大学教育の質の保証・向上ならびに 電子化及びオープンアクセスの推進の観点から 学校教育法第百十三条に基づき、 教育研究活動の状況を公表しています。
第百十三条 大学は、教育研究の成果の普及及び活用の促進に資するため、その教育研究活動の状況を公表するものとする。
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A.いまになって気づいたことだが、高校の教科書を見ていると、結構見落としや新たな知識として再吸収することがある。端に乗っている情報が今になって面白いと気づくこともある。 能動的に知識を得ようとすると、ネットの方が時間短縮になるかもしれないが、受動的に知識を得るなら教科書を見返すのも1つの手だと思う。 また、青春の思い出としての価値もあると思う。
A.教科書に記載されているような情報は、専門化により精査されている場合がほとんどである。また、その道の専門家でもある教員が選んだものなので情報としては信頼できるため、何かを調べるとっかかりには最適である。逆にインターネット上の情報はだれでも情報発信できる時代になったいるめ、情報の取捨選択が必要になりそちらにエネルギーと時間を割かれてしまう。そのため、卒業後でも何か専門的なことを調べたいときは教科書に頼るのが簡単で確実な方法の一つだと思う。教科書を卒業後も所有し続けることにはこういった価値があると思う。
A.教科書は、一つの分野の内容を網羅しているので、知りたい内容の他にも関連した情報も得やすいので知識を増やしやすい。また、ネットで検索して出てきた情報よりも教科書に乗っている内容は正確で信憑性がある。これらの理由から教科書は卒業後まで所有し続ける価値は十分にあると言える。
A.教科書の内容をノートに書き写すと言うことは現実今の時代には必要ないのかも知れない。しかし、今我々が受けているだけで大学に入ってから何冊の教科書があるだろうか、同じ分野でもいろいろな考えを書いてある教科書があり全て同じではない。これを持っていても必要な時に必要な情報を見つけるのには時間がかかる。したがってノートはただ写すのではなく、教科書の大事な部分を要約したり、教科書にはない重要な情報を書き足すものに変わってきている。他にも、友人と共に集まり、相談し討論し答えを見つけていく、そのような記録だけでなく記憶も大事なものだと思う。そんなもの必要ないと言われればそれまでだが私はそこが重要なものだと信じている。また、教科書はノートを見返した時にこの部分を詳しく調べたい思った時見返すことが出来るものなので大事なものだと考える。
A.卒業した後、就職して自分の勉強していたことと分野が同じだった場合は勿論勉強する為に必要となるので所有し続けた方がいいと思う。さらに、私はもうひとつ理由があると考えます。それはシンプルに初心に戻れるからです。会社や研究で悩んだ時、昔の授業で、使った教科書やノートを見返すことにより「あー、昔はこうだったな!」や「これを忘れてたんだ!」と初心に帰ることができ、さらにまた頑張れると思います。以上が教科書を、卒業した後も所有し続ける価値です。
A.ネットやほんの価値が下がりノートを取らなくてもよい時代の中で、教科書は、ネットとは違い根拠となる正確な知識であり、パワーポイントを用いるような授業が増えておりノートをとらない学生が増える中、教科書にはノートをとらなくても初めから知識が書き記されているため調べたいときや学びたい時などに容易に活用することができるという価値がある。
A.物事を調べていくにおいて教科書のような書物は大変重要になると考えられる.ネットであると情報の確かさに欠けていたりするので参考文献とするに当たっては教科書は重宝されると考える.専門知識となるとネットの情報では不十分に感じることも多いなと感じるために専門の教科書を持ち続けることが大事であると思う.他には個人的に線を引いたり付箋を貼ったりと印をつけておくにはネットに比べて教科書の方が便利であると感じるので教科書を所有し続けることは必要であると思う.
