21世紀の大学教育への提言−教育から知拓へ、そして教学相長へ−

山形大学 仁科辰夫

1. 21世紀の教育とは

若年者層の理科離れが叫ばれて久しい。文科省でも、これに対して幾多の手を打っているが、その効果はあまりあがっていない。しかし、とある地方自治体で試行されている「おねぇちゃん先生」や、退職した老人たちが学校教育のサポートにまわる「おじいちゃん先生」は、比較的に大きな効果を上げつつある。この成功例は、『教学相長』の原理が見事に作用している結果であろう。

これらの現況に鑑み、21世紀の教育は、幼児、小学生、中学生、高校生、大学生、一般社会人、老人にいたる世代間の壁を取り払い、『教学相長』の原理を推進し、実効的な知拓(教育)成果をあげる方法論の研究を、そのための実践を通して展開するとともに、失われつつあるコミュニティーの育成を通して地域貢献に資する必要があろう。あわせて、教師や事務官のためのファカルティーデベロップメント(FD)活動にも応用展開する必要がある。

これらを踏まえて、21世紀の大学教育では、以下の4点を強力に推し進める必要がある。これらが互いに混じりあい、アメーバのように姿形を変えつつ、有機的な連携をもって実践的な研究を展開することを提言する。なお、これらを統括する管理部門も必要だが、これには専任のスタッフがあたり、専門のカウンセラーも配置する。また、研究上必要なプロセスの記録と解析においては、地元のケーブルテレビ局と連携して、配信するための番組としても利用することでプロセスの記録に協力を仰ぎ、かつ地域貢献への一助とする。

1.      教学相長知拓実践研究
これは、上記「おねぇちゃん先生」や、退職した老人たちが学校教育のサポートにまわる「おじいちゃん先生」を活用し、特におばぁちゃんの知恵袋という言葉に代表される、年寄りの『知恵』を、これまでのノウハウの状態から明快な技術という視点で明確化し、知拓教育に展開する。これにより、元気な老人の活力を教育問題に活用していく方法論を研究する。

2.      理科実験知拓研究
理科離れの原因の多くは、実験を通しての自然現象の理解という訓練が乏しいためである。このため、文科省も幾多の手を打っており、本学も出前授業やモバイルキッズケミラボという化学実験の出前授業を実施している。これまでは、このような活動は、教官個人のボランティアとして行われていたが、これを組織的に集約して、個人レベルのノウハウの状態から明快な技術という状態にまで高める。

3.      技術伝承研究部門
工業生産技術、教育技術、伝統工芸技術などの伝承は危機に瀕しており、特に昨今の高度技術では、その世代の成長期において、その技術の黎明期からの発展過程にon timeで乗っていた世代のみが、その技術を理解し、活用できるという傾向が強まっている。すなわち、その世代が高齢化するとともに、現代社会を支える基盤技術となっている技術が瓦解し、社会の崩壊を招きかねない。これを如何に若い世代に伝えるか、を実践を通して研究する。

4.      リカレント教育
過去、リカレント教育といえば、社会人のキャリアアップのための高度専門化再教育のことを意味していたが、現実には未熟なまま社会に出て行ってしまった人間たちを使える人材にするための再教育のほうが需要が高い。この視点において、リカレント教育の実践的研究を展開する。なお、このリカレント教育部門には、その対象として就職にあぶれているオーバードクターや、不登校・引きこもり症候群の学生たちも含め、そのためのシェルターとしての機能を有する再教育の場としても活用する。

 

2. 知拓とは

元来、日本には『学問』という言葉はあったが、『教育』という言葉は存在しなかった。教育という言葉は、Educationの訳語として作られた造語である。このEducationの訳語として、『知拓』という言葉も考案された。『教育』とは、教え育むことを意味している。すなわち、上位の者から下位の者に対して知識を授けるという『師弟』関係、あるいは階級における上下関係が厳然と存在している言葉である。言い換えれば、教育とは『教授』と読み替えられるものである。しかしながら、Educationの本来の意味は、『知恵を拓く』ということであり、その意味において『知拓』という言葉が考案された。しかし、過去の社会的背景からか、この『知拓』は公式には採用されず、『教育』という言葉が当時の政府によって採用されたのである。

