように取るべきかという問いを投げかけます。講義では、技術者倫理を「社会的責任」「人間尊重」「安全確保」という三つの柱で説明し、青洲の行為をこれらの観点から評価しました。技術者は成果だけでなく、過程における人間の尊厳やリスク管理を重視する必要があることが強調されました。 2)ワークショップ課題の発表要旨 ワークショップでは、「華岡青洲の事例を現代の技術者倫理に照らしてどう評価するか」というテーマで議論しました。私の発表では、青洲の功績は医学史において非常に大きいものの、倫理的には問題があると指摘しました。特に、家族への過度な負担が現代の倫理基準では許容されない点を挙げました。一方で、当時の社会背景や医療水準を考慮すると、青洲の判断には一定の理解も必要だと述べました。結論として、技術者は革新を追求する際、リスクを第三者に押し付けない仕組みや、透明性を確保する制度が不可欠であると提案しました。 (3)復習の内容 復習では、講義で学んだ「技術者倫理の三本柱」を再確認しました。特に、社会的責任とは単に法令遵守にとどまらず、技術が社会に与える影響を予測し、負の側面を最小化する努力を意味することを理解しました。また、青洲の事例を通じて、技術の進歩には必ずリスクが伴うこと、そのリスクをどう管理し、誰が負担するのかという問題が倫理の核心であると学びました。さらに、現代では倫理規定やガイドラインが整備されているものの、AIやバイオ技術など新領域では未解決の課題が多く、技術者一人ひとりの判断力が重要であることを再認識しました。
A. (1)まず、華岡青洲が、通仙散の麻酔を使って外科手術の道を開いた人であることを学んだ。彼は、麻酔の試用として家族を対象としたが、結果的に彼らに被害が及んでしまった。また、優秀な技術者は自らの判断力の過信によって合理的思考を追求する故、技術倫理に違反した行動を起こす可能性があることを学んだ。さらに、ガラス転移点とは、ゴムや樹脂が硬い状態から軟らかい状態へ変化する温度のことであると学んだ。このガラス転移点は、粘弾性測定によって温度変化をグラフ化することで観察でき、材料の粘性への変化を見ることができる。 (2)グループワークでは、講義時間中に学んだ華岡青洲さんの功績が、倫理的にどうであったかを演題として行った。グループの共著者は、佐藤壮真、室本拓海、棟方陸斗、川村拓大、平山雄大、小笠原大地である。私はエビデンスの調査を行った。グループの結論としては、技術者倫理としては不適切であるが、技術倫理としては適切であると考えた。なぜなら、血縁関係のある人で実験をして結果として被害を及ぼしたため、技術の使い方は不適切であるが、技術を使って社会へ貢献したとは言えるからである。 (3)技術者として大切なことは、技術の使い方を客観的に分析したうえで適切かどうかを個人で判断することである。企業が利益を優先して行うなど技術者倫理に違反していると判断した場合には、個人で動く力が大切であると学んだ。例えば、仲間に情報を共有したり、公共機関に相談したりするように周りを巻き込むことが必要である。
A.(1)講義内容の再話 技術者倫理の対象となる個人について考えると、まず技術者と技能者を区別する必要がある。技能者はある作業を遂行する能力を持つが、製品やプロセスを自ら設計し、量産につなげる力はない。それに対して技術者は、社会に大きな影響を与える設計や開発を行うことができ、その結果として報酬を得ている。つまり、技術者の行為は単なる個人の選択ではなく、社会全体に波及効果を持つ点が特徴である。したがって、技術者が守るべき倫理は、個人の節電や生活習慣のような一般的な倫理とは異なり、職業に根ざした責任であると言える。例えば、新しい化学プロセスを設計する場合、その効率やコストだけでなく、安全性や環境への影響を考慮しなければならない。医師や弁護士と比べると技術者の定義はあいまいだが、社会にリスクや利益を生み出す設計能力を持ち、かつ報酬を得る立場の人を「技術者」とみなすのが妥当だろう。結局、技術者倫理の対象は「専門的知識を活用して設計・開発を行い、その結果に社会的責任を負う個人」であり、そこに技術者独自の倫理的課題が生じるのである。 (2)ワークショップ課題の発表要旨 華岡青洲(1760-1835)は江戸時代の外科医で、世界で初めて全身麻酔下の外科手術を成功させた人物として知られている。彼は和歌山の医家に生まれ、京都で医学を学び、中国医学と蘭学を融合させながら独自の外科理論を築いた。特に彼が調合した麻酔薬「通仙散」は、曼陀羅華(チョウセンアサガオ)など毒性の強い生薬を組み合わせたもので、1804年にこの薬を用いて乳癌の腫瘍摘出手術を行い、記録に残る世界初の全身麻酔手術とされている。生涯で150例を超える乳癌手術を手掛け、さらに切断術や結石摘出など多様な外科手術も行った。彼は「内外合一」を掲げ、内科的知識を持つ外科医こそ理想と考え、また「活物窮理」という自然観察の重要性を強調した。しかしその研究過程では、妻や母に薬を試し、妻は失明するなど重大な副作用を残したと伝えられており、現代の倫理的視点からは大きな問題点とされている。また通仙散の詳細な処方は秘伝として弟子にのみ伝えられ、広く公開されなかったため、後世の評価は賛否が分かれる。それでも彼の業績は日本麻酔科学会などで高く評価され、現在も「青洲の里」として記念館が残されている。 (3)復習の内容 哲学と思想における技術者倫理は、技術が社会へ及ぼす影響を客観的に検討するための基盤として位置づけられると考える。技術そのものは価値中立だが、運用の仕方によって安全性、環境負荷、個人の権利などに大きな影響を与えるため、倫理的判断が不可欠になる。また、哲学的視点を取り入れることで、単なる法令遵守ではなく、技術者が社会的責任を自覚し、長期的な公益を重視した意思決定を行う姿勢が形成される。したがって、技術者倫理は哲学・思想と実務をつなぐ重要な橋渡しの役割を持つと考える。
A.技術者倫理第一回の講義では、まず「倫理とは何か」について学んだ。倫理とは人間生活の秩序を保つための考え方であり、社会の中で人がどのように行動すべきかを示す基準であると説明された。倫理は宗教とも深く関わっており、日本では祖先崇拝が文化として根付いている点が特徴的である。 次に、技術者倫理の教科書p.50をもとに、宗教が医療に与える影響について取り上げられた。例としてイランの医療が紹介され、代理母や卵子・胚提供が認められており、幹細胞研究も進んでいることが示された。この内容について、病気の治療に役立つのであれば研究自体は良いと感じた一方で、代理母に対しては漠然とした抵抗感を覚えた。命の定義や許容範囲は宗教によって異なるため、その違いが医療技術の発展や受け入れ方に差を生んでいると感じた。 さらにp.66ではグループ討議の方法について学び、異なる意見を共有しながら考える姿勢の重要性が示された。p.16では技術者倫理と技術倫理の違いが説明され、オウム真理教の事例を通して、技術そのものだけでなく、それを扱う人間の倫理が社会に大きな影響を及ぼすことが強調された。 新しいセクションでは、医師は国家資格という明確な基準がある一方で、技術者は立場が曖昧である点が指摘された。設計ができることが技術者の特徴であり、工業技術基礎p.7では、ものづくりは構想、設計、製作、検査という一連の流れで成り立っていると学んだ。最後に、技術者には①知識と能力、②社会に及ぼす影響を理解し制御する能力、③法規を守る姿勢が求められることを確認した。
A. 講義では、技術者倫理の位置づけを理解するために、哲学や思想が果たす役割について学んだ。健全な倫理観を育むには、与えられた価値観を盲目的に受け入れるのではなく、自ら問い直す批判的思考が不可欠である。さらに、多様な文化や宗教、歴史的背景に触れることで価値観の幅を広げ、多数派の意見に流されず少数意見にも耳を傾けることで、偏らない判断力を養える。このような姿勢は、社会の同調圧力に左右されない自律的で柔軟な倫理観の基盤となる。 ワークショップ課題では、華岡青洲の事例をもとに倫理的判断について議論した。参加者は、科学的成果を追求する過程でどのような行為が倫理的に許容されるかを考察した。また、家族への人体実験や安全性確認の手法における倫理的問題点を洗い出し、現代のインフォームド・コンセントや被験者保護の重要性と比較した。その結果、技術者や研究者は知識と能力を持つだけでなく、他者の生命や尊厳を守る判断力が不可欠であるという結論に至った。 復習を通して、技術者倫理は単なる規範やルールではなく、哲学的思考に基づいた自律的判断の実践であることを再確認した。科学技術の発展は社会に利益をもたらす一方で、倫理的判断を欠けば人命や社会の信頼を損なう危険性がある。したがって、技術者は知識と能力を倫理的責任と結びつけ、批判的思考と多様な視点を持って行動することが求められる。この視点は、現代社会におけるAIやバイオテクノロジーなど先端技術の活用にも不可欠である。
A.(1)倫理とは人倫の中で踏み行うべき規範の筋道のことを言います。また、宗教による考え方の違いもあり、例として日本では墓参りなどの祖先崇拝がそれにあたります。 技術者倫理とは一人の技術者として社会に貢献する姿勢や社会の一員として責任ある行動をとるとともに、誠実に物事に対処できる態度を身に着けていることと定義しています。 例としてオウム真理教が起こした地下鉄オウムサリン事件はサリンなどの化学物質を量産するために設計する技術者が必要でした。 (2)ワークショップでは華岡青洲について調べました。華岡青洲は江戸時代に世界初の全身麻酔を使用した乳がん手術を成功させました。この全身麻酔のための麻酔薬の開発には多数の犠牲が伴いました。犬を使用した動物実験や、実母、妻への人体実験を経て麻酔薬は完成しました。人体実験の結果、実母は死亡、妻は失明しました。この犠牲が伴った実験は技術者倫理としてどうなのかディスカッションを行いました。議題は人体実験は被験者本人が自ら名乗り出たらやってもよいのかということです。技術者倫理の観点よりその後の医療の発展には良いが十分に被験者の安全が保障されていない時点で人体実験はするべきではないと結論付けました。 (3)技術者倫理とは職業倫理の一環で職業に関する知識を持って得てこその倫理観念です。人は給料をもらうため以外にも対価や承認欲求、他人からの評価や点数などからも行動を起こしてしまうことがあります。それを防ぐために技術者倫理が必要となります。
A.倫理は宗教に影響されることが多く、日本は仏教がその例に該当します。医療にもその差は見られ、どのような治療法を選択するか、その国が法的に禁止するかを宗教に依存している国があります。オウム真理教は地下鉄サリン事件を起こした宗教団体で、サリンの工場を建設しました。技術者倫理と技術倫理は似ているようで違いがあります。 ワークショップでは華岡青洲の人体実験について議論しました。彼は麻酔薬を開発し、多くの人を救いましたが、その陰では親族で麻酔薬の実験を行っていました。その事実について議論したところ、非検体になった当人らの同意のもとで行われていれば尊厳は守られるが、倫理的にはあってはならないことだと認識している人が多いことが分かりました。仮に本人の意思だとしても、人体実験は法で禁止するべきだと思います。意思が確認できれば許可という状況であれば、脅迫などの手段を使って被害者に強引に同意させ、人体実験に参加させられてしまう可能性があります。健全な倫理観を育むには、個人の主権を守る意識の上で、歴史に学ぶことが必要だと思います。その時代にはその時代の考え方、正義があり、それらを否定することはするつもりはありません。なぜなら、価値観は時代を経るごとにアップデートされるもので、それを無下にするのは過去から学ばないことと同じだからです。受け入れがたい価値観も、背景を含めてよく調べ、当時の人々の考えを想像しながら学べば、倫理観は育まれると思います。
A. 倫理とは何か、宗教と医療の差は何かという問いのもと、イランの代理母や幹細胞移植が許可されているが、日本では禁止されているという問題について議論した。これは、日本の法律などで親子トラブルが起きやすくなってしまうことが原因であるということが分かった。また、技術者倫理とは、個々の技術者が守るべき行動規範で、技術倫理は、技術そのものの在り方や社会的影響をめぐる倫理であるということを学んだ。 また、ワークショップ課題では、華岡青洲について取り組んだ。華岡青洲は、乳がんの摘出手術に成功したが、実験の過程で、母と妻が自ら試飲などを志願して行い、妻は失明し、母は死亡してしまったということが分かった。これらの倫理的問題は、現代から考えると、インフォームドコンセントなどに関わって重大な問題であるため、この問題について、しっかり向き合っていく必要があるという結論に至った。 華岡青洲は、麻酔の技術を長年研究し、全身麻酔による乳がんの摘出手術に成功した人である。しかし、麻酔薬の開発実験で動物実験だけでなく、自分の妻や母などにも実験投与を行ったことでも有名である。母は、自ら実験材料となることを志願し、それが原因となって命を落とし、妻は、実験によって失明するという結果になってしまった。これによって、インフォームドコンセントなどの重要な問題などが指摘され、現代の倫理的観点などの議論に用いられたりするようになったということが分かった。
A.(1)授業のテーマは哲学と思想であり、宗教が生む医療の差としてイランの医療事例が取り上げられた。イランは年間1千例を超える腎移植が行われたり、ヒトES細胞からクローン動物まで様々な幹細胞研究もおこなわれている医療大国である。また、イランでは日本で禁止またはモラトリウム中の「代理母」「卵子提供」「胚提供」などが許可されている。これらはイスラム法学者(多くは宗教最高責任者)から出される「ファトワ」と呼ばれる勧告で方向性が示され、必要なら議会で法整備を行う仕組みが確立している。 (2)花岡青洲について調べて、その行動について考えた。グループ名は無く、グループメンバーは鈴木萌笑、澤田賢佑、濱田桃樺、?橋旺亮、中村温斗、塩田龍平の自分含め計6名であり、グループで私は花岡青洲について調べるのとともにディスカッションを仕切ったりもした。華岡青洲は江戸時代の外科医で、母と妻ともに麻酔薬の人体実験を行い、妻は失明した。後に全身麻酔による外科手術に成功した。花岡青洲について、私たちは家の名誉、医師としての使命を重んじているように感じられたが、浅はかで自分たちならしないだろうと考えた。また、動物実験の対象としてサルなどにも同様の実験をすればよかったのではないかと考えた。 (3)個人の倫理観と周りの評価は必ずしも相関しないことを指したことわざに行いて以下にまとめた。 「悪貨は良貨を駆逐する」ということわざを選んだ。 この世に出回っているものすべてが良質なものとは限らなく、良質なものが安価に製造できるとも限らない。ビジネスにおいては、多少高価で良質なものを作った技術者よりも多少良質でなくても、製造コストが安価であるものを作った技術者のほうが重宝されることが多いと考えられる。これはその会社にとっては良くても世の中にとって良いとは言えないと思うため、これこそ「悪貨は良貨を駆逐する」であると思う。
A.