A.インターネットで検索すれば簡単に知りたい情報が得られる時代である。しかしこの時代で教科書所有し続けることで、インターネットではできない知識の取得が可能ではないかと考える。教科書があることで、知りたい知識だけでなくその分野に関わる知識も載っている。そうすると、たくさんの知識が得られ学びの視野も広がる。視野が広がれば、研究において新しい発見につながるかもしれない。インターネットはあくまで知りたいものを知ることができるだけで、全てインターネットに頼ってはいけない。教科書たくさんの知識を得てそこから考えていくことが大切なのであると考える。
A.教科書を読んで興味がわいて、もっと知りたいと思うことはあると思います。ネットに載っていない情報が教科書に書いてあると思います。教科書はものとしてずっと残るものものなので、一生の知識として残り続けると思います。ネットに載っている情報は信用性の低いものが多いので、まず教科書に頼るのがいいと考えます。
A.ネットが普及しているのに卒業後でも教科書を持ち続けるのはただの自己満足ではないかと考えられる。今ならネットを使えば誰でも検索できるし、もし可能ならば小学生でも扱うことは容易である。つまり教科書を持ち続けるのはただの頭が固いだけなのか、自分自身が誰よりも上にあり続けているだけではないかと考えられる。
A.教科書はたとえ学生を卒業してから使わなくなったとしても、取っておいて社会に出てから見直しすることで、あのときこれだけ頑張ったと自信を持てることや興味のある分野であれば、一種の参考書として楽しむことができる。家に教科書を置くスペースがないのなら仕方ないが、あるなら普段自分が目に入るような本棚などに収納しておくことで、頑張るきっかけになると思う。
A.現代では、インターネットを通じて何でも検索すれば、調べられる時代である。しかし、インターネットに書いてあることは根拠が明白ではなく、その情報が正確であるのか自分自身で精査しなければならない。インターネットと異なり、文献は正しい情報を得られるとともに、本という形で保管することができることに価値があると考えられる。
A.現代において教科書を卒業後まで所有し続ける意義は、教科書が知識と記憶をリンクさせるものであるからである。現在、スマートフォンやパソコンなどで教書である本や板書までもが全てデータとして保存できる時代にあり、紙媒体と異なりスペースを取らず非常に便利なものである。さらにネットの普及により必要な情報を手に入れることも簡単になっている。このような時代の中で教科書かを所有し続ける価値としては、当時の考えたことや感じたことが教科書という形のあるものによって五感で当時とつながることができるものであると考える。教科書に手書きで書き込まれたり、使い古されたページ等で記憶とリンクすることが可能である。
A.教科書を卒業後まで所有し続ける価値は、簡単に購入できる現代では、授業では教わらないところを自分で学習できることにあると思う。過去に得た知識(授業等で)を思い出そうとしたときはノートでも可能である。だがそこに記されている事には限界がある。例えば理系なら卒業研究の際、自分では分からないことが起きたらノートを見返すかもしれない。だがもしそこに書かれておらず、教科書には書いてあったら。教科書の価値はそこにあると思う。学生なら先生に聞けばいい、と思われるかもしれないが全部そうすると一生他力本願の人間に成り下がってしまうかもしれない。自分で見て気づいて理解するのは大切だと思う。 教科書がなかった時代では自分のノートがすべてなので勉強に必死だっただろう。そこが現代との差だと思う現代では板書なんて教科書に書いてあるため学校でそんな必死になる必要はない。 少し話が脱線したが、自分が思う教科書の価値は先生から教わらない事を学習する際の最強のツールになることにあると思われる。
A.使用した教科書を取っておくことは自分がこれまで学習した内容を効率よく見返すことに役に立つと考える。ネットが普及しても取り扱う情報は膨大で真偽が不明なものもある。その中から必要なものだけを取り出し、使用するまでの労力ははかり知れない。その点ではオフラインの情報のみを扱うほうがよい。また、かつて使用したものを再度手に取ることでその情報はかつての記憶とリンクし、印象付けしやすいためオンラインから取り寄せたものよりも記憶に残りやすいと考える。
A.一度使った教科書には使用時に書き記したポイントやメモが書かれていたりする。そのため、その教科書の内容に関することでの調べ物をするときには書き方や表記法が統一されている使用していたものを使ったほうが理解がしやすく知識として定着しやすいと考える。ネット上に出ている情報は書き方が統一されているわけでなく使っている文字も異なるため同じことを調べていても同様な書き方・説明で出てくることは少ない。そのため、効率・知識の定着のしやすさなどから教科書を所有し続ける価値は十分にあると考えられる。
