夢が聞こえる

「何をぐずぐずしている!おまえは、まだ生きているではないか!」

その声の主は、裸一貫から上場企業を創業した河本さんのようにも思えるし、 会議でキレの悪い返事をするたびに灰皿を投げつけてきた山下さんのようにも思える。 お二方とも、すでにこの世を去られ、それからずいぶん時がたった。

一喝されたのが夢の中だったと悟るのに、少し手間取った。 ゆっくりまぶたを開く。

寒い。

立春を過ぎてもなお残る積雪の多さは、今年に限ったことではない。 このあたりは日本でも指折りの豪雪地帯だ。 ふとんの中から、窓の外を見やると、今日も雪が降っている。 それでも、どんよりとした空がだいぶ明るいのは春が近い証拠だろう。

そうだ、今日はマサキが雪かきに来てくれる。 いい加減くたびれてきた初老の体には布団の中と吹雪の中の寒暖差が辛い。 そんなとき、朝早くから若いマサキがわざわざ雪かきに来てくれるのは、とてもありがたい。

自分の体に「動け!」と号令をかける。 動かない。 「何をぐずぐずしている!おまえは、まだ生きているではないか!」 夢の声が思い出される。 その声の主は、小沢先生だったかもしれないし、延末さんだったかもしれないなあ、 どうも最近は記憶に霞がかかっているようでいかん、 などと思っている間に、ようやく体が動きだす。

そう言えば、河本さんは、八十歳を過ぎてから自分のことを「老害」と揶揄しながら、 カステラ作りをはじめたっけ。もし、あれが完成してたら、どんなカステラだったのだろう。 きっとぼくなんかには想像もつかないカステラだったんだろうなあ。 あれは、河本さんの最後の夢だったんだなあ、などと思いつつ、少しずつ体を動かす。 まあ、あんまり役には立たないかもしれないけど、ほかに雪かきのお礼になるようなこともないから、 マサキが来たら、河本さんの話でもしてやろうか、と思う。

河本さんに会ったのは、遠藤先生が学部長を勤められていたころだ。 会長とか肩書きがついていて、すごい人だという触れ込みで講演会か何かで学校に来たように思う。 大体、偉そうな肩書きがついている人の前に出るのは、それだけで肩が凝るものだ。 面倒に思ったので、講演会のときに紹介してやるというのを、なんだかんだと理由をつけて、のらりくらりとかわしていた。

たぶん、運命だったのだと思う。 ちょうどその日は五月晴れで、すがすがしい青空を見上げながら自転車で出勤し、正門の守衛さんにおはようと声をかけ、 事務棟の前を曲がろうとしたときだ。 真正面からやってきた黒塗りの公用車がぼくの目の前で停まった。 なんにも悪いことはしてないはずだと自分に念を押す。夜中にパトカーとすれちがったときの、あの嫌な感覚が背中を駆け抜ける。 もはやこれまでと観念して自転車を止めて何か起こるのかと待っていると、 その公用車の後ろのドアの窓が、するすると開いた。 そして、そこから顔をのぞかせた、やたら愛想のいいおじいちゃんが、ぼくに握手を求めてきた。

やばい。

その頃のぼくは、すでに不惑の年頃になっていたから、さすがに、こいつはマジやばい、とピンときた。 髪を短く刈り込んだ老人の風貌にしては、 笑顔に魅力がありすぎる。強力に人を惹きつける、ずばぬけた何かを持っている。 110番するべきか? しかし、満面の笑みをたたえたその目の奥に宿る光は、ぼくを金縛りにして、握手を拒む隙を与えなかった。

「こんにちは。先生ですよね?今日は講演会を終えて帰るところだけど、この次はきっとゆっくりお会いしたいですね!」 鋭い切っ先を深緑色のもふもふで包んだような声を、粘性係数0で、一気に耳の奥に流し込まれた。 うっかりふらふらと差し出した手を握られた、その一瞬の隙を突かれた。