A. 倫理とは、人として正しい行動を判断し守るべき道であり、強制ではなく自律的に守られるべき規範である。宗教や文化により価値観は異なり、医療行為への態度にも影響する。職業倫理では特に医師や技術者が高い責任を負い、オウム真理教事件のように専門知識が誤用されれば重大な被害が生じる。技術者倫理は個人の判断基準、技術倫理は社会全体から見た技術の妥当性を指す。歴史上では華岡青洲が全身麻酔手術に成功し、医療倫理の先駆けとなった。 華岡青洲について調べた。江戸時代末期に全身麻酔による外科手術に成功した医師である。麻酔薬の研究を行い、ラットやマウス、ウサギなどの動物実験を行った。成功後、人体実験を母と妻で行い、妻は失明し母はなくなった。その後麻酔薬を完成させた。人体実験に踏み切り母と妻に大きな障害を負わせてしまったのは人体実験に踏み切るのは早かったのではないかと感じた。 復習の内容として、花岡青洲のほかに動物実験ののち、人体実験に踏み切り失敗したことを調べた。動物実験ののち人体実験に踏み切り、重大な失敗を招いた例としては、20世紀初頭のペプトン注射事件がある。結核治療薬として動物で効果が期待されたが、人体投与で激しい副作用が起こり、多くの患者が死亡した。また19世紀末のコッホによるツベルクリンも動物での効果を過信し、人体で強い毒性が発覚した。これらの失敗は、前臨床データの過大評価と安全性確認の不備が悲劇を生んだ典型例とされ、今日の倫理審査制度確立の背景となっている。
A.(1)講義内容の再話 第1回目の授業では、「倫理とは何か」という根源的な問いから始まり、倫理が哲学・宗教・社会的価値観と結びついた判断基準であることが示された。技術分野では「技術者倫理」と「技術倫理」が区別され、技術者倫理とは専門知識を持つ技術者が職業人として責任を負う領域であり、技術倫理とは社会全体が技術を受け入れるべきかを問う視点であると理解した。また、倫理判断には宗教や文化が影響することが、マレーシアと日本での卵子提供への姿勢の違いを通して実感できた。さらにサリン事件を例に、化学プラントを設計できる高度な技術者が故意に危害を加えた場合、職業倫理に重大に反することが強調され、技術者の判断の重さを実感した。 (2)ワークショップ課題の発表要旨 ワークショップでは、歴史上の人物・華岡青洲を取り上げ、技術者倫理の観点から検討した。青洲は、世界初の全身麻酔による手術を成功させた功績を持つ一方、その開発過程で家族を含む複数の人に人体実験を行った。特に妻を被験者として麻酔薬を試した点は、現代のインフォームドコンセントの概念からみると倫理的に問題が大きい。しかし、彼の研究成果は医学の進歩に多大な貢献をし、多くの患者の苦痛を減らした。このように、倫理的な善悪と、社会貢献のバランスは非常にむずかしいものがあると感じた。 (3)復習の内容 復習では、技術者倫理と技術倫理の違いを整理し、技術者が専門知識を持つがゆえに負う責任の重さを再認識した。また、倫理が文化・宗教的背景によって変わり得ることを踏まえ、価値観が異なる環境での技術判断の難しさを理解した。さらにサリン事件や青洲の事例をふり返ることで、技術の有用性だけでなく、それが社会に及ぼす影響を常に考えた。自分も将来、学んだ知識や技術を活かした仕事に就きたいと考えているため、当事者として判断する姿勢の重要性を改めて認識することができた。
A. 地下鉄サリン事件で高橋一正助役と菱沼恒夫助役が殉職され、その同僚によって石碑が立てらえたという動画を見た。また、地下鉄サリン事件を起こしたオウム真理教の信者は、自分たちでサリンを作ることができるほど優秀な技術者であった。このように技術者には倫理観というものが必要である。 発表に話し合いでは、花岡青洲が世界で初めて全身麻酔による手術を成功させた日本人であることと、花岡青洲は乳がんに対する治療法を世界で初めて生み出した点はよいところだが、妻や母の後遺症などリスクを考えることができなかった点は悪いところだということについて話し合った。 授業の復習として、平常演習に取り組み、「花岡青洲について調べて話し合ってみよう」では華岡青洲は、世界で初めて全身麻酔を用いて乳がん手術を成功させた。しかし実験の協力をもし出た母と妻に麻酔薬を飲ませ、副作用で妻が失明するという事故があった。この事故は、人体実験の前にもっと動物実験などをすることによって防ぐことができたのではないかと考えられる。有毒物質を麻酔として利用しているため人体に被害が出ると考えるのは普通のことであり、今回は工学倫理が足りていなかったと考え、「宗教と倫理の関係について考えてみよう」ではまず人が生きていて全員が平等に持っている権利、例えば生きる権利などについて考え、これから自分のする行動が、ほかの人のそれらの権利を侵すことにならないかまず考えることが大切だと考え、また、定められている社会規範がおかしいと感じたときはその規範をだれが決めたのかなど、根本から考え直す必要があると考えた。
A.(1) 科学技術は人々の幸福を支える一方で、使い方を誤ると悲惨な結果を招きます。地下鉄サリン事件は、高度な知識を持つ者が倫理を失った結果起きてしまった悲劇です。毒と薬は紙一重であり、危険なものを安全に扱う責任が技術者にはあります。幸福追求権は憲法で保障された基本的人権であり、他人を不幸にしてまで自分の幸福を求めることは許されません。知識と倫理を兼ね備え、科学技術を人を生かすために使うことが、現代の技術者の使命です。 (2)演題「華岡青洲について調べて、話し合ってみよう」共著者名:大阪流音、沖杉紗琶、嘉規円花、三好駿斗、日野湧太、福田徳馬 役割:Conceptualization 花岡青洲は世界初の全身麻酔手術を成功させたが、その過程で家族を含む人間に試験を行い、母の死亡や妻の重篤な副作用を招いた。この行為は、当時の医療倫理の未成熟さを考慮しても、現代の倫理観からは重大な問題を含み、「理解はできる」が「仕方なかった」とは言い切れず、医療の進歩と倫理の両立の難しさを示す事例である。 (3) 花岡青洲は、麻酔薬の開発にあたり、家族を含む人間にも試験を行った結果、彼の母は死亡し、妻は重篤な副作用を受けたとされている。この行動は、現代の倫理観から見ると多くの問題を抱えており、当時の価値観や医療倫理が未成熟であったことを踏まえても、花岡青洲の行動は「理解はできる」が「仕方なかった」とは言い切れないと考えた。
A. 倫理とは、心に芽生えるものであり人から教わるものではない。生きてきた背景や宗教によって大きく影響される。また、洗脳されると個人が奪われてしまう。信仰と宗教は違うものであり、信仰は1人1人が持っているものに対して宗教は取り巻く組織や団体を示しルールや罰がある。技術者倫理について一言で技術者と言っても色々な意味で使われるが、総括して設計できる人のことであり技術者個人の倫理に委ねられるものは基本的に変わらない。技術者倫理が問われる事件としてオウム真理教サリン事件が例として挙げられる。承認や評価、点数を欲しがってしまい、優秀さと悪用が紙一重になることもある。 グループワークでは「花岡青洲」について議論を行った。華岡青洲は麻酔薬を再現しようという思いから開発が進めた。始めは野良犬に飲ませて実験を行い、動物実験に成功すると母と妻に人体実験を行った。結果的に実用可能な麻酔薬は完成したものの母は亡くなってしまい、妻は両目を失明してしまった。グループ間では人体実験として家族を犠牲にするのは同情出来ないという意見が一致した。自分が華岡青洲だったら人体実験は行えないと思った。 復習として技術者の個人と技術者でない個人の違いについて考えた。社会に対する責任の重さと専門的な判断力の有無にあると考えた。技術者は専門的知識や技能をもとに社会の安全・福祉・環境に直接影響を与える行為を行うため、その行動には高い倫理性と公共性が求められる。一方、技術者でない個人は専門的知識を前提としないため、一般的な社会倫理や法的責任に従うことが中心となる。
A. 倫理とは人間が社会に生きる中での、善悪や正しさの判断基準となる考えのことである。この倫理は人それぞれが持つものであり、それは育った環境、国、宗教などにより全く異なった顔を見せる。まず、周囲の環境によって技術者の倫理が問われる事例である、オウム真理教サリン事件について取り上げる。これは、1995年3月20日に東京都の当時の営団地下鉄で発生した、オウム真理教による化学テロ事件である。事件の概要としては、オウム真理教の信者が神経毒のサリンを地下鉄車両内に散布し、乗客、職員、救助にあたった人々に多数の死傷者を出した。このサリンという毒物は比較的容易な化学反応により製造が可能であるが、化学の知識を持った者、つまり技術者が作れるものであり、そこに倫理が問われる。これは、技術者倫理の、故意に危害を加えようと技術を行使した場合にあたる。化学の知識を持った技術者でありながら、その技術を人を助けることではなく、危害を加えるために使ったことは、重大な倫理違反であろう。このサリンを製造したものは、オウム真理教という環境のなかで、任務を遂行することにより評価を受け、承認されることが自らの中で優先されてしまい、倫理については深く考えられなかったのかもしれない。技術者は、技術の利用、行使が倫理的に妥当かを常に考えなければならない。 演題:華岡青洲の人体実験について グループ名:A班 グループ:日下陽太、小池快成、小野翔太、菅野隼太郎 役割:責任著者 江戸時代の外科医である華岡青洲が行った、全身麻酔薬、通仙散の人体実験について、技術者の倫理はどう考えられるかを議論した。議論の中では、いくら自ら被験体になることを申し出たとしても、自身の母や妻の体で、毒物にもなりえる麻酔薬実験を行うことは倫理的ではないといった意見が出たが、最終的には青洲自らの体でも実験しており、全身麻酔薬を完成させ、医療に貢献したのだから、青洲の行いは技術者として間違っていないとまとめた。 オウム真理教と倫理の関係について、オウム真理教内における倫理観は、一般社会の規範であったり、価値観とは大きくかけ離れていると考えた。なぜならば、オウム真理教の麻原彰晃はチベット仏教の教えを曲解し、独自の教義を形成し、それは、結果のためには手段を選ばないという論理であったからだ。また麻原彰晃は教団内で絶対的な権威を持ち、命令は絶対服従であった。つまり、教団の倫理は麻原彰晃の倫理であるとも言える。私は、倫理というものは、個人の中にあり、それぞれの倫理が尊重されるべきだと考える。教団内で麻原彰晃の倫理のみが正しいとされている状態は、それ以外の者の倫理を切り捨てている状態であり、これが一般社会の倫理からかけ離れている理由であろう。一人の倫理にすがることなく、お互いの倫理観を確かめ合っていくことが、正しい社会の形成に重要だと考えた。
A. 第1回の講義では、まず「倫理」とは何かについて学んだ。倫理は社会の中で人が正しく行動するための基準であり、法律や宗教とも深く関係している。宗教によって倫理観が異なり、イランのように信仰が法律よりも強い国もあれば、日本のように宗教よりも法が優先される国もある。また、日本には祖先信仰が根付いているが、それは宗教というより文化的な信仰心であることを学んだ。さらに、オウム真理教のサリン事件を例に、技術を持つ者が倫理を欠くと社会に大きな危害を及ぼすことを理解した。 グループワークでは、日本で初めて麻酔薬を使用した医師・華岡青洲について議論した。彼は麻酔薬「通仙散」を完成させたが、その過程で妻や母に人体実験を行い、母が死亡、妻が失明したという事実がある。私たちのグループでは「倫理的にその行為は許されるのか」という点を話し合い、多くの人が「自分なら行わない」と意見を述べた。科学の進歩は尊いが、人命を犠牲にして得られる成果は倫理的に正当化されないという結論に至った。 講義全体を通して、技術倫理と技術者倫理の違いも整理した。技術倫理は社会や法規によって定められた規範であり、技術者倫理は一人ひとりの技術者が自らの良心に基づいて判断する個人的な責任である。華岡青洲の例を通じ、法に反していなくても倫理的に間違っていることがあると感じた。今後、技術を扱う立場になるときには、周囲の意見や世論に流されず、自分自身の中に健全な倫理観を育む必要があると強く思った。
A. 技術者倫理とは、社会的なルールであると学びました。祖先崇拝とは日本人の文化であり、他の国には存在しないと分かりました。宗教によっての考え方の違いは、信じるものによって考え方が変わると分かりました。地下鉄サリン事件の話もあり、麻原彰晃を信仰したことによりオウム真理教全体の考え方も変化したのだと考えました。技術者倫理とは対象が人であり、技術者が[どう行動するか]に関するルールであり一人称視点です。一方で技術倫理とは対象が技術であり、技術そのものが社会に対して[良い/悪い]をどう考えるかという三人称視点であると学びました。 グループワークでは華岡青洲について考えました。華岡青洲とは世界初の全身麻酔手術を成功させた人であり、「通仙散」という薬を開発しました。「通仙散」には毒性のあるトリカブトやセンキュウ、ベンバナなどが含まれていました。母と妻を実験台にして薬を完成させたが母と妻を実験台にしました。その結果母はなくなり妻は失明しました。私たちのグループは身内を実験台にするのではなく、死刑囚などを実験台にしたほうが良かったのではないかと考えました。 復習として、宗教観の違いは、文化や歴史の中で何を信じてきたかによって形成されるのだと学びました。キリスト教やイスラム教では人格神を中心に世界が語られますが、仏教では悟りや法といった非人格的な原理が重視されることも分かりました。また、信仰対象が変われば価値観や行動規範も変化し、集団全体の考え方にも影響を与えることが分かりました。日本における祖先崇拝もその一例であり、文化的背景が信仰の形を決めていると感じました。宗教の違いとは、結局のところ「何を中心に据えるか」という視点の違いであり、その対象が人々の世界観を大きく左右するのだと学びました。
A.(1)この授業では、地下鉄サリン事件などを通して、技術者倫理の重要性が説明されている。化学や工学の技術は、医療や農業のように人の役に立つ一方で、使い方を誤れば多くの人を傷つける危険も持っている。事件を起こした人々は高い知識や技術を持っており、それが逆に大きな被害を生んだ。つまり、技術者や研究者には専門知識だけでなく、その技術を使ってよいかを判断する倫理観が不可欠であることが示されている。 (2)華岡青洲の人体実験とは、麻酔薬を開発した華岡青洲が動物実験後に、母親と妻に対して初めての人体実験を行う出来事である。その結果として、母親は死亡、妻は失明してしまった。そうして完成された全身麻酔薬によって世界で初めての乳がん手術に成功した。この事件を倫理的に考えると、被験者として母親と妻を選ぶのは良くないと考える。しかし、この人体実験によって麻酔薬が完成し多くの命が救われているという結果もあるため、善悪を判断するのは、とても難しいと感じた。 (3)知識や技術があるだけでは、良い技術者とは言えないという点が強く印象に残った。特に、優秀な人ほど自分の考えを疑わず、間違った方向に進んでしまう可能性があるという意見はとても危ないと感じた。将来、化学や工学に関わる立場になる自分にとって、「できるかどうか」だけでなく「やってよいかどうか」を考える姿勢が大切だと再確認した。今回の授業を通じて、技術を学ぶ意味そのものを見直すきっかけになった。
A.
