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🌡️ 📆 令和6年4月27日
機能界面設計工学特論

20100329

私 の 物 理 室                                       戸田一郎  北陸電力エネギー科学館  1.はじめに  平成14年3月、富山第一高校での28年間の勤務を終えた。物理の授業はほと んど100%を物理室で行った。私立高校であったおかげで転勤がなく、使いやす い自作教材や購入機器が増え、さらには改良したものに順次置き換えるなど、年毎 に授業内容を高めていく上で大変幸運であった。しかし、転勤がないことは逆に周囲の人間関係だけに埋没し、自ら意識しなければ進歩がないままに終わってしまう危険がある。  自分の行う理科教育はどうあればよいのか?私はその答えを先人の残した言葉に求めて、教育の基本としてきた。 2.科学史に学ぶ  赴任当時、生徒の気持ちを教科書に向けさせることに苦心した。そこで導入として関連する科学史に話題を求め、あるいは再現実験を行った。私たちが科学的にものを考えるとき、その思考過程は科学の発達段階と重なっているといわれるように、科学史にヒントを得た実験は明快であり、感動的である場合が多い。  実験の詳細についてはかつて報告したこともあるので、以下にそのいくつかを選び、概要のみを記す。  1)音速の測定  カーバイド爆音器を2門作り、およそ1km離れた2地点間で交互に爆音を発して音速を測定した。           また水中で鐘を鳴らし、水中音速の測定にも挑戦した。  2)仕事と熱  「まいぎり・火打ち石・空気の断熱圧縮」などの火起こし法だけに止まらず、日本兵として長年ジャングル生活をされた横井庄一・小野田寛郎両氏に面会して、ジャングルでの火起し法を聞いて演示した。  3)電流と抵抗  エジソン電球と同じ京都・石清水八幡宮の竹を乾留してフィ           ラメントを作り、ナス型フラスコに固定して「炭素フィラメント電球」を点燈させた。  4)電池の歴史  江戸時代、蘭学者の宇田川榕菴が作ったのと同じ方法(銅版は打ち抜き、亜鉛版は鋳物)で「ボルタの電堆」を作り、モーターを回し、水の電気分解を行った。  これらの実験やそれを行った科学者・技術者の信念や時代背景を調べていくうち、特に江戸時代の蘭学者に心が惹かれた。 3.「蘭学者の3つの旗印」  … 理科教育の基本的姿勢とは?…   江戸時代、蘭学者が旗印としたものは以下の3つであったといわれる。  1)親試実験 「蘭学を単に机上の学問で終わらせるのではなく、親しく実験を試みる」   この精神に基づき、彼らは火薬を作り、薬品を調合し、温度計を作り、電堆で実験した。この実証的精神が蘭学を学ぶ者の基本姿勢であり、蓄積された知識がやがて明治に引き継がれ、一気に日本の近代化が可能になった。  私はこの言葉が大好きである。自分はこの200年前の蘭学者たちに遅れをとってはいないだろうか?出来る実験すらなまくらをして手を抜いてはいないだろうか?“私の物理室”はこの「親試実験」の精神に基づき、「すぐに実験をして見せる場であること」をモットーにして改善を重ねてきた。    2)生民広済 「蘭学を学ぶ目的は己の立身出世のためではなく、生きとし生ける民を広く済(すくう)ことにある」   「学問をする目的は何か? 科学を学ぶ目的は何か?」と問われて生徒のみならず、私たち自身、いったい何と答えるであろうか?「国家・社会のため…」という答え方は現代ではなんとなく敬遠されそうであるが、私は明快に「国家・社会のため」と考えている。優秀な科学者や技術者が社会に貢献していることは誰しもが認めざるを得ない、自明の理である。  3)四民平等 「人は“士農工商”の別なく、平等である」   ヨーロッパの市民社会について知っていた蘭学者たちは、当時の日本の身分制度に疑問を抱き、やがてこの思想が明治維新への底流になったといわれる。