しかしながら、学問というものは、互いに教え学びあい、互いに協調して成長していくものである。これを表現する言葉として、『教学相長』という言葉が古くから存在したのである。先生は生徒が育てるという言葉がある。これこそ、『教学相長』の一面を端的に表現する言葉である。

現在の教育界の問題は、この『教学相長』の喪失にあり、そのために、実体験を通しての知恵の開拓が見失われていると認知する。これが、コミュニティーの崩壊を助長している(1)

1 地域コミュニティーの喪失による弊害

 

3. 理科離れ、学力低下の分析

理科離れ、学力低下は本当に進行しているのだろうか?確かに、現在の大学生の学力低下は嘆かわしいものがあるが、その点だけから、最近の若年者世代の学力が低下していると言えるのだろうか?この点について、図2に示した若年者世代の成績分布を用いて考察してみよう。

昔と比べて若年者人口が減少している現在にありながら、大学生としての入学定員は30年以上前と比べて増加している。すなわち、昔は若年者人口が多く、大学に入学できた者は、成績が優秀だったほんの一握りの者だけである。しかしながら、現在は若年者人口が減少しているにもかかわらず、大学生としての入学定員は増加しており、たとえ成績分布が平均値、標準偏差ともに昔も今も同じであったとしても、相対的に成績が優れない者も大学に入学してくる。これを教育する教師は、大学に入学できた者の中でさらに成績が優秀だった極一部の者たちであり、成績が優秀だった教師たちが理解できた方法論が、現在入学してくる学生たちに通用しなくなっているのである。優秀な人は、凡人がなぜ理解できないのかが理解できないというジレンマを持っているが、これが顕在化してしまった。そこに、教育的効果の乖離が進行し、消化不良のまま大学を卒業してしまうことになる。いわば、未熟なまま社会に送り出され、親になり、子育てをうまくできないという悪循環に陥っている。

もともと親というものは、人生経験が未熟なものであり、しかも仕事に忙しいという状態にある。既に図1に示したように、昔は、家庭内におじいちゃん、おばぁちゃんがいて、親の未熟な点を補うという役割を果たしていた。さらに、地域のコミュニティーが子供たちを我が子のように共同して見守り、育てるという環境が出来上がっており、地域コミュニティーのコラボレーションによって子育てが行われていた。まさに地域コミュニティー全体が『教学相長』の場として機能していたのである。

しかし、戦後の核家族化の進行に伴い、未熟な親へのアドバイザーとしてのおじいちゃん、おばぁちゃんがいなくなり、親は未熟なままで不安におののきながら子育てが進行することになり、『教学相長』の場としての地域コミュニティーが崩壊してしまった。これが、引きこもりや不登校を続ける若者を増やす結果となっているのである。

2 大学入学者の成績分布

 

現在、不登校や引きこもり症候群にある学生は約1割にのぼる。高齢化社会が進行し、若年者人口が減少している日本の社会において、ただでさえ高齢者という非労働人口を少ない労働人口で支えなければならない現状で、不登校や引きこもり症候群という形で労働人口が減少することになり、労働者人口の社会的な負担はより大きくなりつつある。しかも、不登校や引きこもり症候群になる子供のほとんどが教員、公務員、会社重役の子供であり、95%以上が男という状況にある。その原因のほとんどが過干渉であり、特に母親の過干渉が原因である場合が多い。

 

4. 知をめぐる社会情勢の変化(教育から知拓へ)

3に示したように、知をめぐる社会情勢も大きく変化している。昔は、書物、特に専門書は出版部数も少なく、高価なものであり、一般が知識を獲得するのは簡単なものではなかった。このため、知識の府としての大学や知識の蔵としての図書館の存在意義が大きく、講義によって知識を授ける(分け与える)『教授』としての教育の意義は大きかったといえる。しかし、現在は多くの専門書が出版され、入手は容易になっている。しかも、IT技術の発展により、知識は巷にあふれている知識氾濫の時代になりつつある。これはインターネットの普及により、ますます知識氾濫の度合いは激しくなりつつある。

