大学教育の質の保証・向上ならびに 電子化及びオープンアクセスの推進の観点から 学校教育法第百十三条に基づき、 教育研究活動の状況を公表しています。
第百十三条 大学は、教育研究の成果の普及及び活用の促進に資するため、その教育研究活動の状況を公表するものとする。
A.
A.①石炭とは昔のエネルギー源であり蒸気機関を動かすために必要不可欠のものだった。現代において石炭は火力発電に用いられており、我々の生活を支えている。産業革命において動力を手に入れたことによるメリットは、まず物事の効率化を行うことが可能なった。具体的には、工場の仕事を自動化することによって時間を有効活用できるようになったのである。次に人員を削減することができるようになった。人員を削減することによるメリットは余った人員で別のことができ、また大量生産が可能となったことである。しかし動力を手に入れられた反面、デメリットとして黒い霧などの環境破壊が進んでいたことが挙げられる。これらのことから、産業革命によって人々の生活は向上したのだが環境に負荷をかけないためにも、必要なものを選別し見極めて商品を製造していくことがこれからの産業には必要になってくるのである。 ②あってよかった工業製品としてエアコンについて調べた。 ③昔は打ち水や風鈴などで涼を感じられたが昨今では地球温暖化によって涼を感じる余裕はなく、命に関わるほどの気温になっている。そこでエアコンは日本だけではなく世界各国で熱中症などの危険にさらされることが少なくなった。
A.①産業革命以降の歴史について学んだ。紡績や蒸気機関が主に産業革命以降にでてきた重要な技術であると分かった。鉱石ラジオといいゲルマニウムなどのダイオードを使って作られたラジオについても触れた。1つのものを作るのは工芸品、量産できるモノは工業製品といいどのようにして量産していくかが大切であると分かった。②あってよかった工業製品について自動車について議論した。車はタイヤ、エンジン、シート、ガラス、塗料などで構成されている。1967年にフランスのニコラジョセフ氏によって初の蒸気自動車が開発され、1885年に初のガソリン車が誕生したなどの歴史について議論した。エンジンの仕組みはガソリンと空気を爆発させてエネルギー動力に変換していると議論の中で分かった。③産業革命以降の工業の歴史は18世紀後半のイギリスでの綿工業を皮切りに、蒸気機関の導入による機械化により大量生産が始まり交通機関の発展に繋がった。その後の第2次産業革命では石油や電気をエネルギー源とする重化学工業へと移り変わっていった。
A. 化学工業はイギリスで起こった産業革命と密に関係がある。産業革命が起こると大量生産が必要になり、動力源が動物や水車であったものが、蒸気機関へと推移した。紡績業が盛んになり、次亜塩素酸ナトリウムを主成分とする漂白やそれに用いられる苛性ソーダなどが発明される。 グループワークでは、あってよかった工業製品について話し合った。工業製品としては灯りとして用いられる電球が挙げられた。灯りの歴史としては蝋燭、ガス灯、白熱電球、蛍光ランプ、白色LEDの順で発明された。白熱電球はモノを燃やさないで光を灯すことができる初めてのものであり、それまでのものより安全であるのではないかという意見が出た。しかし、現在は利用が減っているという現状があり、それに関しては、エネルギーが熱として放出される分が多く、省エネルギーの観点から利用が縮小されているのではないかという意見もでた。 事後学習では、自然科学としての化学と工学としての化学の違いについて考えた。自然科学としての化学は自然現象や自然の本質や、物質の性質や反応を解明したり証明したりして、基礎的な知識を学ぶ学問であり、工業の化学は、その理学での知識を活用して、産業や生活に役立つように物質を研究したり加工して製品を作ったりする学問であると考えた。
A.
A.第一回の授業では、今後の授業の流れをつかみ、産業革命について学びました。 産業革命は動力の源がそれ以前と大きく変化しました。産業革命の特徴として蒸気機関の発言があります。産業革命以前では動力源が馬や人、水車だったのに対し、蒸気機関の発現によって一気に文明が発達する起因となりました。産業革命時は石炭で蒸気を発生させて動力としていましたが、その後石油を用いたエンジンの出現などにより文明は現代のように発展しました。 グループディスカッションではないと困る工業製品について議論しました。私たちの班では自動車について考えました。 復習の内容として、産業革命に大きくかかわった人物を調べました。最も活躍した人としてジェームズワットがあげられます。ワットは1736年生まれのイギリスの発明家で、蒸気機関の改良と実用化に貢献しました。これにより機械動力として蒸気機関が広く使われるようになり、産業革命の発展に大きく貢献しました。この際に動力を測定する言葉として馬力という単語が生まれたと言われています。
A.①工業化の歴史について学んだ。産業革命において、紡織機を動力として用いることができるようになった。それにより、量産化ができるようになった。また、鉱石ラジオについても学んだ。材料としてゲルマニウムが用いられている。ケイ素は、バンドギャップが大きいため、不向きであるとされている。石炭を動力の原料とする前は、水車を用いていたが、1920年ごろから石油が原料となり、量産化を後押しするようになった。 ②あってよかった工業製品について議論した。鈴木純奈、松本碧衣、須田琥珀、青木優菜、今山華百と議論し、私は調査を行った。工業製品として、車を選択した。車の歴史は、動力車が始まりとされている。1769年には、フランスの二コラ・ジョセフにより、蒸気自動車が世界で初めて発明された。電気自動車は、ガソリンエンジン車よりも古くから発明された。電池自動車は1777年、モーター自動車は1823年に発明された。ガソリン車は、1885?1886年に誕生した。ガソリン自動車の発明により、アメリカで馬車に変わるものとして、自動車の量産化が始まった。今では、自動車は単なる移動手段から社会、経済、環境と密接に関わる存在へと変化した。 ③自然科学としての化学と工学としての化学の違いを考えた。自然科学の化学は、実験や観察を行うことで環境や生体内の化学反応を学ぶことであると考える。理論的な化学であり、分子、原子レベルでの自然の法則や現象を理解する際に用いる知識であると考える。一方で、工学の化学は、製品にすることを前提として、設計やその改善を行う際に、物質そのものの状態や組成を変えていく技術を学ぶことであると考える。社会に役立つものづくりを行う際に、大量生産、技術開発を行う。その際、効率を重視した設計が必要となるため、化学工学や化学エネルギーの知識を使用すると考える。
A. ペットボトルは、現代社会に欠かせない工業製品の一つである。その構成材料には、キャップにPP(ポリプロピレン)やPE(ポリエチレン)、本体にはPET(ポリエチレンテレフタラート)が用いられている。PETボトルは1967年に米国で技術が確立され、1973年に特許が取得された。日本では1977年に醤油容器として導入され、1982年の食品衛生法改正により清涼飲料用にも使用が認められた。1997年には容器包装リサイクル法が施行され、PETボトルのリサイクルが法的に義務化され、現在ではボトルtoボトルの技術も確立されている。 このような製品の開発と進化には、化学の知識が不可欠である。自然科学としての化学は、物質の構造や性質、変化を分子・原子レベルで研究する分野であり、有機化学・無機化学・物理化学・生化学の4つに分類される。化学者は新しい物質や反応を発見し、基礎的な理解を深めることを目的としている。ペットボトルの材料開発も、こうした化学の知見に基づいて行われてきた。 一方、工学としての化学、すなわち化学工学は、これらの原理を応用し、材料や製品の設計・生産を行う分野である。プロセス設計や反応器設計、物質移動、流体力学などの技術を駆使し、原材料を効率的に最終製品へと変換する。自然科学としての化学が基盤となり、それを応用することで工業製品の開発が可能になる。ペットボトルのような製品は、まさにこの両者の連携によって生まれ、社会に貢献しているのである。