やばい。やばい。やばい。やばい。

こいつは一度会ったやつを絶対忘れないやつだ。 そう感づいたときには、こっちが忘れようとしても、忘れられないように、耳の奥に流し込まれた何かは、すでに凝固させられていた。 それが河本会長との出会いだった。

では、当の河本さんご本人の述懐が、どうなっているかと言えば、

国立大の独立法人化や地域振興のための産学官ビジネスの動きが出て、山形大学でも発足を決められて、その産学官ビジネスの発開式に基調講演を頼まれた。 よくわからないまま出た。 山形県副知事から大学の教授、地元の有力な企業の方、お役所の人など大勢の人で驚いたが、 無責任な話をしてお茶を濁した。 それがきっかけで山形大学との共同研究が始まっている。

(出典:河本栄一著「私の履歴書」)

てな具合だ。河本さんは、大学の教授という珍妙な人種を見に、動物園へのお散歩気分で、講演会にやってきたのに違いない。

人の縁とは不思議なものだ。出会いは突然やってくる。出会うべき人が出会うべきときに出会えるように運命の赤い糸で繋がっている。 これは何も結婚相手に限ったことではない。 なにせ講演会にも出席しないで、会わずに済まそうと避けていたその相手に、のほほんと青空にうつつを抜かして自転車をこいでいるときに出くわしてしまうのだから。しかも、まさか、その些細なきっかけで共同研究するハメになるとは、一体誰が想像できようか。

さてその河本さん。 有名な人だ、凄い人だと触れ込む人は多いが、何をした人かを紹介してくれる人は意外と少ない。 河本さんが何をした人なのかを知ったのは、河本さんを知ってから、かなり経ったあとのことだった。

雪かきのマサキは鉄ちゃんである。鉄道には滅法詳しい。乗り鉄と撮り鉄は居場所を住み分けるのがふつうだが、マサキはあれもこれもと手を出す性分で、どうにもひとところに落ち着いて住むことができないらしい。思い立ったら最後、ネットで手に入れた重たい機械式の一眼レフカメラを携えて、真冬の北海道のローカル鉄道に乗ると言ったきり、鉄砲玉のように飛び出してゆく。まったく物好きの酔狂とはこのことだ。

そんなマサキのことだから、新幹線の軌道に、防振のためのゴム製のスラブマットが敷設されていることは知っているかもしれない。そのスラブマットを開発したのが河本さんだ。生前、河本さんが「社員旅行は新幹線を借り切っていくんですわ」と神戸訛でおっしゃっていたのを聞いたとき、 ずいぶん贅沢なことをするもんだと思っていたが、あとで新幹線のスラブマットを開発したのが河本さんだと知ったとき、本当の意味での品質管理がわかってるのか、と突き尽きられた気がした。 それまで当たり前だった新幹線の滑るような乗り心地が、当たり前でなくなった。新幹線に乗るたびに河本さんの笑顔を思い出すようになった。もっとも、今となっては、その笑顔に会えるのも、夢の中だけとなってしまった。

その話をしようとマサキを待っていたのだが、一向に学校に来る気配はない。 雪かきを終えて一時間も早く学校に向かったはずだから、ぼくより遅く来るはずがない。 歩くヒヤリハットの異名を持つマサキのことだからと、いささか心配になりかけたところで乱暴に研究室のドアが開く音がした。 見れば頭のてっぺんから足のつま先まで雪だらけで、めがねを真っ白に曇らせて、息をはずませている。 あたかも厳冬の八甲田の演習を終えたがごとくのいでたちだ。 いったい何事かと事情を聞いてみれば、雪かきに飽き足らず、 せっかくだからというので街の中心を流れる河川の堤防に深い残雪が残っているのを見つけて、 わざわざそこを横切ってきたそうだ。

河本さんの話をするのは、マサキが年相応の大人になってからになりそうだ。

続く

この物語はフィクションと言い切れない部分もあり、実在の人物・団体とは一切関係ないこともありませんが、 まあ、大筋のところは、フィクションと言って差し支えないかと思われます。 万一、実在の人物・団体に心当たりがあったとしても、あくまでフィクションとして温かく寛大な心をもってお楽しみいただければありがたく存じます。