そんななかで、高校までの教育は、正解が存在する『知識』の教授のみに終始し、最近では理科や数学までもが『暗記科目』とまで言われるようになってしまった。さらには、大学での教育といえば、授業と短絡的に結び付けられることも多く、旧態依然とした知識の教授の域を脱していない。これが、卒業研究において、正解のわからないものを対象として、事実から正解を導く創造的な活動に入ったときに、何をどのようにすれば良いかがわからず、実験が失敗ばかりだと勘違いし、不登校になっていくという悲劇の一因になっている。それに、親からのプレッシャーと自己のプライドが拍車をかけていくのである。

しかし、知で大切なものは、『法則』の理解とその応用力という『知恵』のほうであり、正解が存在する『知識の丸暗記』ではない。すなわち、知識の教授という『教育』の概念から、知恵の開拓という『知拓』に焦点を変えるべき時代にある。

3 『知』をめぐる社会情勢の変化

 

5. 不登校・引きこもり

我々は、教育・研究活動の一環として、インターネット上に質問・相談受け付け窓口を開設している。そのURLは以下の通りである。

質問受付窓口:    http://www.geocities.co.jp/Technopolis-Mars/6286/mailto.html

相談受付窓口:    http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/2614/mailto.html

このような質問・相談受付窓口を開設してかれこれ1年が経過しようとしているが、その間に300人以上から、実に様々な質問や相談を受けている。これらの質問や相談は、学生がほとんどだろうと予想していたのだが、現実は大きく異なり、半数は会社の技術者や教師、教官といった社会人からであった。また、学内の学生からの相談も直接受けており、この1年間で20人以上の学生から、勉学のこと、進路、不登校・引きこもりの点で相談を受けている。山形大学工学部は、学部学生が約3000人いるというのに、常任のスクールカウンセラーは一人もおらず、非常勤のカウンセラーが2名、交代で対応しており、既に過飽和状態にある。学生総数で言えば、米沢市にある工学部のほうが多いから、カウンセラーは重要が一番多い工学部から配置するのが一番良いというのに、本部は米沢市にある工学部に常任のカウンセラーを設置しようとはせず、山形市にある本部の小白川キャンパスに常任のスクールカウンセラー配置しているのである。この点には大いに不満がつのるが、逆に現代の学生が抱えている心の闇を知るいい機会を与えてくれた。

既に前節までにおいて述べているが、図4に示したように、現代学生の10%は不登校・引きこもりの問題を抱えている。これの原因は、図にも示したように、成長が未熟な親の、子供に対する過干渉が大きな原因となっており、特に母親の子供(長男)に対する過干渉がその原因のほとんどである。これに対して、女子学生の不登校・引きこもりの症例は少なく、精神的な強さに性差が如実に表れている。

4 現代学生の10%は不登校・引きこもり

5 正解のある知識の過食症が不登校・引きこもりの原因

 

実際に学生たちが引きこもりになっていく過程を追いかけてみると、図5のような現象が明快に現れている。現代大学生の引きこもりの主原因は、中学・高校・大学にいたる入試という問題が大きな影を投じており、自然を如何に理解し、記述するかという学問の本質を忘れ、効率的に大学に合格するために、『正解のある知識』を丸暗記している現状が明快に見て取れる。大学に入学後も、教官は口では「丸暗記の勉強は忘れて、考え、理解する勉強をするように」と言いながら、実際の授業は、正解のある知識、あるいは法則の教授という授業ばかりを展開するため、やはり学生は正解のある知識を丸暗記するほうが効率的に良い成績で単位を取得できることになり、高校までの意識を変えることはしないのである。学生は、『正解のある知識の暗記』という自分の能力を鍛え、それまでの学校という社会環境に見事に適応してきたのである。