A.①昔は、物を動かす力として馬や水車が使われていたが、産業革命により蒸気機関が登場し、大きな変化が起こった。動力の進化により、工場では大量生産が可能になり、産業が急速に発展した。日本でもこうした変化が起こり、その一端を担ったのが、現在の山形大学工学部の前身である米沢高等工業学校である。この学校では、化学工業や繊維産業の発展を支える技術が研究され、特に人絹の国産化など、日本の近代産業に大きな影響を与えた。 今回のグループワークは、あってよかった工業製品について議論しようである。 ②演題はあってよかった工業製品について議論しようであり、グループ名はガラス、属した人は、西島光汰郎、佐々木敬之郎、鈴木奏逞、須藤春翔であり、役割は調査係。 今回はガラスを選択し、主成分や歴史、性質や用途をそれぞれまとめた。また、性質についてはメリットとデメリットに分け、より具体的に記載した。 ③私は、産業革命がもたらした物について考えを深めた。 産業革命は、蒸気機関に代表される動力の進化による生産の効率化だけでなく、科学技術や教育によって「知」が社会全体に広がったことも大きな変化であったのではないかと考えた。例えば、米沢高等工業学校では、人絹の国産化に成功し、地方の教育機関が日本の産業発展に貢献した事が挙げられる。 つまり、知識と技術の革新が結びつくことで、社会の仕組みそのものが変わり、これも革命と言える重要な要素ではないかと感じた。
A.【講義の再話】 工業とは、動力を用いて同じ製品を大量生産するための技術です。工芸品は職人が手作業で一つずつ製作しますが、工業製品は需要を満たすために大量に生産されます。歴史的には16世紀にイギリスで産業革命が起こり、初めは動力として水車による水力を用いた紡績などが盛んでしたが、時代が下るにつれて蒸気機関、石油、電力と移り変わり、重化学工業などが発達していきました。現在の最先端の分野としては、半導体チップが盛んになっています。 【発表の要旨】 演題:あってよかった工業製品について議論しよう グループ名:不明 共著者名:石毛翼、宮入丈、吉成悠、鈴木健生 自身の役割:概念化、執筆 あってよかった工業製品として車を選択した。車は生活で移動手段として必要なものであり、また日本の主要な産業としても自動車産業は重大である。車の製造にはエンジンやモーターなどの部品が必要であり、これらを製造する産業も重要になる。 【復習の内容】 車の歴史についてさらに調査した。車の歴史は1769年にフランスで蒸気自動車が発明されたことが始まりである。1879年には電気自動車が開発され、1900年代にはガソリン車が開発された。 日本では1902年に初めて自動車が作られたが、明治時代においては実用化には至らなかった。しかしその後台数は漸増し、1930年台から本格的に増加し始めた。高度経済成長時代に大量生産が行われ、また1964年の東京オリンピックを境に道路も整備され始めた。
A.①今回の授業では、産業革命以降の工業化学の歴史を学び、グループワークでは私たちの生活に不可欠な工業製品について議論しました。特に焦点を当てたのが自動車です。自動車は、単なる移動手段ではなく、現代社会の物流を支える重要な基盤となっています。その歴史をたどると、産業革命で生まれた蒸気機関がきっかけとなり、車が誕生しました。しかし、車が登場するはるか以前から、人々は馬を移動手段として利用してきました。このように、時代ごとの技術の進歩に合わせて、人々の移動手段は形を変えながら進化してきたことが理解できました。 ② かぶとむし 五十嵐稔ニ、白澤拓磨、松田天、後藤将太 私たちの発表のテーマは「人々の移動手段」です。現在は車が当たり前ですが、これまでの歴史を振り返ると、馬が中心的な役割を担っていました。発表では、その時代の技術がどのように移動手段を変えていったのか、その歴史的な流れを調査しました。自分は調査役として、馬から車へという変化が、人々の生活や社会にどのような影響を与えてきたのか調べました。 ③ 今回の授業では、工業化学の歴史、特に産業革命以降の発展について深く学びました。グループワークを通じて、車をはじめとする様々な工業製品について話し合い、その重要性を再認識しました。さらに、人々の移動手段が馬から車へと変化した歴史を調べることで、普段何気なく使っているものが、多くの技術革新の積み重ねによって成り立っていることを実感しました。
A.①工学と理学は似たようなイメージがあるが大きな違いがある。工学は「ものづくり」つまり量産を目的に行っているため工業製品がでできたときに材料はなにかどのように作られているかを確認する必要がある。 ②「あってよかった工業製品について議論しよう」グループ名:後ろ、赤嵜、内藤、山下、大橋、役割:可視化 あってよかった工業製品は車を選んだ。車はタイヤ、エンジン、シート、ガラス、塗料が使われている。1769年にフランスの二コラジョセフが世界初の蒸気自動車を作成、その後1885年には初のガソリン自動車が誕生した。エンジは空気を爆発させた動力で動かしている。 ③科学と化学の違いは大辞林によると、自然科学とは自然現象を対象として取り扱い、そのうちに見いだされる普遍的な法則性を探求する学問であると書かれていた。 化学とは、自然科学の一分野で、物質を構成している原子や分子に注目し、物質の成分組成・構造、その生成と分解の反応及び他物質との間に起こす反応を研究する、と書かれていた。 以上のことから、自然科学の化学は対象を大きくとらえ、法則性を探求する分野で、工学の化学は対象を小さくあるいは細かくとらえ、その物質や物質同士で起こりうる現象を探求する分野であると考えた。したがって、人類にすぐ役立つのは自然科学の化学であり、ある程度時間をかけないと役立たない、あるいはほとんど役立たないのが工学の化学であると考えた。
A. この授業では工業の歴史について取り扱った。工業の始まりは1700年代に起こった産業革命のあたりであり、当時は蒸気機関による紡織機などの工業がおこなわれていた。工業製品とは人類が必要としたことにより誕生し、その部分が工学の化学と自然科学の化学との大きな違いでもある。工学はいかに安価に生産できるかというものが重視されながら発展してきた。 この授業での演題は「あってよかった工業製品について議論しよう」で、グループ名は「カズキ班」、共同著者は藤森準也、佐藤優生、佐々木悠杜、中川一生、HUYNHVINH KHANGであり、私の役割は案出しであった。私たちの班ではスマホに使われている液晶ディスプレイをテーマに定めた。液晶は1968年にアメリカではじめて作られたが、液晶ディスプレイの素材となるコレステリック液晶は1888年にオーストラリアで発見されていた。時間が空いた理由として発見当時は研究者たちにほとんど注目されず研究が進まなかったことが挙げられる。 復習ではワークショップでの演題の深堀と自然科学としての化学と工学としての化学の違いについて調べた。以下は復習で提出したレポートである。「自然科学の化学とは化学反応という自然現象に対して原理や構造などを探究して理論を組み立てるのを目的としているのに対し、工学の化学は解決したい問題に対して、自然科学で導き出した理論を用いて、なるべく安価で大量に生産活動を行うことを目的としている。具体的に述べると、自然科学の化学はある化学反応に対して電子の動きやエネルギーの遷移、どのような構造をとっているのかなどを調べていく学問である。一方工学の化学は自然科学で調べた化学反応を大規模に行う際、いかに効率よく反応させて収率を上げて安価に大量生産するかを重要視する学問である。」
A.①電球の歴史:ロウソク→ガス灯→白熱電球→蛍光ランプ→白色LED。トーマスエジソンが白熱電球を発明した。LEDについて、電流流れる→電流と正孔が衝突し、結合する。→電子のエネルギーが光に変わる。また、山形県米沢市にある旧米沢高等工業学校は主に当時の繊維機械や資料を見学できる。日本初のビスコースレーヨンの工場で使っていた機械なども置いてある。 ②ペットボトルについて、まず初めに、ペットボトルとは、ポリエチレンテレフタレート(PET)という樹脂で作られたようきのことである。PETは石油から作られており、飲料水などの容器に広く使われている。化学製品と言ったらペットボトル!と個人的には考えているので私の日常生活には欠かせないので今回のテーマに決めた。 歴史をたどってみると、(以下) 1967年にアメリカ(ナサニエル・ワイエットにより)で開発を始める。 1973年 特許を取る。 1974年 ペプシコーラで採用される。 1977年日本で醤油の容器として開発が始まる。 1982年日本で飲料水としての利用が認められる。 2000年代以降 リサイクル対応の向上が進む。 ペットボトルの開発のメリットは、1.キャップで閉めることができ、気軽に持ち運べること。2.軽くて割れにくいこと。3.透明で中身が見えること。4.リサイクルできること。が挙げられます。このような開発により、私たちの生活はより豊かになっていったと実感できる。 ③よって、私たちの生活には、工業製品が必要不可欠であり、発明はろうそくから→LEDライトのように化学が広まるとともに壮大なものへと進化していった。
