大学教育の質の保証・向上ならびに 電子化及びオープンアクセスの推進の観点から 学校教育法第百十三条に基づき、 教育研究活動の状況を公表しています。
第百十三条 大学は、教育研究の成果の普及及び活用の促進に資するため、その教育研究活動の状況を公表するものとする。
表示速度の都合、全てのレコードを表示していません。
Q.1人絹発祥の現地見学の記念写真をjpg形式でアップロードしなさい。
WebClassA.人絹発祥の地.jpg
A.人絹発祥の地である御成山へ見学に行った。友人と自転車で見学に行ったため、地石碑にいくまでかなり大変だった。米沢の街を一望できるこの場所にかつて人造絹糸工場があったと考えると非常に興味が湧いた。この感覚も実際に足を運んで見学を行ったならではのものであると感じた。 石碑の近くには紹介パネルが置いてあり、人造絹糸の開発の歴史などが記載されており、より深く人絹発祥について学ぶことが出来た。
Q.1人絹発祥の現地見学の記念写真をjpg形式でアップロードしなさい。
WebClassA.CDE3005D-26EE-4789-B0BD-CE533BA8220E.jpeg
A.「人絹工業発祥之地」の石碑は、帝人株式会社創立五十周年の記念事業の一つとして、日本で初めての人造絹糸(レーヨン繊維)工場跡地(現在の米沢市立第三中学校)を一望できる館山公園に建立されたもので、米沢が日本における化学繊維発祥の土地であることを示している。人造絹糸の製造技術は欧州で開発され、その製品は明治末には日本に輸入されるようになりました。こうした中、米沢高等工業学校(現、山大工学部)の講師に赴任した秦逸三(はたいつぞう)は、ビスコース(木材パルプを苛性ソーダで処理し、これに二硫化炭素を加えたもの)から人造絹糸を作る研究を進め、大正2年の開校記念日には実験を一般に公開し、「木から絹ができる」と人々を驚かせました。人造絹糸の生産は、その後多くの企業が参戦して急速に拡大し、日本は世界でも有数の生産国となりました。現在では、人造絹糸から発展したいろいろな化学繊維が、産業資材用途、家庭要因、衣料品等、幅広い用途で使用され、我々の生活を支えています。日本の化学産業の第一歩はここ米沢の地からスタートしました。
A.人絹発祥の地は高台にありわざわざこんなところに建設するのかと疑問に思っていたところ,工場自体は山の麓にある現在の第三中の場所にあったということがわかった.発祥の記念碑はこの米沢が日本の化学繊維発祥の地であることを記念するものであった.人絹製造は元々欧州のものであった.そのなか米沢高等工業学校講師の秦逸三がパルプから糸を作ることに成功したということを学ぶことができた.山の近くに工場があったのでもしかしたらここの木をパルプにすることも工場でやっていたのかなと考えた.日本の化学繊維の第一歩がこの米沢だということを誇りに思った.
Q.1人絹発祥の現地見学の記念写真をjpg形式でアップロードしなさい。
WebClassA.F218DB31-2C44-4B59-99FE-42E5850D7255.jpeg
Q.1人絹発祥の現地見学の記念写真をjpg形式でアップロードしなさい。
WebClassA.IMG_3159.JPG
A.米沢が日本の化学繊維発祥の地であることは知らなかった。ここでの、化学繊維の発展が日本の化学を発展させていったのだと分かった。人絹を一からつくろうと思ったその心とめげずに努力した精神力に感激した。
A.友達と車で行ったのだが山道でカーブがとても多く、行くまでが大変だった。御成山の石碑に「人繊工業発祥之地」と刻まれていた。石碑近くの案内板によるとこの石碑は帝人株式会社創立五十周年の記念事業の一つで日本初の人造絹糸工場跡地(現在の米沢市立第三中学校)を一望できる場所 に建立されたものであると書かれていた。たしかに上からみると米沢市を一望することができて、左側に山形大学工学部の10号館や11号館が見えた。米沢高等工業学校(当時)の講師の秦逸三という人物が人造絹糸を作る研究を進め、パルプから糸を得る事に成功した。現在では、人造絹糸から発展したいろいろな化学繊維が、産業資材・家庭用品・衣料品等に使用され、生活を支えている。日本の化学繊維は米沢から始まったと思うとかなり興奮してきた。
Q.1人絹発祥の現地見学の記念写真をjpg形式でアップロードしなさい。
WebClassA.人絹発祥の地.jpg
Q.1人絹発祥の現地見学の記念写真をjpg形式でアップロードしなさい。
WebClassA.IMG_1890.jpg
A.車で行ったので移動は大変ではなかった。友達は自転車で見に行ったと話していたため大変そうだなと感じた。私はこの課題をやるまで人繊工業発祥の地の記念碑が館山公園にあることを知らなかった。この公園は米沢を一望できるため、高校の頃米沢の友達と桜を見に行ったことがあるなぁと感じながら散策した。この石碑は、昭和46年の6月に帝人の創立50周年記念事業の1つとして建立したものらしい。確かにこの場所にあることで昔はここから工場を眺めて、明るく発展していく将来を想像していたのかもしれない。こんな風に考えると、自分も頑張ろうと思えた。
