2018年度 今井直人研究公開サイト

卒業論文公開ページ

大学生は4年間という長い時間をかけて多くのことを学び社会に旅立つ。その中でも最後の一年「卒業研究の時間」はそれまでの集大成として研究に取り組む時間である。 そしてその集大成が形になったもの、それこそが「卒業論文」であり、一学生の青春の一部を示した一篇の物語なのだ。 そのような卒業論文、通称-卒論-は後輩たちには引き継がれるものの、一般の人々の目に留まることはない。しかし今回は「学習成果の公開」ということで卒業論文の一部を公開することにした。 指導教官の立花先生にも許可はいただいている。お見苦しい文章だとは思うが、今井直人の青春の一部を感じていただければ幸いである。

卒業論文が気になる方(学内)は以下のURLを、もしくは仁科・立花・伊藤研究室まで。

卒業論文(PDFファイル)

裏・卒業論文(PDFファイル)

卒業研究発表会スライド


--以下、卒業論文より--

はじめに

風見鶏が目印の赤いホームセンターがある。そこで、画鋲と洗濯ばさみを手に取るひとりの巨人がいた。巨人の名は白谷、洗濯ばさみ画鋲セルの開発者である。 白谷はその洗濯ばさみ画鋲セルに様々なものを挟んでは「おもしれー」「わかんね―」などの言葉を発しながら日々研究(おもに導電性高分子との闘い)に没頭していた。 研究室で洗濯ばさみをつまむ姿に衝撃を受けた筆者は、いつしか白谷が開発した洗濯ばさみ画鋲セルの虜になっていた。洗濯ばさみに画鋲を突き刺しただけの装置でも様々な発見があるということに感動したのである。 洗濯ばさみ画鋲セルは導電性高分子以外にも様々な材料を評価できるのではないだろうか。

本研究では、白谷が作り出した洗濯ばさみ画鋲セルが電池やコンデンサといったエネルギーデバイスの様々な材料の評価に用いることができるのではないかと考え、実験・評価を行った。

おわりに

「研究室で習ったことはなんですか?」と問われたら、僕は「研究です」と答える。
仁科辰夫は研究について以下のように述べている。1)(仁科, 2018, 1ページ)

学問とは、何が正しいかを学び、問うことである。これを探求する行為を研究という。

この世界には誰かが決めた「正しい」とされるものがいくつもある。例えばアルファベットだ。「A」と出されればその読みは「エー」であり、少なくとも「ビー」ではない。この定められた「正しい」を教えてくれるのが小学校や中学校・高等学校であり、先生なのだ。

だがここで間違えてはいけないことがある。それは「先生=正しい」は成り立たないということだ。先生はあくまで文部科学省の定めた「学習指導要領」の範囲で、文部科学省の検定を通り抜けた「教科書」を使って授業をしている。つまりその外では先生が正しいとは限らないのだ。まして大学には学習指導要領なんてものはない。何が正しいのかを、先生の顔色ではなく自分で、自分たちで決めなければならない場所が、高等教育機関とされる「大学」なのである。

しかし、私はこのことを知るまでに多くの時間がかかった。私はいつも誰かに正しさを求め、自分自身で探求する行為を放棄していた。そうして気が付けば言われたことをただ行う作業者になっていたのである。そして卒業一か月前にして、正しさとは何かを考え始め、これを書いている今では多くの本を読みながら「正しさ」について学んでいる最中である。

まだ「問う」段階までは行っていないが、それでも私は一年をかけて、ギリギリのところでやっと、研究を習うことができた(と自分自身で決めている)。

「結局正しさって何ですか!」
「そこはもちろん鋭意研究中です!!」
そう元気よく答えたいところだが、これは卒業論文、現時点での結論を述べなければ終われない。

大学生の私が思う正しさとは、面白いことである。面白いとは「興味をそそられて、心が引かれるさま。(デジタル大辞泉)」を指す言葉である。この面白いという感動に素直に従うことが正しさだと私は考えた。難しいことは何も言わない。単純に面白いほうへと転がっていくほうが楽しいのである。

では私は何処へ転がっていくのか。私は教員になる道を選んだ。生徒のために土日も出勤、いくら残業をしたところで残業代なんてものはない、いわば「超ブラック」という世界である。それでも教員になりたいと願うのは、きっと面白いことを共有したいからだ。「面白い」はいろんなところに落ちている。街の中の看板、道端の野草、ちょっと知っているだけでいつもの通学路もちょっとだけ面白くなる。机の上で「うん、うん」と話を聞くだけでは見つけることのできない面白さが、この世界にはたくさんあるのだ。私はその「ちょっと面白い」の感動を多くの人と共有したい。そういう点で教員という仕事は魅力的で面白そうだった。だから私はこの気持ちに従うことにする。自分が正しいと思うほうへ向かった先が教員だったのなら、私は後悔しない。ただ強く転がっていくだけである。

面白いを伝えることは難しい。卒研発表や卒業論文の作成を通してそのことを痛感した。面白いを伝えることに関しても学び問うことに終わりは来そうにない。「そうか、たぶんこれが僕が一生付き合っていく研究テーマなんだな。」そういう気持ちの落としどころが決まったところで、そろそろこの卒業論文を綴じることにする。

最後に、これまで指導してくださったすべての先生方、共同研究先の皆様、同輩や先輩に後輩、支えてくれた家族、そして肩に立たせていただいた全ての巨人に

ありがとう

おしまい

引用文献 1) 仁科辰雄. 表面技術. Vol.69, No.10, 2018, p423, ISBN 09151869

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