良忍、法然、顕如
一向派の開祖は、一向俊星(いっこうしゅんしょう)で、鎌倉時代に一遍の弟子だったといわれています。
中世には一遍の時衆(じしゅ),その系統を引く一向俊聖(しゅんじょう)の一向派,親鸞の真宗がそれぞれ一向衆とよばれていた。それらは混同されていたが,14世紀初め頃から真宗を一向宗とよぶことが定着し始めた。蓮如はこの呼称を嫌い,親鸞が用いていた浄土真宗を称することを主張した。しかし一向宗という名称の定着化は続き,室町中期・戦国期の真宗門徒による一揆は一向一揆とよばれた。近世に至り,東西本願寺は宗名を浄土真宗と改称することをしばしば幕府に願いでたが許可されなかった。その後,1872年(明治5)大蔵省から真宗と称すべき通達がだされ,宗名問題は決着した。
播磨国(現在の兵庫県の南西部)の書写山圓教寺(えんぎょうじ)に入寺、天台教学を修める
書写山 円教寺@兵庫県姫路市1)
お散歩の中にサイエンスを探し求めて♪:書写山 円教寺@兵庫県姫路市. https://edu.yz.yamagata-u.ac.jp/developer/Asp/Youzan/@Lecture.asp?nLectureID=3655. (参照2011-06-18).