A.1①講義の再話 工学と理学は違うということ、同じようなイメージがあるが、理学の人たちが、追求したものを私たち工学分野の人たちが直接的に社会の役に立つような、生産、すなわち工業的な部分で生かしているという関係性がある。 工業化学について、石油から作られる有機工業科学とそれ以外のものから作られる、無機工業化学がある。 ②発表 身近にあるあってよかった工業製品として、車について議論した。自動車はじまりは、18世紀、19世紀ごろである。 最初は技術的挑戦。次に大量生産、次に環境、AI、モビリティと変化していった。 車は単なる移動手段から社会、経済と密接に関わる存在へと変化してきた。 ③復習の内容 ・車を運転するときに燃費を確認して過去のものと比べてみた ・車に乗るときにエコモードにして乗った ・理学部の人と意見交換を行い、数学は工学分野の人がいつか行き詰まるであろう問題を先駆けて解決しているという話を聞いた。
A. 工業化学とは、物質を扱い物体にする産業である。一つの物を作れば、それは工芸品であるが、量産すれば工業製品となる。工業化学は産業革命後急激に成長した。それは、動力が水車や馬、人から石炭に代わったからである。こうした石油などを原料とすることを有機工業化学といい、その他同素体などの炭素を利用したものは無機工業化学である。日本は、石油の使用により戦後から急激な発展を遂げた。 ここでそもそも工業化学とは自然科学と何が違うのか考える。自然科学としての化学とは、自然現象として起こっている働きを論理づけて解明した結果のことであり、そこに人工的に働きかけた力は無く、ありのままの事実を証明したものである。一方で工学としての化学とは、人の生活のために目的を持って手を加えるための手段であり、自然科学を解明した結果得られた化学を技術として利用し、新しい物を人工的に生み出すために人が発展させたものである。 人が必要とし開発した工業製品の中でも、トイレットペーパーは現在の生活に無くてはならないものである。トイレットペーパーが無かった平安時代以前、日本では木でお尻を拭いていた。しかし、日本が水が潤沢であり水洗トイレが使用できることもあり、そのまま流せるトイレットペーパーの形になった。こうした今必需品となっている工業製品はその土地によって変わり、各々が発展させる必要がある。
A. 世界の化学工業の歴史は、産業革命の発祥地であるイギリスから出発したと言える。蒸気機関とは、燃料を燃焼させて得られた熱で水を沸騰させ、高圧の蒸気をシリンダーへ導き、その圧力でピストンを往復運動させて機械的回転運動に変換する動力装置である。産業革命期に広く普及し、工場・鉄道・鉱山などの発展を支えた重要な技術である。 発表の演題は「あってよかった工業製品について議論しよう」、グループ名はなし、共著者は笹原里音、青木優菜、鈴木純奈、須田琥珀、松本碧衣、私は記録を担当した。あってよかった工業製品に車を選んだ。動力車の始まりは18世紀?19世紀前半である。最初は技術的挑戦だったが、大量生産と社会インフラになり、環境・AI・モビリティへと進んだ。車は「単なる移動手段」から「社会・経済・環境と密接に関わる存在」へと変化してきた。 復習として、産業革命について述べる。産業革命とは、18世紀後半から19世紀にかけて、英国を発端に手工業から蒸気機関や機械による大量生産へと移行した技術革新の時代である。工場制・都市化・交通革命により経済成長と生活水準の向上をもたらした一方、長時間労働・児童労働・都市の衛生悪化といった社会問題をも顕在化させた。技術進歩の恩恵と負荷を併せ持つ転換期であると強く感じる。
A.1/講義の再話:講義では工業の歴史について話してもらった。工業の歴史には産業革命はとても重要な目立つなマークとなった。初めてとなったのはイギリスにおける1760年代の第一産業革命だ。この産業革命のおかげで繊維産業が手工業から機械工業へ変更した。 2/ 発表の要旨:あってよかった工業製品について議論しよう:液晶ディスプレイ(LCD)は1960年代後半に登場した技術で、最初は時計や電卓に使われていた。1980年代に入ってから、テレビやパソコンなどの画面として利用されるようになり、今ではスマートフォンや車のナビにも広く使われている。液晶ディスプレイの最大の特徴は、薄くて軽い点だ。従来のブラウン管に比べて省スペースで、消費電力も少なくて済む。また、画面がフラットなので見やすく、デザイン性も高い。最近では高精細な表示も可能になり、映像の美しさも大きく向上している。液晶ディスプレイは、私たちの生活に欠かせない存在になっていて、情報の表示や共有に大きな役割を果たしている。今後も技術の進化とともに、さらに便利になっていくと思う。 3/復習の内容:産業革命は、人類の生活や社会を根本的に変えた出来事だったと思う。手作業から機械による大量生産に変わったことで、効率が飛躍的に上がり、モノが安く手に入るようになった。経済の成長や都市化も一気に進み、現代の資本主義社会の土台ができたのは、この時代があったからだ。ただ、それによって労働環境の悪化や環境汚染など、新しい問題も生まれた。便利さの裏にある課題も、産業革命が教えてくれる大事な教訓の一つだと思う。今のIT革命やAIの進化も、ある意味で「第二の産業革命」みたいなもので、人間と技術の関係をどう築いていくか、歴史から学ぶべきことが多いと感じる。
A.工業の歴史について紹介します。工業の歴史が大きく動いたのは産業革命がおきたときでした。そこで紡績機が作られたのが始まりです。機械を使って大量生産することはここから始まりました。また、動力についても革命がおこります。蒸気機関の登場です。それまでは牛や馬などの動物や水車を使っていましたが、石炭を燃料に蒸気を発生させ、動力とする蒸気機関が誕生しました。 今回のワークショップのテーマは、「あって良かった工業製品」でした。そこで私たちが選んだのはスマートフォンの中の液晶ディスプレイです。液晶技術自体は1888年に誕生しましたが、当時はあまり注目されず、実用化されたのは1968年です。 私は、自然科学における化学と工学における化学の違いは目的にあると思います。前者は物質の性質を明らかにしたり、仮説の検証を行ったり、調べることが主題になっているのではないでしょうか。一方で、後者は必要に応じて、社会を便利にするためにといった人間にとって利益になるものを作ることを目的にしていると思います。例えば化学肥料は工学における化学によって生み出されたものです。ハーバーボッシュ法は水素と窒素を四酸化三鉄を触媒に反応させる方法ですが、これがなければ20世紀に爆発的に増える人口を支えることはできなかったといわれているほど人類にとって化学肥料は有用でした。そしてそのような発明を支えているのが自然科学における化学によって明らかになった知識は、最初から工学のために求められたものではないと思います。
A. 18世紀に産業革命が起こり、蒸気機関などの石炭を使った産業が大きく発展し、人間の生活が便利で住みやすいものとなっていった。蒸気機関は、石炭を燃やして、水が沸騰することで発生する高圧の蒸気をエネルギーとして変換することで動かしている。これにより、人間の移動手段が馬車や徒歩などから、蒸気機関車へと変化し、遠い距離間の移動や物品の輸送が便利になった。 そして、自動車は、蒸気機関のように私たちの生活を便利にし、なくてはならない工業製品となった。車は食品を流通させたり、人や物の移動に大きく貢献している。19世紀にガソリンエンジンを使った自動車が誕生した。20世紀には、ヘンリーフォードによって、自動車の大量生産が始まり、一般人向けの自動車が普及し、人間にとって必須の工業製品となった。21世紀には、電気をエネルギーとした電気自動車が普及するようになり、人間の生活を便利にするだけでなく環境にも配慮された製品として世界中に普及している。 人は、自分たちの生活をより良いものに変えるために、車などの製品を進化させてきた。最初は、徒歩での移動だったものが、馬車、蒸気機関車、ガソリン自動車、電気自動車と進化させてきたように、進化させていく過程で発生したニーズに応えて発展させていった。