そのため維新の志士たちには蘭学を学んだ人々が多くみられる。学ぶこと、学んだことに命がけでぶつかっていく。蘭学と漢学のせめぎあいの中で信念に生きた、当時の日本人のひたむきで燃えるような情熱を生徒に伝えていかねばならない。  以来、私は事あるごとにこの「3つの旗印」を思い浮かべ、自分の理科教師としての心のよりどころとしてきた。 4.「知識よりも、先ずイメージ」 …指導のきっかけを何処に置くべきか?…「Imagination is more important than knowledge.」( A .Einstein)    私は物理室の入り口にアインシュタインのこの言葉が書かれた大きなポスターを飾っていた。物理を学ぶ上でこの言葉は非常に意味のある言葉である、と思っている。法則や定理を言葉で説明し、知識として理解させる前に「実験によって現象をイメージとしてとらえ、理解させること」が重要である。そのためにはできるだけ迫力のある、わかりやすい実験を心掛けた。  生徒が物理室に入るとき「今日はどんな自然のドラマが見られるだろう」と期待して入ってくる…。そんな劇場であるためにも、実験道具は常に美しく、準備された状態で出番を待っているように、保管方法にも工夫をしてきたつもりである。 5.「 実験心得十則」(藤木源吾先生)      では実際に授業で実験をするにはどのようなことを心がけるべきであろうか?  戦前戦後の日本の化学教育に功績のあった東京高等師範学校の藤木源吾先生の「化学講義実験法」の中に「実験心得十則」が書かれている。  この本で先生は「このうち1)、2)、4)、6)、10)の5則は恩師である同じ東京高師教授・倉林源四郎教授が『実験5則』として発表され、残りの5則は自分が加えた」と述べておられる。    1)安全第一   2)百発百中   3)準備迅速   4)装置簡易  5)現象顕著   6)観察徹底   7)装置存続   8)改良工夫  9)材料経済   10)整理整頓    以上の中で、私は特に「準備迅速」・「現象顕著」を心がけた。  教師はいかに多くの実験方法を知っていたとしても、それを生徒実験あるいは演示実験として授業の節目・節目ですぐに行えなければ意味が無い。私は「親試実験」の精神からも物理室で「実験の準備迅速」をとくに心がけ、5分もあれば次の授業の実験が準備できる事を目標に、「装置存続・整理整頓」に気をくばった。  そのため、物理室にはいろいろな仕掛けを施した。モンキーハンティングは猿を教室の天井から滑車で下ろし、波動を教える際の縦波は黒板の上端に張ったピアノ線にスプリングを常にセットし、教卓の上の天井にはいろんな装置を吊り下げるフック、スチール黒板を利用した磁石付きの装置、教卓の下には真空ポンプやレーザー装置、校舎間に張り渡したアンテナを6本教室に引き込んで電波の実験に備える、などした。  また「演示実験は現象顕著」を旨とし、出来る限り大掛りに演示した。 たとえば「音の共鳴は2つの音叉を教室の対角線上7~8m離して共鳴させ、波のエネルギーが遠くに伝わっていくことを実感」させ、「モンキーハンティングは4~5mの距離から命中させて、自由落下の距離を認識」させ、「光の干渉はレーザー光源とスクリーンの距離を6mにして、干渉縞の間隔を大きく広げ」、「1万回以上手巻きしたコイル内で磁石を軸方向に前後に動かして発電する際、動かす手に抵抗を体験する(磁石に対して「仕事」をしていることを実感する)」などである。   6.「堅牢優美」(父の教え) …実験装置作製心得…  小・中学校の理科教師であった父は、「実験装置は、ただ目的が達成されればよいというものではない。生徒が安心して思い切って使える丈夫さと、出来る限り丁寧で美しく作られていなければならない。雑に作られた装置は使う者も雑に扱うし、得られた結果にもさほどの“信”を置かない。ゆえに教材は“手作りであること”ばかりに拘らず、堅牢優美と安全を考慮して“専門業者に作らせる”ことが必要な場合もある」と、厳しく指摘した。 