大学教育の質の保証・向上ならびに 電子化及びオープンアクセスの推進の観点から 学校教育法第百十三条に基づき、 教育研究活動の状況を公表しています。
第百十三条 大学は、教育研究の成果の普及及び活用の促進に資するため、その教育研究活動の状況を公表するものとする。
A.第8回では、同じ「化学」という学問でも、自然科学と工学でその目的や姿勢が異なることを学びました。自然科学としての化学は、再現性と客観性を重視し、真理を探究する学問です。一方、工学としての化学は、その知識を活かして製品や技術を社会に役立てる応用の学問です。私はこの違いを理解したうえで、実験では正確なデータ取得に努めると同時に、それを現実社会でどう活用できるかを考えるようにしています。また、科学と工業、工芸の違いについても意識し、ものづくりにおける「再現性」と「創造性」のバランスに関心を持って学習を進めていきます。
A.前回の復習から始まった。 何故高校卒では教職資格は得られず、大学卒業までの資格が要求されるのか? 個人の考えとしては、知識があることと指導することは別の技術であり、それを学べるのが大学であるからと思う。 また、教職の授業でもあるように、ただ知識があれば良いというだけではなく、その知識を将来にどう活かすかなど、さまざまな方面での知識や応用が要求されるのではないかと考える。 講義内での発表では、資格の条件が法律によって定められているからという意見であった。 専門学校では学ぶものは教科書にある知識のみであって、大学ではそこに追加で教員に必要なスキルを学ぶ。教育学部のほうがより専門的な学習を行なっているのに対して同じ立場に立てるのか 個性の尊重→発達の段階もある 学習には2パターンあり、強化とモデリングである。 褒める、叱る ロールモデルを示す 現状強化が強すぎる傾向にあり、この切り替えがうまくいかないと社会に出て年齢が上がるとともに行くタイミングで困惑が生じる。 直流と交流について グラフから電流の流れの違いを示す。 ガラス 透明性、化学耐久性、絶縁性、加工性、再生再利用が容易 授業の内容はできるだけ具体的に表し、授業中に行えるアクションとしてアイコンタクト、スマイル、間を取るなどが重要であることを知った。 最後に工業技術と工芸品の違いについてディスカッションを行った。 調べた情報を元にした個人的な考えとしては、工業製品は科学技術に基づくものであり、いつどこで誰が行なっても再現することが可能なものであり、それはすなわち客観性がある技術である。工芸品としては個人の思想や感情を表現するものであると考える。
A. 授業を通して、“化学”という一つの分野が、目的や視点によって大きく性質を変えることを実感した。自然科学としての化学では、物質の成り立ちや反応の仕組みを探ることが主であるのに対し、工学としての化学では、その知識を応用し、安全かつ効率的に製品をつくることが重視される。その違いは、「工芸」と「工業」の違いに通じるものがあると感じられた。工芸は一つ一つに個性があり、感性や美しさを表現しますが、工業は品質の安定と効率を追求する。工学としての化学では、製品の再現性を高めるために、単位操作やSI単位の正確な理解、計測と制御によるミスの防止が大切だと感じた。このように、「なぜその操作が必要なのか」を意味づけして理解しようとすることが大切だと感じました。 また、授業では知識を一方的に受け取るだけでなく、自分で考えて答えを導き出すことにも取り組みました。最初はうまくいかないこともありましたが、失敗を恐れず、少しずつ前進する中で自信がついていくのを感じました。ティーチングとコーチングのバランスを意識しながら学ぶことが、将来的に「自分で判断し、行動できる力」につながるのだと実感しました。 このようにして私は、工学的な化学の学びを通じて、技術の正確さや安全性の重要性、そして自分で考え行動することの意味を理解し、日々の授業にも積極的に取り組んでいます。
A.工業高校が目指す専門知識と技術、その技能を持った技術者が社会に出てから携わるのはものづくりである。よって、ものづくりの土台となる単位や計測について学ぶことが重要であると言える。また、広義における工業について、工業では機械を使用して大量に生産することが求められる。さらに、工業では、誰がどこで作っても、同じものが作られなければならないため、単位の統一が重要になる。 次に、工業高校で知識や技術を教えるにあたり、必要な素養を考える。一般的に、教員になるためには教員免許の取得が必要である。これは、高校では進路指導や職業指導といったの教科が履修できないからだと考えられる。また、高等学校までは、勉強内容が学習指導要領で制限されているため、工業高校で指導するにはより大学で学ぶ深い専門的な知識が必要である。したがって、教員になるために必要な知識が学べる環境である大学を卒業した人が学校で教科を教えるのにふさわしいといえる。