A.①講義の再話 第一回の授業では、時代の変化に伴う動力の変遷を学んだ。 18世紀前半までは人力・畜力が主な動力であった。中世になると、水車や風力による動力を得た。それにより、製粉や製鉄などが発展した。その後18世紀の産業革命を境に、石炭を燃やして蒸気を発生させ、機会を動かすことが始まった。その後、さらに動力は増え、石油や電気、原子力、再生可能エネルギーなど、今日まで続くエネルギーの利用が始まった。 ②発表の趣旨 世の中にあってよかった工業製品について考えた。 自身が所属するグループでは、ペットボトルを取りあげ、その歴史を調べた。ペットボトルは、1967年に米国デュポンの科学者であるナサニエル・ワイエスが炭酸飲料向けプラスチック容器の開発に着手したことから始まったということが明らかになった。 ③復習の内容 授業後半のグループワークにて調べた、ペットボトルについて発展させて考える。ペットボトルのメリットは、軽くて持ち運びやすいこと、衛生的で安全であること、大量生産、輸送がしやすいという点であると考える。一方、ペットボトルのデメリットはプラスチックゴミの増加、リサイクル率の限界があること、使い捨て文化が根強くなることだと考えられる。循環型社会への期待が高まる中、使い捨ての象徴のようになっているため、その点においてペットボトルの利用について各々が考えなければならない点であると感じる。
A. 今回の授業では産業革命における動力について学びました。産業革命前には動力は馬や人、水車でした。産業革命後には蒸気機関などの動力が出てきて一気に文明が発達しました。また、石炭メインで使っていたものが石油メインになりました。1920年代からは石油燃料が発達し、自動車や戦闘機が登場したとされています。 グループディスカッションではないと困る工業製品について話し合いました。私たちのグループではプラスチックについて調べました。プラスチックでできている代表的なものはペットボトルや容器などがありました。生活に必須なものであり容器の代表として使用されていました。構成元素は炭素・水素・酸素からできていました。 高度経済成長期にはエネルギー消費が急増し、石炭中心から石油中心へと転換されたとわかりました。工業化と都市化の進展に伴い、電力需要も拡大し、エネルギー供給体制の整備が急務となったことが要因と分かりました。
A.①旧米沢高等工業高校の設立、産業革命と化学工業の歴史などについて学びました。旧米沢高等工業高校のは、1910年(明治43年)に設立されました。これは、日本における近代的な工業教育の必要性が高まっていた時期であり、山形県が地元産業の発展と技術者教育を目的として設立したものだと分かりました。イギリスでの第1次産業革命(18世紀後半?19世紀初頭)では、石炭を原料としたコークス製鉄法、繊維の漂白、染色に必要なアルカリ(苛性ソーダ)や硫酸の工業的生産が進みました。ドイツ、アメリカ、イギリスなどでの第2次産業革命(19世紀後半?20世紀初頭)では、有機化学の発展と合成染料が誕生しました。また、アンモニア合成法(ハーバー・ボッシュ法)の確立により化学肥料・火薬の大量生産が可能になりました。 ②グループ名はタナカです。グループメンバーは鈴木晴琉、小野翔太、小池快成、浄閑祐輝です。あってよかった工業製品について考えました。自動車があってよかった工業製品だという意見にまとまりました。自動車に使われてきた燃料の歴史について議論しました。まず、フランスで1769年に蒸気機関をエンジンとして、大砲を運ぶ目的として開発されました。1888年にカールベンツによってガソリンを動力としたエンジンの開発が成功しました。現代ではガソリンとエンジンのハイブリット自動車、軽油を燃料としたディーゼルエンジン、電気のみを燃料都市、充電が必要な電気自動車などが開発され、環境問題の解決に取り組まれています。 ③復習では、第3次産業革命について調べました。第3次産業革命は20世紀後半から現在まで続いており、石油化学、プラスチック、半導体、バイオテクノロジーなどがあげられます。石油を原料とする石油化学工業の拡大により、合成ゴム、合成繊維、プラスチックなどが開発されています。ほかにも、高分子化学・材料化学の発展、環境問題への対応(公害防止技術、再生可能エネルギー材料の開発)などによって、化学工業が現代まで展開されてきたことが分かりました。
A.①1つ作るものは工芸品で量産すると工業製品となる。石油が原料だと有機工業化学で、その他原料であると無機工業化学となる。動力には水車、馬、人、石炭などがある。工業化学の歴史については高度経済成長期があり、これは1971年のオイルショックによって終焉を迎えた。ニクソンショックによって半導体の時代へとなった。リチウムイオンバッテリーはリーマンショックと関係性がある。 ②あってよかった工業製品、グループ名:はじめまして、調査 私たちのグループではないと困る工業製品はトイレットペーパーだと考えた。なぜなら紙類は毎日のように使うし、歴史について考えたことがなかったのでこれを機に調べてみたいと思ったからだ。歴史としてはトイレットペーパーがなかった頃、木を代わりにして使っていた。今のロール式の形になったのは1977年からで、トイレが水洗式になったからだと分かった。また、1973年のオイルショックのときにトイレットペーパーが全国のスーパーから消えた。これは政府が紙の節約を呼び掛けたとき紙がなくなるというデマが流れたからだ。 ③図書館の分類法では自然科学と工学は異なるカテゴリに分けられていた。国立国会図書館の「日本十進分類法」の分類基準を見ると、自然科学は純粋理論および実験的なものを収めて、その応用は技術・工学、産業の下に収めるとあった。また、理論と応用の両面にわたるものは,特に理論に重点が置かれていない限り,応用の下に収めると記載されている。つまり自然科学では基礎的な知識である物質の反応や法則性を研究するものであり、工学はこの基礎知識をもとにして社会的な課題を解決することや技術を発展させていくものであると考えた。自然科学と工学の化学は研究の目的が違うと思う。
A. 講義では、化学工業の歴史・変遷について学んだ。産業革命が起こると、それまで主流であった石炭産業から石油産業に切り替わり、ここから化学工業が大幅に発展した。硫酸や苛性ソーダ、アンモニアといった原料の製造から金属の電解精錬、合成線維、自動車など、様々な工業化学が発展を遂げていった。石油化学工業を中心とした高度経済成長期は1973年のオイルショックにより終了し、次いで半導体やリチウムイオン電池の時代が訪れた。このような変遷を経て、私たちの暮らしはより豊かになっていった。 グループディスカッションでは、「演題:ないと困る工業製品(グループ名:おなご、共著者名:大濱風花・近ありす・栗原涼香・永山るりか、役割:発表者)」について議論し、冷蔵庫を取り上げて話を進めた。国産冷蔵庫第1号は1930年に誕生し、高度経済成長期に爆発的に普及した。これより以前は、電気を使用せず氷を入れて低温を保つ冷蔵庫が一般的であったが、市民にとって非常に高価なものであった。さらに昔(古代から近代にかけて)は雪を利用していた。現在では、冷凍室や野菜室、霜取り、自動製氷といった新しい機能が加わっていき、現在のような冷蔵庫へと進化していった。冷蔵庫は食糧を冷温保存し、長持ちさせるための重要な製品である。これは、時代を経ても変わることはなく、ヒトの生活を支える必需品であると改めて認識できた。 昭和30年代、冷蔵庫はテレビ、洗濯機とともに三種の神器の1つとして数えられ、人々の生活を大きく変えてきた。その普及率を調べたところ、1956年では冷蔵庫0.2%、白黒テレビ1.4%、洗濯機4.6%と低かったのに対し、1965年には3つとも約90%にまで上昇し、たった10年で飛躍的に家庭に普及したことが分かる。それほど人々にとってこれらの商品が画期的で必要不可欠だったか、そして普及に至るまでの性能改善、小型化、コスト削減を実現させた技術者たちの偉大さを感じることができた。
A.①工業化学の歴史について授業をし、主に産業革命以降の工業について議論した。授業の最後にはグループワークとして、なくてはならない工業について議論した。そこでは、車をなくてはならない工業として考えた。車は現代社会において人間の移動はもちろん、物流の基本動力となるため、普段の生活に欠かせない大事なものである。車の歴史を考えると、産業革命により蒸気機関が開発され車が誕生しているが、人間は産業革命以前から馬を移動手段として用いていた。形が違えど移動手段として馬から車まで人々の進歩に影響を与えていたことが歴史から読み取られる。 ②発表の要旨としては、人々の移動手段として現在では車が用いられているが、これまでの歴史を辿ると馬などが使われておりその時代の技術などに応じて変遷していったということである。 ③今回の授業では工業化学の歴史について学んだ。産業革命以降の工場に焦点を当てどのようなものが発達していったのかについて深く調査して、グループワークを通して様々な工業製品について検討し、その中で車に焦点をあてた。その後、人々が乗る乗り物について深く調査し、馬から車へと変遷した歴史について学んだ。