A.梅雨も明けたということで自転車で御成山にある人繊工業発祥の地へ行った。かなり自転車で行くのは困難だった。しかし、上り切った後、米沢市を一望できた。かつて、ここの地から製糸場が一望できたのかと思うとここに石碑を築いたのは納得がいった。
Q.1人絹発祥の現地見学の記念写真をjpg形式でアップロードしなさい。
WebClassA.IMG_3644.JPG
Q.1人絹発祥の現地見学の記念写真をjpg形式でアップロードしなさい。
WebClassA.IMG_6177 (1) 人絹発祥の地.jpg
A.人絹発祥の地の碑を見学するために、山形県米沢市大字舘山にある御成山公園に足を運んだ。 添付写真の「人繊工業発祥之地」の石碑は、日本で最初の人造繊維工場跡地を一望できる御成山公園に設置されたものであり、米沢市が日本の化学繊維発祥の地であることを示している。 帝國人造絹糸株式会社(帝人)の設立者である秦逸三は東京帝國大学卒業後、山形大学工学部の前身である米沢高等工業学校の講師となり、日本で初めてレーヨンを作り出したことが分かった。パルプから糸を得る、「木から絹を得る」という技術は当時画期的であったと考えられる。 現在では人造絹糸から発展した様々な化学繊維が産業資材、家庭用品、衣料品など幅広い用途で我々の生活を支えているが、その発祥の地は米沢であることが分かった。
A.googleストリートビューのURLを以下に示す。 https://www.google.com/maps/@37.9133379,140.0752275,3a,75y,23.52h,78.24t/data=!3m6!1e1!3m4!1s6oK7tBLNa3ye8c1i1wFHcQ!2e0!7i13312!8i6656!5m1!1e4?hl=ja 舘山公園の展望台の一角に建っている「人繊工業発祥之地」の記念碑は、昭和46年6月に『帝人』の創立50周年記念事業の一つとして、帝人の興った工場跡地を一望できるように同公園に建立された。この石碑は米沢が帝人および日本の人造絹糸(人工的に造る絹に似せた繊維・レーヨン)、化学繊維工業の発祥地であることを示している。 人造絹糸を作り出す技術はヨーロッパで開発され、その製品は明治末には日本に輸入されるようになった。こうした中、米沢高等工業学校(現、山大工学部)の講師に赴任した秦逸三は、ビスコース(木材パルプを苛性ソーダで処理し、これに二硫化炭素を加えたもの)から人造絹糸を作る研究を進め、大正2年の開校記念日には実験を一般に公開し、「木から絹ができる」ことを証明した。 大正4年、研究を援助してきた鈴木商店の子会社東工業が、閉鎖されていた館山の米沢製糸場跡を買い取り、秦を工場長として人絹の生産を始めた。当初は、生産に苦労したが、折しも起きた第一次大戦で、ヨーロッパからの人絹輸入が減少したことに助けられ生産を伸ばし、同7年6月に東工業から独立、帝国人造絹糸株式会社となった。 日本初の化学繊維工場の跡地は中学校の校舎・グラウンドになっている。
Q.1人絹発祥の現地見学の記念写真をjpg形式でアップロードしなさい。
WebClassA.7642E9BC-EFB6-4F2B-8878-73999A65DD7E.jpeg
A.人造絹糸を作り出す技術はヨーロッパで開発され、その製品は明治末には日本に輸入されるようになった。こうした中、米沢高等工業学校の講師に赴任した秦逸三はビスコースから人造絹糸を作る研究を進め、大正2年の開校記念日には実験を一般に公開し、「木から絹ができる」と人々を驚かせた。 大正4年、研究を援助した鈴木商店の子会社東工業が、閉鎖された館山の米沢製糸場跡を買い取り、秦を工事長として人絹の生産が始まった。初めは糸に艶がなかったり、毛羽ができたりと苦労したが、折しも起きた第一次大戦で、ヨーロッパからの人絹輸入が減少したことに助けられ生産を伸ばし、同7年6月に東工業から独立して、帝国人造絹糸株式会社となった。
Q.1人絹発祥の現地見学の記念写真をjpg形式でアップロードしなさい。
WebClassA.綿工業発祥の地.jpg
A.人造綿糸工業跡地を一望できる場所に綿工業発祥の地の記念碑があった。秦逸三碑文には米沢の綿工業の発祥の原点が書かれていた。米沢で開始された日本の人造綿糸の生産は、その後、多くの企業が参入して急速に拡大し、現在では、人造綿糸から発展したいろいろな化学繊維が、家庭用品や衣料品として幅広い用途で活用され、我々の生活を支えていることがわかった。
A.人織工業発祥之地の石碑は、帝都株式会社創立50周年の記念事業の一つとして、日本で最初の人造絹糸工場跡地(現在の米沢市立第三中学校)を一望できる御成山公園の頂上に建立されたものであった。これは米沢が日本における化学繊維発祥の地であることを示している。人絹生産において、技術は欧州で開発され、明治時代末期には、その製品が日本に輸入されていた。こうした中で米沢工業高校(現 山形大学工学部)に赴任していた秦逸三は人造絹糸を作る研究を進め、パルプから糸を得ることに成功した。このことで木から糸が出来ることを人々に知らせ、大変驚かれた。この研究から米沢製糸工場に秦逸三を工場長にして人造絹糸の生産が始まった。人造絹糸の生産にはその後、多くの企業が参入し、急速に拡大した。そして、現在の日本では、世界でも有数の生産国となっている。このように、日本の化学繊維の第一歩が米沢から始まっているということを知れて驚くとともに、学ぶことが出来てとてもよかったと思う。