A. 工業が機械によって大量に効率よく生産することを目的にしているのに対し工芸は独創性や美的価値を追い求める。文字に起こすと2つの概念は似たもののように感じるがその目的は全く異なる。またそれぞれの製品特徴も異なり、工業製品は一定品質のもと同様に大量生産されるが、工芸製品は1点1点に個性と独自性をもち文化的背景に触れることができる。 工業の発展とともに科学もまた発展してきた、と言えるほどに両者の関係は密接だ。工業は物理、化学、生物学といった自然科学をメインに発展してきた背景をもち、再現性と客観性が求められる。原理に基づいて同様に作製すれば同様な製品が完成しなければならないのだ。こうした科学が今日の車や家電、日用品などありとあらゆる製品を支えている。 知っていてもそれをやれるかは別問題だというのは全くもってそのとおりだ。いくらそれに関する知識があっても実践してみないと分からないこともあれば全く学んだことが役立たない場合だってある。どんなに質の高いことを知っていても実践できなければ知らないことと同じなのだ。まさに工業高校生徒はそれに当てはまるのではないだろうか。卒業後即戦力として社会に出る彼らは知っているだけでは意味がない。在学中に専門的な知識を身につけ現場で役立つようなスキルを実践できている必要があるのだ。
A.演示実験により準備していたことが思い通りにいかないこともあるという難しさ、生徒の印象に残るようにするための工夫など普通の授業とは違う難しさがあることを知りました。みんなの前で授業することは緊張するし実験をやりながら生徒の反応を見たりなどとても難しいと思いましたがどのようにしたらよいかなど準備することは楽しかったです。 科学と社会をつなぐものが工業であり科学が土台となっていると考えました。科学が基盤となり工業を通して社会にモノを出していると思いました。 演示実験で大切なことはその実験についてよく理解することだと感じました。実験がうまくいかなくてもその実験を理解していることで対応したりすることができます。また危険性を理解することは必須です。生徒にその危険性をどう伝えるかも大切だと思いました。
A.今回の講義では、教師が高卒ではなれない理由や工業と工芸の違いについてを考え、科学と工業の関わりについてグループで議論した。高卒では教師になれない理由は、知識不足という点が挙げられる。高校で習った内容では、教える側として必要な専門的・体系的な知識や教育に関する理論が不十分である。教師には、教える科目の高度な理解だけでなく、生徒の発達段階に応じた指導法や教育心理、法的知識なども求められる。これらは高校では学ばない内容であり、大学での教職課程を通して身につけることができる。そのため、教師には大学で専門的な知識をつけることが求められる。 次に工業と工芸の違いについてである。これらは主に生産方法と目的・製品の性質で分けられる。工業とは、大量生産を目的として工場で製造される商品のことだ。同じものを何度も作るため、品質が安定していて比較的低価格で入手できる。例は自動車や家電製品。これに対し、工芸とは職人が一つ一つ手作りした製品のことを指す。手作業が中心となり、職人の技や個性が見られる。工業製品が日常生活で使用されることが多いことに対して、美的価値を持つ工芸品は装飾などに使用されており、価格が高くなることが多い。 科学と工業の関割についての話し合いでは、工業は科学を土台として成り立っているという意見が出た。科学は自然現象や物質の性質を探究し、原理や法則を明らかにする学問であり、その成果が工業であるといえる。また、工業は単に科学を応用するだけでなく、社会との橋渡しの役割も果たしていると考えた。科学の成果を社会に役立てるためには、それを実際の製品やサービスに変換する技術力が必要であり、そこに工業の存在意義がある。つまり、工業は「科学」と「社会」をつなぐ媒介として機能していると考えることができる。 復習の際には教師になるための条件について考えた。教師が不足している中で条件を緩和することも考えてみたが、教育の質を保つためにはやはり今のように大学で知識をつける必要があるように感じる。