A.①第一回は工業の歴史についての授業だった。工業の歴史が大きく動いたのは産業革命であった。産業革命とは18世紀半ばから19世紀にかけて起こった一連の産業の改革と石炭利用によるエネルギー革命、それに伴う社会構造の変革のことである。産業革命で紡績機が作られたことで始まった。動力にも変化が起き、今までは水車や馬を用いていたが蒸気機関を用いるようになった。 ②授業最後の演習ではあってよかった工業製品について議論した。班は大濱風花、近ありす、立花小春、栗田涼香。永山るりかの五人で、班名は左前、役割はリーダーだった。私の班ではないと困る工業製品を考えた際に電化製品が真っ先に思い浮かび、その中でも最も日常で利用しているものを考えて冷蔵庫をテーマに選んだ。古代から近代では自然の氷や雪を利用して食品を保存していたがもっと便利な食品保存法として1800年代の製氷機から始まり、1930年ごろに冷蔵庫が開発された。高度経済成長期で爆発的に普及し現在に至る。冷蔵庫のメリットとして食品を長持ちさせることができる、食料をストックできる、品質を保つことができる、といった点があり、生きるために必須なものであると考えた。また、近代では庫内の温度だけでなくて湿度も保つ機能や、省エネ機能を持つ冷蔵庫などの開発が進められている。 ③この授業の復習として自然科学としての化学と工学としての化学の違いについて考えた。自然科学の化学とは、世界や宇宙がどのように機能するのかを理解するために用いられる学問である。 工学の化学は化学的知識を用いて現実世界の具体的な問題を解決すること目的としており、化学反応を利用して、有用な物質や製品を製造するためのプロセスを設計・開発することをめざしている。
A.化学工業の歴史はイギリスで起こった産業革命からスタートした。蒸気や石油によってこれらの化学工業は発展していき、1974年のオイルショックでその勢いが落ち着くまで発展が続いた。化学工業ではどんなものが必要になり、それを作るのかということが重要であり、その必要性に応じて自動車や電話に必要なものなどができていった。 「演題:あってよかった工業製品について」、「グループ名:カズキ班」、「共著者名:藤森 隼也、佐々木 悠杜、HUYNHVINH KHANG、佐藤 優生、佐藤 光介」「役割:発表者」。スマートフォンやテレビ等に用いられる液晶ディスプレイは1968年に誕生した。液晶ディスプレイのメリットは値段が安いこと、寿命が長いこと、長時間同じ画面を表示できることなどである。これらのメリットを持つ液晶ディスプレイが誕生はスマートフォン等が一般に普及する一助となった。 自然科学としての化学と工学としての化学の違いはその目的の違いである。自然科学としての化学は自然現象の解明ともいえる。一方、工学としての化学は人のためとなる現象の利用である。化学工業の発展においてこの考えは重要であり、人にとっての利益と不利益を見極めることが大切であると考える。
A.旧米沢高等工業学校の歴史について学ぶ。旧米沢高等工業学校は1901年に設立され、地域の絹織物産業を支える技術者養成を目的とし設立された。日本の産業革命期、化学染料や製糸技術の導入により、伝統工業は近代化され、繊維・化学工業が急成長した時、米沢高等工業学校はその中核となり、地域産業の発展と技術革新を牽引した。 発表では、無いと困る工業製品の概要とその歴史について調べた。(グループ名:りかちゃむ 共同発表者 榎本理沙 川端萌菜 羽生胡桃 遠藤由里香 白坂茉莉香 )生活するために必須であり、容器の代表であるペットボトルから連想して、プラスチックについて調べた。プラスチックの特徴として調理、実験などで使われ軽量で丈夫である、さびや腐食に強い、などの意見が出た。プラスチックの歴史として、1869年にジョンウェズリー・ハイアットがセルロイドを発明し、合成プラスチックを開発したことが始まりということが分かった。ペットボトルの原料となるポリエチレンテレフタラートが発明されたのは1941年以降のポリエチレン・ポリ塩化ビニルが開発された後であり、日本では1914年に石炭からフェノール樹脂が開発されたことが分かった。 旧米沢高等工業学校の歴史とその構造についてより興味を持ったので復習として調べたところ旧米沢高等工業学校は東京、大阪、京都(高等工芸)、名古屋、熊本、仙台について全国で7番目に創立されたそうだ。また建物はルネッサンス様式を基準とした木造二階建てで、正面の幅は全長94メートルと、当時の技術から考えてもとても大規模な建造物であることが分かった。
A.鉱石ラジオとはゲルマニウムのダイオードを使用したラジオのことである。そのゲルマニウムとシリコンのバンドギャップを比較すると、シリコンの方が大きいことが分かった。バンドギャップとは伝導帯と充満帯の幅のことを指す。産業革命はイギリスの紡織機から始まった。その産業革命のキーテクノロジーは動力であった。産業革命以前は馬や人、特に水車を動力としていた。 ワークショップの演題は、あって良かった工業製品について考えその歴史について探求した。グループ名は決めておらず、共著者名は、笹原里音、鈴木純奈、今山華百、松本碧衣、須田琥珀で、自分の役割として調査であった。我々の班は車について取り上げた。18世紀?19世紀前半から始まり、その後、大量生産や社会インフラに発展していった。また、単なる移動手段から私たちの生活に密接に関わる存在へと変化したことが分かった。 復習として、自然科学としての化学と工学としての化学の違いは何かについて考えた。自然科学としての化学は地球や宇宙に存在する物質の本質を探求する学問であり、工学としての化学はその探求結果を応用して、社会に役立つ製品や環境を創造する学問であると考えた。つまり、自然科学は基礎の探求、工学はその応用と実践に焦点を当てていると考えられる。
A.1.化学工業において切っても切れない関係であるのが、産業革命である。より大胆に言うと、産業革命以前と以降に分かれるといってもいいだろう。そこで、具体例の話をすると、繊維工業において、これまでは手作業によって行われていた手工業から、蒸気機関の登場により、大量生産を可能とする機械制大工業へと発展した。また、交通網にも変化が生じ、これまでの鉄道の発達(蒸気機関)と共に、自動車の発達がおきた。 2.我々のグループでは、グループ名をタナカとし、世界と日本における自動車の遷移について議論した。今では、世界に名が知られているトヨタ社だが、初めはアメリカのフォード社が台頭していたことが分かり、また、蒸気機関と関連するところである、大量生産ラインの発達も、このころではないだろうかとディスカッションを行った。 3.産業革命が、どのように化学工業の発展とつながっていくのかについて考察していった。まず、繊維工業の大量生産への転換によって、大量の織物を簡便に漂泊する必要ができ、今まで使用していた灰汁では非常に時間がかかるため、ここから化学物質(硫酸など)の需要が高まりそれぞれ発展していったと考える。
A.①工業製品の歴史について。工業製品は産業革命を機に変化している。産業革命を機に機械による大量生産の導入はそれまで手作業で行われてた生産を効率化した。18世紀後半にイギリスで綿工業を中心に蒸気機関などの動力機械が導入され、工場制機械工業が発展した。また、19世紀後半は石油などの技術革新があり、鉄鋼業や自動車産業などの重工業が発展した。 ②発表ではあってよかった工業製品として車について調査した。動力車の始まりは18世紀?19世紀前半である。最初は技術的挑戦だったが。大量生産と社会インフラのため、そして環境・AIモビリティへの探求へと変化した。車は「単なる移動手段」から「社会・経済・環境と密接にかかわる存在」へと変化したことが分かった。 ③復習では、産業革命における綿工業について調査した。18世紀のイギリスでは紡績機や織布機が発明・改良された。安価に大量に生産できるようになったので生産性は向上した。
A.まず講義の再話をすると、この講義の中では主に歴史的な観点から無機工業化学という学問について説明があった。なかでも特に山形大学工学部の前身となる旧米沢高等工業学校について深く紹介された。旧米沢高等工業学校は1910年に設立され、染織、機械、応用化学といった分野に強みを持ち日本の産業を支える技術を持った学生を多く輩出していた。学制改革により、1949年に山形大学に包括され現在の米沢キャンパスとなった。 私たちの発表では無いと困る工業製品としてスマートフォンなどに使用されている液晶ディスプレイを挙げた。液晶ディスプレイの歴史的な背景として1968年に誕生したが、1888年に技術として開発はされていたもののそもそも液晶ディスプレイを用いた製品がなかったことによりその後の研究が進んでいなかったためここまで期間が空いてしまった。液晶ディスプレイを使用することのメリットとして値段が安いこと、寿命が長いこと、長時間同じ画面を表示できることが挙げられる、といった内容が調査により明らかとなり、それらをまとめて発表とした。 復習の内容はこの米沢高等工業学校について、気になったため調査を行った。同校は染色に大きな強みを持っており、学校設立の背景には米沢市長らによる「染・織の二業が盛んで工場も多く学理と実地を併用するのに便益がある」という要望書がありこれを受けて、1910年の設立当初から染織科を主要な学科として設置し、その伝統は山形大学工学部に引き継がれ現在も繊維科学分野の研究につながっているということが分かった。