A.私は教科書を卒業後まで所有しつづけることは、4年間あるいは6年間の学習した知識を唯一目視できるものだと考える。 私は小中高と在学中は親が教科書及びノートを捨てずに取っておき卒業後に捨てるということをしていた。小学生の時は意味が理解できなかったが、中学高校と上がっていくたびに行動に価値を見つけた。在学中の自分の学習を見直すことができるのである。例えば中学の頃、教科書の取捨選択をしていて、教科書の内容に自信のある英語は躊躇いなく捨て、一方で国語の漢字が苦手だったので漢字のテキストは取っておくなどした。捨てるときに教科書を縛っていて「3年間でこれだけの量を学んだ」ということを再認識することができた。これは私にとっての自信にも繋がったし、同時に残った教科書で苦手分野を再認識できた。 また、教科書を所有し続けることは学習の再確認に重要である。実際に私は初歩的なところでつまづいてしまい一年生の頃使っていた教科書を見直した際に、当時の書き込みや付箋、ノート等のおかげで再度理解することがあった。もう使わないからと捨ててしまっていたらなし得ないことである。また、大学は高校までと違ってバラバラなわけではなく授業繋がっていく。着眼点は違えど同じ内容をしていることは多々ある。そのため、再度他の講義で出てきた際などに再度見れるように取っておくのはとても重要であると考える。特に現在実験レポートを書く際など図書館に行きにくいので自宅にある教科書を見て参考にしている。 最後に、インターネットなどでわからない情報はすぐに入手することができる。しかし、ネットの情報は形には残らない。また、消去されてしまったり、URLを取っておかないとあとで見返すことができない。教科書を卒業後まで所有しつづけることは、4年間あるいは6年間の学習した知識を唯一目視でき、自分の軌跡として価値を見出せるのではないかと感じた。
A.仮にその教科書に書き込みが沢山あったり、使い古してあったりするならば、私は現代において教科書を所有し続ける価値を思い出として見出せる。 卒業後も所有し続ける労力(例えば引っ越しなど)やその教科書の為に必要な空間などに勝るものは、実物を見た時に思い起こされるあの時はこうだった、ああだったといった古い記憶やその教科書に対する思い入れだと私は思う。 卒業後に得たいと思う知識は、職種に依るがネットや地域の図書館などで事足りると思っているので、以前学習した知識を思い出すためだったり、その教科書から新たな知識を得るためだったりには、卒業後も教科書を所有しようとは思わない。
A.今日、インターネットや検索エンジン、コンピュータの発達により我々は多岐にわたる情報を手元の端末でいともたやすく入手できるようになった。検索エンジンに調べたいこと、ふと疑問に思ったことの断片的情報を入力するだけで、目的となる情報が見つかる。 こう考えてみると私たちは情報の手に入りやすい時代に生まれたと感じる。むしろ情報過多になってしまったこの時代、正しい情報を読み取る能力が求められるようになってきている。 たくさんの情報が集まるインターネットでは自分から求める知識にたどり着くのはたやすいことだ。しかし、自分のまだ知らない知識の領域にたどり着く可能性はとても低いだろう。自分の知的好奇心を満たすにはインターネットという場はあまりに不正確で、実用性に乏しい。 教科書というのは、インターネットに比べて学習、知的好奇心を満たすのには最適な存在である。 理由は大きく分けて3つある。 1つ目は情報の正確性である。 教科書とされる書物はたいていその分野における権威な研究者など、その道のプロが編集に携わっていることが大半であるからである。インターネットでは素人でも情報の発信ができてしまうから、情報の正確性というものにおいて、教科書とは比べ物にならないであろう。 2つ目は先人たちの積み上げてきた信頼である。 教科書というものは時の話題書とは違い長い間発行され読まれ続けられるものもある。 長い間売れているものならば、多くの先人たちがそれを用いて学習してきているということで、学習に適しているという何よりの証拠だ。 3つ目は知識との出会いである。 辞書は紙のものを用いるほうが良い、という層は一定数存在する。 何十冊という辞書のデータが入った軽い電子機器が、たった1冊の辞書に勝る利点とは何だろうか。 それは情報の連鎖的吸収が見込まれている点である。辞書を引くときに必ずと言っていいほど目的の語以外の情報を目にするだろう。電子データだと目的の語まで一発でたどり着くことができる。 この目的地にたどり着くまでの過程で新たな情報が得られることが新たな学びとなっていくのだ。 専門的な学術書なども同様のことがあるといえよう。専門的知識は、基礎知識の土台があってこそ成り立つものである。難解な事象を理解するには目的の情報をピンポイントで探すインターネットでは実用性に乏しいだろう。 以上の理由が教科書が学習に適している理由である。 教科書は保管場所こそ必要であるが私たちの寿命までに朽ち果てることはまずない。教科書を保有し続けるということは、インターネットで学習できない高次知識へアクセスできる手段を保有しているということである。