A.(1) 今回の講義では、技術者倫理がなぜ必要なのかとその歴史的な位置づけについて学びました。 技術は私たちを幸せにしてくれる道具でなければならないが、誤って使用すると途方もない悲劇を招く恐れがあるという点を、オウム真理教サリン事件や原子爆弾開発事例を通じて確認しました。 特に化学やバイオ分野の技術者は毒と薬を同時に扱う人と同じで、専門知識だけでなく高い倫理観が必須だという事実に気づきました。 技術者は単純に物を作る人ではなく、その技術が社会に及ぼす影響まで責任を持って統制できる能力を備えなければならないということが核心でした。 (2) ワークショップでは、倫理観と能力が必ずしも比例するかについて議論しました。 過去の事例を見ると、名門大学を卒業した非常に優秀な頭脳を持つ人々がむしろいんちき宗教に陥ってテロを犯したり、非人道的な武器を作るのに先頭に立ったりもしました。 これは知能が高く、技術的な実力が優れているからといって、必ずしも正しい価値観を持っているとは限らないことを示唆しています。 したがって、大学教育では専門的な技術教育だけでなく、技術者として守らなければならない最小限の道徳的基準である職業倫理を体系的に学習する過程が必ず並行されなければならないという結論を下しました。 (3) 講義を復習し、技術者に求められる最も重要な素養は、自分が扱う危険なことを安全に扱っているという自覚であることをもう一度確認しました。 ヒューマンエラーの原因の一つである無知や未熟さは、単に個人のミスではなく、技術者として倫理違反になりかねないという点が印象的でした。 医師が知識なしに手術することが犯罪であるように、技術者も最新情報を維持し、法規を守り、社会的責任を果たすために絶えず努力しなければなりません。 これからどんな技術を扱っても私の知識が誰かを不幸にする道具にならないように技術の裏面を探る習慣を持たなければならないと誓いました。
A. この授業では、新しく技術者倫理という講義を学ぶ上で、倫理とは何か、というものについて改めて考えた。そこで、信教の自由や、宗教と信仰は異なるものだということを学んだ。技術者とは、構想を練ること、設計、モノ作りが出来ること。そしてその確認が出来ることであり、技術者倫理と技術倫理は言葉は似ているが、別の事柄であるということを学んだ。この上で、オウム真理教の地下鉄サリン事件の動画を見て、技術者倫理を見つけないとこんなに重大な事件を起こしてしまうと考えるととても恐ろしく感じた。このような事件を起こさない、そして起こさせないためにも技術者倫理をしっかりと身に着ける必要を感じた。そしてその後に、華岡青洲という人物について学んだ。この人物は麻酔薬の開発を行った人物であり、妻と母を実験台として麻酔薬を完成させた人物だと知られている。この人物について調べ、話し合うワークショップが行われた。 華岡青洲は、麻酔薬の完成のために動物用の薬を作り、人間に試すために母と妻を使って人体実験をするようになった。これによって母は亡くなり、妻は失明したがこの麻酔薬を使って、乳がんの摘出に成功した。これらの出来事を知り、自分には家族を利用して麻酔薬を作ることはできないと思った。 復習では、改めてオウム真理教の事件を見返し、サリンとはどのような物質なのかを調べ、似たような事件に何があるのかを調べた。そして、技術者倫理を守るうえで何が大切なのかを改めて考えた。
A. 倫理とは私たちが社会の中で生きるために守るべきものだとあった。たとえば医療ひとつ取っても、宗教や文化が違えば許される行為が変わる。日本では禁止されている幹細胞研究がイランでは進められているように、価値観の違いが医療の姿を大きく左右する。また、技術者とは何かという話では、プラントの設計や量産を担う人々の判断が社会全体に影響を与えることが強調された。地下鉄サリン事件の映像を見たとき、技術が誤った方向に使われたときの恐ろしさを改めて思い知らされた。技術者倫理とは、技術を扱う個人が自分の判断の重さを理解し、社会がその技術を受け入れてよいかまで考える姿勢のことだ。 共著者は沖杉、嘉規、三好、福田、日野、調査を担当した。発表では、華岡青洲の全身麻酔開発における人体実験を取り上げた。青洲は世界で初めて全身麻酔手術を成功させた人物として称えられているが、その裏には母の死や妻の失明といった深刻な犠牲があった。医療の発展のために家族を実験台にしたという事実は、功績だけでは語れない重さを持つ。多くの命が救われる可能性がある一方で、身近な人を犠牲にする行為は倫理的に正当化できるのかという問いが残る。優秀さや理想を追い求めるほど、人は現実や人間性を見失うことがある。 健全な倫理観を育てるには歴史を学び、権威や世論を疑う姿勢を持つことが重要だと考えた。技術者は量産設計を通して社会に直接影響を与える職業であり、個人の善意ではなく職業人としての責任が問われる存在である。評価や名誉に振り回されず、倫理観や共感性を保つことが大切だと感じた。優秀さは知的能力の高さを示すが、倫理とは別物である。理論や理想に傾きすぎれば、誤った信念に陥る危険がある。多様な価値観に触れ、自分で考える習慣を持つことこそ、倫理を支える基盤になると考えた。
A.第1回講義では、倫理とは何かについて学んだ。倫理とは、人として守るべき道徳、モラルのことを指す。これは生まれた土地、周りの環境、社会情勢に大きく左右され、国や時代で倫理の内容は異なる。例えば、倫理に関して議論が分かれる幹細胞研究は、日本やカトリックを進行する国では禁止されているのに対し、マレーシアやイランでは許可されている。技術者倫理とは、技術を扱う人の行為や責任をいう。また、技術倫理とは技術そのものが引き起こす倫理的問題である。技術者は研究や操作をするにあたって正しい倫理的判断をする必要がある。 ワークショップでは、「演題:華岡青洲について調べて話し合ってみよう/グループ名:ありふさこ/共著者名:山崎里歩・大濱風花・近ありす・石垣彩奈」についてディスカッションを行った。華岡青洲は、江戸時代では世界初の全身麻酔を使用した乳がん手術を成功させた人物である。全身麻酔の開発では動物実験や人体実験を繰り返し、自身の家族にも実験を行った。その結果、妻は失明、実母は死亡に至るなど、数多くの犠牲を払った。この話を知り、グループでは人体実験における倫理観について話し合った。人体実験よりその後の医療を発展させたという点では良しとされても、人への十分な安全が保障されていない時点で人体実験をしたのは技術倫理にそぐわないのではないかという意見が出された。 動物実験や人体実験の倫理的問題は今でも深刻に考えるべき話題である。動物も人と同じように痛みや恐怖を感じる存在であり、人間の利益のためだけに犠牲にしてよいのかという問題がある。調べたところ、近年では3R(削減・大体・苦痛の軽減)の原則が提唱され、実験動物の犠牲を最小限に抑える努力が行われているそうだ。人体実験に関しはさらに慎重な倫理的配慮が必要だと考える。本人の意思、人に適用しても安全だという絶対的な保障を担保することが大切なのではないだろうか。
A.(1)講義内容の再話 倫理とはどういうことかについて考えました。例えば、お墓参りというものに行くか行かないかということは宗教によって異なるということがあります。技術者による実践的工学倫理の教科書p50を参照しました。宗教が生む考え方の違いなどでさまざまな事件などが起きている現状を鑑みると、価値観は人それぞれ違うからディスカッションをすることが大事だと考えられます。宗教が生む医療の差として輸血における宗教で異なる考え方があるから輸血できる人とそうでない人がいます。例えば、マレーシアやイランは可能であるが、カトリックやエホバの証人は完全に禁止しています。信仰と宗教は異なりローマ教皇は人間であって神ではありません。オウム真理教事件について触れると、1995年に地下鉄千代田線の霞ヶ関駅という日本の中枢となる場所で起こりました。また、倫理を重く言われるのは医者であります。そのため国家試験をやることで国が知識があることを保証しています。 (2)ワークショップ課題の発表要旨 華岡青洲とは、紀伊国の江戸時代の医者で麻酔を世界で初めて作った人です。この方は、麻酔薬を作りましたが、この麻薬薬を作るまでに妻は失明し、母は死亡するという痛ましい犠牲が出る出来事がありました。彼のおかげで術後の寿命は最短8日から最長3年6ヶ月とこれは当時の医療技術としては素晴らしい功績でしたが、妻と母が亡くなっているために、何をするべきであったかが考えられます。 (3)復習の内容 今回の授業では、倫理について学びました。 倫理とは、人間として生きる上での重要な考え方だと考えます。過去に倫理を無視した悲惨な事件が起こるなど、いつの時代にも倫理は切っても切り離せないものであることがわかりました。 職業の中で、倫理を1番扱うのは医者であるため、医師になるためには国がその資格を与えるに値するかどうかを定めるために国家試験というものを行なっており、倫理の保証をしていることがわかりました。
A.第一回は宗教の観点から見た倫理観についての授業でした。まず倫理とは社会生活を送る上での一般的な決まり事や正しいことです。宗教と信仰の違いは信仰は各々が持っているものですが宗教とはその信仰を持っている人の集団のことです。宗教によって考え方の違いが生じます。例えば一神論と多神論や無神論と神道などの違いがあります。また、技術者倫理と技術倫理が存在します。技術者倫理とは技術者が個人的に判断しなければならないことであり、どのような技術を使うのか、何を開発するのか技術者個人の倫理観を問うものです。技術倫理とは社会と技術の関わりのことであり、その技術を通して関わる社会の人が社会との関連性を踏まえてその技術を受け入れていいのかという倫理のことです。 授業最後のディスカッションは華岡青州についてでした。班員は大濱風花、立花小春、近ありす、石垣彩奈、山崎里歩の5人で班名はありふさこで、役割は発言でした。華岡青洲は全身麻酔を開発した江戸時代の技術者であり、犬やラッドなどの動物実験を経て人体実験を行う際に自分の妻と母を実験台として使いました。結果として妻は失明、母は死亡した。倫理観的な視点で見ると、この場合自ら実験台になることを名乗り出たため難しい問題ではあるが、最低限として事前に誓約書などは書いてもらうべきだったのではないかと考えました。 復習として宗教と倫理について考えました。宗教はどう生きるべきか、何が全で何が悪かという価値観を提示するものであり、倫理観の源泉となると考えられる。
A.この講義では、「技術者倫理」が哲学や思想とどのように結びついているかについて説明されました。まず、技術はそれ自体が善悪を持つものではなく、使う人間の判断によって社会に良くも悪くも影響を与える、という点が強調されました。そこで、功利主義や義務論といった倫理思想を用いて、結果の有用性だけでなく、行為そのものが正しいかどうかを考える必要があると説明されました。技術者は効率や成果を追求するだけでなく、人の命や尊厳を守る責任があり、その判断の基盤として哲学的思考が重要である、という内容でした。 ワークショップでは、医療技術に関する倫理的事例を取り上げた。麻酔が十分に効かないまま処置が行われ、激痛に耐えなければならなかった事例や、薬の影響によって死亡に至ったケースについて検討した。特に遺族、母親の立場で考えることで、技術的な正当性以前に、説明や同意がどれほど重要かが明らかになった。また、動物実験で得られた結果をもとに人への実験へ進む際、安全性が完全には保証されない点も問題となり、技術の発展と倫理の難しさが示された。 復習を通して、技術者倫理とは単なる規則の遵守ではなく、「その技術は誰のためのものか」を考え続ける姿勢であると理解した。たとえ過去に成功例があっても、人に適用する際には結果が不明確であることを含めて説明し、同意を得る必要がある。技術者は失敗の可能性も含めて責任を負う存在であり、哲学的な考え方を身につけることが、信頼される技術者につながると感じた。
A. まず信仰と宗教は別物である。信仰は個人で行われるものであるのに対して、宗教は組織で行われる。日本人にはなじみのないようなものにも感じるが、日本人の多くは祖先信仰をしている。このように、意識せずとも人々の中にそれぞれの信じるものが存在し、その違いによって国ごとに医療であったり、技術であったりの差が生じることが現実にある。例を挙げるのであれば、宗教による人や動物への考えの違いのもと、動物実験などへの考え方の違い方から行える実験に差ができ、医療・技術の発展に差が生じるなどのことである。技術者倫理とは技術者が判断しなければならない社会との関わり、正しい判断のことであり、技術者には知識、及ぼす影響、関係する法などを身につけ考えられる必要がある。宗教や仕事などで、承認、評価、点数が与えられることによってこれらの倫理が崩壊しないようによく考えることが技術者には求められる。 花岡青洲は麻酔薬を開発し、多くの人々を救った人間である。しかし、麻酔薬を作るにあたって妻に人体実験を行っている。結果的に多くの人々を救っているおり、功績も大きいことから技術倫理的には素晴らしいことであると考えられる。しかし、効果のわからないものを人に使用し、失明させたことは技術者倫理としては悪いことである。 技術者として技術倫理、技術者倫理のどちらもが大切なものであり、よく理解し、自然と身につけられるようにしておくべきものである。少し間違えば地下鉄サリン事件のように自分のもつ技術を悪用させてしまう可能性がある。まずは技術に対しての知識を身につけ、冷静にその技術の使用について考えることが重要であると思われる。
A.(1)華岡青洲が完成させた「通仙散」は、猛毒であるチョウセンアサガオを主成分とした、いわば「人為的な薬物中毒」を引き起こすものでした。この画期的な全身麻酔薬の裏には、自ら実験台となり、失明や命の危険を冒した妻と母の凄絶な献身と葛藤がありました。この歴史的事実は、現代のエンジニアリングにも通じる重要な示唆を含んでいます。「薬人を殺さず薬師人を殺す」という言葉通り、技術そのものに善悪はなく、それを「毒」とするか「薬」とするかは、扱う者の知恵と倫理に委ねられています。技術とは、危険な事象を安全に制御し、価値へと変換する営みです。無知なまま力を振るうことは、単なる凶器を振り回すことと同義です。毒を薬として使いこなすための深い知識と、その責任を背負う覚悟こそが、エンジニアに求められる真の技術力といえるでしょう。 (2)全身麻酔による外科手術の成功というのは、歴史的にみても素晴らしいことであり、その他にっも1804年に世界初の乳がんの手術に成功するなど、偉大な功績を残した華岡青洲であったが、その裏には実験協力者として、自分の母や妻の存在があり、医学的には大進歩でも、その影の犠牲者の損失を考えると、真に成功と言えるかが議論の中心であった。 (3)医学や科学のために歴史的にみれば、代償がつきものではあるが、今現在の技術者倫理の観点から考えると、一概に犠牲が進歩にはつきものとは、言えないのではないかと考えた。
A.倫理とは、人が社会生活を営むうえで守るべき道理を表すものであり、善悪を判断する基準となるものです。ただし、その基準は時代や社会状況によって変化します。たとえば、戦争の時代には敵を殺した兵士が称賛されることがありましたが、現代では同じ行為が許されない場合も多く、この違いは倫理観が時代とともに変わることを示しています。 倫理の基本には、強制を禁じるという考え方があります。信仰と宗教は似ているようで異なり、信仰は個人の内面に属する自由なものであり、他者から強制されるものではありません。一方、宗教は集団や組織としての側面を持つため、国や政治による規制の対象になることがあります。また、多くの人は自覚の有無にかかわらず、親や家族の宗教行動を通じて祖先宗教と呼ばれる宗教文化の中に生きています。 宗教は医療の選択にも影響を与えることがあります。たとえば、エホバの証人では輸血が禁止されており、医療現場で倫理的な判断が求められます。また、幹細胞研究や生殖医療についても、国や宗教によって考え方が異なります。マレーシアやイランでは認められている研究や技術が、日本では制限されている場合があります。海外では、生殖医療は子どもを産めないカップルを支援する目的で使われることが多く、日本との考え方の違いが見られます。 技術者とは、単に作業をする人ではなく、構想を練り、設計を行い、それを実際に形にできる人のことを指します。しかし、その技術が悪用される可能性もあります。地下鉄サリン事件では、サリン製造工場が作られましたが、そこには高度な知識と技術を持つ人間が関わっていました。この事件から、職業倫理の重要性が強く問われることになりました。また、宗教は優秀な人ほど深くのめり込みやすい側面があることも指摘されています。 ワークショップでは歴史的な例として、華岡青洲の麻酔実験についてグループで議論しました。華岡青洲は、トリカブトの毒とマンダラゲ(朝鮮朝顔、別名キチガイナスビ)の毒を用いて麻酔の研究を行いました。その際、義理の母と妻が実験台となり、母は死亡し、妻は失明しました。二人とも華岡青洲に好意を抱いており、自ら実験に協力したとされていますが、医療倫理の難しさが討論されました。 このように、倫理は宗教、医療、技術、歴史などさまざまな分野に関わっており、時代や社会によって変化しながらも、常に私たちの行動を問い続ける重要な考え方であると学びました。技術者倫理とは、その職業に就く個人が持つべき倫理観を指します。一方、技術倫理とは、社会や技術者集団が生み出す技術そのものに対する倫理です。この二つは異なるものであり、倫理観を十分に持たない人であっても、同調圧力などによって考え方が変えられてしまう可能性があることを復習として学びました。
