ヤマグァタ2020

「大学生と高校生との協働活動」 - COC+事業 としての TRPG 風味の ブレーンストーミング-
2020年1月13日
工学部100周年記念会館
http://www.ykk1910.jp/about/seminarroom

参加者(案)

テーブルに準備されているもの(案)

タイムスケジュール

9:30 受付

10:00 開始

はじまりの歌 - 365日の紙飛行機

楽譜は数学で、演奏は物理だ。

12:00

13:30

再開の歌 - イマジン *

14:30 

作業はじまりの歌 - 心の愛
  • ハルノリへの 絵手紙 の作成
  • 15:00

    16:00

    おわりの歌 - 今日の日はさようなら

    【ゲームのあらすじ】

    地元の大学を卒業して東京に就職した ハルノリ だが、父の施設への入所を機に久しぶりに地元に帰省する。 地域で新しく出会った仲間たちと地域の課題が何なのかを見つめなおす。 そして地域とか都会とかより、過去にとらわれず、しがらみにこだわらない、心の自由が大切なことを改めて思い起こす。

    【登場人物-NPC(ノンプレイヤーキャラクター(Non Player Character))-】

    登場人物のハルノリ、ヨシコ、タケマタは、ノンプレイヤーキャラクター(NPC)としてゲームマスター(GM)の大学生がロールプレイします。

    【七人の老害-NPC-】

    老害は、大人(主催者スタッフ、教員や県庁職員、飛び入り参加のお客様)がロールプレイします。 どんな大人が若者のやる気をなくするのか、たちのわるい老害っぷりを演じてください。


    老害とは人生の或る期間を言うのではなく、心の様相を言うのだ。
    才能をうらやむ嫉妬心、上にへつらい下を見くだす態度、
    冷め切った無関心、過去に拘る依存心、
    現実を受け入れず既得権益にしがみつく怠惰心、こう言う様相を老害と言うのだ。
    年を重ねただけで人は老害にならない。理想を見失えば若くても老害になり下がる。

    【 プレイヤーキャラクター-PC-】

    下記のキャラクタークラスから選んでください。自分でオリジナルのキャラクタークラス(ゲーム内の役割)を作ってもかまいません。 物語世界での名前(カタカナ)をつけてください。

    【目的】

    何のしがらみもなく、 みんなが思い思いに過ごせる、そんなよそ行きではない 身近な 癒しスポットを思い描く。

    【プロローグ】

    ハルノリは、山形に生まれ育った。 学校での成績は優秀で、地元の大学を卒業して東京の大手不動産会社に就職した。

    ハルノリは、上京以来数年間帰省していなかった。 実家では脳梗塞を患った父親を母親がずっと老々介護していた。 その後、じょじょに父親の麻痺が進行したため、母親の負担が重くなり施設を探していた。 ここにきて、ようやく空きができたので入所することになった。 施設の手続きには母親以外の連帯保証人が必要だった。 その同意書に署名するため久しぶりに帰省することになった。 年末年始の新幹線は帰省ラッシュでごったがえす。 その混雑を避けて、今の時期の帰省となった。

    東京

    「つばさ159号、最終の山形行きとなります。お乗り遅れのないようお急ぎください」

    なんで東京駅のエレベータは山形新幹線のホームの近くにないんだ?と思いながら ハルノリは、重たい キャリーバッグを抱えて階段を駆け上がった。 階段脇の「キャリーバッグを持っての移動の際は周りの人々に気を配ってください」の貼り紙が目に入った。 わかってるよ、と思いイラっとして顔をしかめた。

    山形新幹線の自由席はホームの北の外れだ。ようやく辿り着いて車内清掃している山形新幹線つばさ号の自由席の入り口の前の行列に並らぶ。 冬のプラットホームの風は冷たい。コンクリートと鉄骨の無機質な風景が余計寒さを感じさせる。

    ようやく新幹線のドアが開いて乗り込む。 「そこ空いてますか?」と窓際の空いている座席を見つけ、狭い思いをしてキャリーバッグを荷棚に上げる。 ついでに上着を脱いでそれも荷棚に上げる。 座席に座って一息。電車が静かに走り出す。