Q.1人絹発祥の現地見学の記念写真をjpg形式でアップロードしなさい。
WebClassA.16203498-0DDB-489F-941F-9A8102794D14.jpeg
Q.1人絹発祥の現地見学の記念写真をjpg形式でアップロードしなさい。
WebClassA.S__62324752.jpg
A.化学繊維工業発祥の地である館山公園に行った。そこの展望台の一角に建っている人繊工業発祥之地の記念碑、現在は、御成山公園という名前で出たため。見つけるのに手間取った。山の上に建っていたため、かなり疲れた。帝人の興った工場跡地、現在は三中の敷地であるが、そこから、一望できた。米沢の街を一望することもできた。夕方に行ったためか、街の外灯が灯されており、きれいに輝いていた。
A.この人絹発祥之地の石碑は帝都株式会社創立50周年の記念事業の1つとして、日本で最初の人造絹糸工場跡地を一望できるこの場所で設立されたもので米沢が日本における化学繊維発祥の地であることを示す。
Q.1人絹発祥の現地見学の記念写真をjpg形式でアップロードしなさい。
WebClassA.824A63FC-8A9B-4596-876E-D69A01EF2DD7.jpeg
Q.1人絹発祥の現地見学の記念写真をjpg形式でアップロードしなさい。
WebClassA.30428.jpg
A.人絹発祥の地について友人に聞いたところ、市役所が「御成山公園」という場所を案内したという答えが返ってきた。 山形大学米沢キャンパス前の道から自動車で10分程、米沢舘山郵便局前の交差点から南に見える山の方角に行くと、つづら折りの急激な登りの一本道に入った。そこから街灯は見当たらず、ガードレールがところどころひしゃげていたのを確認した。ひしゃげたガードレールが自動車なのか雪なのか落石なのかは分からないが、夜間や冬季に行くのは困難だろう。 しばらく上っていくと左側に御成山公園が見えた。その中に石碑と「人繊工業発祥之地」と題された案内板があった。 御成山公園から、山形大学米沢キャンパス前の道がちょうどまっすぐ確認できたため、その道の丁度延長線上にあるのだろう。天気のいい日ならば御成山公園を道から視認できるかもしれない。
A.現在では幅広い製品に用いられている化学繊維の第一歩が米沢からスタートしとことに感銘を受けました。
Q.1人絹発祥の現地見学の記念写真をjpg形式でアップロードしなさい。
WebClassA.84EF06A2-E045-43AC-82DB-27D89332C036.jpeg
Q.1人絹発祥の現地見学の記念写真をjpg形式でアップロードしなさい。
WebClassA.5C7D3241-BAEB-4BBC-AA44-20CEF7CDF971.jpeg
A. 舘山にある「人絹工業発祥之地」の石碑は、日本で最初の人造絹糸工場跡地(現在の米沢市立第三中学校)を一望できるためにその場所に建立された。この石碑は米沢が日本における化学繊維(人絹)発祥の地であることを示す。第一回講義でも、米沢が人絹発祥の地であるとして紹介されていた。人絹はエゾマツから作られるが、エゾマツは成長が遅い。よって、山形大学には100年先を見越した卒業生によってエゾマツ植えられた。 前回舘山に行ったのは夜景を見に行く目的であり石碑について全く知らなかったため、勉強した後に行ったら違う観点で楽しむことが出来て良かった。勉強することで景色が変わることが、大変面白いと気が付いたため、米沢市についてさらに調べてみようと考えた。
<!-- 課題 課題 課題 -->
<li>
<a href='https://edu.yz.yamagata-u.ac.jp/developer/WebClass/WebClassEssayQuestionAnswer.asp?id=51'>
<q><cite>
人絹(ビスコースレーヨン)発祥の舞台の聖地巡礼
</q></cite>
</a>.
<a href='https://edu.yz.yamagata-u.ac.jp/developer/Asp/Youzan/@Syllabus.asp?nSyllabusID=11133'>
無機工業化学
<a/a>・
<a href='https://edu.yz.yamagata-u.ac.jp/developer/Asp/Youzan/@Lecture.asp?nLectureID=4440'>
旧米沢高等工業学校の設立
</a>
</li>
<!-- 課題 課題 課題 -->
大学教育の質の保証・向上ならびに 電子化及びオープンアクセスの推進の観点から 学校教育法第百十三条に基づき、 教育研究活動の状況を公表しています。
第百十三条 大学は、教育研究の成果の普及及び活用の促進に資するため、その教育研究活動の状況を公表するものとする。