A.教科書には学びたい内容が流れになって説明されているため、知りたいことの他に、それがなぜそうなったのか、そこからどうなるのかが分かる。ネットで検索すればすぐに知りたいことを知ることができるかもしれないが、教科書で調べれば、他のことも自然と目に入っていき、様々な知識を吸収することができるため、教科書は卒業後まで保有し続ける価値がある。
A.現代では、自分が分からないこと知りたいことがあれば国民一人一台は持っているであろうスマートフォンのインターネット機能を使い、すぐさま調べ上げられることであろう。しかし、この方法で得た知識は2次元の文字でしか見ることができない。昔のように鉛筆を使い、文字を書き、自分の手を動かして理解していた時代に比べれば遥かに脳に知識として定着しずらいのではないか。確かに、後者の方は時間がかかり、労力が大きい。しかし、今日の日本ではあらゆる知識をスマホから得ており、非常に便利なものではあるが、勉学においては、自らの手を動かし板書をすることのほうが知識理解度が大きいのではないかと考えられる。事実、小中学生において、漢字の読み書きが苦手な子供が増加している。これもスマホが普及し、自ら手を動かして手紙などを書いていないのが原因ではないか。購入した教科書は自分で紙媒体として調べられる唯一のものである。よって卒業後も必要であろうと考える。 ※他講義「無機工業化学」と設問が一緒なので回答も同じものを使用します。
A.教科書を卒業後まで所有し続ける価値としては、一回学んだことをもう一度学習する際に発揮されると考える。授業は大体が教科書に沿って行われるため、一回習ったものであれば教科書の中に書かれている。そのため、ネットのようにワードを一つ一つ検索し、自分が知りたい情報を時間をかけて調べる必要がない。すなわち、調べるときの時間が短縮される。また、教科書にはたくさんの単元が記載されているので、自分が調べようとしているもの以外のことにも同時に目を通すことができる。これは、ネットを使用しても不可能なこと。つまり、教科書の価値であると思う。実際に、私が受けていた講義の教授は、大学生の時に使用していた教科書が企業に入ってから役に立ったと話していた。まとめると、教科書を所有し続ける価値としては、卒業後に知識を思い出そうとする際、短時間でかつ、調べる内容の周辺の予備知識まで手に入れることができることだと思う。
A.教科書を卒業後まで所有し続ける価値の有無を極端に結論づけることはできないと考える。 自然科学の教科書は、原理が覆ることもザラにあるため、古い教科書に固執することはいかがなものかと思う。しかし文学的価値などのある教科書は所有し続ける価値があると考えた。
A.教科書を卒業後まで所持し続ける価値は、何か忘れて思い出したいときや、勉強したいとき等に使うことができる点にあると思う。自分の使っていた教科書であれば、受けていた講義の内容とともに思い出しやすいし、メモが記載されていれば手助けにもなる。また、将来の子供ができたならば、教えてあげることができる。しかし、現代においてインターネットが発達しており、しら張れば大抵のことは出てくる。インターネットとの差別化においても教科書の場合は信頼性が高くインターネットの記事よりも細かく書かれているため、教科書を卒業後も所有し続ける価値はあると思われる。
A.まず教科書と携帯などのネットツールでは信頼性に大きな開きがあると私は思います。教科書には有名な著者がいるなかでネットでは一個人の意見などが多くどれを信用すればいいかわからなくなる場面がありますが教科書では教授による裏付けられた情報なので信頼感がありますししっかりと訂正が発表されるところもネットとは違い、いいところだと思います。 他にも教科書のページで目にはいってくる発展や少し違った反応などはネットでは検索しないと出てこなく見ているだけで知識の増大に繋がるという面では教科書の方が圧倒的であると感じます。 さらに他の知識をつけたあとに読み返さすことで更なる発見や理解の探求に繋がることもあるので教科書を保持しとくことは大切だと感じます。