    駅弁を買ったことを思い出す。 東京駅の駅弁売り場で買った万葉軒の「トンかつ弁当」だ。 お腹は空いたのたで、荷棚からとんかつ弁当を下ろそうかと思ったが、そのために隣でスマホゲームをしている人に声をかけるのは気が引ける。 それをキャリーバッグといっしょに荷棚に上げてしまったことを後悔する。 せっかく買ったが到着してから食べようとあきらめる。

    ワンコインのトンかつ弁当を除いて たいていの駅弁はコスパが悪い。 店頭に並べたときの見栄えはいいかもしれないが、 横に平べったい容器は持ち歩くの不便だ。ポリ袋に入れて持ち歩くと横になっておかずが片方に寄ってしまう。 しかも車内で食べるには、テーブルが狭すぎる。

    ぼんやり車窓を眺めていると、にぎやかな街の明かりが流れてゆく。 大宮を過ぎたあたりから、灯りは寂しくなって、黒々とした闇の中を新幹線は走ってゆく。

    いつのまにか眠っていたようだ。 気がつけば福島を発車したところだ。 板谷峠を越えれば、もう少しだ。駅を降りたらどうしようと考える。 母親は免許を持ってない。車で迎えに来れない。 最終の新幹線を待っているようなバスはない。 タクシーを使おうかと思った。東京で通勤電車に何万円も払っていることを考えたら、タクシー代はさほどの出費でもないが、なんとなく高いように思う。 せっかく地元に帰ってきたのだから、友達に迎えに来てもらうのも悪くない。

    幸いスマホには、昔の地元の知り合いの連絡先が登録してあった。 幼馴染のタケマタに迎えに来てもらえるかどうかラインを入れた。 幸いすぐに返信が来て、タケマタは来てくれるということだった。

    いくつものトンネルを抜けると、そこは雪国だった。 真っ暗な夜の闇の向こうに最初の明かりが見えてきた。 米沢の関根の町の灯りだ。 帰省するのは何年振りだろう。 関根の町の灯りにおかえりなさいといわれている気がしてほっとした。

    前面展望 山形新幹線 赤湯-福島

    夜の水銀灯に照らされた雪の田んぼの広がる平野に出ると山形新幹線は峠から解放されたようにぐんと速度を上げた。 到着を伝えるチャイムが鳴り、車掌の案内のアナウンスが流れた。 到着してホームに降りると雪が積もっていた。 東京からわずか二時間足らずなのに、別世界だ。 改札を出てしばらく駅舎で外を眺めながら待っていた。 東京は寒いだけで殺風景だが、久しぶりに見るふるさとの雪景色はとても美しく感じた。 タケマタが迎えに来てくれた。

    タケマタは仲間を連れていた。

    米沢
      1 米沢駅
    © K.Tachibana

    【ハルノリの実家-エピソード1-】

    ハルノリの実家に到着した。

    ハルノリの実家は築100年以上だ。 かやぶき職人がいなくなったので、屋根にはトタン板をかぶせてある。 「ただいま」と言いながら、 玄関のしきいをまたいで薄暗い中へ入る。 天井は高く、梁や柱は黒光りする太い無垢材だ。 一人暮らししている東京の3畳ワンルームの狭小アパートから見たら呆れるほど広い。

    いそいそと出てきた母親が上がってもらえというので、タケマタと仲間たちを家の中に招き入れた。

    ハルノリは仏壇の前に行くと、ろうそくに火をつけ、リンを鳴らすと、手を合わせた。

    ろうそくの揺らめく炎を見ているとなんだか暖かくなってくるようだった。

    ハルノリが仏壇にお参りを終えると、タケマタとその仲間たちも仏壇に順番にお参りした。

    東京じゃ、まずお目にかかれない風景だな、とハルノリはくすりと笑った。 すぐに両親が死んだあとの仏壇の処分に思い至って複雑な気持ちになった。

    仏壇のお参りが済むと、みんなで茶の間に集まった。 ハルノリの実家の茶の間は、昔、囲炉裏があったという場所を掘りこたつにしてある。 広すぎてエアコンやファンヒーターでは寒さに太刀打ちできない。 みんなで狭いこたつに入る。 足と足がぶつかる。 ごめーん、と言いながらもみんな笑顔だ。 暖房が効いたマンションより、 寒い古民家の方が人と人の距離が縮まるのかもしれない。

    こたつの上には、みかんやら干し柿やら漬物やらが並んでいる。 いいと言うのにおせちの残りまで出してきた。 東京ではいつもカップラーメンかコンビニ弁当だった。 安いし美味しいし時短になる。 一番コスパがいいのは食べないことだ。ハルノリの都会暮らしでは一日二食や一食になることが珍しくなかった。