A. 鉱石ラジオはゲルマニウム鉱石を用いたダイオードで構成され、NHKでも使用された。バンドギャップは価電子帯と伝導帯の間の電子が存在できない領域を指す。工芸品は少量生産、工業製品は量産品。産業革命では蒸気機関が登場し、燃料は石炭から石油へと移行。麩は小麦粉に水とグルテンを加えて作る。1920年頃から石油燃料が普及し、自動車や戦闘機が誕生。高度成長期を経てオイルショックが起こり、半導体の登場とバブル崩壊へと続いた。 プラスチックは軽量・耐久性・耐腐食性に優れ、容器や調理・実験器具などに広く使われている。石油からナフサを経て合成され、炭素・酸素・水素が主成分。1869年にハイアットがセルロイドを発明し、1907年にはベークランドがフェノール樹脂を開発。1930~40年代にポリエチレンや塩化ビニルが登場し、1980年代以降はごみ問題が深刻化。開発の背景には象牙不足による代用品の需要があった。 燃料の歴史は文明の発展と共に進化してきた。古代は薪や動物の脂、中世は木炭が主流となり、産業革命では石炭が蒸気機関の動力源として活躍。20世紀には石油が登場し、自動車や航空機の普及を支えた。さらに天然ガスや原子力が加わり、発電や暖房に利用。近年は環境配慮から太陽光・風力・バイオマスなど再生可能エネルギーへの転換が進み、持続可能なエネルギーの追求が重要となっている。
A.①明治四十三年(西暦一九一〇年)に開校した旧米沢高等工業学校は、日本の産業革命期において、特に化学工業の発展に不可欠な役割を担いました。当時の日本は、欧米列強に追いつくため、技術者の育成が急務であり、地域産業である染織業の振興を目指し、染料や繊維に関する研究に注力しました。この学校の教員であった秦逸三は、粘性のある液体から繊維を生成するビスコース法による人造絹糸(レーヨン)の研究に成功し、これが日本初の化学繊維工業の幕開けとなり、今日の化学産業の礎を築きました。 ②旧米沢高等工業学校は、日本の産業革命期における化学工業の発展に決定的な影響を与えました。特に、教員の秦逸三が主導したビスコースレーヨンの研究開発は、日本初の化学繊維工業の創出に直結し、単なる技術者育成機関に留まらず、新たな産業そのものを生み出す原動力となりました。この偉業は、日本の化学産業における産学連携の成功事例として、その後の産業界に大きな影響を与え、現代までその功績が語り継がれています。 ③今回の学習で復習すべきは、まず旧米沢高等工業学校が明治四十三年に設立されたという事実です。その背景には、日本の急速な工業化と、特に地場産業の発展を支える技術者の育成が急務であったことが挙げられます。そして、最も重要な人物は秦逸三であり、彼がビスコース法レーヨンの工業化に成功し、日本初の化学繊維工業を創出したという功績です。この学校の取り組みは、日本の化学産業の黎明期を支え、現代に続く産学連携の成功モデルを確立したという歴史的意義を深く理解しておく必要があります。
A. 第1回の授業では、産業革命と化学工業の歴史について学んだ。代表的な産業革命は、18世紀後半から19世紀初頭にかけてイギリスで起こった第一次産業革命である。この革命はエネルギー革命とも呼ばれ、燃料は木炭から石炭へと変わり、次いで石炭から石油へと変化した。さらに蒸気機関が発達し、生産は機械化され、大量生産が可能になった。日本では、1995?1973年の約20年にわたり、大きく経済が成長した。この時期のことを高度経済成長期という。エネルギー需要が大幅に増加し、エネルギー源は国内委の石炭から海外産の石油へと変わり、エネルギー自給率は大幅に低下した。1970年代に起こったオイルショックにより、日本の高度経済成長期は終わりを迎えた。 また、あってよかった工業製品についてグループ討論を行った。私たちのグループでは、例としてトイレットペーパーがあげられた。歴史について調査すると、発明以前は木を使用していたこと、オイルショック時には「紙がなくなる」というデマ情報が流れたために品切れ状態が続いたことが分かった。
A.
A.1.化学工業の歴史について学んだ。1760年代に紡績機が発明されたことをきっかけに機械による織物の大量生産が行われるようになった。それらを素早く漂白するために、化学工業が発達した。それ以前は数か月にわたってアルカリ性の灰汁に浸し、酸で中和する作業が必要であったため、非常に手間がかかっていた。 2.演題:あってよかった工業製品 共著者:山根寿々、永井日奈、山?紀々香、金子乃々楓、古江野々花 自身の役割:調査 あってよかったと思う工業製品としてペットボトルが挙げられた。ペットボトルの歴史は、炭酸飲料の容器をつくるために1967年にナサニエル・ワイエスによって開発が開始されたところから始まった。6年後の1973年には特許を取得し、その1年後に炭酸飲料の容器として使用された。1977年にはキッコーマンと吉野工業所が醤油用の容器を開発し、1982年2月に日本コカ・コーラがペットボトル飲料を発売した。ペットボトルの本体はポリエチレンテレフタレート、キャップはポリプロピレンやポリエチレンが使用されている。 3. ペットボトルのラベルにはポリスチレンやポリプロピレン、ポリエチレンが使われている。ペットボトルは様々なプラスチックからできていることを実感した。非常に便利なペットボトルだが、同時にごみ問題や海洋汚染といった問題を引き起こす。今後はリサイクルなどの再利用の意識を高めていく必要があると考えた。
A.工業化学の始まりは、1760年代の産業革命である。繊維工業は、それまで手による生産だったものが、蒸気機関による機械的に大量生産できるようになり、できたものを漂白するために発展した。工業製品は人にとって必要だったから発展した。使われるエネルギーが石炭から石油に変わったのは1920年代で、それに伴いエンジンが小さくなり、第一次世界大戦では戦車がメインに使われていたが、第二次世界大戦では飛行機がメインに変化した。バンドギャップは、電子が満ちた充満帯とエネルギーの一番低い空帯の伝導帯の差のこと。 ないと困る工業製品はエアコン、特にクーラーだと思います。1935年に日本で初めてのクーラーが輸入され、販売された。1951年から一般家庭にクーラーが普及した。普及するまでは、打ち水などをして涼んでいた。 化学は化学反応などの自然現象を理論的に解明することが目的で、自然界にある法則や現象について研究・追求する学問であるのに対し、工学は、モノづくりや技術開発を行うのが目的である。電気や機械、建築、食品関係など様々な分野を対象に、物理や化学、生物などの様々な知識を活用して、新たなものを設計・開発する分野であると考えた。 特に応用化学は新素材の開発や環境問題の解決に向けた研究が多く、食品、製薬、自動車、電機、化粧品などの幅広い分野の研究が行われている。
A.①今回の授業では、始めにビスコースレーヨンについて学んだ。ビスコースレーヨンは旧米沢高等工業学校で発明された。工業の歴史について振り返ると、産業革命によって水蒸気、蒸気機関が発見され、 その前は水力、人力、馬力だった。また、鉱石ラジオについて学んだ。 ②私たちの身の回りに存在するプラスチックは、調理、実験などで使われ、生活するために必須な材料です。プラスチックがないと生活が困るので、化学工業の工業製品であるプラスチックをテーマに選びました。 プラスチックの構成元素は、炭素、酸素、水素であり、石油からナフサが作られ、プラスチックができます。プラスチックの始まりは、1869年にジョン・ウェズリー・ハイアットがセルロイドを発明し、1907年にレオ・ベークランドがフェノール樹脂を発明し、1930年?1940年にポリエチレン、ポリ塩化ビニルが開発されました。そして、1980年以降からゴミによる環境問題が挙げられています。日本では、1914年に石炭からフェノール樹脂が開発されました。 ③今回の授業では、産業革命と科学工学の歴史について学んだ。例として、ビスコースレイヨンについて学んだ。旧米沢工業高等学校は、ビスコースレイヨンの工業化において、初期の研究と製造において中心的な役割を担った。また産業革命の後から、蒸気機関や水蒸気などを使った産業が発達した。水力は小麦の発祥に使われており、中国からの石臼などで使われた。