A.?オウム真理教の地下鉄サリン事件の倫理問題について学んだ。オウム真理教地下鉄サリン事件とは1995年3月20日の通勤時間帯、営団地下鉄霞が関駅に向かう3路線5方面の電車内において、オウム真理教幹部構成員が化学兵器サリンを散布し、多数の一般市民を無差別に殺傷したテロ事件である。 ?華岡青洲とは、江戸時代の文化元年(1804年)に世界初の全身麻酔を使用した乳癌手術を成功させた医師である。 華岡青洲の手術の成功から約40年後に、欧米で初めて全身麻酔が行われていた。手術によって患者の苦しみを和らげ、人の命を救いたいと考えた華岡青洲は、麻酔薬の開発を始めて研究を重ねた結果、6種類の薬草に麻酔効果があることを発見した。 ?倫理とは人として守るべき道、道徳、モラルのことであり、人間性、人倫の中で踏み行うべき規範の筋道のことである。また世界各国の宗教によって制限などに差があり、それに伴って医療などにも差ができていることが分かった。また、技術者倫理を学ぶにあたってオウム真理教による地下鉄サリン事件について学んだ。このような人たちは金だけでなく承認や評価、点数などを原動力にしている人もいることが分かった。 技術者倫理と技術倫理での違いを調べ技術倫理は社会全体の視点から、技術が安全で公正に使われるよう考える考え方です。これには安全性、透明性、説明責任、公共の利益などの広い枠組みが含まれる。技術者倫理は、技術を設計・開発・運用する人自身の立場に焦点を当て、個人としてどう判断し、どう行動するかを問うことが分かった。つまり、技術倫理が何を守るべきかを指すのに対し、技術者倫理はどう行動すべきかを示すものであることが分かった
A.今回の授業では技術者倫理と技術倫理の違いや、世界で初めて全身麻酔の手術を行った華岡青洲の母親と妻が人体実験に身をささげた話がありました。技術倫理は技術そのものに対する倫理のことで技術者倫理は商品の安全確保のための基準の遵守などの技術者に求められる倫理のことだと学びました。華岡青洲の話では母親や妻が自ら志願したとはいえ、実験の結果失明したり、命を失ったりしてしまったのでその点が倫理的にどうなのかという話を聞きました。 ワークショップでは華岡青洲の件について全身麻酔の手術のデータが得られたが、家族が犠牲になっていることについて話し合いました。技術の発展のためにはどこまでの犠牲が受け入れられるのか、多くの人々の役に立つとしても自身の命を犠牲にするのはどうなのかという疑問が出ました。また、その話し合いを通して自分は免許証の裏側に臓器提供の意思表示があるのはこのような倫理的にどうなのかという疑問を生まないための措置であり、少しでも多くの人を救うための工夫なのかなと考えました。 今回の授業を振り返って、技術者倫理と技術倫理の違いについて理解しました。自分が実際に聞い事例として、技術倫理にはクローン技術があり、技術者倫理にはデータの改ざんなどがありました。これからの学習を通して、これら以外にもたくさんある事例を学び、このような事例を事前に防げるような倫理観を備た技術者になれるように努力したいです。
A. 「優秀な人ほど騙されやすい」という話は意外に聞こえるが、技術者倫理の歴史をたどると何度も現れる。地下鉄サリン事件を起こしたオウム真理教の信者たちは、決して無知な人間ではなかった。東大や京大などで高度な教育を受け、化学を深く理解していた人々だった。サリンは極めて強力な毒で、少量でも人を死に至らせ、専門知識があれば比較的容易に作れてしまう。彼らはその事実を知りながら正義の名の下で製造し使用した。毒と薬は紙一重であり、麻酔薬もまた人為的な中毒だ。華岡青洲は毒を薬として使いこなしたが、同じ知識は大量殺戮にも使えてしまう。だからこそ技術者には、できるかどうかではなくしてよいかを問い続ける姿勢が求められるのだ。 演題は「華岡青洲の功績と倫理問題」、共著者は金子乃々楓、横山咲、永井日菜、森崎ひまり、笹原里音であり、私は概念化、調査およびリソースを担当した。華岡青洲は乳がん手術の苦痛を減らすために麻酔薬の「通仙山」を開発し、世界初の全身麻酔手術の成功という偉業を成し遂げた。しかし、安全性が確立されない段階で妻や母を被験者とした人体実験にふみきったことは、現代の倫理観では正しいといえない。 復習では「なぜ優秀な人ほど信じべからざる者を信じてしまうのか」という問いを深めた。一般に優秀とされる人は、努力すれば成果が得られるという成功体験を重ねており、その結果、評価や報酬を強く意識しやすい。そこに不正な意図をもつ者が承認や利益を餌に近づくと、「条件を満たせば正しい結果が得られる」という自身の経験則を基準に判断してしまう危険がある。技術者倫理とは、能力の高さゆえに生じるこの盲点を自覚し、成果や評価よりも社会への影響を優先して考える姿勢を保つことだと考えた。
A.(1)倫理の定義について、「倫」は人の輪や仲間のこと、「理」はことわりのことであり、つまり「倫理」とは仲間の間での決まり事や守るべき秩序のことである。そして技術者倫理と技術倫理の違いとして、技術者倫理は技術者個人の倫理観のことであり、技術倫理は技術そのものについて社会的・倫理的に正しいかを考える倫理観のことである。また、モノづくりは「構想」「設計」「製作」「検査」の4つの工程の流れからできている。 (2)ワークショップの演題は、華岡青洲について調べて話し合ってみようであった。グループ名は華岡青洲であり、共著者名は、山根寿々、藤森隼也、須藤春翔、山口竜輝、伊藤夢で、自分の役割として書記であった。華岡青洲は世界初の全身麻酔を用いた乳がん手術を行った人物であった。麻酔はトリカブトなどの毒を調合させて作られた「通仙散」であり、人体への効果および安全性の確認を行うために青洲の妻や母親に、その麻酔薬を投与した人体実験を行ったことが分かった。 (3)復習として、まずは故事ことわざを調べてその事例をもとに解説を行った。「実るほど頭を垂れる稲穂かな」ということわざは、本当に優秀な人は周りへの配慮や謙虚な心を忘れないという意味が込められている。ノーベル賞を受賞した偉人や科学者はそれを受賞した後にも、絶えず謙虚に研究を続けているという事例があげられる。次に地下鉄サリン事件から、優秀とはどういうことかについて考察した。優秀とは、知識の多さだけでなく、謙虚さと思いやりおよび共感性、そして倫理観をもって知識を使えることであると考えた。
A. 第1回目の授業では倫理を取り上げた。私は、倫理とは社会生活を送る中で何らかの行為をする際に「善いことか」、「正しいことか」を判断する根拠や決まりごとであると考えた。他の人の考えも同様に、正しいか誤りであるか判断する価値基準である述べていた。また、宗教においての倫理観について議論した。イランでは宗教最高指導者であることが多いイスラム法学者が「ファトワ」という勧告により議会で法整備され、日本で禁止あるいは停止されている「代理母」や「卵子提供」が可能である。これはイランと日本では倫理観が大きく異なるからであった。さらに、オウム真理教の地下鉄サリン事件でのサリンは製造工場があった。教祖を信じて工場を設計し、給料をもらうのではなく自身のお金を払って承認や評価を得ていた。加えて、技術倫理と技術者倫理の異なる点は個人か全体かの違いであった。技術倫理は技術に関わる社会全体について考えることであり、技術者倫理は技術者個人が対象であった。 そして、ワークショップ課題である華岡青州について、動物実験は成功したが人体実験は自身の妻が失明、母が死亡したため、まだ人体実験をする段階ではないと考えられた。 今回の授業では技術倫理と技術者倫理について学び、特に個人が対象である技術者倫理では華岡青州の行いは多くの人を救うためには犠牲を払う必要があるかもしれないが、命に関わることであるため、慎重に進めることが重要だと考えた。
A.宗教と人間の関係とは、不安や苦悩を抱える人間が人生の意味や生きる指針を求め、超越的な価値や共同体とのつながりを通して自己を支え、行動や倫理の基盤を形成してきた相互作用の歴史である。 また、技術者と宗教の関係は、理性と信仰、科学と精神性という対立軸で語られがちだが、実際には人類の歴史の中で密接に結びついてきた。技術者は自然法則を理解し、それを応用して社会に役立つ仕組みや製品を生み出す存在である。しかし、その技術が「何のために」「誰のために」使われるのかという問いは、純粋な技術知識だけでは答えきれない。ここに宗教が果たしてきた役割がある。宗教は、人間の行為に意味や目的を与え、善悪や責任といった倫理的基準を提示してきた。 たとえば、中世ヨーロッパでは宗教的世界観のもとで建築技術が発展し、大聖堂は信仰と高度な技術の結晶として存在している。また現代においても、医療技術、遺伝子操作、人工知能などの分野では、「人の命とは何か」「人間をどこまで操作してよいのか」といった宗教的・哲学的問いが技術者に突きつけられている。宗教は技術の暴走を抑える倫理的枠組みとして機能しうる一方、技術は宗教に新たな解釈や課題を与えてきた。 このように、技術者と宗教は単なる対立関係ではなく、人間社会をよりよく導くために相互に影響し合う関係にある。技術が力であるならば、宗教はその力の使い方を問い続ける存在だと言えるだろう。
A.(1) 第一回の講義では、倫理の概念について学びました。私は、倫理とは人が社会と向き合うための基準になるもの、正しいか誤りかを判別するものだと考えます。倫理は、宗教の違いから国によって異なります。例えば、イランやマレーシアでは幹細胞や精子、卵子の提供をすることができますが、日本では考えられないことです。また、私たちが学んでいる化学は、生活に欠かせないものに利用されていますが、使い方を誤れば兵器として利用することができるとても危険なものです。その例が地下鉄サリン事件です。二度とこのようなことが起きないように、私たち技術者が専門的な知識や能力をもち、それが社会にどの影響を及ぼすのかを考える必要があります。 (2)グループワーク活動では、花岡青洲のことについて話し合いました。彼は、京都で医療技術を身につけ、乳がんの切除に麻酔が必要だと考え研究を始めた。最初は動物実験を行っていましたが、後に母と娘にも実験を行いました。その結果、母は死亡、娘は失明しました。これが倫理的にどうなのか話し合いました。私は、間違っていないと考えます。無許可で実験を行うことは考えられませんし、医療の発展に必要なことがと考えるからです。 (3)技術者とは、単に技術を持っている人ではなく、その技術から生まれるリスクを考える人であることを学びました。私たちも技術者であるため、専門としている分野について常に最新の知識や情報持つように努力しなければなりません。常に危険なものを扱っているという意識をもって研究していきたいです。
A. 1995年の地下鉄サリン事件は、多くの無辜の人々の生命と安全を奪い、社会に深い傷を残した。倫理の観点では、目的のために他者の命を手段化する行為は決して許されず、信仰や思想であっても人権と公共の安全を侵害してはならないことを示した。個人の自由と社会的責任のバランス、危険な集団を見抜き防ぐ社会の役割、被害者への継続的支援の重要性が強く問われた事件である。 華岡青洲についてワークショップを行った。華岡青洲は江戸時代の医師で、世界で初めて全身麻酔による乳がん手術に成功した人物である。彼は麻酔薬「通仙散」の開発にあたり、自らの母と妻に試験的に投与したとされ、母は視力を失ったとも伝えられる。現代の倫理観から見ると、家族への人体実験は十分な説明と同意があったのか、自主的な意思決定が保証されていたのかという問題があると考えた。当時の時代背景を考慮しても、医学的成果と倫理のバランスをどうとるかは、現代の技術者や医療従事者にも重要な課題であると考えられる。 「優秀」とは頭がよく、知識や考える力があることだが、それだけでは正しい判断や人としての正しさを保証しない。オウム真理教の信者の中には高学歴の人が多くいたが、そうした人ほど複雑な考えに魅了されやすかったり、誰かに認めてもらいたい、人の上に立ちたいという欲があったりして、間違った方向に進んでしまうことがある。ノーベル賞を取った科学者たちも、自分の発明が戦争や人の死につながったことに悩んだ。本当に優秀な人とは、知識だけでなく、人を傷つけないためにどう力を使うかを考えられる人のことだろう。能力に加えて、倫理や責任感があってこそ、本当の意味で「優秀」と言えると考えた。
A. イランでは、日本で禁止されている卵子・胚提供や代理母が、イスラム法学者(宗教最高指導者)によって許可されている。日本では大衆の考えを踏まえた法整備が一般的で、意見の調節に時間がかかり決定が遅れる傾向にあるが、イランでは宗教最高指導者の一存で決められる点に宗教の違いが表れていると考えられる。また、1995年3月20日のオウム真理教地下鉄サリン事件では、東大、京大、東工大などの最難関大学出身者を含む信者らによって作られたアセチルコリン分解酵素の阻害剤であるサリンが地下鉄車内で散布され、多くの死者・負傷者が出た。技術倫理はその技術が社会全体にどのような影響を及ぼすのかその社会全体の人々が考える道徳的判断規準のことである。一方技術者倫理は、技術者本人がその技術を開発・設計・運用するうえで持つ道徳的判断規準のことである。地下鉄サリン事件は技術者倫理に問題があった例であるといえるだろう。 《華岡青洲について(23512160、23512186、23512011)》華岡青洲は、江戸時代の医師で、チョウセンアサガオ由来の麻酔薬麻沸散を発明し、全身麻酔下での乳癌の摘出手術に成功した人物である。諸説あるが、母、妻の申し出により数回の人体実験が行われ、母の死、妻の失明という犠牲の上で麻沸散(通仙散)が完成したとされている。 華岡青洲による妻・母への人体実験に関し、考えられる倫理的問題点を挙げる。まず、インフォームドコンセントの不足である。当時、母・妻が華岡から圧力を受けていなかったか、危険性の理解が十分であったかは不明であるため、完全な同意と十分な説明があったかが問題点として考えられる。 二点目は、第三者の意見がないまま人体実験に踏み切った点である。当時外科医療の最先端を研究していた華岡にとって、知識のある第三者の存在を確保することは困難であったと予想できるため、安全性が確認されないまま独断で人体実験に踏み切ったことが推測できる。 このような倫理的問題点は、あくまで現代的視点かつ推測に過ぎないが、一方で華岡の外科医療における功績は偉大なものである。コロナウイルスのワクチンが特例で迅速に開発・生産されたように、技術における安全性の配慮と供給速度の優先バランスを考えることは非常に難しい。
A.(1)宗教に対する考え方について。信仰するものと宗教は異なる。信仰とは個人の神仏への信頼のことであり、宗教とは組織化された儀礼を信ずることである。技術史とは道具や機械、エネルギー、情報の利用などを人類の技術の発展を形成する歴史学の一貫である。技術を扱う上で重要な強化である。その中で倫理について問われることが多い。技術者の倫理とは、人々の安全や健康を考え、環境への影響を考えながら行動することである。実験におけるリスク、より良い社会にむけた技術の活用の両者を判断する能力が問われる。 (2)グループワークでは華岡青洲について討論した。麻薬薬を作るために相物実験を行った。母や自身の妻を実験体とし、世界で初めて全身麻酔による乳がん手術に成功した。母は死亡し、妻は失明をした、。グループワークではこれを基に倫理的にどうであるか考察した。グループで出た結論として、人体実験をしたことは倫理的に正しいとは言えないが華岡青洲の成果によって得られた功績、救われた命もあり、現代にもその成果が生きているため一概に悪いとは言いにくい。 (3)復習として、倫理問題は良し悪しは判断が難しいと考えた。グループワークで行ったように時代によっては人を救うために人体実験をすることは良しとされてきたことが多い。しかし、現代では人体実験は大きな問題である。技術者として倫理を考えるために社会にどのような影響が出るのか考える必要があると思った。
A.(1)オウム真理教が起こした地下鉄サリン事件では有名大学を卒業していた信者たちが、それを正義だと信じ事件を起こした。第二次世界大戦でも国民は御国のために死ぬことが美徳とされ、学校ではそのことを教えており、子供の頃からそのような思想を正義として植え付けていた。そのような思想に騙されず、自分の信じる道を生きていくべきだ。技術者として責任を持って望まなければならない。 (2)華岡青洲について 共同著書(黒沢行博、冨樫宙、鈴木晴流、門脇千尋) 華岡青洲(1760~1835)とは江戸時代の外科医であり、世界初の全身麻酔による外科手術を成功させた人物。医塾『春林研』を設け、1000人の門下生を育てたとされており、その精神は現代まで受け継がれ、医療人が育てられている。朝鮮アサガオから作った通仙散を使用したが母と妻による人体実験を経た結果によるものである。人体実験は母と妻による自主的な参加ではあるが、二人とも後遺症をのこすという結果となったため、現代の倫理観においては良しとはいえないものである。 (3)華岡青洲について、自分が同じ立場であったとしたら人体実験を行うかどうかは悩むと思った。確かに人体実験は臨床試験において薬の挙動を確かめる一番手っ取り早い方法ではあるが、倫理的にはあまり賜われたものではない。実際問題二人は後遺症を患っており、自分はその責任について耐えられないと思うので別の方法をさがす。
A.(1)有機リン系農薬は農業に貢献する一方、サリンのような化学兵器にも転用され、地下鉄サリン事件が起こった。高度な知識ほど倫理と批判的思考を伴わねば、正義の名の下で暴力を正当化してしまう危険性を孕む。麻酔は毒を制御して用いる技術であり、華岡青洲は通仙散で医療を進歩させた。毒と薬の違いを理解し、無知をなくそうとする姿勢が技術者に必要とされる。専門技術者は、技術知識・社会影響・法規・社会的議論の四つを備え、常に最新情報を学ぶ責任がある。知識だけでなく倫理意識を伴わない技術行使は危険であり、学び続ける姿勢が専門職の使命である。工学倫理とは、危険な技術を安全に使う知恵で、技術者には専門能力と高い倫理性が求められる。自己の仕事が持つ危険性を自覚することが、工学倫理で重要となる。科学技術を扱う技術者には、地球規模の課題や社会生活への技術依存を考え、高い倫理観が求められる。社会への貢献意識と責任感、誠実さを持つことが、現代の技術者に必要である。 (2)華岡青洲がどのような人かについて調べ、世界で初めて全身麻による手術を成功させた日本人であることが分かった。行った全身麻酔手術の良い所、悪い所を考え、良い所は乳がん治療が先駆的だったこと、悪い所はリスクを十分に考えていなかったことだと考えた。 (3)地下鉄サリン事件や華岡青洲の麻酔手術の背景、専門技術者・工学倫理などの言葉の定義を詳しく調べ、知識として定着させた。