A. 工業と工芸との違いについて、工業とは、大量生産が目的で、機械や工場での生産を中心としており、すべての製品が全く同じものであることが求められる。工芸は、芸術的な価値や独自性が求められ、手作業での職人の技術で生み出され、均一性ではなく個性が求められる。工業製品は月に100万個ぺースでの生産が基準になる。 グループワークでは科学と工業の関わりについて話し合った。グループでは実生活と科学とをつなぐ架け橋的存在のものが工業なのではないか、という意見が出た。また、科学を基盤としてその上に工業が存在しているのではないかという意見も出た。 事後学習では教員が学卒以上を求められる理由について考えた。大学では、高校までの指導要領に沿った内容のさらに奥を専門的に学ぶことができ、また、一般教養科目といった幅広い知識を身につけることもできる。そして、教師の仕事内容は授業することだけではなく、対人関係の構築の場である学校で問題が起きた時の解決やアドバイスのための知識も必要であるため、大学で専門的に学ぶことが必要であると考える。
A. 工業高校では、座学だけでなく実践的な技能習得が重要であり、「演示」による教育が効果的である。教員が実際に作業を見せることで、生徒は視覚的に理解し、自らの手で試すことで技能を身につける。山本五十六の「やってみせ…」の言葉は、技能教育の本質を示しており、実践を通じた学びが生徒の自信と能力を高める。 工業高校の教員には、専門知識だけでなく教育学や心理学などの幅広い知識が求められる。大学での教職課程では、生徒の学習意欲を引き出す方法や個別指導の技術を学ぶことができる。また、最新技術や業界動向を理解し、教育に反映させる力も必要であり、大学での研究や実験を通じてその力が養われる。 工業と工芸の違いは、科学的な視点から見ると量産と個別製作の違いにある。工業は数値管理と再現性を重視し、製品の均一性を確保する。一方、工芸は職人の技術と創造性を重視し、製品の独自性を追求する。工業は科学に基づく製造であり、工芸は人の感性と経験に根ざしたものづくりである。
A.高校卒業では教師になれない理由の一つは、単に教科の知識だけでは不十分であり、「教える技術」や「学級運営」の専門的な学びが必要だからである。教育現場では、生徒の発達段階や多様な価値観を理解し、それに応じた対応が求められる。大学や教員養成課程では、教育心理学、教育方法論、発達段階に応じた指導法など、実際の教育に必要な理論と実践の両面を学ぶことができる。専門学校や高校の学びでは、こうした教育の専門的スキルが不十分になりがちである。 授業を行う上では、内容の理解だけでなく、アイコンタクト、スマイル、間をとることといったコミュニケーション技術も不可欠である。また、ディベートのような対話的学びでは、賛成・反対両方の意見を尊重し、多様な価値観を受け入れる態度が重要であり、これは個性の尊重にもつながっていく。 思春期の高校生は、反抗期を経て自我を確立する時期である。反抗期前には「強化」(ほめる・叱る)が有効だが、反抗期後は「モデリング」(見本となる大人の姿を見せる)が効果的とされる。こうした対応の違いも、専門的に学んでこそ適切に行える。 さらに、科学と工業の関係にも注目したい。科学とは、いつどこで誰がやっても同じ結果が出る客観的な知識体系であり、工業はその科学的知見をもとに社会に役立つ製品や仕組みをつくる分野である。工業製品は科学技術に基づく合理的・機能的なものだが、工芸品は感情や思想、表現を含んだ創造的な産物である。 現代の教育では、ワークショップなどの実践的な学びを通じて、知識だけでなく社会性や表現力を育むことも重視されている。こうした総合的な力を育てるためにも、教師には高い専門性が求められており、それが高校卒業時点での教員免許取得が認められていない理由の一つである。
A.単位や計測、制御などを理解するために、どのように単位が定まっているかを調べた。まず、科学について考えた。科学は再現性が重要である。再現性とは一度実験で確認できた現象や運動をもう一度同じ実験をしたときに同じようにその現象や運動を観測できることを言い、再現性がなければ科学とは言えない。そのことを元にSI単位系がどのような方法で定められているか調べた。調査の結果一例として時間を挙げると、時間はセシウム周波数によって定義されていることが分かった。この定義文の中に摂動を受けないとあり、そこの部分が気になった。摂動は他の粒子からの影響を受けることを言うので、定義ではほかの粒子からなんの影響も受けないことが条件とされていることが分かる。このほかの粒子からなんの影響も受けないというのは本当に再現が可能なのか気になった。そして、なぜこのような複雑で再現の難しい定義をしているのか気になった。単位について深く知ることで工学に深くかかわる物理や数学などを理解できると思うのでもう少し調べたいと思う。