「実験心得十則」の存在を教えてくれたのは父であったが、父の造語であるこの「堅牢優美」を私は「第11則」と考えている。また「堅牢優美」とは実験装置の製作のみならず、それを使って演示する際も周囲が安心して見ることのできる無駄のない、美しい演示方法にも通じると心得ている。 7.「教えて導くことの厳ならざるは、師の怠りなり」(司馬光)                …授 業 に 臨 ん で…    30歳で教員になった私は、教科書にある実験をひとつずつ確実にこなしていく事からはじめた。学校には実験に習熟した先輩教師がおられなかったので、装置を家に持ち帰り父に教えを請い、教材製作では半田付けや穴あけ加工に至るまで叩き込まれた。「教える」とはどういうことか、教材1つを作る姿勢からも厳しく鍛えられた。  それのみならず、「気力は充実しているか?」「言葉は明瞭か?」「板書は丁寧か?」「教室掃除は徹底しているか?」など、「教師のいろは」にも注意が及んだ。  他に遅れて教師になった息子に恥をかかせまいとする親心であったろう。 「生徒の気持ちにしっかり寄り添ってやれ。1歩の隔たりは遠すぎる。半歩まで近寄って行け。ただし半歩以上、絶対に近付いてはいけない。生徒から見て『先生は手が届くところに居るように見えながら、しかし確実に上位に居て自分を引き上げてくれる存在』でなければならない。 言い換えれば、教える者・教えられる者の間には“秩序”が必要である。“秩序”とは“上下長幼の順”であり、その表れが“礼儀”である。」と。 授業は遊びではない。「授業を楽しく…」というが、教える者・教えられる者双方の間に切り結ぶような緊張感があってはじめて本当の「学ぶ楽しさ=精神的な満足感」が生み出されるはずである。 そんな父からの教えは私の授業に色濃く反映された。ズボンからシャツを出し、上着のボタンをはずしている生徒も、物理室で学ぶときだけは必ずシャツを入れ、授業の開始と終了の挨拶は確実にボタンをかけて「礼!」をする「当たり前の礼儀」が徹底していた。 授業前後のこの「礼!」は食前・食後の「いただきます」「ごちそうさま」という形にはまった挨拶があって初めて料理がおいしくいただけ、作る人と食べる人の気心が通じるのに似ている。 8.「我が理科室よ、科学技術の濫觴であれ!」                          私は、見えない力に背中を押されるままに走りつづけて今日に至っている。自分の背中を押してくれたものは何かといえば「過去の科学者や教育者達の燃えさかる情熱」であり、その情熱に押されて後顧の憂いなく走りつづけられたのは「家族の支え」のお陰である。  そこから得たエネルギーや感謝の気持ちを生徒に還元するために、私は自分の拠点・理科室を、「科学技術の濫觴であれ!」と願いつづけてきた。 濫(らん)とは「あふれる、湧き出す」の意味であり、觴(しょう)とは「さかずき」を意味する。つまり「大河も、そのはじめはさかずきからあふれる程度の小さな流れである」、あるいは「さかずきを浮かべる程度の小さな涌き水である」ということから、「始まり、源」を意味する言葉である。 「我が理科室よ、科学技術の濫觴であれ!」との理想を高く掲げ、自らを奮い立たせずして生徒に『熱い理科』は語れない。  巣立ち行く生徒が自然の不思議さに感動し、その調和に感謝し、さらには偉大な科学者や技術者となってその発展に貢献する、そんな「理科室=濫觴」が日本全国に数多くあることを信じ、それらの発展に今後も微力を尽くしたいと思っている。 8.結び  教材作りが深夜に及ぶと家内が子供たちを連れて物理室へ夜食を持ってくる。それをみんなで食べながら子供たちは私の仕事の実際を知り、私は子供たちの話に耳を傾ける。我が家ではそれを「パーティー」とよんだ。  28年間の「私の物理室」は、今は亡き父の指導と支えてくれた家族、そこで学んだ生徒たちとの思い出に満ちた「私の人生劇場」であったことを今、心から感謝している。

2009_H21

1124 【講演】エネルギーデバイス内部の材料界面接触とレート特性@東京