A. 工業製品を学ぶ上で、その製品がどうやって作られているのか、材料は何かを考えることが重要である。工業が発展していった歴史のはじめとして、産業革命がある。産業革命前の動力は馬力、人力であったが、産業革命後は水蒸気熱を利用した蒸気機関が発明され、交通機関に使うだけでなく、紡績や織機に利用された。しかし、産業革命によって、労働環境が悪化したり、大気中の二酸化炭素が多くなるというデメリットもあったと考える。 なくてはならない工業製品として、トイレットペーパーを取り上げた。トイレットペーパーは第一次オイルショック時はちり紙が使われていたが、紙を巻き、ミシン目を入れる機械が発明され、またトイレが水洗式に変わったことが原因で、アメリカでロール型のトイレットぺーパーが生まれたということが分かった。 米沢には、エンジニアを輩出するために、米沢高等工業高校を設立した。教授であった秦逸三は紡糸の研究を行い、成功し、米沢に東レザー分工場米沢人造絹糸製造所を立ち上げたということが分かった。
A. ① 工業は、人の求めにこたえるために発展していった。古くには、人だけでは足りない動力を求めて、水車が発明され水のくみ上げや、作物の加工に用いられ、産業革命においてはより高い生産性が求められ、蒸気機関が発明され大規模な工業生産や、長距離輸送が可能になった。戦時中には、即座に情報を伝達することが求められ、鉱石ラジオが開発されたがこれは、今でも使われるテレビのきっかけにもなった。現在でも、より安価で丈夫な衣服を求めて合成樹脂が開発されるなど、願いをかなえる工業は今も続いている。 ② グループではないと困る製品について、議論を行った。ないと困る製品については、車やスマートフォンが挙げられ、車がなければ買い物や、通勤など、長距離の移動が困難になってしまうこと。スマートフォンがなければ、緊急時に連絡を取ることが難しくなるほか、電子マネーを財布として持っている人も多く、お金の支払いに支障が出たり、地図や、検索などの便利な機能も活用できないことが挙げられた。 ③ 復習として、自然科学における化学と、工学における化学の違いについて、考えた。授業において工学は、人の役に立つものを作ることであることであるとを学んだ、つまり、工学における化学とは、人の役に立つ物を作る方法ではないかと考えた。また、自然科学における化学は、未知の法則を求める過程であると考えた。つまり、どちらも未知を求める点では共通であるが、求めるものが異なっていると考えた。
A.物質と物体にわけたとき物質を取り扱うのが工業化学といわれている。また、一個のみを作るのが工芸品に対して、量産するのが工業製品という区別がされている。工業製品の始まりは産業革命の1760年ごろのイギリスで紡績機などの機械が使われ始めたのがきっかけ。このとき動力が水車や人力や馬力などから変わった。動力として現在使われているのは石油だが、石炭から石油に変わったのは1920年くらい。石油が普及した理由としては石炭を使うにはボイラーで水を使わないといけなかったのに対して、石油は水を使わずに利用することが出来たから比較的軽く済んで需要が高まったとされている。石油でかかわりのあるものは高度成長期。これは石油化学で高騰した1950年から1970年ごろ起きたものでオイルショックをきっかけとして終わった。 演習としてないと困ると思う化学工業の工業製品を1つ選び、その工業製品についてエピソード、歴史、構成材料の作り方について調べた。化学工業の工業製品としてLEDを取り上げた。LEDは正孔を多く持ったp型半導体と電子を多く持ったn型半導体があわさったLEDチップに電流を流すことで発光する。仕組みとしては電圧を受けることでp型半導体の正孔とn型半導体の電子が勢い良くぶつかって結合し、エネルギーが光として放出されることで光る。LEDが普及したのは二度のオイルショックによって省エネ光源としての蛍光ランプの多様化を推奨されたのがきっかけである。1990年代後半に日本で白色LEDが市場に出されたとされている。京都議定書による温暖化防止への二酸化炭素の減少と省エネ化の風潮があったこともこれを後押ししたと考えられている。 図書館分類法において別分類である自然科学の化学と工学の化学の違いについてを調べた。自然科学の化学は基礎理論を研究することで科学の進歩に貢献する学問なことに対して、工学の化学は自然科学で得た基礎研究の成果を応用して人の暮らしに貢献するものを作ったり技術を開発することであることがわかった。
A.①産業革命前後での動力の違いなどを中心に工業化学の歴史を学んだ。産業革命前の主な動力源は馬や水車であり、水車は小麦粉を作るときの臼を動かすためなどでも使われた。産業革命で蒸気機関が普及したことで機械化が進み大量生産なども可能となった。日本では1970年にエネルギー合理化政策が進められ、石炭から石油へのシフトが行われた。 ②グループワークでは今なくてはならない工業製品について議論を行った私たちはなくてはならない製品に車が挙げられた。その理由としては人々の移動はもちろんのこと生活に必要な食品の流通や物の輸送に欠かせないと考えたからである。18世紀に自動車が誕生し、19世紀にはガソリン使用の自動車が開発され、後の産業革命による大量生産を支える存在となった。 ③グループワークで車が無くてはならないと考えたが、車が社会にもたらすデメリットについても考察してみた。環境・資源・社会面で大きな影響をもたらすと考えた。具体的には、ガソリンを使用することで排気ガスによる大気汚染が起こる、また都市部では象音問題があると考えた。他にはレアメタル等の貴重な資源を使うことで資源が枯渇してしまうのではないかと考えた。
A. 物質と物体について学んだ。物は人間が作ったものか、元々あるものの二つしかない。ものを作るのには理由があり、なぜそれが必要だったのか考えることがものづくりにおいて大切である。適当につくることはごみを出すことにつながり、環境破壊になりかねない。それから、工業製品の量産の始まりについても学んだ。産業革命は1760年ごろで、イギリスが工業の始まりであり、紡績業が盛んであった。石炭がエネルギーの主役であった。この頃に蒸気機関車が開発された。1920年には石炭から石油へと移り変わった。その後、高度経済成長期が起こったが、オイルショックなどの影響で1971年に終了した。 グループで議論した演題は、ないと困る工業製品についてで、グループ名は後ろで、メンバーは近ありす、立花小春、大濱風花、栗田涼香、永山るりかであった。自分の役割は、発言であった。私たちのグループは冷蔵庫を選んだ。ディスカッションの内容としては、冷蔵庫は食品を長持ちさせることができたり、食料がストックできたるなどのメリットが挙げられ、私たちが生きていくために必要なものであるという意見が出た。そして冷蔵庫の歴史についても調べた。製氷機から始まり、高度経済成長期に普及したことがわかった。これらの情報から発表できるようにまとめることができた。 冷蔵庫は1800年代に製氷機から始まった。これが冷蔵庫の前身となり1918年に電気冷蔵庫が開発された。1930年頃に国産の家庭用冷蔵庫1号が誕生したが、非常に高価であったためあまり普及しなかった。高度経済成長期になると三種の神器の一つとして一般家庭に爆発的に普及した。冷蔵庫が冷えるのは冷媒を循環させ、冷媒を気化させることにより、筐体内の熱を奪って外部に放出する、ガス圧縮方式という仕組みがあるためである。20世紀に普及した冷蔵庫は冷媒や断熱材の発泡にフロンを利用する製品が周流であったが、フロンが環境中に漏出した際深刻な環境破壊につながるとして問題視された。そのため、徐々に冷媒を代替フロンやイソブタン、ノンフロンに切り替えていった。冷蔵庫は食品のストックや長期保存に必要であり、今では生活に欠かせない製品となっている。昔から冷蔵庫の仕組みは大きく変化していないが、省エネ機能や人工知能、タッチパネルなど最新機能が搭載されたものも多く開発されている。
A.①テーマは工業の歴史についてである。工業の歴史が大きく動いたのは産業革命のときで、初めて紡績機が作られた。動力についても大きな変化が起き、今までは馬、牛、水車などを使用していたが蒸気機関が使われるようなり、繊維産業は手工業から機械工業へと変化した。 ②あってよかった工業製品の発表では、車を選んだ。グループ名は未定で、グループのメンバーは私を含めて宮入丈、吉成悠、鈴木建生、久保明裕であり、私の役割は調査であった。車は貿易、移動手段として必要であるという意見が出て、それに加えて歴史や部品、燃料についても議論した。 ③121【平常演習】「あってよかった工業製品について議論しよう」で取り組んだ内容を次に示す。車はボディやエンジンに加えて数多くの部品から構成されている。材料としては、主に金属が使われていて、その他にはガラス、ゴムなども使われている。車がないと移動手段だけでなく、日本の重要な輸出品目が失われるから困ってしまうので、ないと困る工業製品として選択した。車は1769年にフランスで初めて開発された。この車は蒸気を利用して走り、軍隊で大砲を運ぶために作られた。その後、1885年頃にガソリン自動車が誕生して1900年初頭に量産が始まって現代につながる。