A. 今回の講義では、工業高校の教員になるには工業高校卒ではなく学卒が必要であるのはなぜかということについて発表も行い、討論を行い、他の人の意見も聴くことができた。また、ディベートやファシリテータが活発になっていることについて先生の説明を聞いた。認年では、多様な価値観が重視され個性の尊重が通常となっている。それが確立するためには反抗期を経て自我の確立を行うことが重要であることを知った。次に、工業と工芸の違いについて周りの人とも話し合った。工業は大量生産を前提とした製品の製造であり、工芸は個性的な作品を一個ずつ手作業で作ることであると考えた。最後は工業製品について科学技術とのつながりを学んだ。 工業高校の教員になるためには工業高校出身では不十分で、大学を卒業してからでないとなれない理由としては、大学で自分のやりたいことを専攻として学び、高校よりも一歩先の勉強をすることで高校生に教えるときに自信をもって教えることができるメンタルを鍛えるためであると考える。しかし、他の人の回答では「大学では知識だけでなく、高校生や小学生に対応した勉強の教え方を学ぶ場である」ということを聞きとても納得した。 復習内容としては、「工業と工芸の違いを科学の立場」、「教員が学卒の理由」、「机上の空論と技能の習得」についてである。グループ討議の中では、科学の知識を応用すると工業製品を作る手立てになるという結論に至った。私は、科学の知識の幾何学模様などきれいだけど不思議な形が工芸につながっているのではないかと考えた。
A. 教員なるために大学卒であるべき理由を考えます。まず1つ目に高校レベル以上の知識が工業高校教員には必要だからです。高校の内容での原理は大学で理解してから、高校生に教えるべきであるからです。2つ目に、教育者としての知識が必要となります。生徒たちに対してどのように教えていくか、生徒とのコミュニケーションはどのようにとるべきかは工業高校では学ぶことができません。大学で教育について学ぶことで教員の資格が得ることができます。このような理由から教員になるために大学卒が求められるのです。 科学の分野の知識である、化学、材料、機械、電気は工業分野に対して応用されています。例えば、自動車やITサービスなどの製品につながっています。よって、工業分野の中に科学の分野があり、細かく降る分けられていると考えました。 工業大学と工芸大学の今後の在り方について考えます。工業大学は化学や電気、機械、建築などの分野を網羅しており、工芸大学はデザインや映像、漫画やイラストなどの分野を学べます。その中で工業大学と工芸大学が合併した大学を作ることで新しい知識や学問が発達するのではないかと考えました。またそれぞれの学生が互いにコミュニケーションをとる機会が増えることで学生たちの中で様々な発想や知識が成長していくのではないかと考えました。
A. 工業と工芸とでは目的や求められるものが違う。工業は大量生産を目的としており、均一性が求められる。それに対して工芸とは機能性以外に美的装飾を伴うものであり、個性的なものである。工業には、電気、機械、化学などの分野があり、工芸には、写真、デザイン、映像などの分野が存在している。このことからも、工業という大きな枠組みがあり、その中に工芸が存在しているのではないかと考えられる。 工業高校卒ではたしかに工業の教員が教える内容については知識的に不十分ではないかもしれない。しかし、工業高校では教員としての資質を身に付けることができない。教員には、科目を教える以外にも学級をまとめたり、トラブルに対処したりと、高校では習わないこと、知識や技能以外の面も必要とされる。こういった面は教えられることが限られている普通教育では学ぶことができず、学ぶ内容に制限がない大学で学ぶことである。また、大学を卒業したものでなければ教員になれないという法も存在しており、教員になるには大卒が求められている。 最後に、工業と科学技術の関係性について、グループで話し合った内容をまとめる。グループメンバーは高島直希、滝口芙可、勝浦陽菜、森谷玲南である。自分はアイディア、調査を担当した。工業と技術はベン図のような関係性にあると考えた。工業には科学技術、例えば電気、機械、化学などの技術が使われている。また科学技術の発展にも工業は必要である。しかしながら工業のすべてが科学技術と関係しているわけではない。このため、どちらもがそれぞれに影響を与える面があると考えられる。
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大学教育の質の保証・向上ならびに 電子化及びオープンアクセスの推進の観点から 学校教育法第百十三条に基づき、 教育研究活動の状況を公表しています。
第百十三条 大学は、教育研究の成果の普及及び活用の促進に資するため、その教育研究活動の状況を公表するものとする。