A.教科書を所有し続ける価値はあると考える。たしかにネットが普及している現在は機器に教科書を保存してコンパクト化することで、重い教科書を手元に置いておかなくても端末さえあれば何処でも簡単に開くことができる。しかし教科書には授業でメモしたことなどが書かれていたりする。そこには自分の間違いの痕跡や意見など様々なことが書かれていることがある。また私たちが使用してい専門書は値段的に考えると安いわけではない。高いお金を出した教科書を捨ててしまうのは、もったいない気がする。また端末というのは電気無ければ動かないものである。災害などにより電気が通らないというとき紙媒体の教科書のほうが役に立つ。すべての教科書を所有し続けるというわけではない。自分が力を入れた分野の教科書ぐらいは手元に所有しても良いのではないかと思う。
A.教科書はただの勉強の道具ではなく、自分の知識そのものとして扱うべきであると思う。教科書は一般的には学生にとって、テスト勉強や授業中の図やイラスト、表などの参考にするために使われる。しかし、これだけでは知識として定着しない。そのため、教科書を全て記憶する必要はなく、自分の研究などでわからないことや疑問に思ったことなどが出てきたら使用するべきだと思う。
A.現代、自分が知りたい知識はインターネットで検索することで比較的簡単に調べることができる。そのような観点から見ると卒業後も教科書を持ち続けている価値は低いと考えられる。しかし教科書は当時、本人が書き足したメモが存在したり、慣れ親しんだ文体であったりするため、ネットで検索したものよりもはるかに理解しやすい。また、教科書は関連した内容が近くに載っているため復習がしやすく、知識を多角的に得ることができる。このようなことに教科書を卒業後まで持ち続ける価値があると考えられる。
A.ネットで調べればどんなことも分かってしまう世の中に成長したが、ネットの知識に頼ってしまうことにはデメリットが2つあると考える。まず1つは、得た情報が正しいとは限らないということである。今や誰でもネットに情報を出すことができる程までネットは発達していて、情報発信した人は正しいと思っていても真実とは限らない。2つ目は知識が簡単に手に入りすぎて覚える努力をしなくなってしまうということである。今回の論題の教科書の必要性というものには、この2つ目があるから教科書は無くてはならないと言えるだろう。無論1つ目の理由にも当てはまっており、教科書の内容は今わかっていることが正しい情報で書かれていて正しい知識がを得られる。以上が私が思う教科書を所有し続ける価値である。
A.ネットが普及した現在では、すぐに自分の知りたいことを検索することができる。しかし、その手軽さが物事を覚えることに繋がらないのではないかと感じてしまう。 教科書は紙の媒体であるため、書くことで自分の好きなように情報を追加することができる。この「書く」といった動作が勉強した内容の定着に繋がると思う。また、教科書に書き込むことで後で見返した時に、どこが重要なのかや、関連する事項などを確認することもできる。 このことから教科書を卒業後まで所有することの価値とは、自分に必要な情報をカスタマイズして詰め込んだものを手にすることができるという事なのではないかと考えた。
A.私は教科書に自分で大切だと思ったことや、先生の話で大事だと感じたところにマークをしたりメモすることで、簡単に見返すことが出来ますし、より覚えやすいと感じます。そうするこで、自分だけの教科書を持つことが出来、卒業した後でも思い出として残りやすくなると思います。また、卒業後に誰かに教えるような立場になった場合、自分で教科書に蓄積してきた情報を伝えることが出来るという部分でも役に立つのではないかと思います。
A.教科書は書籍として出版されているため文章の校正がしっかりと行われており、また著者がはっきりと印されておりインターネットに掲載されている情報と比べ信頼性が高い。そのため確かな情報として教科書を使うのは現代において望ましい。他に教科書の良さを挙げると、覚え切れなかった内容でも、分野さえ覚えておけば後から開いて確認することができ、必要な情報を用いる事が出来る。 他に、きちんと保管すればデータと違って急に破損する心配はなく、安全に保管することができる。
A.板書したノートや書き込むなどして使った教科書は、一度自分が学習したものとして所有し続けると、あとからその知識が必要な時に一度自分が理解した教材として使うことにより、ネットで新しい考え方などを見るよりも理解が速く、非常に価値があるだろう。ただ、ネットや映像技術の発達によって黒板を使わない授業も増えてくると考えられるのでそれぞれの特性に合ったノートの取り方、教科書、教材の使い方をやっていくべきである。
