技術者倫理

人々に必要とされる工業製品は、時代の生活様式ともに変わっていきます。 ある製品が、世の中に出る、黎明期。 その製品が、人々に知られて、普及する成長期。 その製品が、普及して、みんなで使う成熟期。 その製品が、必要とされなくなる衰退期。 急激に成長期を迎える製品は、ベストセラーと呼ばれます。 それに対して、淘汰されることなく、ずっと成熟期が続く製品は、ロングセラーと呼ばれます。 ロングセラーとなった製品は、ほんとうに人々に必要とされているということです。

人々を幸せにしたい、そんな想いが込められて研究開発された製品でも、 技術的ハードルやコストの課題から、世の中に出ることなく終わる製品もあります。 あるいは、世の中に出ても、思わぬトラブルから、頓挫する製品もあります。

そんな中、数十年にわたって、人々に愛され続けるロングセラー製品があります。 カップヌードル、ペットボトル茶、味の素、かっぱえびせん、カルピス、マヨネーズ・・・、食べ物以外でもカローラや乾電池など。 このような、ロングセラー製品の中からひとつ選び、そのロングセラー製品が、どのようにして生まれたか、 今に至るまでの歴史に、開発者の思いや苦労を交えて、物語にしてみましょう。


===例===

題目:ヤクルトを作った男-代田稔-

幕末から明治にかけて、外国との交流が増えるにつれ、 外国からコレラ菌 1 ) や、 赤痢菌 2 ) が、持ち込まれました。 当時、農村では、し尿は、貴重な肥料として使われていました 3 ) 。 また水道は普及しておらず、井戸水でした。 病原菌で汚染されたし尿が、農地から井戸に流れ込み、コレラが流行したのもうなずけます。 しかも、コレラは感染者が、すべて発症するわけはないので、 無症状の人が、コレラを拡げた可能性もあります。

コレラに感染して、発症すると、突然下痢と嘔吐が始まります。 下痢便の量は非常に多く、1日数10リットルになることもまれではありません。この結果、重症な脱水状態に陥ってしまいます。 そのため、体の小さな子どもが多く命を落としたのです。

そんな現実を目にして、なんとかならないものかと考えていたのが、代田稔でした。 代田稔は、乳酸菌を摂取している子どもの方が、コレラの罹患率が少ないことに気づきました。 コレラが流行るインドでは、発酵乳製品のラッシーを飲みますが、長年の経験からくる知恵なのかもしれません。 代田稔は、乳酸菌の強化培養に成功し、その乳酸菌を一人でも多くの人々に摂取してもらうため、安くておいしい乳酸菌飲料として製品化します。 それが乳酸菌飲料「ヤクルト」でした。

代田稔は、事業拡大のために海外進出することはしませんでした。 そのかわり、コレラで苦しむ子供たちがいる国には、たとえ利益が見込めなくてもヤクルト工場を作りました。

今、スーパーの店頭には、ヤクルト以外の乳酸菌飲料もたくさん並んでいます。 安くてお手軽を目指したヤクルトは、それらの類似品に比べるとちょっと高めの値段です。 それでも、80余年を経た今でも、ヤクルトは、ヤクルトのまま、売られている超ロングセラー製品です。


参考文献