しかし、卒業研究という、正解がわからないものを対象とする創造的な活動に入ったとたんに、今までの『正解のある知識の暗記』という能力が役に立たないことに気づき、愕然とする。何をすればよいかが皆目見当つかないため、良い研究をしたいという欲求とは裏腹に、何も手につかなくなってしまうのである。一方では、今まで成績が劣ると半分馬鹿にしていた学生が、この創造的な活動に入ったとたんにその能力を開花させ、大きく伸びていく様を見せつけられ、自己のプライドを傷つけられることにもなる。これらが相乗して、卒業研究着手後に不登校・引きこもりに陥る学生がほとんどである。しかも、授業の成績が優秀な学生ほど、不登校・引きこもりに陥りやすい。さらに悪いことに、このような事態に陥った学生たちを支えるシェルター機能を持つ地域コミュニティーは崩壊しており、親も利害関係の対象としてプレッシャーをかける存在にしか過ぎなくなっている。結果として、学生は自分の身を守るために、不登校・引きこもりをせざるを得なくなるのである。

だとすれば、どのような教育が必要なのか、おのずと理解できよう。いちばん簡単な方法は、今までとは逆のことをすれば良い。しかし、社会システムは一朝一夕には変革できない。ある程度の試行期間をテストケースとして実施し、実績を積み上げなければならない。そのために、『知拓』と『教学相長』を基本理念とした新しい『地域コミュニティーの創造』を目指し、実践に基づく知拓活動として、実験的な研究を展開する必要がある。現在、不登校や引きこもりにある学生たちを如何に社会復帰させるか、その方法論を確立できれば、現代の日本を支える大きな仕事をなしえることになる。

 

6. 技術伝承の危機

もう一つ、現代社会が抱えている問題がある。それは、技術伝承の危機である。これを図6に示した。

この問題が深刻なのは、コンピュータ技術やソフトウェア技術に代表される昨今の高度技術の伝承にある。特にソフトウェア技術は問題が深刻である。昔は、ソフトウェアプログラマの定年は25歳だといわれていた。それは、創造的な活動ができるのは、若いときに限られるという意見からであった。しかし、現実には、若手が台頭してくることはほとんど無く、自分の成長にあわせてon timeでコンピュータの発展を経験できた世代のみがその技術の担い手として高齢化しているだけである。これにあわせて、プログラマ定年説の年齢が中高年から高年にまで、時代とともにシフトしていった。

現代の機械技術などは、NC旋盤に代表されるように、計算機による数値制御にほとんどが置き換えられ、材料にあわせたバイトやダイスの選択や切削加工条件などの基本的な技術情報が伝承されない事態に陥りつつある。いや、情報としては文書化されているのだが、それを実施する技術の熟練度が伝承されないでいる。情報が文書化されていようと、実際にそれを実施するには、やはり熟練度が必要なのである。しかも、その技術を支えているソフトウェア技術者が高齢化し、リタイアした先には、現状の技術を維持できるだけのプログラマがいなくなってしまうのである。恐ろしい事態である。

農業などは、これまで世代の交代に伴う技術の伝承が比較的にうまく機能していたといえる。しかし、過疎化、若手の減少、担い手の高齢化が進み、農業などですら技術の伝承に危機が生じている。ここでも、技術の伝承は大きな問題として顕在化している。

やはり、この問題も看過できる問題ではなく、未来を切り開いていく場として、大学が担う役割は大きいといえる。しかも、単なる知識の教授というものではなく、生きた知恵として実践していく必要がある。

これに対して、鉄腕ダッシュというテレビ番組でダッシュ村という企画が実施され、放映されている点は、農業に対する偏見を払拭し、新たな担い手が生まれるという状況を現出させている。やはり、マスコミの影響力は大きなものがある。しかし、全国規模のマスコミ放映は、やはりスーパーヒーロー或いはアイドルを必要とする。しかし、このような教育の問題は、スーパーヒーローの存在も必要かもしれないが、『知拓』と『教学相長』を実践する教育自体がもともと多くの人手を必要とすること、これらの担い手全員がスーパーヒーローである必要は無く、むしろ地域コミュニティーの中でキラリと光る、外にはあまり知られていない無名な『地上の星』を数多く見つけ出し、あるいは育てるほうが良いのである。その点において、地方のケーブルテレビ局とのタイアップは有効な手段となる。これを積極に活用しない手はない。

 

6 技術伝承の危機