A.【講義の再話】 第1回の講義は、宗教と倫理の関係についてであった。法律が宗教に基づいて定められている国があり、法律により中絶などが禁じられている。また、戦争に関わる研究をした科学者や、テロ組織の科学者などを例に、優秀な人が信じべからざる者を信じる理由を考えた。江戸時代の医者であった華岡青洲は母と妻に人体実験を行い、全身麻酔による手術を確立した。 【発表の要旨】 演題:華岡青洲について調べ、倫理について考える 共著者名:中村温斗、塩田龍平、鈴木萌笑、澤田賢佑、濱田桃樺、高橋旺亮 華岡青洲は江戸時代の外科医であり、母と妻に人体実験を行い、妻は失明し、母は後に死亡した。後に、全身麻酔による外科手術に成功した。家の名誉、医師としての使命を重んじたのだと考える。ラット、サルなどの他の動物に実験してから行うべきであった。 【復習の内容】 宗教と倫理について、自分が信じる宗教以外の倫理や過去の時代の倫理を学ぶことで、様々な視点での倫理観を知り、それを自分の倫理観と照らし合わせることで、その人独自の倫理観を確立することができると考えた。優秀な人が信じべからざる者を信じる理由として、私は優秀な人というのは、他の人よりも物事への理解が深く、新たな発見をできる人のことだと考える。自分が優れていると知った人はその能力を使って何かを成し遂げようとするが、それが世間にとって悪くとも自分のやりたいことを追求してしまうのだと考えた。
A.(1)まず、この講義では最初に地下鉄サリン事件について取り上げました。サリンの構造式を見て作れそうと感じるかどうか、また直感的にやばそうかどうかが分かることを前提とし、実際に優れた知識を持つオウム真理教信者が自分たちでサリンを合成し極めて悲惨な事件を引き起こしてしまったことを例に化学者にいかに倫理観が必要かを説明した後、技術者倫理と技術倫理について説明されました。技術者倫理とはその技術を持つ技術者が持つべきである道徳のことであり、技術倫理とは技術そのものをどう扱うかということであるという風に学びました。また、技術者が知識を持っていないということ自体も倫理違反であることや、事故の要因となるヒューマンエラーを防ぐための指差し確認の重要性も学びました。 (2)ワークショップでは華岡青洲について調べ、世界で初めて全身麻酔による乳がん手術を行うことに成功したが、そのために妻や母など多くの犠牲を出したこと、その麻酔の素材は多くが毒性を持つような植物であることなどを調査した。 (3)私は復習として講義内で印象に残った地下鉄サリン事件について追加で調査を行った。 実行犯の多くは、国立大学の理系学部や医学部を卒業した「エリート」と呼ばれるような高学歴な若者たちでした。彼らは高い技術力や知識を持ちながらも、現状の社会に閉塞感を感じ、教祖・麻原彰晃の教義やマインドコントロールによって「人類救済」や「国家の陰謀」を信じ込まされていました。 ?事件の直接的な動機は、教団への強制捜査を察知した麻原が、首都圏を混乱させて警察の捜査を攪乱・阻止することにありました。技術者は自らの能力を「救済」の名の下に殺人に転用し、未曾有のテロを引き起こしました。
A.(1)授業では、オウム真理教による地下鉄サリン事件を具体例に優秀な人が騙されて悪事に加担してしまった事例から、倫理と宗教の関係について考えた。そして、技術者倫理と技術倫理は違うのだということを学んだ。また、華岡青洲という人物が乳がん患者の外科手術を行うために世界で初めて麻酔を開発したことを学び、そこから技術者倫理と技術倫理について考えた。 (2)ワークショップでは華岡青洲について話し合った。私たちのグループでは華岡青洲が人間で有効性の試験を行った点が問題であったとし、現代の価値観においては許されない行為であるとの意見が出た。一方で、華岡青洲の試みは結果として後世に麻酔の知見を残したという点において、技術者倫理としては良くなかったが、技術倫理としては良かったという意見もあった。 (3)授業の内容をもとに、いくつかの課題に取り組んだ。例えば、技術者倫理の対象となる個人を定義した。ここで私は授業の内容をもとに、技術者倫理の対象となる個人は化学で言えば反応設計からプラント設計までできる個人であり、言い換えれば方法を知っていて実際にできる個人であると考えた。また、世論や同調圧力に流されずに健全な倫理観をはぐくむにはどうしたらいいかについても考えた。例えば、宗教による価値観をもって医療行為を行うことはできるだけ避けるべきである。時に技術倫理や技術者倫理に反する選択をしてしまうことがある。イスラム教社会では、親になることが規範化され、不妊であることが社会で生きる上で不利になるが、その一方で養子縁組は禁止されている。そのために不妊治療が高い需要を持ち、卵や精子の第三者提供が容認される。カトリック社会では生命の操作が含まれるとして体外受精を認めていない。これらを遵守することはその社会においての技術倫理や技術者倫理に従っていることに間違いないが、それが必ずしも正しいとは限らない。もしも殺人が奨励される宗教なら殺人が技術倫理や技術者倫理に従う行為になってしまう。そのため、医療行為を行う時には宗教観を持ち込まず、統一された価値観のもとで話し合われた基準で技術者倫理や技術倫理を規定すべきである。
A. この講義では、「毒と技術」というテーマのもと、知識の扱い方次第でそれが薬にも毒にもなるという話が印象深かった。特に地下鉄サリン事件の例では、犯行に関わった人々が高い学歴や専門知識を持っていたにも関わらず、誤った「正義」を信じたことで大きな悲劇を生んだという点が強調されていた。知識があること自体は問題ではないが、それをどう使うかを判断する価値観が歪むと、技術そのものが危険に変わってしまうことが印象に残った。また、華岡青洲の通仙散の話では、麻酔が人工的な中毒であるという話から、技術の裏には、必ずリスクがあることを改めて実感した。青洲の麻酔完成の背景には、妻と母が自ら人体実験に協力したという複雑な事情もあり、医療の発展と倫理は切り離せないと感じた。毒と薬が紙一重であり、扱う側の理解や責任が非常に重要だという点が講義全体を通して印象的だった。 華岡青洲は世界で初めて全身麻酔による手術を成功させた日本の医師である。通仙散を開発し乳がん摘出手術を行った。しかし麻酔の開発過程で母や妻を実験台に使い、妻は失明してしまっている。母は詳しいことはわからないものの、家族を含む人体実験はインフォームドコンセントや被験者保護の観点で問題があると考えられる。青洲の功績は医学の発展に大きく貢献した一方で、人命をどう扱うべきかという倫理的な問題について考えるきっかけになったのではないかと考える。 復習としては、講義で繰り返し示されていた「毒と薬は紙一重」という考え方を中心に。自分の理解を整理した。特に、技術は便利さだけを見るのではなく、その裏側に潜む危険性や倫理面も含めて理解しないといけないという点が重要だと感じた。また、知識がある人ほど、判断を誤ったときの影響が大きくなるため、専門性を持つ立場の人間ほど慎重さが必要であるということも印象に残った。
A. 倫理とは人間が社会の中でどのように「正しく」生きるべきか、という問いに対して指針を与える考え方やルールのことで、信仰と宗教は異なるものである。モノづくりは構想、設計、製作、検査の順で行われる。給料や、対価、承認、評価、点数などで人は承認欲求を満たし、優秀な人ほど宗教にはまりやすい。技術者倫理は不正発見時にどうするかなどの技術を扱う人の倫理のことをいい、技術倫理はAIや遺伝子技術は社会に害を与えないかなどの技術そのものの倫理的な妥当性のことを言う。また、技術者倫理は技術者が個人的に判断する必要がある。 華岡青洲は世界初の全身麻酔手術の成功者で「通仙散」というトリカブト、センキュウ、ベニバナを成分に含む麻酔を用いた。青洲は実の母と妻を実験台にしたことから倫理的な問題があるのではといわれている。確かに、人体実験を身内に対して行ったことは倫理的に問題があるように感じるが、しかし、青洲の功績により多くの人が救われたことも事実であるため、一概に青洲に非があるとも言えないのが難しい点であると思った。 復習として、技術者に求められる倫理的要素について考えた。1つ目は常に進化する技術に関する最新の知識と能力を得ることである。2つ目は、社会への影響の理解と制御である。3つ目は、法令や規制を遵守するために関連法規の理解が必要であると考えた。そして4つ目は、倫理的・文化的背景を踏まえた判断力を持つために社会的議論への理解が必要であると考えた。
A.(1)近代技術とは「危険なものを安全に使いこなす知恵」であり、技術者には専門能力に加えて高い倫理性が求められる。工学倫理の基本は、自分が危険を扱い、それを社会の中で安全に制御する仕事をしているという明確な自覚にある。地下鉄サリン事件は、危険物質を制御せず社会に放ったときの破局を示す。一方、華岡青洲の麻酔医療は、危険と向き合い制御しながら社会的価値へ結びつけた例である。チョウセンアサガオも薬と毒が表裏一体で、扱いと仕組みが安全性を左右することを教える。ゆえに技術者は①専門知識・能力②社会影響と制御の専門知③関連法規④社会的議論の理解を統合して備えるべきで、欠いた者が職務を担うこと自体が倫理に反する。専門技術者は最新知識の更新を継続し、責任ある実践を行わねばならない。 (2)演題は「華岡青洲について調べ、技術者倫理に適しているか話し合おう」というテーマだった。私はData Curation (データ収集・整理)を行った。華岡青洲は乳がんの手術のため麻酔を作成したが、実際に活用できるかわからなかった。そのため、自分の母と妻に投与させ結果を見たが、結果母は死亡、妻は失明という結果を負った。このことの問題点として、血縁関係のある人間で試したことである。技術者倫理には反しているが、技術倫理には適しているという結果になった。 (3)「技術者倫理」とは、単に個人の善悪の判断ではなく、専門的能力と社会的責任をもつ職業人としての倫理を指す。たとえば「節電に取り組む」ことは一般的な個人の倫理だが、技術者の場合、それを社会全体に実現できる仕組みとして設計し、実装できる立場にある。つまり、量産や設計を通して社会に影響を及ぼす力をもつ者こそが「技術者」であり、その行為には重大な責任が伴う。医師や弁護士のように国家資格で明確に区分される職業と異なり、技術者の範囲は曖昧であるが、その本質は「技術を社会に応用し報酬を得る個人」である。したがって技術者倫理とは、単なる道徳心ではなく、自らの技術が社会や環境に与える影響を自覚し、公共の利益を優先して判断・行動するための指針である。
A. 工学倫理には技術倫理と技術者倫理がある。技術倫理は、技術そのものをどのように扱うべきかを問うものである。技術者倫理は技術を扱う者がどのような行動をとるべきかを問うものである。 宗教と倫理には深い関わりがある。例えばイランでは日本で禁止されている「代理母」や「卵子提供」が許可されている。これはイスラム教が絶対的な規範であるからである。日本では民主的に倫理が決まるが、イランでは宗教により倫理が決まっている。 日本では過去にオウム真理教によって地下鉄サリン事件起こされた。この事件では、多くの優秀な技術者が関与していたことが知られている。これは、オウム真理教が技術者を心理的なところから引き込んだためである。科学者は技術を突き詰めていくほど、承認欲求が強くなることがある。この心理を利用することで技術者を洗脳した。洗脳されると自分で気づくのは難しく他人に気づかされないと脱することは難しい。普段から多くのことに疑問を持つことも重要である。 花岡青洲は江戸時代の医師で世界で初めて全身麻酔による乳がん手術に成功した人である。花岡青洲は、がんの切除には強いを伴うため麻酔の開発を決意した。そこで、開発のために麻酔効果のある毒草を使用することを考えた。作った麻酔薬は初めは動物実験(マウス、ラット、ウサギ、犬)を行うことで、効果や有害性を調べた。次に、母や妻、その他数人を含めたヒトで人体実験を行った。その結果、母は死亡、妻は失明という結果になってしまった。その後、薬は完成し治療には成功した。がんに対して外科手術をするという新しい方法を開拓したことは評価されるが、人命にも影響が出ていること、毒草を使用していることからもう少し慎重に研究を行ってもよいのではないかという結論となった。 倫理的な行動をするための方法の一つとして、世論や同調圧力に流されないことも必要である。多数派なら正しいという考え方をなくし、少数派を尊重できるようになる必要がある。そのためには、自分で考える力を身につける必要がある。普段の生活から他人の考えばかりを聞いていないで自分の意志を持つことを大切にしていきたい。
A.(1)「①哲学と思想-技術者倫理の位置づけ-」では、初めに技術者倫理とは何か、技術倫理などと比較して考えた。また、オウム真理教事件から、宗教と倫理の関係やなぜ優秀な人が信じべからざる者信じしまうのか考えた。そして最後に、華岡青洲の事案から倫理観と技術の進歩について考えた。 (2)演題 華岡青洲について調べて、話し合ってみよう グループ名 華岡、メンバー 赤平草太、綿貫滉大、石毛翼、吉成悠 後藤拓真 自分の役割Supervision グループで調べてわかったことは、華岡青洲は痛みが強いくがんが切除できないため麻酔の開発を決意し、麻酔効果のある毒草を使用した。初めは、マウスなどを使った動物実験をしていたが、その後、母や妻などを含めた12人に人体実験を行う。その結果、母は死亡し、妻は失明するという結果となったが、薬は完成し、治療は完了することができた。 調べてわかったことについて、グループでは、毒草を使うため、慎重に行うべきであったという結論を出した。 (3)第1回では、宗教と倫理の関係から、「世論や同調圧力に流されずに、健全な倫理観を育むには、どうしたらいいか」を議論したが、世論や同調圧力に流されずに、健全な倫理観を育むには、ボランティアなどの多様な人と関わることのできる環境を整備することで、他者の視点から物事を考えられる力を育むことが重要だと考える。 戦争では、殺す相手を人と思わぬようにしなければ、正気を保てなかったと聞いたことがある。これは相手の視点に立ってしまえば殺せないからだろう。やはり、相手の視点に立つことができる想像力が健全な倫理に必要なことだと考える。
A.(1)倫理観は本来、個人の内面から芽生えるものであり、国家や宗教が一方的に植え付けるべきものではない。しかし歴史を振り返ると、宗教や国家が倫理を規定し、若者がその規範を疑わずに従った結果、戦争や差別といった悲劇が繰り返された。医療や生殖技術においても、宗教観の違いが国家の方針を左右し、社会的受容に大きな差を生んでいる。このように社会の価値観が揺れ動く中で、技術者は専門能力を持つ職業人として、社会に与える影響に強い自覚を持たねばならない。工学倫理は工学全体の社会的意義を問う枠組みであり、技術者倫理は個々の技術者の判断基準である。世論や同調圧力に流されず、安全と人間の尊厳を最優先に考える姿勢こそ、技術者に求められる基本的素養である。 (2)花岡青洲は世界で初めて全身麻酔種手術を成功させた医師であるが、その過程では麻酔薬の開発のために家族を含む多くの協力者に人体実験を行ったとされる。彼の行為は医学の発展に大きく貢献した一方で、被験者の安全や同意が十分でなかった点で重大な倫理問題をはらんでいる。この事例は、技術・医療の進歩と倫理のバランスの重要性を示している。 (3)倫理は本来個人の内面に芽生えるものであるが、歴史上は宗教や国家が倫理を規定し、人々が疑わず従うことで戦争などの悲劇が生じた。また宗教は医療の受容にも影響する。花岡青洲の全身麻酔成功の裏には、家族への人体実験という倫理問題があった。技術や医療の進歩は重要だが、同調圧力や利益に流されず、人間の尊厳と安全を最優先に判断する姿勢が技儒者倫理の核心であると考えた。
A. 第1回は、「倫理」について学んだ。倫理は、国や地域によって異なっている。その事例として、教科書の50ページに「宗教が生む医療の差」について書かれている。イスラム教徒が多いイランでは、ヒトES細胞からクローン動物まで様々な幹細胞研究が行われている。そして、代理母や卵子提供、胚提供などが許可されている。これらのことは日本では禁止されているが、イスラム教の規範の中ではこれらのことが許可されており、必要なら議会で法整備を行う独特の仕組みが確立されている。 倫理に関連することとして、1995年3月20日に起こった地下鉄サリン事件が取り上げられた。オウム真理教の信者たちが自ら猛毒であるサリンを製造し、地下鉄にばらまいた事件である。このオウム真理教の信者たちは、非常に優秀な頭脳の持ち主であったが、麻原彰晃の教えを信じ、殺人を正義としていた。 ここで、技術者倫理と技術倫理の違いについて討論した。教科書6ページから考えた結果、技術者倫理は技術者個人がどのような、どのように技術を使うか、社会とどのようにかかわるかについて、技術倫理は技術者軍が社会とどのようにかかわるかを表すという結論になった。 グループ討論では、世界初の全身麻酔薬を完成させた華岡青洲について調査した。華岡青洲は、犬を使った動物実験で有効性を確認した後、妻と母に協力を求め、人体実験を重ねて麻酔を完成させた。この実験により、妻が失明するという犠牲も払われた。
A.(1)倫理について考えた。この議題に対し発表者は「正しい誤りを判断する基準である」と答えた。この時発表者は自分の考えではという言葉から倫理について述べてくれた。この姿勢は、倫理を学ぶ上でとても重要な考えだと感じた。次に宗教が生む医療の差について考えた。宗教の差によって受けられる医療が違うという事例の話を聞き、不平等であると感じた。また、留学生の方の発表では、すべての宗教において理由を持って規則が決められているというお話してもらった。また、技術者倫理は技術を持ったことが前提の倫理である。優秀な技術者が教祖の教えで設計から量産までのものづくりを行ってしまったというオウム真理教のような例のように、技術者倫理を持たなければ能力を人殺しのために使ってしまうことがあるとわかった。 (2) 『華岡青州』、グループ名:ますい、グループに属した人:嶋貫莉花,遠藤由里香,川崎李羽,松田天,矢萩陽向, 白坂茉莉香、役割:資料作成 華岡青州は江戸時代の医者であった。家族の献身的な協力により世界初の全身麻酔手術を成功させた。しかし奥さんは失明し母は死亡していた。洗脳していたのではないかと考えている。グループでは倫理的に研究の過程で家族を犠牲にしていることは技術者として倫理的責任に問われると考えた。解決策として人間に近い動物(チンパンジーなど)を使うことがあげられた。 (3)グループワークで調べた花岡青洲について一人でも深く考えてみようと思った。花岡青洲は多くの患者の治療や医学教育にも力を入れるなど完全に悪い考えを持っていたわけではなかったと考える。医療の発展や医学への探求心が原因で倫理的に問題と考えられる行為を行ってしまったのだと考える。研究者として熱心なのは良いことだが周りに止める人がいれば妻と母親の人生が変わっていたのかもしれないと私は考えた。
A.