    雪菜の冷や汁、切干大根の煮物、手打ちの蕎麦・・・ ハルノリは懐かしい 郷土料理 を思い出した。地元で学校に通っていたころ、手間暇かけて作った料理を食べるのが不思議だった。 でも、久しぶりに机に並んでいるのを見るとなんだか懐かしい。 そう言えば、東京駅の真ん前に流行っている味噌汁専門店があったっけ。 たかが味噌汁に若い女性が惜しげもなく千円以上も払っていた。

    東京には山形の郷土料理を看板にした居酒屋がいくらでもある。 それなりの代金を払う客がたくさんいれば郷土料理もビジネスとして成り立つ。 干し柿も東京では高級贈答品として目が飛び出るほどの値段で取引される。 郷土料理は手間のかたまりだ。 高額な代金を払う客がいなれけば成り立たない。 過疎の進む地方で郷土料理を残すのは無理がある。

    「よぐ、ござったなあ。こだなもんしかねくて、しょーしいけんど、食ってけろ」

    ハルノリの母親が湯飲み茶わんにお茶を入れて持ってきた。

    タケマタが、「ご無沙汰しまます」と、ハルノリの母親に挨拶した。 そして、「俺、ハルノリの母ちゃんの漬物大好きなんだよな」とタクアンを嬉しそうに口に頬張った。 ハルノリの母親も、その様子をみて満足気だ。 タケマタは、「遠慮しねで食ってけろ」と自分の家のように仲間たちにもお茶をすすめた。 ハルノリも、あわてて「んだんだ」とつけたした。 ハルノリはいつのまにか標準語ではなく、置賜弁に戻っている自分に気づき、おかしくなった。

    武家屋敷

    美味しい漬物を食べるだけならいい。 ハルノリは薄氷の張った桶の冷たい水から漬けた白菜を取り出すときのことを思い出した。 いくら美味しいと言っても、手がちぎれるかと思うような冷たい思いはお金をもらってもやりたくない。 コンビニで並んでいる漬物は、あらかじめ調整した調味液に野菜を入れて加熱して作る。漬物と言うより煮物だ。 しかも塩抜きしていないので、塩っ辛いことこの上ない。 このようにコスパ優先で作った添加物だらけの漬物は不味いに決まっている。駅弁の誰も食べない飾りに成り下がっている。 美味しい漬物は人件費の塊だ。 美味しい漬物を食べたかったら、東京の高級料亭に行ってそれなりのお金を払うことだ。

    ハルノリはタケマタの仲間とともに郷土料理や地元食材のコスパの悪さについて話し合った。

    そこへやってきた老害がいた。

    「ほだなもんより、もっとうめもんあっぺした」

    ハルノリは東京駅で買ったとんかつ弁当を思い出した。 案の定、とんかつとごはんははじっこの方に寄っていた。 タケマタと仲間たちはスマホをいじったりして思い思いに時間を過ごしている。 ただいっしょにいるだけでいいな、と思いながらとんかつ弁当を食べ始めた。

    ハルノリの母親が「せっかく、会ったんだから話したらいんでねか」と横やりを挟んだ。 冗談じゃない。何のメリットもない忘年会やら新年会やらを思い出した。 ハルノリは飯ぐらいひとりで食わせてくれ、と思った。 そして、自由にひとりで飯を食える場所があったらいいな、と思った。

    とんかつ弁当を食べ終わると、ハルノリもノートパソコンを取り出して1200円で買ったゲーム 「ノスタルジックトレイン」の続きを始めた。ゲームをしながら、帰省途中で山形新幹線で通ってきた関根の町を思い出した。 その懐かしい風景ですら、東京にいながら安く手に入る時代なのだと思った。

    ノスタルジックトレイン

    【散歩-エピソード2-】

    ハルノリは施設での父親の入所の同意書に署名捺印すると、ホソイ先生といっしょに遊ぼうとタケマタに誘われた。 わざわざ外出するより、家でユーチューブでアニメを見るかスマホゲームでもしてた方がマシだと思ったが、タケマタが強く言うので重い腰を上げた。

