明治の後半、西洋に追いつけ追い抜けの日本にも産業革命が訪れた。動力の利用とともに物流が盛んになり、繊維、化学などの科学技術が発達した。中でも当時ヨーロッパではやっていた蚕の病気のため、日本の生糸は良質なものとして世界に輸出された。
しかし、徐々に日本の生糸は売れ行きが落ちはじめ、それに変わるもっと安価で丈夫な繊維が求められた。先行したドイツの技術を日本でも実用化できないかと悪戦苦闘していたのが秦逸三先生であった。資金繰りに苦しんだ秦先生はあちこちと資金援助を求めて歩いたが、そこに大口の投資を買って出たのが金子直吉であった。・・・
電気化学の庵:明治時代. /amenity/Syllabus/@Lecture.asp?nLectureID=1024. (参照1868-01-01).
無機工業化学:日本の産業革命. /amenity/Syllabus/@Lecture.asp?nLectureID=4439. (参照2016-01-06).