A.①産業革命以降の蒸気機関誕生から自動車製造までの移動手段の進化を学び、②様々な容器について調べて発表し、③この技術進化の時系列と社会的インパクトを復習しました。
A.① 工業製品を学ぶ際に「どう作られているか」「どんな材料が使われているか」を意識することの重要性が示された。背景として、産業革命によって蒸気機関が発明され、動力が人力から機械へと変わったことが紹介された。これにより繊維工業などが機械化され、大量生産が可能となったが、同時に労働環境の悪化や大気汚染といった問題も生じた。身近な例としてトイレットペーパーが取り上げられ、ロール型が登場した背景には、水洗トイレの普及やミシン目を入れる技術の発明があることがわかった。さらに、米沢では秦逸三教授の紡糸研究が成功し、旧米沢高等工業学校の設立とともに地域の工業発展にもつながった。 ② 「あってよかった工業製品」として自動車が取り上げられた。車はさまざまな素材(タイヤ、ガラス、塗料など)で構成されており、それぞれに化学や工業の知識が関わっている。 歴史としては1769年に蒸気自動車、1885年にガソリン車が登場した。エンジンはガソリンと空気の混合気を爆発させて動力に変換している。工芸品との違いとして、「量産できるかどうか」が工業製品の特徴だと確認された。 ③ 18世紀後半のイギリスで始まった産業革命により、綿工業を中心に機械化が進み、大量生産や交通の発展へとつながった。さらに第2次産業革命では石油や電気がエネルギー源となり、重化学工業が発展した。工業製品の歴史は社会や技術の変化と密接に関わっており、米沢のような地域においても工業と教育の連携が重要な役割を果たしていたことを学んだ。
A.?1900年代初頭に登場した鉱石ラジオは、同調回路と鉱石検波回路だけで構成されたシンプルな受信機で、電源を使わずに電波を受信できました。これに関連し、半導体の性質を示すバンドギャップは、電子が存在できないエネルギーの幅を指し、シリコンはゲルマニウムよりもバンドギャップが大きいです。産業革命では、第一次で動力を用いた大量生産が始まり、第二次ではエネルギー源が石炭から石油に移行しました。1950年代には石油化学が発展し、1973年のオイルショックで高度経済成長は終わりました。その後、リチウムイオンバッテリーが登場し、現代技術の発展に大きく貢献しています。 ?「ないと困る工業製品」 ハーフプライス 山中麻央(執筆)、荒井巴瑠、渡邉陽菜、中澤祐人、宮内大樹、吉田夕貴 ないと困る工業製品として主にプラスチックについて考えた。プラスチックの中でもペットボトルや衣服について調べ、なぜプラスチックが多く使われているのか、ないと困るのかについて考えた。その結果、プラスチックは加工がしやすく、大量生産が可能で、薬品に強いという性質があるため広い分野で使われているのではないかという結論になった。 ?ないと困る工業製品として、プラスチックについて考えた。まず、プラスチックは現代の私たちの生活の大部分を占めている工業製品であり、例として、ペットボトルや衣服、家電製品、様々な容器など、生活に欠かせない存在である。また、プラスチックのメリットとして軽量であり、加工のしやすさや大量生産が可能であること、様々な形状に変えられること、薬品に強いことも挙げられる。そんなプラスチックは、石油化学工業が発展した1950年ごろに本格的に工業化が始まり大量生産された。そこからプラスチック製の容器が普及して、多くの場所で利用されるようになった。高度経済成長期には、三種の神器の一つである電気洗濯機がプラスチック化されたことにより普及が進んだ。こうしてプラスチックは日常生活に浸透し欠かせない存在になったと考える。
A. 自然科学としての化学と工学の違いについて、化学は物質の性質や反応を研究する学問で理論的な理解を深めることで、工学は化学的知見を基に工業的なプロセスを設計・開発し、実際に物質を製造することと知りました。また、あってよかった工業製品についても議論して、実際に私たちの身近な生活で普段の生活がより便利になったと感じるあってよかった工業製品について考えることができました。 私たちは、あってよかった工業製品のプラスチックについて議論しました。プラスチックは私たちの身の回りに数多く存在し、今の社会に欠かすことのできない素材です。 プラスチックの歴史は1860年代にアメリカの印刷工によって「セルロイド」が発明され最初に工業化された実用プラスチックとも知られ、写真のフィルムや装飾品などの様々な製品に利用されていました。また1970年には現代のプラスチック製品の主流となる「天然素材を使用しないプラスチック」が誕生し、家庭用品や工業機器などの様々な分野で活用されるようになりました。 今回の講義を通して、このようなプラスチックの歴史と今の時代における重要性について学ぶことができました。プラスチックは便利な反面、環境への影響などの課題もありますが、その必要性と存在価値について理解を深められて良かったです。
A.第一回目の講義では工業化学の歴史について学んだ。現代の私たちの生活に欠かせない製品の多くは、工業化学によって支えられている。古代エジプトではガラス製造や染料技術が発達し、中国では火薬や製紙技術が生まれた。これらは経験則に基づいた職人技術であり、いわば「技術としての化学」であった。中世ヨーロッパでは錬金術が盛んになり、化学の基礎理論が徐々に整っていった。18世紀後半からの産業革命は、工業化学にとって大きな転機となった。蒸気機関の発明により工場制手工業から機械工業へと移行し、製品の大量生産が可能になった。特に重要だったのは、硫酸、ソーダ灰(炭酸ナトリウム)、アンモニア合成などの基礎化学品の大量生産技術の確立である。1807年、ハンフリー・デービーが電気分解によってナトリウムとカリウムを分離し、無機化学の発展に貢献した。また、19世紀中頃にはドイツで合成染料(アニリン染料)が開発され、化学工業の商業的成功例となった。20世紀は、工業化学が爆発的に発展した時代である。特に第一次世界大戦と第二次世界大戦は、化学兵器や合成素材、医薬品の需要を高め、国家主導の化学研究と工業化を推進した。ハーバー・ボッシュ法(1913年)**は、空気中の窒素を固定してアンモニアを合成する画期的技術であり、農業用肥料や爆薬の製造に用いられた。この技術は、世界の食糧生産を支えると同時に、大量殺戮兵器の基盤にもなった。 戦後は、プラスチックや合成繊維、洗剤、医薬品、電子材料などが発展し、生活の質を大きく向上させた。化学工業は巨大企業の基幹部門となり、国際的競争も激化していった。
A.①日本でラジオ放送が始まったのは、関東大震災が理由の一つである。ラジオの中には、電源を利用しない無電源ラジオと呼ばれるものがある。黄銅などを使う鉱石ラジオやゲルマニウムを使うゲルマニウムラジオもその一つである。ゲルマニウムは、金属などの導体と、ゴムなどの絶縁体の中間の抵抗率を持つ半導体である。現在、製品などに使われる半導体の主流は、ケイ素から作られるシリコンだ。これは、シリコンのバンドギャップ(電子が存在できない領域)が大きいからである。 ②スマホやテレビなどで使われる、液晶ディスプレイについて調べた。液晶とは、液体のような流動性と、結晶のような異方性(物体の性質や分布が方向に依存する性質)を持った物質の状態である。液晶ディスプレイが発明されたのは、1968年である。1888年には、液晶という状態があることは発見していたが、研究不足により実用化はされていなかった。液晶ディスプレイには、「値段が安い」「寿命が長い」「長期間保存できる」などのメリットがある。 ③半導体について調べた。現在は、「ワイドバンドギャップ半導体」と呼ばれる、シリコンよりもさらにバンドギャップが大きい半導体が研究されている。シリコンカーバイドや窒化ガリウムがその一つである。
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第百十三条 大学は、教育研究の成果の普及及び活用の促進に資するため、その教育研究活動の状況を公表するものとする。