    ホソイ先生は中学校時代の英語の先生だ。 授業では試験と関係ない雑談ばかりしていたように覚えている。 社会人になってみると受験英語はあまり役に立たなかった。 今は、英単語を知らなくても、スマホの自動翻訳アプリはたくさんあるし、 ポケトークみたいな翻訳機もある。 翻訳させるべき話題を自分が持っていないことに気づいたのは、実際に外国の人と話す機会を持ってからだ。 そのときはじめて雑談ばかりしていたホソイ先生の真意がわかったような気がする。

    そのホソイ先生は冬を楽しみにしていた。 冬は狩猟が解禁されるからだ。ホソイ先生が狩猟を趣味にしていたのは初めて知った。 ハルノリとタケマタは猟場の下見に行くというホソイ先生についていった。

    いつものことながら空はどんよりとしていたが、幸い雪は降っておらず、真っ白な山のふもとに真っ白な田んぼが広がっていた。 呆れるほど広い土地がある。 東京で不動産会社に勤めているハルノリは、ホソイ先生に 山形県 の土地の値段を聞いて驚いた。東京の方が50倍も高い。 東京でマンションを売って、地方に移住する人が多いのも頷ける。 十分なお釣りが来るだろう。

    東京の満員電車は苦痛なばかりでなく、長い通勤時間は生活のゆとりを奪う。 少しぐらい収入が減ってもワークライフバランスのとれる田舎暮らしも捨てがたい。 自然に囲まれた生活が、子供を健康に育んでくれるメリットもある。

    民家から少し離れて山へ分け入ったあたりでホソイ先生が言った。

    「有害獣の駆除を頼まっちよー」

    人と自然とのつきあい方が変わり、里山が荒れ、農作物が被害を受けることが多くなったと言う。 ホソイ先生は、人手不足でよそからお金で雇われたハンターが人里の近くで事故を起こさなければいいが、と心配していた。

    ホソイ先生に誘われて 古民家カフェに行くことになった。 東京の古民家カフェは、たいてい最寄り駅降りてすぐ、とうところにある。しかし田舎は交通の便が悪い。バスの本数は少ないし、タクシーで移動するには高い。米沢駅を降りたときと同じだ。 ホソイ先生の車で移動して、古民家カフェの店の中に入った。 メニューを見ると、漬物や郷土料理、ご当地ラーメンと言ったところが並んでいる。 客がいないのに郷土料理や地元食材ではコスパ悪すぎである。

    古民家カフェで、ほうじ茶をすすりながら ホソイ先生が言った。

    「 俺ら家の隣さいたばあちゃんも、隣町の娘さんのところに引き取らっち空き家になったごで。 隣の家の雪下ろしまでさんなんね。夏場は草おがってよー。雪おかせてもらえっこんでやってんけどなー。 買い手もいねべし、処分する金もねーってや。 」

    ハルノリは地元に残らなくて良かったと思った。 両親が死んだあとの実家の処分のことを考えるだけでも憂鬱なのに 隣の家の雪下ろしまでさせられたらたまったものではない。 だいたいずっと受験勉強だけで、雪下ろしの経験などないのだから、屋根から転落するのが関の山だろう。

    ハルノリは地元に残らなかったというより残れなかった。仕事がなかったのである。 いや地元に仕事がないわけではない。大卒のハルノリにできる仕事がなかったのだ。 ハルノリは、周囲に言われるがままに勉強して、大学を卒業した。 大学が専門教育の場だと気がついたのは、社会人になってからだった。

    細井先生は、「学問ちゅうのは、ただ知識を詰め込めばいいってこっでね。学んだことを生活に生かして、幸せになんねば嘘だ。」とよく言っていた。

    専門知識は生かせる場所が限られている。だから専門家やスペシャリストは、たくさんの人手がいて分業できる職場ではじめて成立するのだ。 地元のような人手の足りないところでは、あることしかできないスペシャリストより、何でもやれるジェネラリストの方が必要なのだ。 実際、大手の企業は、地方の工場は原則地方の高卒を採用し、大卒は本社採用だ。 ハルノリは、大学に行けと言われて言うことを聞いたから、東京に就職せざる得なかったようなものだ。

    その東京の仕事も危うい。人工知能(AI)が、仕事を奪いつつあるからだ。 大卒のホワイトカラーほど影響を受けると言われている。

    大卒でさえなければ、地元にも仕事はたくさんある。 タケマタは自宅のリフォームに来ていた大工のカッコよさにあこがれて、 大手ハウスメーカーの専属大工になった。大手の企業は、高卒の人材を地域で採用して育てるのである。 職人不足が深刻になりつつある。大手ハウスメーカーが生き残りをかけて大工を養成する時代だ。

