技術者倫理

倫理感は、たいていの人がもともと心の奥底に生まれながらに持っているものです。 しかしながら、目先のことに心を奪われて、ついつい忘れてしまいます。 なので、昔から、呼び覚ます語りかけをしたり、あるいは、物語に託したりしました。

しかし、言葉や絵による表現は、いつしか風化して古びてしまいます。 でも、ほんとうに大切なことは、何度も新しい表現に作り替えられて伝えられていきます。 そのリメイクのことを再話と言います 1 ) 。 再話は、要点をまとめる要旨とか、必要事項を抜き出す抄録ではありません。 原作を尊重し、新たな創作表現とすることです。

たとえば、芥川龍之介の「 蜘蛛の糸」は、仏教説話の因果応報の寓意が含まれています。 仏教説話が文字になったのは、ひらがなが使われはじめた平安時代です。 それが、何度となく再話によって受け継がれ、芥川龍之介によっても再話されました。 2 )

再話では、新しい表現に作り替えられるときに、作者の創作的な表現になります。 たとえば、浦島太郎も、再話によって語り継がれ、今でも、よく知られた民話です。 それが、ラフカディオ・ハーンによって、再話英訳され、脇朋子によって逆翻訳されると、表現がどう変化するか見てみましょう。 ラストシーンの、浦島太郎が玉手箱を空けて、おじいさんになるところは、次のように表現されています。

するとそこから、冷たい白い幻のような煙が音もなく立ちのぼり、夏雲のようにふわりと空に浮かんだと思うと、 静かな海の上を南へむかってするすると遠ざかっていった。箱のなかには、それ以外何もなかった。

浦島は、自分がみずからの手で、幸せを打ち壊してしまったことを悟った。 海の神の娘である愛する妻のもとへは、二度と再び帰ることができないのだ。 彼は絶望にうしひしがれて、激しく涙にむせんだ。

しかしそれも、ほんの一瞬のことだった。次の瞬間には、浦島自身が変わってしまった。 全身の血管を、凍るような冷たさが走り抜けた。 歯が抜け落ちた。 顔がしぼんだ。 髪は雪のように白くなった。 手足がよぼよぼになった。 力が抜けた。 四百の冬の重みに押しつぶされた身体からだは、抜け殻となって砂の上に崩れ落ちた。

ラフカディオ・ハーン作、脇朋子訳、「夏の日の夢」より

ラフカディオ・ハーンによる豊かな描写になっていることがわかりますね。 再話では、その人自身の言葉で表現することが大切です。 ラフカディオ・ハーンが「夏の日の夢」の作品中で、 「わたし自身の言葉で、もう一度、この伝説を語ってみよう」と語っているように。

さて、倫理感を呼び覚ますための物語は、活字ができる中世より前からあります。 仏典、聖書、マホメット経典、戦国策、韓非子、春秋、荘子、列子、孟子、イソップ、フェードルス、ラ・フォンテーヌ、狂言、パンチャタントラ、西洋逸話など、です。 それらの古典的な説話、寓話、逸話を調査しましょう。 そして、そこから、ひとつ題材を選び、倫理感を呼び覚ます物語を、あなた自身の言葉で、再話してみましょう。

ネット上で検索したものや電子書籍からの再話は、は対象外とします。 原著あるいは原著・完訳に近いものを紙の書籍とて入手し、 精読(理解度100%、文章表現まで把握)してください。 必ず、上述のような説話、寓話、逸話を出典としてください。 口頭伝承である昔話や民話は対象外します。 また子供向けに抄訳された童話も対象外とします。

最低文字数を原稿用紙3枚(1200字)とします。


===例===

題目:アレキサンダー大王と医者

アレキサンダー大王が、大勢の軍隊を引き連れ、ペルシアに遠征していたときのことです。 突然の発熱に見舞われ、高熱が続きました。

医者は、みな首を傾げるばかりで、何もしませんでした。 医者たちは、自分のことが心配だったのです。 もし、自分が手当てして、大王の病気が治らなかったら、どんなひどい目にあわされるかわかりません。 治療の責任を取らさせるのが怖かったのです。

でも、フィリップという医者は違いました。 「アレクサンダー大王のおかげで、いままで農地がなかった人も、農業をしてご飯が食べられるようになった。 もし、アレクサンダー大王の病気が治らなかったら、また、多くの人が農地を失って、飢えに苦しむことになる。 ここで、治療しなかったら、医者としての倫理に反する」 フィリップは、自分のことより、みんなのことを考えたのです。 フィリップは、勇気をもって、大王の診察を申し出ました。

フィリップが診察したときも、大王の高熱は、いっこうに下がる気配がありませんでした。 強力な解熱剤を使って、熱を下げなければヤバイと、フィリップは思いました。 でも、強力な解熱剤は、副作用も強く出ます。 フィリップは、大王に、そのことを説明しました。 「ああ、いいよ、フィリップだけが頼りだ」と大王は言いました。 大王の同意が得られたので、フィリップは解熱剤の調合に取りかかりました。

フィリップは解熱剤の調合をしているあいだ、 家来が一通の手紙をもって、大王の病室に入っていきました。 「大王様、パルペニオ将軍からの、急ぎの知らせでございます」 大王は、その手紙を読んであっと驚きました。 その手紙には、フィリップが、ペルシア王からお金を受け取って、大王を毒殺しようとしている、と書かれてあったのです。

パルペニオ将軍は、嘘をついてまで、人をおとしいれたりするような人ではありません。 かといって、医者が皆しり込みする中、勇気をもって、診察に訪れてくれたフィリップも、決して悪い人とは思われません。

そこへ、解熱剤の調合が終わったフィリップが大王のところへやってきました。 フィリップは何も知らないので、憂鬱な顔をしている大王を見て、心配になり、早く薬を飲むように勧めました。 大王は薬を受け取ると、にっこり笑ってパルペニオ将軍の手紙を、フィリップに渡しました。

手紙を読んで、フィリップは真っ青になりました。 舌がこわばって、うまくものが言えません。 「この手紙が届くのが、もう少し遅かったら、よかったのに」 やっとそれだけ言うのが、精一杯でした。

残念そうに見つめるフィリップに、大王はにっこり笑って言いました。 「私は、今、その薬を飲んでしまったよ」 フィリップは、大王が自分を信頼してくれたことが嬉しくて、涙がぽろぽろこぼれました。

そのうち薬が効いてきました。強力な薬ですから、副作用も強烈です。 もし、大王が苦しみのあまり、大声を出されたら、家来が飛んできて、フィリップは殺されるかもしれません。 でも、フィリップは、そんなことより、薬の効き目を見届けたかったのです。 責任ある治療を施したかったのです。 大王は、苦しみながらも、けっしてフィリップを疑うようなことは言いませんでしたし、大声も出しませんでした。

二日二晩たって、大王の熱は下がりました。 フィリップは躍り上がって喜びました。 大王は、にっこり笑って、ガッツポーズをしてみせました。

出典:西洋逸話「アレキサンダー大王」より 3 )

参考文献