A. 本回では、倫理と宗教の関係を中心に、地下鉄サリン事件を通して技術者倫理について考察した。宗教は本来、人々に道徳的規範や精神的支柱を与えるものであるが、その教義が絶対的な基盤を持ち、社会的規範や法を超越したとき、大きな危険を生む可能性がある。地下鉄サリン事件では、化学物質の合成や散布装置に関する高度な知識が悪用され、多数の一般市民が犠牲となった。特に、専門知識を持つ者が宗教的信念を優先し、公共の安全を顧みなかった点は、技術者倫理の重大な問題として捉える必要がある。 ここで歴史的事例として華岡青洲について考える。華岡青洲は世界で初めて全身麻酔による手術を成功させた医師であり、新しい医療技術に挑戦した先駆者である。一方で、その過程では動物実験や家族による人体実験が行われたとも伝えられており、当時と現代では倫理基準が大きく異なることが分かる。この事例は、新技術の発展が人類に大きな利益をもたらす一方で、被験者の安全や人権をどこまで守るべきかという倫理的課題を常に伴うことを示している。 地下鉄サリン事件と華岡青洲の事例を比較すると、技術そのものは善悪を持たないが、それを扱う人間の倫理観が社会的結果を大きく左右することが理解できる。技術者は宗教的・個人的信念や成果への欲求に流されることなく、社会全体の安全と人命を最優先に判断しなければならない。技術者倫理とは、専門知識を持つ者に課される重い責任であり、常に自らの行為を客観的に省みる姿勢が不可欠である。
A. 初回の技術者倫理では、倫理とは何か、技術者とは何か、技術者倫理とは何かについて学びました。その中で倫理とは、社会的に善悪の判断をし、良いことをし悪いことはしないということを理解することだと学びました。また、技術者とは、特定の技能を理解し、扱うことができるものと社会から認められ、それを正しく使うことだと学びました。この二つことから、技術者倫理とは、特定の技能、知識を持つものがそれが社会的に良いことかを吟味し、確実に行うことができるかを判断することだと学びました。 ワークショップ課題では、華岡青洲が世界初の全身麻酔を行い乳がん手術を成功させたが、人体実験として母と妻を利用したことについて正しいことか否かを話し合いました。話し合いの中で、全身麻酔の成功は、医療の発展を大きく進歩させることができたため一見良いことのように思われるが、手術を行なった患者は、数ヶ月後に亡くなったことや、母と妻を犠牲にしたことは倫理的に良くないことのように考えられる点が1番大きな課題になりました。この点の議論では、時代背景的にも、動物実験はあまり発展しておらず、人権や命の価値があまり定まっていなかったことも考えると、その時代では良いこととされていたかも知れないが、現代では絶対にやってはいけないことだと考えられ、今後もあってはならないと考えるとまとめられました。 現代の医療の技術では、人体実験を行う段階では、後遺症が残るようなことが起こらないように生物実験や化学実験が多く行われています。このような技術者が倫理的な行動を行うことで社会は、より安全になっていくことこそが技術者倫理の真の意義だと感じました。
A.1.地下鉄サリン事件は、猛毒の有機リン系化合物であるサリンが使用された。サリンは強力な神経毒で、アセチルコリン分解酵素を阻害することで作用する。この事件の問題点は、教団内にいた専門知識を有する信者が、その危険性を知りながら化学兵器を製造したことにある。優秀な頭脳をもつ人ほど、他者からの承認を強く求めるあまり倫理から外れた考え方に陥りやすいことが示唆された。一方、華岡青洲は麻酔薬である通仙散を開発した。この麻酔薬は当時の医療の発展を促した一方で、開発過程に倫理的問題が生じていた可能性も指摘されている。 2. 演題:華岡青洲 グループ名:金子研 共著者:金子乃々楓、横山咲、佐藤陽菜、永井日菜、笹原里音 役割:調査 グループでは、華岡青洲についての調査を行った。華岡青洲は人体実験を経て、全身麻酔薬を開発した。当時、乳がんの手術には強い痛みを伴い、出血死やショック死に至ることが少なくなかった。そこで、青洲は全身麻酔薬の開発を始めた。そして人体実験をかさね、1804年に全身麻酔下手術を成功させた。しかし、安全性が十分に確認されないまま人体実験に踏み切った点に対しては、現代の倫理観では正しいといえないという結論に至った。医学の進歩にはリスクが伴うが、そのリスクを誰がどのように負うのかが重要である。 3.華岡青洲は世界で初めて全身麻酔に成功させた人物である。動物実験だけでは人体に安全か確認できなかったため、華岡は自身の妻や母に麻酔薬を投与し、麻酔薬を開発した。 人体に安全性が確認できないものを投与することは、倫理的に問題があると考える。しかし、最終的に麻酔薬は人体に投与するものであるため、今回の事例では被験者の十分な同意が取れているかが重要だと考えた。
A.(1)講義では、まず倫理とは何かという根源的な問いについて意見交換を行った。倫理は一般に社会生活を送る上での基本的な規律と捉えられるが、その適用範囲や道徳との境界線は曖昧であり、明確な線引きが困難な概念であることを再確認した。 次に、技術者倫理と技術倫理の概念的な相違について学習した。技術者倫理とは、技術者自身が専門知識を行使する際に求められる個人の判断基準や責任を指す。対して技術倫理は、社会において技術がいかに公正に扱われるべきかという、より広い視点に基づく概念であると整理した。 さらに、宗教的背景が医療の選択や受け方に生じさせる差異について、実際の声を聞き考察を深めた。技術的な正解だけでなく、文化的・宗教的背景による多様な価値観が存在することを認識し、技術者が社会と向き合う際には、多角的な視点を持つことが不可欠であると学んだ。 (2)ワークショップでは、華岡青洲について調査し、議論を行った。華岡青洲は、江戸時代の外科医で世界で初めて全身麻酔を用いた乳がん手術を成功させた人物だった。しかし、人体実験への協力を申し出た妻や母に麻酔の投与を行った結果、母は死亡、妻は失明という事故を引き起こしてしまった。この背景から、人体実験は行うべきだったのかについて議論した。私たちのグループでは、人体実験は行って良かったと考えた。理由としては、同意があった上、人体実験は蓋を開けてみるまでは、結果は誰もが未知であるからである。生きたものの中に、真理があるから深く観察して患者自身や病の持質を見極めなければならず、それを乗り越えた際にこそ、成功があり、実際に医学の進歩に繋がったと考えられるためである。 (3)復習として、華岡青洲の話をもう一度読んだ。授業時間では時間に限りがあったため、改めて振り返った結果、上記のような考えに繋がった。加えて、技術の本質は人を救うことにあり、そのためには、学際研究、計画的実験、安全配慮、社会への説明の全てが必要だと感じた。
A.(1)講義内容の再話 ■「個人の信念」と「社会の規範」の区別 技術者倫理とは、個人の自由な「思想・宗教」と、社会に対する「行動規範」を切り分けることである。たとえ自身の信念が「正しい」と主張しても、技術者には「公衆の安全・健康・福利」を何よりも優先するという社会的な約束(プロフェッショナリズム)が求められる。 ■オウム真理教とチョウセンアサガオの教訓 オウム真理教事件: 閉鎖的な思想に染まり、専門技術を「救済」の名の下に「破壊」へ転用した、技術者倫理の完全な欠如の例である。 チョウセンアサガオ: 使い方次第で「毒」にも「麻酔(薬)」にもなる。技術そのものは中立ですが、その「影響」を予測し、正しく使う判断を下すのが技術者の責任である。 (2)ワークショップ課題の発表要旨 華岡青洲について調べた。世界初の全身麻酔による乳がん手術を成功させた。しかしその背景には、自分の実の母や妻を人体実験として使って後遺症を負わせてしまったことから、倫理的に問題とされている側面もある。 しかしながら、医療史において大きな進歩をもたらしたのは事実である。 (3)復習の内容 技術者倫理の結論は、「専門知識という力を、組織や個人の信念(思想・宗教)よりも、公衆の安全と福利のために優先させる自律心」を持つことである。 オウム真理教事件は、閉鎖的な思想が技術を凶器に変えた最悪の例である。チョウセンアサガオが薬にも毒にもなるように、技術の価値は「使い手の倫理」に依存する。技術者は「命じられたから作る」という受動的な態度を捨て、常に社会に対する影響を予見しなければならない。たとえ組織の利益に反しても、一線を越える指示には「NO」と断絶する勇気こそが、技術者倫理の最終的な防衛線となる。
A. 第1回の講義では、倫理の本質として「他人から教わるものではなく、自ら考え判断する姿勢」が重要であることが示された。宗教と信仰の違いについても触れ、教祖は神ではなく人間である点を確認し、盲信の危険性について議論した。また、技術者倫理と技術倫理の違いに注目し、専門知識や技能を伴わなければ倫理的判断は成立しないことを学んだ。地下鉄サリン事件や華岡青洲の人体実験を例に、技術的知識を持つ者が倫理的責任を誤ると甚大な影響が生じることが強調され、技術者としての当事者意識の必要性が繰り返し述べられた。さらに、医療や化学分野における具体例を通じて、単なる理論ではなく、現実の意思決定や行動に倫理がどう関わるかを理解することが目的とされた。 ワークショップでは、宗教の違いや技術者倫理・技術倫理の差について議論した。地下鉄サリン事件を例に、京大や東大出身の優秀な技術者が教祖を盲信し化学プラントを構築した背景を考察した。また、報酬や評価、承認といった外的要因が判断を歪める危険性についても議論され、倫理判断には個人の自覚だけでなく、社会的状況や環境が影響することが示された。さらに、医療分野における技術者倫理の適用事例として華岡青洲の人体実験を取り上げ、科学的知識を持つ者が法規や倫理を無視した場合の問題点を整理した。参加者は、自らが将来直面する可能性のある職業上のジレンマを想定し、どのように対応すべきか意見を共有した。 復習では、職業倫理とは専門的知識や能力を前提に成り立つものであることを再確認した。技術者倫理と技術倫理の違いを整理し、技術者としての立場での責任の重さを理解した。地下鉄サリン事件や華岡青洲の事例を通じ、倫理判断の失敗がもたらす社会的影響を振り返り、当事者意識を持つことの重要性を再認識した。また、理論的理解だけでなく、日常的な判断や行動に倫理を反映させるためには、知識・経験・観察力の統合が不可欠であることを確認した。
A. まず倫理とは何かについて取り上げた。倫理は学問全体を指す工学倫理と技術者が業務上守るべき規範である技術者倫理が存在する。オウム真理教を例に挙げ、宗教が個人の倫理観に与える影響や、なぜ高い知性を持つ人であっても誤った思想を信じてしまうのかについて議論を深めた。その後、華岡青洲の麻酔開発に関連する人体実験の歴史について取り上げ、彼の業績が医学の進歩に大きく貢献した一方で、その方法が倫理的であったかについて議論した。 華岡青洲の倫理観について 共著者名:日下翔太郎 南雲陽太 河原慎の介 華岡青洲は人体実験による母の死と妻の失明を経て、世界初の全身麻酔下での乳がん摘出手術に成功した人物である。華岡青洲の良い所としてその医学を大きく進歩させた点が挙げられる。悪い点として、リスク管理ができていなかった点が挙げられる。華岡青洲の人体実験は非倫理的であり、自分が華岡青洲なら人体実験は行わないという結論になった。 倫理について、倫理とは社会生活において守るべき最低限の道理であり、教わるものではなくその環境によって育まれる。健全な倫理観を育むには、自分の意見を持つこと、複数の視点を持つことが重要だと考えた。自分の軸を持ちながら他者の意見を尊重することで健全な倫理観が育めると考えた。華岡青洲の歴史的な功績は素晴らしいが、その方法が非倫理的であったと考えた。また、当時の医学に関しての倫理は現代と違うことが色濃く出ているとも感じた。技術を持つ者が責任をもってリスクを管理する事、人体実験の参加に明確な同意がある事が重要であると感じた。
A. 倫理とは、人として行うべき正しい道のことであり、誰かに教わるものではなく、自らの判断に基づくものです。これは信仰と宗教の関係にも通じます。信仰は、個人の内的な価値観や信念であり、宗教はそれを体系化した社会的制度です。倫理も同様に、個人の内的判断と社会的制度の両方を持ちます。また、技術者倫理とは、職業倫理の1つであり、技術者が個人で判断を行います。さらに、特定の技術分野に限定されるものではなく、共通で普遍的なものとなっています。技術者群を対象とし、「技術と社会の関わり」を扱い、特定の技術問題の是非を考える「技術倫理」とは異なる視点を持ちます。 演題は「華岡青洲について調べて、話し合ってみよう」で、グループ名はありふさこです。共同著者は、近ありす・山崎里歩・大濱風花・立花小春です。私は発言の役割を果たしました。華岡青洲とは、麻酔薬を開発し、世界初の全身麻酔による手術を成功させた人物です。私達のグループでは、華岡青洲が妻と母に人体実験を行ったことについて議論しました。妻と母が同意しているため、倫理的に問題がないという意見が出ました。しかし、私が華岡青洲の立場だった場合、同じことはできないと思ったので、倫理的に問題があるのではないかと考えました。 幹細胞治療には、生命倫理・安全性・商業利用にわたる多くの倫理的問題が存在します。日本では、再生医療等安全性確保法により、幹細胞治療は厳格に規制されています。一方、マレーシアでは、政府認可のもと幹細胞治療の自由度が高く、再生能力の高い治療が可能となっています。このような状況において、インフォームド・コンセント(説明と同意)や専門性の維持など、医者の職業倫理が、治療の質と患者の信頼を得るために非常に重要になると考えました。
A. 第一回の講義では、技術者倫理の基礎として「倫理とは何か」を起点として、価値観の違いや社会的背景が技術者の判断に与える影響について示されました。倫理とは人間生活の秩序であり、社会生活における人間が守るべき決まりや行動の基準である。倫理観の違いを示す例として、宗教や育った環境により倫理観は大きく異なることが示され、その中で地下鉄サリン事件のカルト思想を正義と信じ、サリン製造、散布に加担したことで、倫理観が歪み、社会的に大きな結果を生むことがある。私たち技術者は「ものをつくり社会に供給する存在」であり、判断ミスの影響範囲が大きいため、技術者に求められるものは知識と能力である。技術者倫理と技術倫理の違いとしては、技術者倫理は技術者がどのように技術を扱うかであり、技術倫理は技術そのものに関する倫理である。 ワークショップでは華岡青洲について、福田、三好、日野、大坂、嘉規、沖杉で話し合い、発表を行なった。華岡の医療の進歩のために家族を犠牲にするという問題を取り上げ、価値観の違いや倫理的葛藤が技術者・医師の意思決定にいかに影響するのかを明らかにした。そのうえで、第一回で扱った倫理とは何か、技術者の責任、判断基準のゆらぎとの関連を考え、現代の技術者が学ぶべき姿勢を整理することを目的とした。 なぜ優秀な人ほど信じやすいのかについてかんがえた。優秀な人は倫理的思考ができ、自分の中で矛盾を整合されるのが上手いため、たとえ誤った思想でも、自分で合理化して正しい行為として信じ込んでしまう点があることが考えられた。また、周囲が止めにくいのではないかと考えた。優秀な人は周囲から尊敬されやすく、反対意見が出にくくなるため、間違った方向に進み始めても、誰も止められないという問題があると考えた。