    タケマタのたいていの仕事は地元だが、東京の現場に応援にいくときもある。

    「東京は駐車場から現場まで遠くてよー。重い資材たがってねばなんね。 途中、道さちょっとでも泥落としたりすっと、すぐ地域の人から苦情が来てよー。 神経使うー。はやぐ山形さ帰りだくなる。」

    タクアンを指でつまんで口に放り込みながらタケマタが言った。

    大工タケマタの悩みは、客が若い大工を信用しないことがあることだ。 最新の技術は若い大工の方が詳しいし、腕にも自信があるのに、客によっては年を取ってる方がベテランだと思い込むからだ。

    「実力でねくて、年で見る年寄りが多くってよー。」

    年ばかりでなく、資格や学歴の有無、成績の良しあしのような上っ面だけで若者を評価する大人のなんと多いことか。 学歴と学力は全く別物だ。 「どの学校を出たか」という過去の栄光にしがみついている人に未来は作れない。 「何をどれだけ学んだか」が未来を作るのだ。 当然ながら高齢化が進む地域ほど学歴にしがみつく傾向が強い。肩書や権威を正しいと信じ込み、それ以外を受け入れない姿勢の人があまりに多い。

    学歴はあった方がいいかもしれないが、学力はなければ困る。

    あった方がいいということと、なくてもいいと言うことは同じことだ。 なくてもいいものがあると時として重荷にしかならないこともある。 両親が死んでしまったら実家や仏壇も重荷にしかならない。 ハルノリの母親は家があったがゆえに、婿をとらなくてはならなかった。 家があったがゆえに、新しいマイホームを夢見ることさえ許されなかった。 家がない方が自由で幸せだったかもしれない。

    考えてみれば、なくてもいいもので溢れている。 それどころかあることでその維持や処分に困っている。

    実家も仏壇も要らない。いやコミセンや寺社仏閣も要らないかも。 震災で倒れた墓石どうすんの。 車だってレンタカーで済ませば要らないかも。 そしたら、人が寄らない道の駅だって要らないかも。 維持するのにお金も人手もかかるし、処分するのも大変だ。 空き家の活用を次の世代に考えさせるなんて、押しつけにもほどがある。 その世代できっちり処分して欲しい。

    古民家カフェにまたしても老害がやってきた。

    タケマタが口を挟んだ。

    「苦虫を噛かみ潰つぶしたような顔だの、妙に深刻な表情だのではだめだべ。歌でも歌え」

    眉間に皺を寄せて熱弁をふるっていた老害ははっと我に返った。 ディベートに勝敗はつきものだが、勝敗より大切なことがある。 スポーツの試合と同じことだ。勝敗と内容の良しあしは別だ。 絵や歌のうまい下手と、良しあしが別なのも同じだ。

    老害は顔を見合わせていたが何かを思い出したように歌い始めた。

    【しがらみ-エピソード3-】

    古民家カフェを後にし、ホソイ先生の運転する車の車窓から、地元の風景を眺める。 どんよりとした雲の下、真っ白な雪に覆われた田んぼが広がっていて、ところどころに集落がある。

    「あれも、俺が建てた家だ」

    タケマタはちょっとはにかみながらも、笑顔で集落のなかほどにある真新しい家を指さす。 棟上げなどの大人数でとりかかる工程もあるが、たいていの工程はひとりの大工が請け負う。 たったひとりで木材を切り、こつこつと組み上げていく。 出来上がった家は、そのまま職人の腕の証だ。 タケマタは一介の職人に過ぎないが、タケマタの仕事は何十年もこの地に形を残すだろう。 ハルノリには、タケマタがかっこよく思えた。

    車窓から広がる土地に境界は見えない。 境界は人が決めたものだ。 ハルノリの不動産の仕事は、その見えない境界を書類の上で書き換えるだけだ。 ホワイトカラーと言えば聞こえはいいが、いずれその手の仕事はAIにとって変わられるだろう。

    ハルノリは実家に戻った。上がり框に躓きそうになった。 高齢者の転倒は、庭より室内に多い。 ヒートショックに転倒リスク。 古民家は高齢者に厳しい。 長女として生まれた母親は、家を継いで婿を取った。 継いだのは家だけではない。 町内のしがらみも全部いっしょにくっついてきた。