A.たとえどれだけ膨大な情報があろうとも、存在自体知らなければそもそも検索エンジンを活用して調査しようという発想すらないだろう。教科書は分野ごとに分けられている。国語、英語、化学、物理、生物…。どの教科書にどのような単語、現象、説明が載っているのかをわかりやすくしている。だからこそ、インターネットや図書館で調べるときも、キーワードが思い出せなくてもそれと関連付けられた知識や、ジャンルさえ思い出せれば探すための手掛かりとなりうる。そういう面で、教科書を持ち続けることは非常に大切である。また、教科書は国や多くの専門家、教員が認めた正式で公的な、ある学問を勉強するために適切とされた書物であり、その内容の信憑性は非常に高い。しかし、インターネットは正しい知識も誤った知識も多く散見され、それらを見極めるのは困難を極める。それを解決する手段としても教科書は大いに役立ってくれている。
A.ノートは時間がたっても手元に残り続けることに意味があると考えます。数年後、ノートを見返したとき自分がわかりやすいようにまとまっているためすぐ理解できる。一方インターネットだと用語を覚えていないと調べられず、質も玉石混交である。よってノートを所有し続けることは価値がある。
A.現在はネットを使って知識を増やすことができるが、ネットの情報は信頼性が高いとは言えない。誰でも情報を発信できるネットよりも教科書は信頼できる情報が備わっており、教科書を卒業後まで保持することで、卒業後も信頼性の高い知識を得ることができると思う。
A.情報社会と言われる現代において、黒板に書かれた内容を書き写すということの価値は小さくなっているだろう。しかし、ノートを取ることの意味は、黒板の内容以外の教師の話したことや、自分の中の気づきなど、書き写し以外のところにもある。言い換えれば、目と手で覚えるほかに耳で覚えるという意味や、能動的だけでなく自発的に学ぶという意味がある。インターネットの情報は基本的に「書いてあること」であるため、実際の出会い、経験だったり話してもらうことによる「多面的な学び」にはつながらないと考える。 教科書を所有する価値としては、時代の移り変わりを体感することができるという点がまず思い浮かんだ。例えば化学の教科書なら、周期表に示されている元素が多くなっているということがある。これは私も実際に経験したことである。もしかすれば化学の常識が新たなものとなっているかもしれない。もちろん、うろ覚えの知識を再確認することなどの単純な利点もあるだろう。 ただ、ここまで述べたものはインターネットによって解決できる。 教科書そのものの利点としては、教科書自体が一つの専門書であることだろう。インターネットに載っていない文章、知識、データがあるはずだ。 「教科書の実物を持つ」ことを考えると、自身の過去がわかるという点に価値があるのではないかと思った。例えば、教科書に記入したり付箋をつけていたりしたら、重要としていたところがわかる。紙のくせからどのページをよく開いていたかということもわかるかもしれない。 以上が私の考えである。
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<li>
<a href='https://edu.yz.yamagata-u.ac.jp/developer/WebClass/WebClassEssayQuestionAnswer.asp?id=58'>
<q><cite>
00-00+【課外報告書】教科書が手に入らなかった時代の授業
</q></cite>
</a>.
<a href='https://edu.yz.yamagata-u.ac.jp/developer/Asp/Youzan/@Syllabus.asp?nSyllabusID=11273'>
エネルギー化学
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<a href='https://edu.yz.yamagata-u.ac.jp/developer/Asp/Youzan/@Lecture.asp?nLectureID=0'>
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大学教育の質の保証・向上ならびに 電子化及びオープンアクセスの推進の観点から 学校教育法第百十三条に基づき、 教育研究活動の状況を公表しています。
第百十三条 大学は、教育研究の成果の普及及び活用の促進に資するため、その教育研究活動の状況を公表するものとする。