A. 優秀な頭脳をもつ技術者たちの技術も使い方を間違えてしまえば悪用なものに利用されてしまう。その例として「地下鉄サリン事件」が挙げられる。地下鉄サリン事件を起こした組織であるオウム真理教の信者たちも皆が欲しがるような優秀な化学知識を持った人達であった。その人達が猛毒でありながら簡単に大量に生産できてしまうサリンを製造しそのサリンを地下鉄にばらまいたことによって発生した事件なのである。オウム真理教の幹部のように皆が耳にしたことのあるような大学・大学院を修了していていわゆる高学歴と言われるような人達で技術力に優れていたとしても、その技術を悪用してしまうようでは「技術者倫理」にかけている。誰かに命令されて自分の持つ技術を殺人などに使用してしまうのであれば、高等教育よりも技術者倫理について学び直す必要があり、技術者になる上で技術者倫理を軽んじてはならない。 華岡青洲は、世界で初めてチョウセンアサガオを主成分とした通仙散を使用した全身麻酔によって乳癌の手術を成功させた。この成功の裏には華岡青洲の母と妻の2人の協力があった。華岡青洲はこの2人の協力を得て人体実験を行い麻酔薬の作用を調べた。だが、この通仙散の副作用により妻が失明してしまう事件が起きてしまう。この華岡青洲の功績は、医学の進歩に貢献したと考えられるが、母や妻に後遺症をおわせるなど現代の倫理観的に問題のある行為であり素直に喜ぶことのできないものだと考える。 地下鉄サリン事件から技術者倫理を習う大切さを理解した。また、華岡青洲は世界で初めてチョウセンアサガオを主成分とした通仙散を使用した全身麻酔による乳癌の手術を成功させ医学の進歩に関わったが、その裏には母や妻の犠牲があったことから倫理観的に問題のある行為であったとも言える。
A.? 本講義では、哲学や思想が人間の判断基準を形成し、その延長線上に技術者倫理が位置づけられることが示された。技術は価値中立的な道具ではなく、どのような価値観や思想に基づいて用いられるかによって、社会に与える影響が大きく異なる。近代以降、科学技術の発展により、技術者の判断一つが多くの人命や環境に影響を及ぼすようになり、単なる技能者ではなく、倫理的主体としての技術者像が求められるようになった。スペースシャトル・チャレンジャー号事故におけるOリング問題は、技術的知識が存在していたにもかかわらず、思想や判断の欠如によって悲劇が起きた例として紹介された。 ? ワークショップでは、華岡青洲による世界初の全身麻酔手術と人体実験について取り上げ、技術や医療の進歩と倫理の関係を考察した。華岡青洲は妻や母に麻酔薬を投与し、その効果と危険性を人体で検証したが、当時は倫理規範が未整備であったとはいえ、現代の視点では重大な倫理問題を含んでいる。私はこの事例を通じて、技術的成功が必ずしも倫理的正当性を保証するものではないことを指摘した。技術者倫理は結果ではなく、過程において人の尊厳が守られているかを問うものであり、哲学的思想の欠如した技術発展は危険であると発表した。 ? 技術者倫理は、行動の前提となる「考え方」そのものであり、哲学的思考なしには成立しないと理解した。技術的に可能であることと、倫理的に許されることは異なる。
A.倫理とは、本来教えられるのではなく、芽生えるものである。ただ、道徳教育がされるのは、世間が危うくなるときであり、戦前の日本が一例である。道徳教育は洗脳と同じであると考えることもできる。宗教と政治は古来から深い関係にあり、大変なことが起こってきた。例えば、十字軍遠征や第二次世界大戦もその1つと言っても過言ではない。日本がイランのようにできない理由に、イランはほとんどの人がイスラム教で、最高指導者の権威は絶大である。しかし、日本はカトリックや仏教などのほかの宗教もあり、信教の自由が保障されているため、複数の宗教を尊重する必要があるから、宗教に関わってくるようなことに関しては、議論しなければならない。無知は倫理違反である。特に法令や政令などは無知であることに注意が必要である。技術者は量産の設計ができることである。モノづくりは構想、設計、製造、検査が一連の流れである。 華岡青洲は、世界初の全身麻酔を用いて、乳がんの手術をした人物である。朝鮮朝顔、アヘン、トリカブトで調合した通仙散を手術に用いた。効果・安全性の確認のために動物実験を繰り返し、人体への影響を調べるために、妻と母に投与した。妻は副作用の影響で失明した。母は、麻酔の影響なのかは定かではないが、なくなってしまった。これらは人体実験に該当する。ただし、妻や母は自ら実験に協力したこともわかっている。人体実験というものは倫理的によくないことであるが、自ら実験に協力したため、倫理違反にあたるかどうか曖昧なところである。
A. ①哲学と思想ー技術者倫理の位置づけーでは、宗教と倫理についてっ考えた。信仰と宗教とは違うものである。日本は、祖先崇拝をしていて、お墓参りを行う人が多い。イランでは、卵子提供、精子提供が認められている。技術者倫理とは、技術を持った人が持つべき倫理であり、技術そのものを技術者本人がどのように扱うかを考えるものである。技術だけにフォーカスしただけでは、技術者倫理ではなく、技術倫理である。技術者倫理について考えるため、過去に実際に起こった事例について考えた。一つは、華岡青洲についてのものである。華岡青洲は、自分の妻や母を自分が開発する麻酔薬の人体実験の対象とした。身内を実験に対象にすることは、倫理的にどうであるかを考えた。また、サリン事件についても取り扱った。 ワークショップでは、華岡青洲についての調べ学習を行った。華岡青洲は、世界で初めて全身麻酔を使用した手術を成功させた。その麻酔は、トリカブトや草木の成分を調合した通仙散と呼ばれるものであった。華岡青洲は、自分の麻酔薬を完成させるために人体実験を行った。それが自分の母と妻であった。家族を人体実験の対象にするのは、同意を得る際に情が発生するため、倫理的に良くないのではないかと考えた。 復習した内容としては、宗教と倫理の関係について考え、図示した。宗教と倫理は、密接に関わっていて、思想という面では似た面もある。日本は国教を持たないが、宗教の自由が掲げられている。宗教に傾倒するあまり、倫理について正しい判断ができなくなってしまったり、自分で考えられなくなってしまうことがあった。
A.(1)今回の授業では、倫理や道徳の成り立ちについて学んだ。倫理教育は歴史的に古く、戦争中には国家のために戦うことが正しいとする洗脳教育が行われていたが、戦後は平和主義へと価値観が大きく転換した。また、戦争では宗教が利用されることが多く、個人の自由である信仰と、団体としての宗教は異なる点も学んだ。日本人は祖先崇拝が特徴的である。さらに、宗教による医療格差や、技術者倫理が職業倫理の一部であり、無知も倫理違反となることを学習した。 (2)今回のグループワークでは、華岡青洲について調査をし、討論をした。華岡青洲は江戸時代の医者であり、世界初の全身麻酔手術を成功させた人物であり、「全身麻酔の先駆者」として世界的に評価をされている人物である。しかし、母や妻を被験者とした人体実験が行われていたため、技術者としての倫理的責任が問われる。当時は家族の献身は美徳とされ、母と妻も自ら協力を申し出たとされているが、もし自分だったら協力しなかったと思う。そのため、華岡青洲に一種の洗脳のようなものをされていたのではないかという結論になった。対策として、人間に近いチンパンジーなどの動物で実験を行っていれば、現代でも倫理的な問題を問われなかったと考える。 (3)復習として、宗教と倫理が社会や技術に与える影響を改めて考えた。宗教によって幹細胞研究の可否が国ごとに異なるように、価値観の違いは医療や技術の発展にも影響する。また、オウム真理教の地下鉄サリン事件では、教祖を神のように信じた結果、重大な倫理違反と犯罪が起きたことを学んだ。宗教の指導者も人間であり、盲目的に従う危険性を理解することが重要である。さらに、仕事の動機は給料だけでなく承認欲求も関係し、優秀な人ほど倫理的判断を誤りやすい点が印象に残った。
A.倫理とは、ひとが行うべき道のことを指す。正しい行動、間違った行動は何であるのかを判断するための基準や価値観でもある。 宗教と倫理の関係について取り上げた。まず、宗教が生む医療の差についてである。イランやイスラム教では、幹細胞研究が推進されているが、日本では禁止されている。 技術者倫理が問われる場合がある。例として、「故意に危害を加えようとして技術を行使した場合」のオウム真理教サリン事件が取り挙げられる。 技術者とは、化学プラントなどの設計ができることが1つとして、挙げられる。また、構想を練ること、ものづくりができることも挙げられる。 技術者倫理には、狭い意味と広い意味があり、狭い意味では技術者個人の倫理であり「工学倫理」ともいう。広い意味では技術者複数の倫理であり、また社会と技術の関わりがる「技術倫理」と前文の「工学倫理」を合わせたことをいう。技術者たちは、専門的な職務を行う前に、専門の知識や情報を持つ努力が必要である。また、危険なものを扱っているという自覚をもって、消費者含める国民の安全性を最優先すべきであると学んだ。 華岡青州の人体実験についてグループワークを行った。華岡青洲は麻酔薬の開発を行った。そこで、動物実験後に家族による人体実験をした。そこで家族に危害を及ぼした。倫理的に考えた結果、人体実験で失敗を起こさないという覚悟を持って、安全性をより重視していくのが大事だったと授業で学んだこと含め、考えた。
A. 倫理とは、社会的な、広い範囲での善悪の基準であり、強制されるものではない。しかし、その善悪の基準というものは国や宗教によって大きく異なる。その例としてイランでは、日本を含む多くの国で倫理性の議論が続いている生殖補助医療や幹細胞研究における腎移植やクローン動物の研究などが許可されている。技術者には技術者倫理と技術倫理という規範がある。技術倫理は社会全体の視点から、技術が安全で公正に使われるよう考える考え方である。これには安全性、透明性、説明責任、公共の利益などの広い枠組みが含まれる。技術者倫理は、技術を設計・開発・運用する人自身の立場に焦点を当て、個人としてどう判断し、どう行動するかを問うものである。つまり、技術倫理が「何を守るべきか」を指すのに対し、技術者倫理は「どう行動すべきか」を示す実践的な規範と考えられる。 実の母と妻を人体実験の対象として全身麻酔薬を作った華岡青洲は、偉大な発明をした讃えられるべき存在である反面、人道に反する行いだと考えられても仕方がないと思う。自分だったら家族を実験の対象とするなんてできないと思った。 企業に所属する人間として、利益を出すその過程で、技術者が倫理を曲げる誘惑や圧力にさらされてしまうという例を多く扱ってきた。その中で、技術者には、職業倫理を貫く強さと、組織内外で是正を促す制度、例えば通報制度や教育などが必要だと考えた。倫理について問われた際に、批判や反対意見を建設的に話し合える信頼できる相手がいることで、自分の考えを深め、健全な倫理観を育むことができると考えられる。
A.1)講義内容の再話 「倫理」とは、人が社会生活を営む上で守るべき「道理」や「道」を指す言葉である。善悪や正邪の判断基準となり、人として行うべき正しい行為の規範となる。倫理とは心に芽生えるもので人から教わるものではないが、なぜ教わらなければいけないのかを考える必要がある。倫理が教育に取り入れられるときは大体世相が大変な時であり、例えば戦争の時には神の名のもとに自殺させるようなことをしたり宗教を政治に利用することもよくある。キリスト教や天皇もその一例である。それを踏まえて憲法が作られた。 信仰と宗教は違っていて、信仰は個人に芽生えるもので、宗教は団体だから政治が絡んできたりする。 (2)ワークショップ課題の発表要旨 ワークショップでは、華岡青洲について学習した。華岡青洲は麻酔薬を開発し医療に貢献したが、一方で実験の過程で妻と母を薬の実験台として用い、二人は失明したりなくなってしまった。実験を人で行うことが倫理的には正しくとも、実験に踏み切る前に動物実験をもっと行うなどすべきで、人体実験に踏み切るのは早かったのではないかという結論が出た。 (3)復習の内容 復習として、華岡青洲について詳しく調べた。華岡青洲は1760?1835に生きており、江戸時代後期に外科医として漢方医学と蘭学を融合させて医術を発展させた。植物成分由来の成分から「麻沸散(まふつさん)」を開発し、1804年に世界で初めて全身麻酔による乳がん摘出手術に成功したとされる。この功績により日本の麻酔・外科医術の先駆者と評価されている。紀の川市には彼を顕彰する施設「青洲の里」もある。
A. (1)第一回講義では、特に倫理とは何かと技術者倫理と技術倫理について考えた。倫理は人から学ぶものではなく自ら人として正しいと感じられるものであるが、歴史の中では宗教や政治になどの背景によってゆがめられてしまうことがあること、技術者倫理は知識を持つ技術者個人に求められる倫理感であるが、技術倫理は社会と技術の関係によって生じるものであること、偉大な科学者の多くが倫理から外れてしまった歴史についてを学んだ。 (2)ワークショップ課題では、華岡青洲が全身麻酔開発のため家族などに対して人体実験にしたことについて倫理的な行動であったか考え、家族たちが志願していたと伝わっていること、全身麻酔を使った手術は画期的な技術で今でも、他の動物実験と人体実験で結果が大きく異なることがよく起きることもあり、結果として障がいや重症化を引き起こしてしまった人体実験であったとしても倫理的な判断で自分も同じく人体実験を行う決断をしただろうと考えた。 (3)復習として、優秀な人こそ倫理から外れた行動をとってしまう理由について考えた。優秀な人は成功し、注目や応援を受けるとそれを後押しに成果を求めて努力できる。しかし、一度失敗し注目を失い、応援にこたえられなくなってしまうと、過去に大きな成果を挙げ、優秀という評価を受けていたからこそ、もう一度成果を上げようと必死になってしまう。それによって、視野が狭くなっていき、倫理的な考えがだんだんと見えなくなってしまうのではないかと考えた。
A.