    さいとやき

    さいとやきという伝統行事がある。 注連飾り、書初めなどを持ち寄って焼き、その火で焼いた餅を食う。 いまだに標準語になっておらず、置賜の集落ごとに呼び方が異なる。 除雪車も来ない、除雪機も入らないようなところを、一番雪の多い季節に雪を掘って竹でやぐらを組む。 町内会の隣組ごとに当番が順番に回ってくる。 当番に当たると大変な負担だ。

    冬のさなかに自分が飾ったわけでもない注連飾りを焼くために吹雪の中を雪かきするなんて、ぜーーーーったいいやだ。 秋祭りの実行委員を押し付けられ、準備で4日も仕事を休むなんて、ぜーーーーったいいやだ。 婦人部が町内会の反省会の料理を作るなんて、ぜーーーーったいおかしい。

    伝統や慣習の押し付けは要らない。 主催者側の思いを押し付けるだけの地域イベントはやめてくれ。 都会の人間関係から逃れたくて田舎に来たら、さらに濃密な近所付き合いを求められたらいやになる。絶対来たくない。 伝統や慣習が廃れるのが惜しいというなら、保存会でも作ってそう思う人だけでやればいい。 ハルノリは、そんな伝統行事よりコミケやアイマスの応援上映がいい、と思った。

    そうは言っても、伝統行事を頼まれるとなかなか断りづらい。 かといって頑固に断り続けるのもなかなか窮屈だ。 そんなしがらみがいやで東京に行ってみたくなる。 でも結局のところ、東京でも町内のしがらみはある。 どこへ引っ越して町内なんて似たようなものだ。 だからこそ、どこででもできるスマホのゲームが普及したのだ。 地域を作っているのは、神様でも政治家でもない。 そこに住むふつうの人だ。 ふつうの人が作った地域が住みにくいと言ったところで、引っ越す先はたかが知れている。 もしあったとたらふつうでない変人ばかりの地域だ。 変人ばかりの地域は、ふつうの人が住む地域よりもっと住みにくいだろう。

    悪しき伝統や慣習を美徳とカンチガイしている 老害が口を出した。 せっかく地方に移住してきた人を 田舎暮らしで挫折させている自覚がない。

    タケマタが口を開いた。

    「夢を思い描くのに田舎も都会もねえべ。それに思い描くだけなら楽しいだけだ。金もかかんね」

    ハルノリはその通りだと思った。 音楽を楽しむのにどこの地域にいるかなんて関係ない。 楽しめる場所があればいいのだ。

    みんなが思い思いに過ごせるような、そんなよそ行きではない 癒しスポットを身近に作れたらいいな、と思った。

    ゲームをしたり、マンガを読んだり、お弁当を食べたり。 取り立てて無理にコミュニケーションをとるわけでもないが、仲間の絆が感じられて、 ひとりひとりが思い思いの時間を過ごせる癒しの居場所。 地元の人はもちろん、観光客も、外国からのお客様も、自然にくつろげるそんな場所。 子育てのちょっとした息抜きに、あるいは学校帰りにちょっと寄れる、そんな場所。 地域の課題なんか忘れて、まずはそんな自分たちの居場所を思い描いいてみよう。

    エクステリア パース 手書きで検索。 内観 パース 手書きで検索。 丸パクリOK。

    【エピローグ】

    季節はめぐり、ハルノリは 宅地建物取引士の資格を取った。 将来独立しようと思っているからだ。 恋人のヨシコとも婚約し、これから生まれる子どもの子育てもあわせ考えると、3畳ワンルームの狭小アパートから転居も考え始めていた。

    そんなときハルノリに一通の手紙が届いた。 封を切ると、中から色鉛筆で描かれた絵手紙が出てきた。 なんだか楽しそうな絵が描いてある。 どれどれ、なんて書いてあるのかな。

    そこには、新しく作った癒しスポットについて書いてあった。

    前略、ハルノリ様……

    あいつら、夢を実現しやがった。 タケマタのちょっと自慢気な顔が目に浮かぶ。

    ハルノリは、ヨシコと地元に戻って不動産会社を立ち上げてもいいかなと思った。 こんな癒しスポットのある街なら、きっとヨシコも喜んでいっしょに地元に来てくれるに違いない。

    参考サイト

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