A.(1)講義内容の再話 本講義では、哲学・思想と技術者倫理の関係性について論じられた。哲学は、人間がどのような価値観に基づいて行動し、その結果にいかなる責任を負うべきかを根本的に問い直す学問である。一方、技術者倫理は、そうした哲学的思考を社会の中で技術を扱う実践的場面へと展開した概念である。講義を通じて、技術は単なる道具ではなく、人間の意思や社会構造と密接に結びついて成立するものであることが示され、技術者には社会的影響を見据えた判断力が求められることが明らかになった。 (2)ワークショップ課題の発表要旨 ワークショップでは、技術者が現場で直面し得る倫理的な葛藤について事例を用いて検討した。生産性の向上やコスト削減、技術的進歩といった目標が、安全性や公共の利益、道徳的責任と対立する状況を想定し、どのような観点から意思決定を行うべきかを議論した。その結果、法令や技術的知識のみでは判断が困難な場面が存在し、価値観を踏まえた思考が不可欠であるとの認識に至った。 (3)復習の内容 講義およびワークショップの内容を振り返ることで、技術者倫理が哲学的思考と実務上の判断をつなぐ役割を担っていることを理解した。倫理は、技術的成果の達成にとどまらず、技術者自身の行動や意思決定を省察するための枠組みとして機能する。本復習を通じて、技術者は社会に影響を及ぼす立場にある存在であり、その責任を自覚した上で行動する必要があることを再確認した。以上より、哲学的視点は技術者倫理を支える基盤として欠かせないものである。
A.1.宗教や文化の違いは、医療へのアクセスや治療選択に差を生み出す重要な要因である。こうした背景を理解しないまま技術を適用することは、患者の価値観や尊厳を損ない、倫理違反となる可能性がある。技術者は単に与えられた技術を実行する存在ではなく、その技術が社会にどのような影響を与えるのかを考え、設計や判断を行う立場にある。承認や評価、点数獲得のみを目的として技術を不適切な対象に用いる行為は許されない。技術者倫理とは、技術者自身が自らの良心に基づき技術をどう使うかという責任を指す。一方、技術倫理とは、技術が社会全体にもたらす影響を長期的・包括的に考える姿勢を意味する。 2.華岡青洲は、全身麻酔による手術を世界で初めて成功させた江戸時代の外科医として知られている。彼はチョウセンアサガオやトリカブトを調合した麻酔薬「通仙散」を開発し、外科手術に用いた。しかし、その開発過程では母や妻に人体実験を行い、後遺症が残ったり、死に至ったとされている。この事例は、医学の発展に大きく貢献した一方で、研究や医療行為において人間の尊厳が十分に守られていたのかという疑問を残している。医学的成果の大きさと倫理的問題は必ずしも一致せず、医療行為には常に倫理的配慮が不可欠であることを示している。 3.通仙散は、チョウセンアサガオやトリカブトなど天然由来の強い毒性成分を含む麻酔薬であり、効果や安全性は経験則に大きく依存していた。これに対し、現代の麻酔薬ではエーテル、亜酸化窒素、セボフルランなど、化学的に精製・合成された物質が使用されている。これらは作用機序や用量が科学的に検証され、厳密な管理のもとで投与される。また、局所麻酔ではリドカインなどが用いられ、生体モニタリングを行いながら安全性が確保されている。医療は経験に頼る段階から、科学的根拠と安全管理を重視する体系へと発展してきた。
A.本講義では、まず「倫理」とは何かについて学んだ。倫理とは、人の輪の中で守るべき秩序や決まりごとであり、社会生活を成り立たせる基盤である。信仰は個人が持つ考えであるのに対し、宗教はそれを共有する集団であり、社会に強い影響を与えることがある。イランの医療事例では、イスラム教という絶対的な規範のもと、代理母や幹細胞研究などが法的に認められており、倫理的判断が比較的早く行われていることが紹介された。一方、日本では多様な価値観や個人の権利を重視するため、倫理的議論や法整備に時間がかかるという違いが示された。また、技術者倫理は専門的な知識や技術を持つ者に求められる職業倫理であり、社会に与える影響の大きさを自覚する必要があると学んだ。 ワークショップでは、江戸時代末期の医師である華岡青洲の事例について考察した。青洲は全身麻酔による手術を実現するため、麻酔薬の研究を重ね、母と妻に実験を行った。その結果、妻が副作用によって失明するという重大な事故が起こったが、最終的に麻酔薬を完成させ、世界で初めて全身麻酔下での手術に成功した。この事例から、医学の進歩の裏には人命や人権に関わる深刻な倫理問題が存在することを学んだ。 今回の講義を通して、倫理は一つの正解があるものではなく、社会や価値観によって異なることを理解した。特に、技術者や医師のように専門知識を持つ立場では、その判断が社会や人々の生活に大きな影響を与えるため、高い倫理意識と責任が求められると感じた。今後は技術や成果だけでなく、その過程や判断の妥当性についても考えていきたい。
A. 倫理とは、人として守るべき道や道徳のことである。宗教によって医療行為における倫理問題は異なっている。例えば臓器移植や幹細胞研究などは国によってルールが異なっている。技術者倫理と技術倫理の違いについても学んだ。技術者倫理はその人が属している職業に関する知識があるころであり技術者個人の話である。技術倫理は特定の技術が社会にどのような影響をもたらすかや社会が技術をどのように扱うべきかといった問題のことを意味する。技術者に求められるものは知識や能力、技術が及ぼす影響、関連する法規に関する知識、社会の議論についての理解などである。 発表の演題は華岡青洲について調べて、話し合ってみようで、グループ名はありふさこで、メンバーは近ありす、山崎里歩、大濱風花、立花小春、石垣彩奈であった。グループ内での役割は発言であった。華岡青洲は、江戸時代に世界で初めて全身麻酔を使用した乳がん手術を成功させた。何匹もの犬に対して動物実験を行ったり、実母や妻に対して人体実験も行った。ディスカッションでは、倫理観の観点から、人体実験は本人たちが自ら名乗りだしたため良いのではないかという意見があった。また、技術倫理の観点から、その後の医療の発展に貢献したが、安全性が確実に保証されていない時点で人体実験をしたのは良くないと考えた。 華岡青洲についてさらに調べた。チョウセンアサガオ、トリカブトを主成分とした薬草に麻酔の効果があることを発見し、動物実験を重ねて麻酔薬を完成させた。母と妻で人体実験を行い、その結果母は亡くなり、妻は失明したが改良によって全身麻酔薬を完成させた。その後、全身麻酔での手術を行い成功させたが、その患者はすでに末期で4か月後には亡くなった。手術を行った患者は143人であり、腫瘍摘出や壊死など様々であった。 動物実験で成功したとしても、人体で成功するとは限らない。しかし効果を確認するには実際に投与する必要がある。実際に行い、妻や母の犠牲があったが本人が了承していることや、その後の医療の発展に貢献したことから、仕方のない犠牲であり、意味があったのではないかと考えた。しかし、人体実験を行うには早すぎたと思ったので、自分であったら人体実験を行うことはしないと考える。
A.
A. 倫理とは,人としてどう生きるべきか、どう行動すべきかを考えるための規範・道筋のこと。 「良い」「悪い」を判断する基準であり、社会の中で人と人が共に生きるためのルールや心構え。法律のように外から強制されるものではなく、内面的な良心や社会的な合意に基づく。宗教による考え方の違いを死後や来世の考え方の視点から考えると天国と地獄(キリスト教・イスラム教)、輪廻転生(仏教・ヒンドゥー教)、祖先崇拝や霊の存在(神道)、現世での契約や義務を重視(ユダヤ教)などが挙げられる。 本ワークショップでは華岡青洲について調査した。麻酔薬の研究をしていた華岡青洲が母と妻に人体実験を行っていたという事例である。結果的に世界初の全身麻酔を使用した手術に成功したが倫理的には正しいと言えない。しかし救われた命もあるため最終的な善悪の判断は非常に難しいという結論となった。 技術者倫理と技術倫理の違いについて、技術者倫理(Engineering Ethics)は以下のとおりである。 対象:技術者(エンジニア)その人の行動や責任 内容:技術者が仕事をするときに守るべき規範や姿勢 例:安全性の確保、環境配慮、説明責任、研究不正の禁止 「どう行動すべきか?」という個人・職業倫理に焦点 具体例:欠陥がある製品を知りながら黙認しない 等である。 技術倫理(Ethics of Technology)は以下のとおりである。 対象:技術そのもの、技術が社会に与える影響 内容:技術の発展・利用が人間社会や自然環境にどう影響するかを考える 例:AI・遺伝子操作・原子力発電・軍事技術など 「その技術を使ってよいのか?」という社会的・哲学的な問いに焦点 具体例:原子力技術は人類にとって善か悪か? AIによる監視社会は許されるか?、環境破壊を招く技術を推進してよいか? 等が挙げられる。 違いのまとめとしては技術者倫理は技術者個人が守るべき行動規範であり、技術倫理は技術そのものが社会にどうあるべきかという価値判断である。
A. 技術者倫理と技術倫理は全く違ったものであり、技術倫理が第三者目線からの技術に伴う倫理だが、技術者倫理とは技術を扱う当事者目線で求められてくる倫理のことを指す。倫理とは何かというのは難しい問いだが、信仰する宗教によっても価値観の違いから差異が生まれることがある。オウム真理教による地下鉄サリン事件は、信仰によって技術者倫理が守られなかった顕著な例である。また、華岡青洲は麻酔薬を開発するために家族に薬を投与して実験し、母が死亡し妻が失明した。本人たちの同意が得られていたとはいえ、実験を行うために他人の健康、命を危険にさらすのは正しいことなのか、答えを出すのは難しい。このような難しい状況に追い込まれたとき、誤った選択をして周囲を危険にさらさないために、技術者は等しく技術者倫理を身に着けなくてはならない。 今回の演習では、華岡青洲の生涯について調査した。華岡青洲(1760-1835)は江戸時代の外科医であり、世界で初めて全身麻酔による乳がん手術を成功させた。朝鮮アサガオという植物を素にして通仙散という麻酔薬を製造した。ただ、薬を開発する過程で自分の母親と妻で人体実験を行った。結果的に二人とも大きな後遺症を負うこととなった。現代の倫理観に照らせば青洲の行為は非難されるべきものに思えるが、特に日本の医療史において大きな貢献をした発明であることは間違いない。 私自身が青洲と同じ立場に置かれたら、家族を犠牲にするという決断はできなかったと思うが、科学を発展させる人物というのはこのような倫理観を持っているのかもしれないと感じた。
A.(1) 本テーマは哲学・思想分野における倫理についてである。倫理とは、物事の正誤を判断するための基準や能力のことである。倫理の具体例として、イランでは精子提供や卵子提供が認められている一方で、日本ではこれらが認可されていないという違いがある。これは、イスラム社会では地位の高い人物が意思決定を行うため、その人物の倫理観が強く反映されることを示していると考えられる。それに対し、日本は民主主義国家であるため、国民全体の倫理観が制度に反映されやすい。 さらに、倫理の中でも技術者倫理と技術倫理の違いについて考察した。技術者倫理とは、技術者一人ひとりの判断や価値観に基づく倫理であり、技術倫理は技術が社会全体に与える影響を踏まえた、社会全体で共有される倫理である。 (2) 華岡青洲について調査した発表では、麻酔の開発過程を中心に、その中に含まれる倫理的課題について議論を行った。 華岡青洲は、患者に苦痛を与えずに手術を行うことを目的として、麻酔の開発に取り組んだ。その過程で、麻酔効果を持つ毒草を動物に投与した後、人にも投与する実験を行った。その結果、母親は死亡し、妻は失明するという重大な犠牲が生じたが、世界で初めて全身麻酔による手術を成功させた。 この点についてグループ内で話し合った結果、安全性が十分に確認されていない毒草を用いた段階で人体実験を行うのではなく、より慎重に実験を進めるべきであったという結論に至った。 (3) 【平常演習】「なぜ優秀な人は信じてはならない者を信じてしまうのか」という問いに対して取り組んだ内容を以下に示す。優秀な人ほど信じるべきでない人物を信じてしまう理由として、真理を強く追い求める姿勢が関係していると考えた。私は、優秀さとは真理を探究し続ける態度や能力が他者よりも優れていることであると捉えている。そのため、自分の存在意義といった明確な答えの出ない問いに対して、宗教に解答を求めてしまうのではないかと考えられる。さらに、優秀であるがゆえに生じる孤独感を和らげるために、同じ信念を共有する仲間を得ようとすることも理由の一つとして挙げられる。
A.(1)テーマは哲学と思想についてである。倫理とは正しさと誤りを判断する能力である。倫理について考えると、イランでは精子提供や卵子提供がされているが、日本では許可されていない。これはイスラムでは地位が高い人が決めているため、その人の倫理観に大きく左右されることを示している。それに対して、日本は民主主義だから国民全体の倫理観が反映される。次に、倫理に含まれる技術者倫理と技術倫理の違いを考える。技術者倫理とは技術者個人に左右される倫理であり、技術倫理は技術を使用する社会全体に左右される倫理である。 (2)華岡青洲について調べる発表では、麻酔開発の経緯を調べて倫理的な問題を議論した。グループ名は華岡で、グループのメンバーは私を含めて綿貫滉大、赤平草太、後藤拓真、吉成悠であり、私の役割は調査であった。華岡青洲は痛むことなく手術を行うために、麻酔を開発することを決めた。そのために麻酔効果のある毒草をまず、動物に投与してその後に実際に人に投与した。この実験によって、華岡青洲の母は死亡して、妻は失明してしまったが、世界で初めて全身麻酔による手術を成功させることになった。華岡青洲について話し合いをすると、毒草による麻酔という安全性が十分に保障されていない段階で人体実験するのではなく、もう少し慎重に実験を行うべきであるという結論に至った。 (3)【平常演習】「なぜ優秀な人は信じべからざる者を信じるのか?」で取り組んだ内容を次に示す。優秀な人ほど、信じべからざる者を信じてしまう理由としては、真理への強い探求心が要因として考えられる。私は人の優秀さとは真理を追究する姿勢・能力が他の人よりも優れていることであると考えているので、自分が存在している意味といった不確定な問いに対しての答えを宗教に求めてしまうのだろう。また、優秀が故の孤独感を紛らわすために同じものを信じている仲間を作るためという理由も考えられる。
<!-- 課題 課題 課題 -->
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<a href='https://edu.yz.yamagata-u.ac.jp/developer/WebClass/WebClassEssayQuestionAnswer.asp?id=456'>
<q><cite>
</q></cite>
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大学教育の質の保証・向上ならびに 電子化及びオープンアクセスの推進の観点から 学校教育法第百十三条に基づき、 教育研究活動の状況を公表しています。
第百十三条 大学は、教育研究の成果の普及及び活用の促進に資するため、その教育研究活動の状況を公表するものとする。